Reflections

時のかけらたち

築地本願寺の蓮の花 ・・・ Lotus flower in Tsukiji Honganji

2022-07-14 23:59:58 | seasons

7月11日

気まぐれな一日。

思い立って寄ってみた築地本願寺。
このお寺は実家の宗派で父のいとこの葬儀が行われた場所です。

築地本願寺
宗 祖 親鸞聖人 宗 派 浄土真宗本願寺派 本 山 龍谷山本願寺(西本願寺)本 尊 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

1617年に浅草近くに創建されましたが、1657年の「明暦の大火」とよばれる大火事で焼失してしまいます。その後、
再建のため江戸幕府から与えられた土地が現在の場所ですが、当時は海上でした。そこで海を埋め立てて土地を築き
本堂を建立したことが「築地」という名称の由来になっています。また1923年には関東大震災に伴う火災により再度
本堂を焼失しましたが、1934年に再建し現在の本堂の姿となりました。

現在の本堂は、東京帝国大学(現在の東京大学)名誉教授で建築史家の伊東忠太博士の設計によるものですが、建築研究
のためアジア各国を旅した博士と、時を同じく、仏教伝来ルートを明らかにするために探検隊を結成し、シルクロードを
旅した大谷光瑞(当時の浄土真宗本願寺派門主)との出会いが縁となっています。

築地本願寺の建物は、インド等アジアの古代仏教建築を模した外観や本堂入り口のステンドグラス、数多くの動物の
彫刻などが特徴で、オリエンタルな雰囲気は、まさにシルクロードを伝わる仏教伝来のルーツを感じさせます。
その一方で、内観においては僧侶のお勤めスペースよりも本堂内の参拝スペースの方が広く、中央正面に本尊阿弥陀如来が
安置しているなど、伝統的な真宗寺院の造りとなっております。2014(平成26)年には本堂及び大谷石の石塀と三門門柱が
国の重要文化財に指定されました。 

                                                                                                                                   築地本願寺のHPより

 

祖母は若いころに大谷光瑞さんから戒名をいただいていたとかで、家で時々名前が挙がった人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

July 11  2022  Tsukiji

コメント (2)
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古代蓮を求めて ・・・ in search of ancient lotus

2022-07-14 22:45:05 | wonderland

7月11日

小石川後楽園に蓮の花を見に行きたかったのですが、月曜はお休みなのでどこかほかの近くで見れないかと
探してみました。ネットで探していたら古代蓮はちゃんと見たことがないので見たい思いが強くなりましたが
千葉公園は遠すぎるし、近くの善心寺と言うところに大賀蓮があるというので、朝早めに買い物などのスケジュールと
合わせて行ってみました。大賀蓮は昭和記念公園、こもれびの里付近にもありましたがはっきり認識していません。

蓮の季節は6月から始まっているのでもう遅いところもあります。千葉公園はそろそろ終わりのようです。訪れた善心寺でも
やっと一輪大賀蓮が残っていましたが、もう終わりでした。買い物をする予定の店はまだ開いていないしどうしようかと
思って、もう一つの月曜日にも行ける場所を見つけていた場所に行くことにしました。としちゃんのブログで見た築地本願寺です。

善心寺は新大塚駅から歩いて数分の場所にある古い歴史のあるお寺です。

寛永8年(1631年)に、大河内善兵衛政勝によって麻布日ケ窪(現在の東京都港区六本木)に創建される。開山は守慶院
日栄上人(寛文2年5月29日没)。大河内政勝の母は、法華経篤信の大久保忠員の娘であり、大久保忠世、大久保忠佐、
大久保忠為、大久保忠長、大久保忠教とは兄妹に当たる。善心寺の名前は大河内政勝の戒名である善心院殿日浄居士
(寛永17年6月24日没)に由来する。大河内善兵衛政勝は実子はおらず、大久保彦左衛門忠教の四男である大八郎(のち善兵衛)
政雄が大河内家の養子となる。

第2世寿要院日住上人(元禄9年11月3日没)の代の延宝年間(伝 延宝6年)に、大久保八良左衛門忠隆(大久保忠教の孫)
により、大久保家の下屋敷があった大塚の現在地を寄進されて移転。元禄10年10月17日(1697年)には小日向・牛込・番町
・麹町一帯を焼く火災(元禄の大火と呼ばれる火災のひとつ)の火元となった。

以後、大久保氏などの庇護を受けつつ諸堂が整備された。

第19世融妙院日完上人(慶応4年1月17日没)在住中の嘉永元年(1848年)には、火事で類焼した。日完上人は、幕府の要人と
多く交流があり、消失前の書院は二階建てで、老中の会議がしばしば行われていたと伝えられる。翌嘉永2年(1849年)、
本堂・庫裏を再建する。日完上人はその後関東本山格である丸山(現在は巣鴨に移転)本妙寺に晋山した。

大塚の地は江戸時代には閑静な別荘地帯であったが、小高い尾根(現 春日通り)沿いにあったこの寺からは、富士山が
眺められる素晴らしい景観であったと伝えられている(境内地に並行する坂に富士見坂の別称あり)。大塚に移転した当初より、
本堂は西向きで坂下通りに山門があり、坂の中腹の本堂を参詣していたが、幕末に至り現在の山門前の春日通りが本通りになった
ため、本堂を東向きに改めた。

                                               善心寺のホームページより

 

 

境内には大賀ハス(古代ハス、縄文ハス)が植えられており、毎年6月終わりから7月初めにかけて花を咲かせる。
日襄上人の俗弟が、大賀ハス発見者である大賀一郎研究室に勤務していた縁によるものである。

 

 

新大塚から丸の内線と日比谷線を使って築地まで行きました。

 

 

 

 

 

築地本願寺はお寺と言うにはインド的で不思議な建物です。

 

 

 

あまりに暑いのでカフェで一休み。
そこでこの後の行動について考えて5ヶ月かっとしていなかったので、美容室に連絡したら
運よく予約が取れました。火、水は休みなので助かりました。気が付くと髪の毛がすごく伸びていて
いてもたってもいられなくなっていました。

 

 

 

 

ランチは銀座「麒麟」で。

表参道 メゾン・ド・イギーでカットとカラー

ドイツの作家の素敵な作品はカラーをしてくれた大沢さんがみつけたとのこと。
今度大倉集古館に行くと話したら、こじんまりしていい美術館と話していました。

 

 

 

 

帰り道のいつもの花屋さん

 

夕飯に作った星岡で習った新しょうがの炊き込みご飯がさっぱりしておいしかったです。

 

予想外に展開した一日は収穫がたくさんありました。

 

July 11  2022   Shin-Ohtsuka ~ Tsukiji ~ Ginza ~ Omotesando

 

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