昨日は職場の隣の小学校が入学式。川沿いの桜も入学式に合わせたように
いっせいに咲きはじめた。何か晴れがましい季節。子供たちが巣立って行って
ちょっと大人になった姿を見せる。
ぼんやりしていると時間はたくさんあるように思えるけど、
何かをやろうとすると時間は圧倒的に足りない。
今度の型染めは図案から5枚の型に分けるところまで、家でやってから
工房に持って行かなくてはならないので、どの方向で行くか考えながら
展覧会にも行ってみたりとかしていたけれど、いよいよ来週に近づいてきたので
スケッチ用の用紙やマーカーをかき集めたり、参考になる図案を見たりして
方針を決めた。
* *** * * * * * *** * * * * * *** * * * *
昨日は以前から見ようと思っていたDavid Bowie is をBunkamuraまで見に行った。
この頃渋谷に良く行くようになって、以前のような子供の街のイメージより、新宿よりは
少しは文化的な街と思うようになった。それにしてもなぜ外国人ツーリストはあのスクランブル交差点を
あんなにうれしそうに写真を撮っているのかわからない。
坂本龍一が追悼のイベントで「ボウイは、自分の体をオブジェとしたビジュアルアーティストで、いわば20もの人格を持つ人間
だったように思う」と語ったと新聞に出ていた。ミュージシャンというよりマルチ・アーティストですね。
私はベルリンの壁が一番印象に残る人だけど、映画ではベルリンに移住していた時代はやっていたけど社会的な事件については
やっていなかった。自分らしく生きていいという今ではだいぶ当たり前になったことを、当たり前でない時代に皆に勇気を
与えた人。絵画なども素晴らしく、ずっとファンだった人にはたまらない展覧会だったでしょうね。隣で映画を見ていた方は
静岡から来たと話しかけてきました。「天王洲に行くべきよ」って。
私はそれより
“Even David Bowie - the executive producer of this exceptionally smart documentary -
admits it: Scott Walker is the original avant-garde crooner.” とパンフレットに書いてある
30 Century Man のDVDをアマゾンについに申し込んで翌日届いたので、帰ってからDVDを見ました。
YouTubeでスペイン語字幕じゃちょっとつらかったし、英語の字幕が付いているのは、今回日本語字幕を見て、英文の方が
固有名詞を普通名詞にして間違っていたり、ヒアリングで起こしているから変なところもあったり。
やっぱり情けないことに細かいニュアンスは日本語解説でわかった次第。
あの、ウォーカー・ブラザース時代も自作の曲には今の片鱗を感じさせるものがあったけど、
前衛芸術家というここまでの彼は想像できなかった。ショスタコーヴィッチのような曲を書き、シベリウスが好きだったと
いうのも良くわかる。一人静寂の中に入って行き、音を追及していった。何年も間になるが、比較的新しい
インタビューでパリでもうこれは歌じゃないと言われたと残念そうに語っていた。歌をはみ出していると。
彼にとってはlyricも重要な要素。lyrics から何年もかけて曲が生まれてくる。昔はあっという間に出来上がった曲もあるけれど。
孤独ななにもない静けさから生まれる曲。時に深淵を見るような・・ 今初めて知った人は幸せだけど、深入りすることは危険だと
インタヴューで語っている人もいた。他の誰にもない素晴らしい声、それを今ではただの人間の声に聞こえるようにしたいと
話していた。若いころは感情的になりすぎていたと・・ それはそれで人間らしくて素晴らしいと思うけれど。
たとえばヒラリー・ハーンはピュアに天上からの音楽を伝えた。スコットはその真逆のように思えることも。
でも時にものすごく美しい時もある。彼は彼で音楽でしか伝えることができないことを真摯に追求している。
それは時にとてもdarkだったり・・
DVDのいいところはリファレンスもついていたりするところ。ドキュメンタリーに編集されなかったインタヴューが
ついていて、興味深かった。
子どもの頃、ムッソリーニとその愛人が殺されて死体がつるされていたのをニュースで見て、すごく衝撃的だったと。
それでその彼女の曲を作るのだけど、Clalaはどこにでもいる女性と変わらなかったと思うと。ムッソリーニが好きで部屋には
写真をたくさん飾っていて、最後も自分だけ逃げようと思っても逃げられたと。
いつかドキュメンタリーで誰でもアイヒマンになりえたというのがあったけれど加害者と被害者は簡単にひっくり返すことが
できる。最近守り人の作家もそうだけど善悪を簡単に決められないどれが正しいかもと言い考え方も多いよね。
Scottの最近の作品はどのジャンルにも属さないout sider と言われている。実験音楽のようでもあり・・
David Bowieは絵を描くように曲を作ると語っていたけれど、short story 的なのかもしれない。
今度映画 The Childhood of a Leader (シークレット・オブ・モンスター)が近くの映画館でかかるので
スコットの曲を聴くために見に行ってみよう。音楽のための映画のような・・ サウンドトラック作成だけに3年かかったと
言っていた。
後印象に残っていたの何かの映画のエンディングに使う曲で、ボブ・ディランのI Threw It All Away かシナトラが
歌ったMy Wayかどちらかをカバーすることになって、笑顔でMy Wayをありえないと否定したところがあり彼らしかった。
昔レコード会社が第二のシナトラ、トニー・ベネットやマット・モンローにしたかったらしくBBCでもジャック・ジョーンズのショウ
みたいにスコット・ウォーカー・ショーをしたかったらしいけれど暗いバラードばっかり歌うのですぐ打ち切られたみたい。
彼にはラスベガスよりパリが似合うとだれかがドキュメンタリーで語っていた。
あのヒッピームーブメントやパンクの時代から人間の心の奥深く入り込み、異次元の世界に行っていたという彼の曲は
古くなることがない。再結成した頃、レコード会社から依頼されてレコーディングしたほかの人の曲を歌ったアルバムは
再販拒否をしているという。
昔の曲も現在の苦労して何年もかけて生み出した作品も作り終わったら一切聞くことはないと語っていた。
声の出し方も変わってきているからもう二度と歌わないのだろうね。残念だけど。バンドが昔の曲をコピーしているのを
聞くと懐かしく思うこともあるとインタビューに答えていた。
彼が捨て去った昔の聞きやすい懐かしい曲も、今の前衛的な仕事も引きずり込まれない程度に聴いて、
孤独の中で研ぎ澄まされた彼の感性に触れてみたいと思う。
いっせいに咲きはじめた。何か晴れがましい季節。子供たちが巣立って行って
ちょっと大人になった姿を見せる。
ぼんやりしていると時間はたくさんあるように思えるけど、
何かをやろうとすると時間は圧倒的に足りない。
今度の型染めは図案から5枚の型に分けるところまで、家でやってから
工房に持って行かなくてはならないので、どの方向で行くか考えながら
展覧会にも行ってみたりとかしていたけれど、いよいよ来週に近づいてきたので
スケッチ用の用紙やマーカーをかき集めたり、参考になる図案を見たりして
方針を決めた。
* *** * * * * * *** * * * * * *** * * * *
昨日は以前から見ようと思っていたDavid Bowie is をBunkamuraまで見に行った。
この頃渋谷に良く行くようになって、以前のような子供の街のイメージより、新宿よりは
少しは文化的な街と思うようになった。それにしてもなぜ外国人ツーリストはあのスクランブル交差点を
あんなにうれしそうに写真を撮っているのかわからない。
坂本龍一が追悼のイベントで「ボウイは、自分の体をオブジェとしたビジュアルアーティストで、いわば20もの人格を持つ人間
だったように思う」と語ったと新聞に出ていた。ミュージシャンというよりマルチ・アーティストですね。
私はベルリンの壁が一番印象に残る人だけど、映画ではベルリンに移住していた時代はやっていたけど社会的な事件については
やっていなかった。自分らしく生きていいという今ではだいぶ当たり前になったことを、当たり前でない時代に皆に勇気を
与えた人。絵画なども素晴らしく、ずっとファンだった人にはたまらない展覧会だったでしょうね。隣で映画を見ていた方は
静岡から来たと話しかけてきました。「天王洲に行くべきよ」って。
私はそれより
“Even David Bowie - the executive producer of this exceptionally smart documentary -
admits it: Scott Walker is the original avant-garde crooner.” とパンフレットに書いてある
30 Century Man のDVDをアマゾンについに申し込んで翌日届いたので、帰ってからDVDを見ました。
YouTubeでスペイン語字幕じゃちょっとつらかったし、英語の字幕が付いているのは、今回日本語字幕を見て、英文の方が
固有名詞を普通名詞にして間違っていたり、ヒアリングで起こしているから変なところもあったり。
やっぱり情けないことに細かいニュアンスは日本語解説でわかった次第。
あの、ウォーカー・ブラザース時代も自作の曲には今の片鱗を感じさせるものがあったけど、
前衛芸術家というここまでの彼は想像できなかった。ショスタコーヴィッチのような曲を書き、シベリウスが好きだったと
いうのも良くわかる。一人静寂の中に入って行き、音を追及していった。何年も間になるが、比較的新しい
インタビューでパリでもうこれは歌じゃないと言われたと残念そうに語っていた。歌をはみ出していると。
彼にとってはlyricも重要な要素。lyrics から何年もかけて曲が生まれてくる。昔はあっという間に出来上がった曲もあるけれど。
孤独ななにもない静けさから生まれる曲。時に深淵を見るような・・ 今初めて知った人は幸せだけど、深入りすることは危険だと
インタヴューで語っている人もいた。他の誰にもない素晴らしい声、それを今ではただの人間の声に聞こえるようにしたいと
話していた。若いころは感情的になりすぎていたと・・ それはそれで人間らしくて素晴らしいと思うけれど。
たとえばヒラリー・ハーンはピュアに天上からの音楽を伝えた。スコットはその真逆のように思えることも。
でも時にものすごく美しい時もある。彼は彼で音楽でしか伝えることができないことを真摯に追求している。
それは時にとてもdarkだったり・・
DVDのいいところはリファレンスもついていたりするところ。ドキュメンタリーに編集されなかったインタヴューが
ついていて、興味深かった。
子どもの頃、ムッソリーニとその愛人が殺されて死体がつるされていたのをニュースで見て、すごく衝撃的だったと。
それでその彼女の曲を作るのだけど、Clalaはどこにでもいる女性と変わらなかったと思うと。ムッソリーニが好きで部屋には
写真をたくさん飾っていて、最後も自分だけ逃げようと思っても逃げられたと。
いつかドキュメンタリーで誰でもアイヒマンになりえたというのがあったけれど加害者と被害者は簡単にひっくり返すことが
できる。最近守り人の作家もそうだけど善悪を簡単に決められないどれが正しいかもと言い考え方も多いよね。
Scottの最近の作品はどのジャンルにも属さないout sider と言われている。実験音楽のようでもあり・・
David Bowieは絵を描くように曲を作ると語っていたけれど、short story 的なのかもしれない。
今度映画 The Childhood of a Leader (シークレット・オブ・モンスター)が近くの映画館でかかるので
スコットの曲を聴くために見に行ってみよう。音楽のための映画のような・・ サウンドトラック作成だけに3年かかったと
言っていた。
後印象に残っていたの何かの映画のエンディングに使う曲で、ボブ・ディランのI Threw It All Away かシナトラが
歌ったMy Wayかどちらかをカバーすることになって、笑顔でMy Wayをありえないと否定したところがあり彼らしかった。
昔レコード会社が第二のシナトラ、トニー・ベネットやマット・モンローにしたかったらしくBBCでもジャック・ジョーンズのショウ
みたいにスコット・ウォーカー・ショーをしたかったらしいけれど暗いバラードばっかり歌うのですぐ打ち切られたみたい。
彼にはラスベガスよりパリが似合うとだれかがドキュメンタリーで語っていた。
あのヒッピームーブメントやパンクの時代から人間の心の奥深く入り込み、異次元の世界に行っていたという彼の曲は
古くなることがない。再結成した頃、レコード会社から依頼されてレコーディングしたほかの人の曲を歌ったアルバムは
再販拒否をしているという。
昔の曲も現在の苦労して何年もかけて生み出した作品も作り終わったら一切聞くことはないと語っていた。
声の出し方も変わってきているからもう二度と歌わないのだろうね。残念だけど。バンドが昔の曲をコピーしているのを
聞くと懐かしく思うこともあるとインタビューに答えていた。
彼が捨て去った昔の聞きやすい懐かしい曲も、今の前衛的な仕事も引きずり込まれない程度に聴いて、
孤独の中で研ぎ澄まされた彼の感性に触れてみたいと思う。