今日仕事から帰ってから夕方BBCのJarvis Cocker のScottの特別番組を聞いてみた。
2時間程の番組でScottの軌跡をたどって曲もかけていたけれどスタートはソロアルバム1枚目のScottから
Such a Small Love エンディングに ソロのシリーズアルバムの最後からThe War Is Over
となかなか・・ 途中にButterflyを入れてくれたのもの嬉しい。
JarvisもScottもとても聞きやすい英語。でも内容は以前にアメリカのラジオ番組で語っていたことと
同じような感じ。イギリスに渡った時のことやボイス・トレーニングなど受けていなかったこと、ジャック・ブレル
との出会いのきっかけ等。
一番聞きたかった最近の話が会話のスピードが速くなって、あまりよくわからなかった。
もう一度聞きなおさないとダメ。
でもイギリスで定期的に価値を再認識してくれることは嬉しいことです。
できれば人前で歌ってほしいけれど・・・
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昨日坂本龍一と福岡伸一の音楽と自然についてのトークを
もう一度聞いて、メモを取った。メモを取ったら、他にもメモを取っていてくれた人がいて
ラッキー。ここは手書きメモから起こさなくてもコピペを修正すればOK。


@ginji45
一回性のもの
一回性のものとは音楽にとっては大事
科学は何度繰り返しても起きるのが大事
芸術は複製されるとオウラ(オーラ)が起きる
一回性の問題は今真剣に考える必要性がある。
生まれて初めて感じたことで
終わり方というのはとても大事だと思っていて、でも地図がないからどこで終わって良いかがわからない。
上手く筆をおく瞬間というのは難しく。うっかりしていると自分でも気が付かないうちに過ぎて行ってしまう。
一回性というのは大事なのかもしれないね。
サウンドとノイズ・ミュージックの比率は50%ずつ。 SN/M 比50%
福岡
科学の世界でも同じような
世界はノイズと呼ばれる前のノイズだけの空間だった。夜空の星々みたいなもんですよね。
星座というのは人間が距離がちがうものを図形として見ているだけで、
ある種の図像としてあるだけで、本当はもう消えてしまっている光かもしれない。そういったものをある種の
図像としてとらえて、それが本当のものと捉えてしまってたりする。音楽にもそういうものがありますか?
坂本
数学に似たものがある。
ノイズは排除 ノイズは意味がない物
図をいかに美しいものに仕上げていくか。そのためにノイズを排除してきて進化、発達してきた。
僕が生まれるころにジョン・ケージというアメリカの音楽家が図ばかりを取り出すのではなく、ノイズを
聴いてみようという挑戦をしてみた。これは大事なことで、今、ますます大事なことだと感じていて。
10代半ばジョン・ケージに音楽に出会った。音は人間の中から解放した。
代表作「4’33”」
聴き手の意識が聴き手の周りの音=ノイズに出会う
全てのものは無の残響である。
どうしても何かの意味ある情報を聴きとろうとする。見ようとする。
敢えて名付けない
自分もノイズだと認識しないとだめですね
星座を取り出すというのは言葉の作用 人間の場合ロジックというかロゴスの作用 分節の力 分けるちから
ノイズだらけの世界からシグナルが切り取られていくのであって、あまりのノイズをなくすと
physis=ありのまま・自然
自然は混沌としてノイズからできているが、
ヘラクレイトスなどが言い出したことで、
プラトンやソクラテスがロゴスやイデアを持ち出してきて、辟易としてくる。
認識の牢屋
思考実験として名詞を使うのをやめてみようと一日努力したことがあるけれど、ほとんど不可能。考えること
すらできない。でも大事なことなんじゃないかなって思う。
本来のノイズとしてのフィシスとしての
内部観察者として入って行かないとノイズの中に入って行けない訳ですよね(福岡)
観察しているかのような自然の
自分自体が自然物
楽器もそうです。ピアノは木だし中身は鉄だし、人工的に作って加工して音階まで作って。それを僕は元に戻したいと
思って叩いたりもしてる。フィシスの自然物として使いたい。
音楽の起源はどこにあると思いますか?
とても難しい。楽器の起源と音楽の起源と一緒になるかどうかわからないけれど、その辺の落ちていた鹿の骨を
拾って穴をあけてみる。あける場所で音が違ってこっちの方が好きだと。洞窟の中で吹いてみたらまた違った。
そういうのがどう始まっているのか。
最も大切なのは生命だというものが、音楽の起源と重なる部分があるんじゃないのか。
生物学的は鳥の求愛行動みたいに
私たちの自然物が絶えず発している音があるんじゃないか。呼吸・心臓・脳波も一定のリズムで信号を出している。
セックスにも律動がある。生命が生きて行くうえで絶え間なく音、音楽を発している。ロゴスの中で切り取られた
世界の中では我々も生命体自身であることを忘れてしまっていて、そのことを思い出させるために外部に音楽という
ものが生み出されてきたんじゃないかなって思う。
とても理論的ですね。そうであるのに、音楽をやっていくときに
よりコントロールしやすいように楽譜に書き、正確にやりたいのでコンピュータを使う。ますますロゴスになっていく。

フィシスの回復運動である
生命が発しているasync
ある種のルネサンスではないかなと思うんです。
40年くらいまで色んな山に登ってみて
やっと辿り着いた
せっかくasyncという山に登ったからこそ見えてくる次の山の風景を大事にしたい。この認識を次の山にすぐ
行っちゃうのはもったいない。
慎重にしたいんです。どの山に登るべきかというのを内観というか自分の中で観察するしかない。時間もかかるし労力もかかる。
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この二人の対談の中で一番共感したのが、
福岡さんの
「生命は絶え間なく音を発している。ロゴスに切り取られた世界では生きていることを忘れがち。
だから外部に音楽を作って、内部の生命と共振させる装置としての音楽が生み出された。」
という言葉。私がコンサートに行く訳。
坂本さんはロマティックですね。と答えていましたが。
楽譜が演奏されるとき、自分が想像したものを超える小宇宙ができることがある。
演奏者と聞き手がいないと音楽は成立しない。
私がヒラリー・ハーンのバッハが好きなのは人工的でないから。自然に音楽が生まれたように。
本来art と nature は対立しているものなのに。
音楽は時間の芸術。 一回性。
ほんとうに味わい深い対話でした。
最後に当たり前のことに気が付くのに時間がかかる。それに気が付くのが
年を取ることのいいことの一つですねと静かに語る二人がすてきでした。
年を取って、ますます自然の一部であることを感じる私。
坂本は世界はすでに音に溢れているのでわざわざ新しいものを作らなくてもいいと・・