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仕事で疲れて帰った時は、まだお弁当箱を洗っていないSに腹立たしくなってしまう私。
もう成人式を迎える年になったのだから、もっと家事の協力と自立を願っている私。
洗いながら、私の高校時代とかいろいろ思い出してしまいました。
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父の転勤のため、祖父母の家に預かってもらって中学後半と、高校にかよっていた頃、お手伝いさんが
怒って出て行っちゃったときか、祖母がお弁当を作ってくれたのだけど卵焼きを砂糖と塩を間違えて
すごい卵焼きを食べたことがありました。
祖母は体が弱かったので、ずっとお手伝いさんがいたのだけれど、すごく厳しく(ちょっと意地悪)
なところが使用人にあってその点では難しい人でした。
でも私をすごくかわいがってくれて大好きでした。預けられたせいか祖父についても
家でだらしない姿を(くわえ煙草の灰をボロボロ落として)見ても、社会的にも家庭的にも
素晴らしいことがよくわかり、父よりも尊敬していました。
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そういうことで私はおじいちゃん子でありおばあちゃん子でした。
勤めてから職場で出向してきたスタッフから彼の奥さんとも共通して
長女は親となぜか離れて、うまくいっていないと言っていましたが
その通りと思いました。妹のほうが母と相性がいいのか年齢が下のせいか
気持ち的によく合うのかなと思ったりしました。
どちらかというと一般的に下の子がお母さんを必要としているので
お母さんの担当で上の子はお父さん的にはなりますが。
お父さん子でしたが、大人になるにつれ尊敬の念が消えて、社会で苦労していて
家で家族に当たったりしているのを見ると情けないと思ったりしました。
家から離れて実験的一人暮らし(祖父母の家の離れで)を始めたとき
初めて母とよく話すようになりました。(電話で毎週のように話したのは
このころ始まったのですね)
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年とるにつれ、母のことがよくわかるようになり、父が理屈の人であったのに
比べ、より現実がわかって大きいのが母ではないかと思うようになりました。
なかなか会いに行けないので、親が心配する結婚をしてからも
よく電話をかけてきました。
結婚してすぐTが入院した時、心配をかけたくないので知らせなかった時も
私が困っている夢を見たからと言って電話をかけてきた時は本当に
驚きました。母と子というのはこういうすごく動物的なつながりが
あるのだと思いました。
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トントンが中学生の時のお弁当のことでよく私を笑うのですが、私は全く
覚えていないけれど、お弁当がカレーだとすごくうれしそうに言ったとのこと。
そういえばドライカレーのお弁当を作ってくれたことがあったかもと思いだしました。
母は昔家事で何が好き?と聞いたとき、洗濯がすっきりするのが好きと
答えていましたが、料理も好きだったと思います。友の会に入っていたのが
すごく良かったと思います。羽仁もと子さんの本が祖母の時代からあって
婦人之友を私も子供のころから見ていたことがすごく影響を与えられたと思っています。
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自由学園の創設者の羽仁夫妻が始めた婦人之友は表紙が脇田和とか熊谷守一、小倉遊亀
岡鹿之助、岡田謙三、猪熊玄一郎等々いつも一流の画家が飾っていて、美術の記事が
まずあって、創設者の言葉があり、記事は対談で始まり、キリスト教の話、社会のこと
料理、創作、そして世界の短編小説。映画のレヴューも辻邦夫なんかが書いていました。
今思えばすごくレベルの高い婦人誌だったのですね。今当時の水準の雑誌なんて
一つもないように思います。アイルランドの小説家メアリ・ラヴィンもここで知ったし
東欧の作家も、イタリアの女流作家ナタリア・ギンズブルグもここで知りました。
ヘルマン・ヘッセのまるでサマセット・モームのような皮肉っぽい短編も面白く
ハリル・ジブラーンの神谷美恵子の訳詩もこの本で読みました。
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中学時代の夏休みの宿題で美術関連のスクラップブックつくりで
婦人之友のグラビアを切って張らせてもらい、仲瀬先生にすごく褒められたのを
覚えています。
実家が千葉から横浜に引っ越した10年少し前に処分してしまったのを
すごく後悔しています。他にその後つづけた日経新聞の別紙美の美のカラーグラビアの
スクラップも。その時に大学の卒論を失くしたことも。1年かけて関連図書を読んで書いた
Walt Whitman の Leaves of Grass についてでした。
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Sのコンパクトデジカメで撮ってもらった時計草と黄色いコスモス(サンセット・イェロー)