Reflections

時のかけらたち

雪舞う花の窟 ・・・ Kumano with snow & Ago Bay - 2

2023-02-05 23:59:42 | wonderland

1月25日

この旅行のハイライトが2日目に集まっています。
前夜から雪が降り始め、夜にもう積もり始めました。温泉に入りに行く途中で廊下の窓から外を見たら
雪が積もり始めていました。

 7:00 ホテルで朝食
 8:30 熊野市駅まで送ってもらう
   歩いて 獅子岩 花の窟へ

10:38 バスで熊野速玉大社に向かう

海ひかりでの朝食は自分でいろいろな干物を焼いて食べるというもので、楽しい朝食でした。
前日の夕食ではあまごの煮つけや熊野水雲の入ったしゃぶしゃぶなど地物の珍しいものもありましたが、
朝食が一番おいしかったです。

ホテルに駅へ送ってもらうことをお願いしていたのですが、タクシーを頼んでいただいていました。ちょっと焦り
ましたが、チケットはいただいていますとのことでした。

駅から凍った道を避けながら気を付けて歩き始めました。この地方では何十年ぶりかの雪で、駅でも
職員の方が今までここで雪を見たことはなかったと話していました。この日の列車は午前中は運休していました。

駅で杖をホテルに忘れてしまってきたことに気が付きました。タクシーでホテルに戻って取ってくるか迷いましたが
時間とタクシー代を節約して先に進むことにしました。ホテルには忘れ物の報告をして、着払いで送っていただくよう
お願いしました。前回はスマホの充電器を最後の日に忘れて、友人はあきれ顔でした。

雪の朝

 

 

 

駅からまず獅子岩に向かって歩きました。

 

注意深く歩いて、海岸沿いに出ました。

写真で見るのとは違って、迫力がある獅子岩です。

 

 

海岸を歩いて、花の窟へ向かいます。

寄せる波と海の青さ、青空と雪景色がどこまでも広がり、歩きにくくても気持ちのいい海岸です。

 

トンビや海鳥が飛んでいました。

 

 

花の窟が見えてきました。

 

ここが神社になったのは明治時代とのことです。最古の神社というキャッチフレーズですが、
古事記や日本書紀に現れる場所とのことで、そういうことになっているのでしょう。
古代自然崇拝の地がのちに古事記などと結びついたと考えるのが普通かと思いました。
どこかでそんな記事を見つけたのですが、今みつけることができません。近いものを参考に
一番下にリンクを貼りました。
そこでは古代出雲の国の宗教が前身というようなことが書かれていました。

 

 

 

 

このご神体の入り口に立った時に、木々の雪が風に吹かれて舞い散り、その美しさに深い感動が広がりました。
まさにスピリチャルです。

 

 

黄泉の国の入り口とも生まれ変わる場所とも言われています。
例大祭(三重県無形文化指定 お綱掛け神事)で縄に季節の花などを結び付けて岩の上から
海までつなげるという行事だそうです。すてきでしょうね。

 

 

 

強い風が吹けば、サーッと雪が散ってきます。これはちょっとやらせでした。
なかなかいい時に写真が撮れなくて・・・

 

 

 

花の窟の道の駅付近で、休憩をしていたのですが、友人が杖になる棒を拾ってきて
くれました。あとで英虞湾を見下ろす展望台でリュックからひもを出して、取り付けて
もらって、立派な杖になりました。誰かが花の窟で棒を捨てたものだったのでしょう。
そのあと、高野坂を歩くときなどとても役に立ちました。坂や峠の登り口には、こういう
杖を置いてあるところもありました。去年の奈良・京都旅行の帰りに膝が痛くなって
もう歩けない状態になったので、杖は念のために東京までついて帰りました。

花の窟前のバス停から新宮方面に向かい、次は速玉大社です。

 

花窟神社の祭神は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)。
『日本書紀』に伊弉冉尊は「熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには
花の時に花を以って祭る」(紀伊国の熊野の有馬村に埋葬され、近隣の住人は、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭った)
と記されていることから、花を祀った岩窟という社名からも伊弉冉尊の埋葬地に比定されています。
巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる岩窟がその埋葬地とされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられています。
平安時代編纂の『延喜式神名帳』には、花窟神社の名はなく、実は神社となったのは明治時代のこと。
つまりは墓所と拝所と認識されていたのです。

樹々が鬱蒼と生い茂る森に、自然崇拝を源とする信仰が根付き、死後の世界=黄泉の国(よみのくに)と通じていると
信じられてきた聖地・熊野。
その代表的なパワースポットがこの花窟神社で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になるのもそうした
巨石崇拝などが今に伝わっているから。   

                                           ニッポン旅マガジンより     

 

家に帰ってからテレビ番組で熊野の巨石や火山がないのになぜ温泉があるのかなどを解く、面白い番組を偶然見て
日本が今の形になるのに巨大カルデラが熊野にあり、火山爆発によって、今の日本が形作られたことを知りました。

ドキュメント 列島誕生 ジオ・ジャパン(1)「大海原への旅立ち」 2月1日 

『私たちの暮らす日本。地球上の陸地の1%にも満たない狭い国土の中に“宝物のような絶景”が満ちあふれている。
さらに不思議なことに、大海原のただ中の島国なのに、なぜか三千m級の山々がそびえている。
日本列島は、どうやって生まれ、どんなドラマをへて、今の姿となったのか?
最新科学は、数千万年に及ぶ“列島誕生の大地の物語”を解き明かしつつある。そして地球史上まれな“奇跡的な四大事件”があった
からこそ、列島がここに存在していることを突き止めた。

『生まれたばかりの日本列島は、大陸的な平原がひろがる「平べったい」島々だった。いったい何が起きて、いまの険しい山々が
誕生したのか? そこには、地球全体を揺るがす大事件が隠されていた・・・。』

日本列島が経験した3つ目の奇跡は、西日本で起きた巨大カルデラ噴火でした。紀伊半島には巨石が多く、それが熊野信仰に結び
ついていますが、実はこの巨石は1400万年前の巨大カルデラ噴火の痕跡で、紀伊半島の地下には神奈川県の匹敵する超巨大な
花崗岩層が確認されています。地下で大量のマグマが固まったもので花崗岩は比重が軽く、長い年月をかけて浮き上がり、上の大地
を隆起させました。この巨大カルデラ噴火は四国や九州など各地で起きましたが、それをもたらしたのは引き裂かれて高温になった
フィリピン海プレートの沈み込みだといわれています。

参考)
火山がつくった熊野の聖地
花の窟神社
花の窟神社:八雲ニ散ル花 木ノ国篇 03 - 偲フ花
神々が宿る地熊野|二大聖地を結ぶ祈りの旅 - 観光三重

 

Jan. 25 2023  Kumano

コメント
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