フランクフルトのシュテーデル美術館で「CARAVAGGIO IN HOLLAND」展を観た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/40/03b66955d95d7cc3becd8871ee6521a1.jpg)
シュテーデル美術館
シュテーデル美術館では最近ユトレヒト・カラヴァッジェスキの一人であるディレク・ファン・バビューレン《歌う若い男》(1622年)を入手し、それに基づき、ユトレヒト派と「音楽家」を主題にしての展覧会を企画したようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/2f/e424caa48eac6903562741e0ee0d198d.jpg)
垂れ幕ポスター
バロックの革命児カラヴァッジョの革新的絵画技法の影響はイタリアから欧州へと広がったが、一番色濃く影響を観ることができるのがネーデルランド(オランダ)のユトレヒト派だ。マニエリスムの画家アブラハム・ブルーマールトの弟子であったヘンドリック・テル・ブリュッヘンは1604年ローマでカラヴァッジョの絵画に出会う。また同門のヘラルト・ファン・ホントホルストやディルク・ファン・バビューレンも相次いでローマに滞在し、カラヴァッジョの影響を受け1620-21年に帰国している。この3人がユトレヒトで北方カラヴァッジズムの中心となって活躍することになる
まずは、展覧会会場に出ていた解説文を紹介しておこう。でも、美術ド素人&横文字苦手の私が勝手に訳したので、違っていたらごめんなさい、である(^^;;;
■ CARAVAGGIO IN HOLLAND ■
カラヴァッジョはネーデルランド(オランダ)には行ったことはなかったが、反対にオランダのユトレヒトの画家たちがローマに赴き、カラヴァッジョの劇的なキアロスクーロ(明暗法)を自分自身の目で確かめることになった。
ヘンドリック・テル=ブリュッヘン、ヘリット・フォン・ホントホルスト、ディレク・ファン・バビューレンたちは、信奉するカラヴァッジョの新しい絵画表現を熱狂的に取り込み始める。
このオランダ人画家たちはカラヴァッジョの新しい絵画技法だけでなく、《リュート奏者》に見られるような上半身サイズの肖像画スタイルにも魅了された。そして、イタリアの保守的な古典的絵画技法や様式を壊すことにも熱中していくことになる。
カラヴァッジョの攻撃的様式とも言えるスポットライト照明は、周囲の暗闇から確実に主題を浮き立たせる。そして、画面に向かう鑑賞者に対し、画面との間の垣根を取り払い、劇的場面への臨場感を更に強める効果がある。絵画的空間の深さとコントラストによって、画面上の人物像の立体感といったら、まるで「触る」ことができそうではないか。
しかしながら、その両側面、ドラマとパトス、野蛮と宗教的熱情、エロチシズムと皮肉を伴う、人物の描写と場面についての論争を引き起こす。
1620~1625年の5年間は、激しい共通の興奮と論争を呼んだ。3人がイタリアから持ち帰った新しいバロックの多様な革新は、すぐにレンブラントの高度な発展へと向かうことになる。それは、シュテーデル美術館にある彼の《目を潰されるサムソン》によっても実証されよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b4/38dc59f24e2cdf232688c3f759274703.jpg)
レンブラント《目を潰されるサムソン》(シュテーデル美術館)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/40/03b66955d95d7cc3becd8871ee6521a1.jpg)
シュテーデル美術館
シュテーデル美術館では最近ユトレヒト・カラヴァッジェスキの一人であるディレク・ファン・バビューレン《歌う若い男》(1622年)を入手し、それに基づき、ユトレヒト派と「音楽家」を主題にしての展覧会を企画したようだ。
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垂れ幕ポスター
バロックの革命児カラヴァッジョの革新的絵画技法の影響はイタリアから欧州へと広がったが、一番色濃く影響を観ることができるのがネーデルランド(オランダ)のユトレヒト派だ。マニエリスムの画家アブラハム・ブルーマールトの弟子であったヘンドリック・テル・ブリュッヘンは1604年ローマでカラヴァッジョの絵画に出会う。また同門のヘラルト・ファン・ホントホルストやディルク・ファン・バビューレンも相次いでローマに滞在し、カラヴァッジョの影響を受け1620-21年に帰国している。この3人がユトレヒトで北方カラヴァッジズムの中心となって活躍することになる
まずは、展覧会会場に出ていた解説文を紹介しておこう。でも、美術ド素人&横文字苦手の私が勝手に訳したので、違っていたらごめんなさい、である(^^;;;
■ CARAVAGGIO IN HOLLAND ■
カラヴァッジョはネーデルランド(オランダ)には行ったことはなかったが、反対にオランダのユトレヒトの画家たちがローマに赴き、カラヴァッジョの劇的なキアロスクーロ(明暗法)を自分自身の目で確かめることになった。
ヘンドリック・テル=ブリュッヘン、ヘリット・フォン・ホントホルスト、ディレク・ファン・バビューレンたちは、信奉するカラヴァッジョの新しい絵画表現を熱狂的に取り込み始める。
このオランダ人画家たちはカラヴァッジョの新しい絵画技法だけでなく、《リュート奏者》に見られるような上半身サイズの肖像画スタイルにも魅了された。そして、イタリアの保守的な古典的絵画技法や様式を壊すことにも熱中していくことになる。
カラヴァッジョの攻撃的様式とも言えるスポットライト照明は、周囲の暗闇から確実に主題を浮き立たせる。そして、画面に向かう鑑賞者に対し、画面との間の垣根を取り払い、劇的場面への臨場感を更に強める効果がある。絵画的空間の深さとコントラストによって、画面上の人物像の立体感といったら、まるで「触る」ことができそうではないか。
しかしながら、その両側面、ドラマとパトス、野蛮と宗教的熱情、エロチシズムと皮肉を伴う、人物の描写と場面についての論争を引き起こす。
1620~1625年の5年間は、激しい共通の興奮と論争を呼んだ。3人がイタリアから持ち帰った新しいバロックの多様な革新は、すぐにレンブラントの高度な発展へと向かうことになる。それは、シュテーデル美術館にある彼の《目を潰されるサムソン》によっても実証されよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b4/38dc59f24e2cdf232688c3f759274703.jpg)
レンブラント《目を潰されるサムソン》(シュテーデル美術館)
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