バリシニコフ61才、コンテンポラリーを踊る。
White Nights のバリシニコフのダンスに魅了されました。
あの頃はジョルジョ・ドンばかり見に行っていたので、アメリカに亡命したロシア人のこの素晴らしいダンサーは
名前は知っていたけど見に行こうとは思いませんでした。やっぱりバレエと言えばロシア、そしてそのあと
ベジャールのバレエに夢中になりました。若いころ、この音楽と身体表現が一つになったこの芸術が大好きでした。
Mikhail Baryshnikov Spectacular Turning Point Solos
Baryshnikov in the Movies Part I: The Turning Point
Alessandra Ferri and Mikhail Baryshnikov - Giselle second act II pas de deux
アレッサンドラ・フェッリは大好きなダンサーの一人で何回か見ました。
ジゼルはヌレエフで見たことがあり、ヌレエフのカリスマ性に驚きました。その存在だけで演技力、表現力のある
ダンサーです。ドラマティックなバレエでした。
Frank Sinatra/Baryshnikov
シナトラの歌も久しぶりに聞きました。主人がフランク・シナトラ、イヴ・モンタンなども好きで、懐かしく思い出されます。
話の肖像画 ミハイル・バリシニコフの記事全5回の印象に残った言葉
この中のに(4)玉三郎との共演についての記事のリンクがあります。
初共演を前に坂東玉三郎(右)と会見 =1998年、東京・銀座/ 産経新聞
ジョルジョ・ドンが当時の猿之助と対談を「音楽の友」でしていて、歌舞伎役者は現役期間が長いのでうらやましいと
話していたことを思い出しました。バレエダンサーの寿命は短いのです。それでバリシニコフも思い切って
海外に出たのでしょう。
バリシニコフのインタビュー番組やドキュメンタリをYouTubeで見ることができ、そのストイックな生き方にバレエに賭ける
情熱を感じることができました。
ヒアリングが難しくて大体しかわからなかったのですが、芸術家は結婚したり、子供を持つべきでないとか話していました。
実際に正式には結婚はしなくて、ジェシカ・ラングがパートナーだったこともあり、娘がバレエの仕事にかかわっています。
完璧な演技をするバリシニコフですが朝6時から夜9時まで練習していたとか話していました。
家庭を作らなかったのは芸術家としての生き方との両立が難しかったことの他、バレエへの道を開いてくれた母親が自殺した
ことも何か要因になっているようでした。selfishと言っていましたが、バレエの指導にも力を注ぎ、多くの若い人を育てました。
今日の午後はボビンレースをやりながら、YouTubeでABTのドン・キホーテを聴いたり、バリシニコフが躍るシーンは
見たりして、久しぶりにバレエの華々しさやワクワク感を味わいました。ドン・キホーテはミンクスの作曲ですが
チャイコフスキーのバレエ音楽も子供がワクワクできるようなそんな感じがします。
ラトビア・リガでパスポートを受け取ったミハイル・バリシニコフさん(2017年4月27日撮影)。
(c)AFP/Ilmars ZNOTINS
ラトビアの名誉市民権を獲得し、首都リガでパスポートを受け取った。バリシニコフさんは、旧ソ連占領下にあった
バルト海沿岸国のラトビアから1974年に米国に亡命している。
ロシア人を親に持つバリシニコフは幼少時代過ごしたラトビアで言葉や文化を奪われた経験を持っているので、
今回のウクライナに強い危機感を持ち、プーチンに公開書簡を送っている。
今日は台湾の周りで中国が威嚇。そんなに国と国が仲良くすることがいけないこと?
2極化が進み、すごい時代になってきたものだ。
*********************
NHK国際報道2022の最後の部分だけ見ました。
ゼレンスキー大統領夫人に聞く▽スペイン 集合住宅で豊かな老後を※SDGs
スペインでは高齢者が自分たちで描く老後の生活をやっていて、「何を残すかではなく、明日何をするか」を考えよう
という言葉は印象的でした。
ゼレンスキー大統領夫人が今取り組み始めているのは多くの心と体に傷を負った人たちの社会復帰です。1500万人くらいが
推定されるとか。一つ先を見ているところが素晴らしいかも。
バリシニコフの写真が載ってるサイトにリンクを貼りました。
Mikhail Baryshnikov Interview on Larry King Weekend, May 2002
CNNのインタヴュー番組で人生を語る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます