(金色堂の裏手にカタクリの群生が・・・)
家の近くの公園の木々の間や、神田川に鯉のぼりがかかっていました。
4年前に館林で川じゅうにかかっていた鯉のぼりを見ました。
義理の姉に誘われて、姉夫婦と姪一家と一緒に館林、足利を
連休に回りました。
その時は幸せな空気に包まれていて、数年後にこんなことになるなんて
予想もできませんでした。 孫の乳母車をひいて街を歩いていた姉夫婦の
後姿の写真が印象的でした。
おとといすぐ上の義理の姉夫婦がドライブに誘ってくれて、田園調布のカフェで昼食をとったあと
葉山の海岸から鎌倉瑞泉寺、赤レンガ倉庫、中華街と盛りだくさんの湘南めぐりでした。
海と山の緑がさわやかな気持ちのいい一日でした。そこにはたくさんの思い出もあり
姉がTとそっくりなので、不思議な感じでした。 瑞泉寺は新婚旅行で行ったお寺です。
姉は写真を持ってきていて、一緒に回っているのよねと言っていました。
昨日は休暇を取って、長年にわたりお世話になった大学病院の血液内科のK先生と、消化器内科の
女医のN先生、在宅のプランを立ててくれたソーシャル・ワーカーYさん、しょっちゅう入院した15階の病棟、
いつもきれいに髪を切ってくれた院内の理髪店に最後の挨拶に行ってきました。
多くの人の努力で何回命を助けてもらったでしょうか? でもガンだけはどうしようもないですね。
最後は治療はできなかったけれど、患者とその家族の心を支えてくれた女医のN先生は素晴らしい先生でした。
血液内科の主治医の先生は何度も的確な判断で進めて命を助けてくれました。女医さんは私の気持ちをすごく
わかってくれて、お二人とも困ったときはメールでも答えてくれて、本当に素晴らしい先生達でした。
それに加えて退院後の在宅の医療・介護チームも素晴らしくて、感謝の思いが尽きません。
ソーシャルワーカーさんは若いのに、てきぱきと在宅での環境を整えてくれて
カンファレンスも丁寧に組んでくれました。重い病気でも本人の家で過ごしたいという希望がかなって
実現できて驚いたとおっしゃっていました。
最後のホームではナースやヘルパーさんとはあまり私は心の交流がなかったけど。(所長さんとケアマネさんが
常に近くにいてくれたので)
病院に行くといろいろなことを思い出しました。いつも車椅子を押していたのでそこにいないことが
ちょっと悲しくなります。K先生も時間がかかるけど、半年くらいたてば
落ち着いてくると話してくれました。先生たちはいつも死を見ているでしょうけど
それを重いものと思ってくれています。ホームでは近い将来死ぬ運命の人を看ていたので
淡々としていたように思えました。(病院より重い現場ですね。病院では人は助かるけど)
一人の人のためこんなに人々が協力して、そしてなくなれば、その分が人生から欠けてしまう
寂しさはあります。困難は人と人を結びつける元なのですね。
先生に私がそばにいたので難病を抱えながらこれだけ生きることができたと言われ
救われました。
27,28日では娘にもご苦労様と言うことで、初めて東北の寺を回りました。
福島からバスで沿岸沿いや懐かしい日本の美しい里山の風景も見てきました。
また春にも出会えそれはたくさんの山桜が野山に咲いていました。
それは芭蕉のたどった道でもありました。
欧州藤原氏が平和を願って極楽浄土を夢見た美しい都でした。