20代の頃、夢中になったヴィスコンティの映画。あの頃「ベニスに死す」、「家族の肖像」、「イノセント」、「ルードリッヒ」
を立て続けに見ました。TVで放映された「山猫」、「愛の嵐」(あのブルックナーの音楽が使われた)も見ていたけれど
「山猫」はあまり心に残っていませんでした。
昨年の秋、録画してあった「山猫」を少しずつ見ていました。一度では見れない長い作品で、重厚な作品でした。
マーティン・スコセッシ設立のフィルム・ファウンデーションとGUCCIの資金提供により、1万2000時間をかけて2010年に
復元された4K修復ということで、映画も文化遺産だといつかのケネス・ブラナーの言葉を思い出しました。さすがGUCCI。
イタリアの巨匠ルキノ・ビスコンティの代表作で、第16回カンヌ国際映画祭で最高賞(グランプリ)に輝いたドラマ。
日本では1964年、短縮された英語版で初公開された後、81年にイタリア語のオリジナル完全版が公開されたがプリントの
状態は悪かった。そのイタリア語完全版を、撮影監督のジュゼッペ・ロトゥンノ監修のもと復元させたのが「イタリア語
完全復元版」で、2004年に公開された。16年、ビスコンティ監督の生誕110周年、没後40年を記念した特集上映
「ヴィスコンティと美しき男たち アラン・ドロンとヘルムート・バーガー」では「山猫 4K修復版」として、「イタリア語
完全復元版」を初の4K映像で劇場公開。19年には「4K修復版」が35ミリプリントとデジタルで同時上映。統一戦争に揺れる
1860年のイタリア。シチリア島を長年に渡って統治してきた名門サリーナ公爵家にも革命の波が押し寄せる。貴族社会の終焉
を感じながらも優雅な暮らしを続ける公爵は一家を連れて避暑地へと向かうが、革命軍の闘士となった公爵の甥タンクレディが
新興ブルジョワジーの娘アンジェリカと恋に落ちてしまう。 映画comより
1963年製作/186分/G/イタリア・フランス合作
原題:Il gattopardo
配給:クレストインターナショナル
日本初公開:1964年1月18日
監督 ルキノ・ビスコンティ
- 製作 ゴッフレード・ロンバルド
- 原作 ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ
- 脚本 ルキノ・ビスコンティ 他
- 撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
- 美術 マリオ・ガルブリア
- 衣装 ピエロ・トージ
- 編集 マリオ・セランドレイ
- 音楽 ニーノ・ロータ
キャスト
サリーナ公爵 バート・ランカスター
タンクレディ アラン・ドロン
アンジェリカ クラウディア・カルディナーレ
プリントで見るか、デジタルで見るか。不朽の名作がよみがえる!/映画『山猫 4K修復版』予告編
昨日ボビンレースを再開して、「山猫」のあの果てしない舞踏会のシーンからもう一度見てみました。
このワルツはヴェルディの作曲で、ピアノ用の楽譜をヴィスコンティが持っていて、それをニーノ・ロータに渡して
オーケストラの曲にしてもらったというヴィスコンティ秘蔵の曲とのことです。
Le Guepard (1963) - La Valse
バート・ランカスターは「家族の肖像」でも見ましたが、あのまさにアメリカっぽいアメリカ映画に出ていた人が
こんなにイタリア映画が合うなんて思いませんでした。「山猫」はバート・ランカスターあっての映画です。
Nino Rota 映画「山猫」 Valzer Brillante(Waltz in F Major) from IL GATTOPARDO
まるで絵画のような世界がそのまま展開された映画です。本当の貴族の館でロケをして、自然光だけで撮ったと書いてありました。
暑い時期で、夜中に撮影されたとか・・ ろうそくに揺らぐ光も暑かったのでしょうとご婦人方の扇子で仰ぐ姿が本当にあの衣装で
暑かったのではと思いました。
イタリアの近代史で、時代が移り行く中のシチリアのサリーナ侯爵の葛藤が描かれていました。それはヴィスコンティの気持ちとも
重なっていきます。舞踏会のシーンが華やかであればあるほど、侯爵の孤独と絶望が際立ちます。
気になったセリフをメモしました。
特殊な世界
神でなく彼ら(貴族)が作り上げた世界。何世紀もの苦悩と喜びという特殊な経験を経ながら。
25世紀以上も壮大で多様な文明を背負ってきた。
今のままを望むならすべてを変えるべき。
革命は階級がさっと入れ替わるだけ。あとは何も変わらない。
変化のただなかを生きている。意志は生き続ける。何かが変わってこそ、すべてがそのまま残される。
旧体制とは宿命的な関係。二つの世界を股にかけて、どっちつかずでいる。その絆は慎みとも愛情とも言える。
私は不幸な世代。そのうえ幻想が持てない。(熱心に新体制の議員を頼まれてもそう答える侯爵。できることは
しないのかと乞われて。誇り高い真実より、良心の声に従ってほしいと。)
シチリア人の官能性は忘却、死への欲求。
老いがのしかかり、若い世代のタンクレディに託すサリーナ侯爵。新興勢力の娘との結婚を積極的に進める。
死への思いが強まり、舞踏会の後、一人歩いて家に帰る侯爵は星空を仰いで彼の地へのあこがれと
安らぎの願いで終わるラストシーンでした。この映画が監督の割と初期に作られた映画だということが
すごいですよね。最後の方に作られた「イノセント」もこのような絶望で終わる映画でした。
ボビンレースに近いものを作っているシーンもありました。