カラヴァッジョの本名はミケランジェロ・メリージ。故に、若いころから大巨匠ミケランジェロ・ブオナローティを意識していたにちがいない。カラヴァッジョ《聖マタイの招命》のキリストの指がミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画《アダムの創造》から、《勝ち誇るアモル》や《洗礼者聖ヨハネ》のポーズが《Ignudi》からの引用であることは、既に研究者たちにより指摘されている。
さて、カラヴァッジョ《キリストの埋葬》にもミケランジェロへのオマージュが密かに仕組まれていたのだろうか?! ボローニャのFさんから教えて頂いたUgo Imprescia氏の論文記事(の一部)を紹介する。
「Caravaggio e il nicodemisumo di MIcheangelo -L’idea di nascondere le idee(カラヴァッジョとミケランジェロのニコデモ-意図を隠す目論み)」
「カラヴァッジョのミケランジェロに対する関心は、二人の芸術家のいくつかの作品の中に見られる図像学的類似から明白だ。しかし、カラヴァッジョの表現の中で ミケランジェロの宗教心と彼の想うニコデモについて、果たして意識に上っていたのか? 著者はヴァティカン絵画館が所蔵するロンバルディアの巨匠の《キリストの埋葬》の分析研究から出発しつつ、ここに答えを求める。」(Ugo Imprescia)
誤訳があったらすみませんっ(汗)。要するに、ミケランジェロ《バンディーニのピエタ(La Pietà Bandini)》のニコデモはミケランジェロ自身が自分の顔を写したものであるが、ミケランジェロに関心の深いカラヴァッジョ(ミケランジェロ・メリージ)は《キリストの埋葬》のニコデモにミケランジェロの顔を写したのではないか、ということのようだ。
《バンディーニのピエタ》は私もフィレンツェで観て、この深い哀しみを纏うニコデモはミケランジェロ自身だと確信している。しかし、《キリストの埋葬》のニコデモがミケランジェロの顔を写したとは思いもしなかった(・・;)
「バンディーニのピエタのなかで、ミケランジェロが自分自身の顔をニコデモとして彫刻したとしたら、多分自分自身の内面的な苦悩を表現するためだろう。」(Ugo Imprescia)
友人ヴィットリア・コロンナ亡き後、ミケランジェロ晩年の孤独と苦悩が凝縮したニコデモだが、果たしてカラヴァッジョはその精神的かつ宗教的な苦悩も含めてミケランジェロの顔をニコデモに写したのだろうか?
ということで、まずは図像を実際に拡大比較して見ると、う~む、なのだ。
・ミケランジェロ《バンディーニのピエタ(La Pietà Bandini)》(1547-1555年)ドゥオモ博物館(フィレンツェ)
ニコデモの顔の拡大
・ダニエレ・ダ・ボルテッラ(Daniele da Volterra,1509-1566)《ミケランジェロの胸像》(1565-66年)ルーブル美術館
ミケランジェロ像 (ちなみにボルテッラはあの腰巻の画家(^^;;)
・カラヴァッジョ《キリストの埋葬》(1602-03年)ヴァティカン絵画館
ニコデモの顔の拡大
観る者に視線を投げかけるニコデモ。鼻はひしゃげてはいないが、ミケランジェロによく似ていることは確かだ。しかし、この顔...尊敬する大巨匠をこの土臭いニコデモとして描くだろうか?? 私的にはどうも、う~む、なのだ。まぁ、あの偏屈なカラヴァッジョだから否定はできないのだけれどね。
果たしてカラヴァッジョは《バンディーニのピエタ》のニコデモ=ミケランジェロを密かに引用したのだろうか??
この論文記事の続きが読めたら、また詳細をブログで扱いたいと思う。もう、自分のイタリア語力の無さが残念で仕方ないのだわ(T_T)