今日は久しぶりのヨガ。丸善まで熊谷守一の版画を見てから戻りました。昨日のヨガは
能楽の水鏡を見に行ったので、キャンセル。
久しぶりに体を動かすことができてうれしかったです。
熊谷守一展は画廊の販売目的のものであったけど、珍しい版画が
いろいろ見れました。熊谷守一の生き生きとした線。色も斬新です。
他に中川一政や岡鹿之助など大好きな画家の版画もありました。小倉遊亀や東山魁夷も。
シルクスクリーン、木版画、リトグラフなど手法もいろいろです。
今日のシャバ―サナではブルーの顔が浮かび、家で待っているかなと思ったり、あと何年一緒に入れるかとよぎったり。
主人が転院先の病院から最後の施設へ移動した寝台の介護タクシーからの景色と主人が空を見ていたのを思い出して
自然に涙が出て来てしまいました。
日本橋に行ったのが行けなかったのかもしれません。タクシーで平井から白金まで移動するときに高島屋の横を
通って行きました。繰り返しよみがえってくる風景です。
昨日は力が出てきたので、娘も行ってみたいと言っていた能のプログラムに行ってみました。
思いがけず能とヨガの共通点も見出し、とても興味深かったです。
能装束を着てみたり、面も当てる体験ができるようになっていました。
能は衣装と言わないで装束というそうです。それは一人の人に合わせていなくて、大まかなサイズがあり、
人がそれに合わせるのでということでした。私がためしに着てみた衣も自分でたくってつかみ縮めて調節します。
今回おもしろかったのは当日券で入ったところ、一番前で招待席の余りを当日に回したらしく、
近くの方の話が面白くて、つい反応してしまったら、お1人は観世流の能楽師の奥さまで、隣の外国人は
後から梅若猶彦という能楽師の夫人であることがわかりました。レバノン人で能が大好きと話していて
私はまだ2回目なのと話したら、着物も着ているのにダメじゃない的なことを言われました。たまたま隣同士
になった3人の会話は英語でしたが、話せることに驚かれたので、こちらの方がびっくり。どれだけ日本人は英語を
話さないかと思いました。戦争から逃れてきて、神戸の大学でご主人と出会ったとのことですが、フェニキア人は
アルファベットを発明したのよとか話していました。そうかレバノンはフェニキアか・・なんて全然つながってなかった
ことが具体的になってきました。
始まる前に展示物を見たり、体験をしたりしました。
能のトークが宝生流の宗家宝生和英氏といとうせいこうによって行われたけれど
とても面白く、通訳もとてもよかったです。話が2度聞けて、ゆっくりと味わいました。
イマジネーションを投影した能も最初恐れていたサイケデリックなものでなく、
墨絵のような投影と英語と日本語のキーワードの投影が行われていてよかったです。
でもここに参加していた外国人は私より能については詳しそうで、もう一人知り合った人は
謡いを習っているとのことでした。
トークで面白かった点を帰ってからメモしました。
能を見ていると寝ているような違う世界に誘われるような
感じがある。
半分寝ていて半分起きているトランス状態は一番
イマジネーションが湧くとき。
能の言語は夢の言語と同じ
見ているときはバラバラで起きるとまとまってくる
天と地の間で行われること。
本来は自然の中で能楽堂でやるのは
近代のスタイル。自然の太陽の光で時間による
太陽の色の違いを考えて演目を決めていた。
風のそよぎや自然の音のなかで。
今回の試みでも色もできるだけ黒白で想定して
想像力でふくらませてもらうようした。
強い感動や変化は人間を消耗させる。
能は静かな感動を呼び起こす。
能は全く自由に見てほしい。
他のことが入ってきたら、それは能が喚起したもの。
自分の無意識の世界に任せる。
音楽やヨガとの共通点があるので
驚き、ヨガのシャバーサナがこのトランス状態
であったことがわかりました。
終わった後の舞台を撮ってみました。
会場の日経ホールは元の職場の近くでしたが、経団連会館とともに動いて
JAビルともくっついています。建て変わっても何とも懐かしい場所です。
着物にしました。着物は前回と同じ牛首紬で、帯を大庭にしました。着る機会のない帯ですが、
あるばとろすさんが菊地さんの格調高い帯をさらっとしていたので、私も能に会うかなと思い、
お気に入りの帯をしてみました。
日経ホールは竹橋から近かったので大手町でなく竹橋で下車。
如水会館での早めのランチのピラフが久々にほんものの味でおいしかった。
一ツ橋
知り合いになった観世流河村晴久夫人より、帰りにご案内いただいた能。学生と教職員用ですがよかったら来てくださいとのことでした。
翌日(今日)も丸ビルで講演をしているとのこと。精力的に能の世界も動いているのですね。650年の重みを伝えて。