なんだかJUJUが聴きたくなって、聴いている。 いま日本で生で聞きたい人はJUJUと斉藤和義くらいかしら・・
「やさしさで溢れるように 」
JUJUと三浦春馬の名コンビを見られなくなるのがとても残念。
もともと小倉しんこうさんが亡くなった愛犬への思いを込め作っていた歌詞を、プロデューサーの亀田誠治 さんが
喪失感を持つ多くの心へ響くよう変更した曲とのことです。今この時にぴったり過ぎる曲です。
今日は日曜日に行われた講演会のアップです。
7月19日
江戸末期の絵師 関根雲停の講演会が特別展が開かれている牧野記念庭園で行われました。
横山先生からいただいたチラシで記念講演会があることを知り、ネットで申し込んだら、なんと30名のところ
コロナで8名しか参加できないレクチャーに運よく参加することができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/9a/486557677fb138fade66d065b806f702.jpg)
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関根 雲停(せきね うんてい、1804年 - 1877年)は、幕末から明治にかけての博物画家
雲停の生涯については、田中芳男が「博物雑誌」第一号に雲停翁小伝として記している。それによると、
「関根雲亭通称を(栄吉)は、江戸四谷に生れ、幼い頃から体質が虚弱で絵を好み、大岡雲峰に弟子入りして
絵を学び、花鳥図を得意とするようになる。大名旗本は争って雲停に絵を頼み、特に富山藩前田利保はその絵を
賞賛した、描かれたものは花卉が多く、本草家(当時の植物学者)にも重用された、外国人に寄贈するために絵を
描くこともあった。質素な身なりを気にせず、身分の高い人の前でも平然として動じず、一方で慎み深く倹約家で、
少量の酒を嗜み、弟子を取らず、妻も娶ることもなかった。病に伏し、亡くなる数日前にも病状が軽くなった合間
にも花鳥画を描きその生涯を閉じた」と紹介している。
goo Wikipediaより
講演会
江戸の博物絵師 関根雲停の世界ー牧野富太郎の旧贓品を中心にー 田中純子(学芸員)
牧野富太郎が若い頃から雲停の絵をコレクションしていて、高知県立牧野植物園に収蔵されている。
そのほかの雲停の博物画は、「博物館獣譜」「博物館魚譜」「博物館禽譜」「博物館虫譜」などとして、
田中芳男の監修によって東京国立博物館に収蔵されている。講演では田中芳男(幕末にフランス万国博覧会)
に派遣)が明治維新後上野の博物館・動物園の設立、農林水産省の発展に尽力し、国立博物館に雲停の作品を
集めた人と紹介されていました。
この学芸員の方は
2001年に国立科学博物館で開催された「日本の植物図譜19世紀から現代まで」で関根雲停は動物や鳥の画家かと
思っていたのに植物画に出会い、それが牧野富太郎の所にあったことに驚かれたそうです。
対象となる動植物を博物画の使命である「真写」の枠を超える芸術的な表現力によって描かれている。
雲停はたくさんのスケッチを残していて、どれも生き生きとしてとても魅力的でした。科学と芸術の融合とは
これのことでしょうね。科学者の目を持ち、アーティストの動きを持っていた。写実以上のものに
なっています。牧野は雲停の絵にこんなにつるが巻いていないと注意書きをしたものもあり、躍動感なども
表現していました。
学芸員の田中さんは牧野図鑑の絵と雲停の絵を比較して、雲停の絵が図鑑に生かされていることを発見した時
すごくうれしかったと話していました。
私もその絵に魅かれて最近牧野植物図鑑を買いましたが、牧野富太郎の絵も単なる写実ではなさそうです。
今回プロジェクターで動物の絵も紹介してもらいましたが、なかなか楽しかったです。
江戸時代が本当に地続きと言う感じがして、親しみが持てました。
植物からまた新しい世界が広がりました。知らなかったことを知ることは嬉しいことですね。
世界は知らないことにあふれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/45/d2331eca5cf5a4c810f8c96eb54d39e0.jpg)
生き生きとした植物
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最初は動物を書いていたと思われていた関根雲停
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講義が行われた建物
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記念館の方では特別展示が・・
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書斎
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記念館
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July 19 2020 Makino Memorial Garden & Museum
「やさしさで溢れるように 」
JUJUと三浦春馬の名コンビを見られなくなるのがとても残念。
もともと小倉しんこうさんが亡くなった愛犬への思いを込め作っていた歌詞を、プロデューサーの亀田誠治 さんが
喪失感を持つ多くの心へ響くよう変更した曲とのことです。今この時にぴったり過ぎる曲です。
今日は日曜日に行われた講演会のアップです。
7月19日
江戸末期の絵師 関根雲停の講演会が特別展が開かれている牧野記念庭園で行われました。
横山先生からいただいたチラシで記念講演会があることを知り、ネットで申し込んだら、なんと30名のところ
コロナで8名しか参加できないレクチャーに運よく参加することができました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/9a/486557677fb138fade66d065b806f702.jpg)
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関根 雲停(せきね うんてい、1804年 - 1877年)は、幕末から明治にかけての博物画家
雲停の生涯については、田中芳男が「博物雑誌」第一号に雲停翁小伝として記している。それによると、
「関根雲亭通称を(栄吉)は、江戸四谷に生れ、幼い頃から体質が虚弱で絵を好み、大岡雲峰に弟子入りして
絵を学び、花鳥図を得意とするようになる。大名旗本は争って雲停に絵を頼み、特に富山藩前田利保はその絵を
賞賛した、描かれたものは花卉が多く、本草家(当時の植物学者)にも重用された、外国人に寄贈するために絵を
描くこともあった。質素な身なりを気にせず、身分の高い人の前でも平然として動じず、一方で慎み深く倹約家で、
少量の酒を嗜み、弟子を取らず、妻も娶ることもなかった。病に伏し、亡くなる数日前にも病状が軽くなった合間
にも花鳥画を描きその生涯を閉じた」と紹介している。
goo Wikipediaより
講演会
江戸の博物絵師 関根雲停の世界ー牧野富太郎の旧贓品を中心にー 田中純子(学芸員)
牧野富太郎が若い頃から雲停の絵をコレクションしていて、高知県立牧野植物園に収蔵されている。
そのほかの雲停の博物画は、「博物館獣譜」「博物館魚譜」「博物館禽譜」「博物館虫譜」などとして、
田中芳男の監修によって東京国立博物館に収蔵されている。講演では田中芳男(幕末にフランス万国博覧会)
に派遣)が明治維新後上野の博物館・動物園の設立、農林水産省の発展に尽力し、国立博物館に雲停の作品を
集めた人と紹介されていました。
この学芸員の方は
2001年に国立科学博物館で開催された「日本の植物図譜19世紀から現代まで」で関根雲停は動物や鳥の画家かと
思っていたのに植物画に出会い、それが牧野富太郎の所にあったことに驚かれたそうです。
対象となる動植物を博物画の使命である「真写」の枠を超える芸術的な表現力によって描かれている。
雲停はたくさんのスケッチを残していて、どれも生き生きとしてとても魅力的でした。科学と芸術の融合とは
これのことでしょうね。科学者の目を持ち、アーティストの動きを持っていた。写実以上のものに
なっています。牧野は雲停の絵にこんなにつるが巻いていないと注意書きをしたものもあり、躍動感なども
表現していました。
学芸員の田中さんは牧野図鑑の絵と雲停の絵を比較して、雲停の絵が図鑑に生かされていることを発見した時
すごくうれしかったと話していました。
私もその絵に魅かれて最近牧野植物図鑑を買いましたが、牧野富太郎の絵も単なる写実ではなさそうです。
今回プロジェクターで動物の絵も紹介してもらいましたが、なかなか楽しかったです。
江戸時代が本当に地続きと言う感じがして、親しみが持てました。
植物からまた新しい世界が広がりました。知らなかったことを知ることは嬉しいことですね。
世界は知らないことにあふれています。
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生き生きとした植物
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最初は動物を書いていたと思われていた関根雲停
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講義が行われた建物
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記念館の方では特別展示が・・
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書斎
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記念館
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July 19 2020 Makino Memorial Garden & Museum
ギャラリートークもありますので、その日に行けた方がよりいいかもです。ただし絵は牧野富太郎が画家に模写させたものがほとんどです。それでも素敵でした。
駅から近いので行きやすいですね。
今日の高尾山、朝5時に目が覚めてしまい、雨の様子をみて一喜一憂していたのですが、やっぱりやめました。
私も近いうちに牧野記念庭園に行ってみたいと思っていましたが、
講演会のことはすっかり忘れていました。
美しい絵ですね。
雉の絵とか鳥のスケッチは雲停の絵とよく似ています。
対象をスケッチするからそれはそうですよね。でも目とかに描く人の個性が現れるような気がします。
大叔父様は横山大観と同期生だったのですね!
油絵もセザンヌ風ですね。
今まで興味がなかった大正時代も何かパワーにあふれた時代だったのではと思ったりします。
主人方の親戚で、大正時代に反戦の諷刺画家として活躍した柳瀬正夢と言う人がいて、ジャンルは違いますが、文化的におもしろい時代でしたね。
参考)柳瀬正夢
http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress013/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%BE%8E%E8%A1%93/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93/%E6%9F%B3%E7%80%AC%E6%AD%A3%E5%A4%A2/
大正期に活動していた親戚筋の大叔父の絵を思い出しました。
http://kokococo701.blog.fc2.com/blog-entry-1387.html
叔父は油彩が専門だったのですが、東京にいた頃は博物絵を描いてたようで…。