学生時代に哲学の加藤武先生に読書にお薦めの本を書いてもらったものをどこかで比較的最近
見つけたので、探してみたのだけれど、見つかりませんでした。
その代わりにスーベニアの箱からは懐かしい写真やら、いろいろ出てきて手が止まりました。
大切な手紙も。加藤先生に書いてもらった推薦図書もかなり大事にしていたのだけど・・
幼い頃、父と祖父母の家の庭で撮った写真とか、イタリアで1週間ついてくれた
ガイドのマイケル・ドブロヴィッチ(ロシア系のアメリカ人でイタリアが大好きで
ベニスに住んでいました)と撮った写真とか・・祖父同士が学生時代に撮った写真とか・・
高校の時のバスの定期券・・好きだった人から来た年賀状・・
林辺先生たちと真鶴に行って、草木染にする植物の採集をして、中川一政美術館に
行ったことがありました。若い先生の写真に人生半ばで燃え尽きてしまった先生を
偲びました。
お店の紙ナフキンに行ったらいいと言われた京都と奈良の寺の名前がたくさん書いて
あったり、・・ もうこれはタイムカプセルです!建設会社のアトリエの先輩で
紙ナフキンは銀座のビアホール ピルゼンでした。帰りによく飲みました、赤坂だったり
銀座だったり・・
出張先から送ってくれたスケッチしたはがきも一緒に残っていました。
どこにも分類されていなかったいろいろなものが出てきました。
いろいろな発見にドキドキ・・
思えば遠くまで来たものです。
お薦めの本のリストにはマルクス・アウレリウスはなかったと思うけど
ヴェルギリウスがたしか入っていた記憶です。「アエネイス」でした。
先生は私にラテン語を習ってみたらと言われて、のけぞったことがありました。
道元の「正法眼蔵」、先生の友達の辻邦生の「安土往還記」・・あとは授業でもやった
デカルトの方法序説だったかほかはもう覚えていなくて・・ポール・ヴァレリーも先生の
影響で読んだけれど。
学園紛争のさなか、先生と読書会で読んだのは「万葉集」
他に先生はどんな本を推薦していたのか、今になってとても知りたくなりました。
8月の最終週も猛暑の連続のようです。ヨガと歯科医以外は予定が入っていないので、
家計簿の記録が月単位で遅れているので、つけたり、5月から遠くなってしまった
京都旅行の続きを整理しなくては。
タルコフスキーの宇宙の意識はどうだったのかと言う散人さんのブログを見て、
急にマルクス・アウレリウスの宇宙観をレビューしたくなって、本棚の裏の単行本を
探し出して、ぱらぱらと見ていました。
最近本を読み切ることができなかったり、あまり読書ができないのは視力のせいかもしれません。
小さい字も読書離れの原因の一つかも。
タルコフスキーの名作「惑星ソラリス」も40年以上前に見た映画ですが、主人公を悩ませた
妻の亡霊は宇宙の意識の海が彼の良心を映し出していたからというラストが衝撃的でした。
そういう意外性は映画で見た「薔薇の名前」も同じでした。笑うことを禁じていたということが
最後に解き明かされる中世のお話。話題はそれるけれど「エンジェル・ハート」もすごい結末の
映画でした。ビデオに撮ってあって続けてみることができず、ひとつひとつのエピソードごとに
毎日見ていました。
マルクス・アウレリウス(121~180 第16代ローマ皇帝)の自省録は神谷美恵子さんの当時新訳でも読みにくい本です。
自省録の中では全体の中の個という言葉がよく出てきます。私の印象としては大きな生命体、
たとえば地球の一部であるようなそんな風に感じていました。
今探してもそういう文言は出て来ませんでした。
自省録
第2章 3 神々のわざは摂理にみちており、運命のわざは自然を離れては存在せず、また摂理に支配される
こととも織り合わされ、組み合わされずにはいない。すべてはかしこから流れ出るのである。さらにまた
必然ということもあり、全宇宙ー君はその一部なのだーの利益ということもある。しかし自然のあらゆる部分
にとって、宇宙の自然のもたらすものは善であり、その保存に役立つものである。宇宙を保存するのは
元素の変化であり、またこれらによって構成されるものの変化である。もしこれが信条(ドグマ)であるとする
ならば、これをもって、自ら足りるとせよ。書物に対する君の渇きは捨てるがいい。そのためにぶつぶつ言いながら
死ぬことがないように、
第6章 30 「カエサル的」に成らぬよう、その色に染まらぬよう注意せよ。・・・単純な、善良な、純粋な、品位のある
飾り気のない人間。正義の友であり、神を敬い、好意にみち、愛情に富み、自己の義務を雄々しく行う人間。そういう人間に
自分を保て。哲学が君を作り上げようとしたその通りの人間であリ続けるよう努力せよ。神々を畏れ、人を助けよ。
人生は短い。地上生活の唯一の収穫は、敬虔な態度と社会を益する行動である。
あらゆることにおいてアントーニーヌス(養父であり、先帝)の弟子としてふるまえ。理性にかなう行動に対する
彼の張りつめた努力、あらゆる場合におけるむらのない心情、敬虔、彼の顔の穏やかのこと、やさしさ、むなしき名誉
に対する軽蔑、ものごとを正しく把握しようとする熱意ーこれらのものを思え。
第10章
15 君に残された時は短い。山奥にいるように生きよ。至る所で宇宙都市の一員のように生きるならば、ここにいようと
かしこにいようとなんの違いもないのだ。真に自然にかなった生活をしている人間というものを人々に見せてやれ。・・
16 善い人間の在り方如何について論ずるのはもういい加減切り上げて善い人間になったらどうだ。
17 全体としての時、全体としての物質を常に思い浮かべよ。またすべて個々のものは物質の点では無花果の種のごとく
時の点では錐のひとねじのごとくであることを思え。
18 目の前に横たわるもののひとつひとつを注意深く眺め、それがすでに分解しつつ変化しつつあり、いわば腐敗と分散の
状態にあること、またあらゆるものはいわば、死ぬために生まれるのだということを考えよ。
一人の国の指導者として、また個人として、自分と向き合った言葉が並びます。
マルクスアウレリウスの自省録
哲人皇帝マルクス=アウレリウス
お気に入りのブータンの布を一眼レフで昨日撮り直しました。
色がこちらの方が近いです。緑やピンクが・・・
この少し古いような布は額を合わせて入れようかと思っています。
見つけたので、探してみたのだけれど、見つかりませんでした。
その代わりにスーベニアの箱からは懐かしい写真やら、いろいろ出てきて手が止まりました。
大切な手紙も。加藤先生に書いてもらった推薦図書もかなり大事にしていたのだけど・・
幼い頃、父と祖父母の家の庭で撮った写真とか、イタリアで1週間ついてくれた
ガイドのマイケル・ドブロヴィッチ(ロシア系のアメリカ人でイタリアが大好きで
ベニスに住んでいました)と撮った写真とか・・祖父同士が学生時代に撮った写真とか・・
高校の時のバスの定期券・・好きだった人から来た年賀状・・
林辺先生たちと真鶴に行って、草木染にする植物の採集をして、中川一政美術館に
行ったことがありました。若い先生の写真に人生半ばで燃え尽きてしまった先生を
偲びました。
お店の紙ナフキンに行ったらいいと言われた京都と奈良の寺の名前がたくさん書いて
あったり、・・ もうこれはタイムカプセルです!建設会社のアトリエの先輩で
紙ナフキンは銀座のビアホール ピルゼンでした。帰りによく飲みました、赤坂だったり
銀座だったり・・
出張先から送ってくれたスケッチしたはがきも一緒に残っていました。
どこにも分類されていなかったいろいろなものが出てきました。
いろいろな発見にドキドキ・・
思えば遠くまで来たものです。
お薦めの本のリストにはマルクス・アウレリウスはなかったと思うけど
ヴェルギリウスがたしか入っていた記憶です。「アエネイス」でした。
先生は私にラテン語を習ってみたらと言われて、のけぞったことがありました。
道元の「正法眼蔵」、先生の友達の辻邦生の「安土往還記」・・あとは授業でもやった
デカルトの方法序説だったかほかはもう覚えていなくて・・ポール・ヴァレリーも先生の
影響で読んだけれど。
学園紛争のさなか、先生と読書会で読んだのは「万葉集」
他に先生はどんな本を推薦していたのか、今になってとても知りたくなりました。
8月の最終週も猛暑の連続のようです。ヨガと歯科医以外は予定が入っていないので、
家計簿の記録が月単位で遅れているので、つけたり、5月から遠くなってしまった
京都旅行の続きを整理しなくては。
タルコフスキーの宇宙の意識はどうだったのかと言う散人さんのブログを見て、
急にマルクス・アウレリウスの宇宙観をレビューしたくなって、本棚の裏の単行本を
探し出して、ぱらぱらと見ていました。
最近本を読み切ることができなかったり、あまり読書ができないのは視力のせいかもしれません。
小さい字も読書離れの原因の一つかも。
タルコフスキーの名作「惑星ソラリス」も40年以上前に見た映画ですが、主人公を悩ませた
妻の亡霊は宇宙の意識の海が彼の良心を映し出していたからというラストが衝撃的でした。
そういう意外性は映画で見た「薔薇の名前」も同じでした。笑うことを禁じていたということが
最後に解き明かされる中世のお話。話題はそれるけれど「エンジェル・ハート」もすごい結末の
映画でした。ビデオに撮ってあって続けてみることができず、ひとつひとつのエピソードごとに
毎日見ていました。
マルクス・アウレリウス(121~180 第16代ローマ皇帝)の自省録は神谷美恵子さんの当時新訳でも読みにくい本です。
自省録の中では全体の中の個という言葉がよく出てきます。私の印象としては大きな生命体、
たとえば地球の一部であるようなそんな風に感じていました。
今探してもそういう文言は出て来ませんでした。
自省録
第2章 3 神々のわざは摂理にみちており、運命のわざは自然を離れては存在せず、また摂理に支配される
こととも織り合わされ、組み合わされずにはいない。すべてはかしこから流れ出るのである。さらにまた
必然ということもあり、全宇宙ー君はその一部なのだーの利益ということもある。しかし自然のあらゆる部分
にとって、宇宙の自然のもたらすものは善であり、その保存に役立つものである。宇宙を保存するのは
元素の変化であり、またこれらによって構成されるものの変化である。もしこれが信条(ドグマ)であるとする
ならば、これをもって、自ら足りるとせよ。書物に対する君の渇きは捨てるがいい。そのためにぶつぶつ言いながら
死ぬことがないように、
第6章 30 「カエサル的」に成らぬよう、その色に染まらぬよう注意せよ。・・・単純な、善良な、純粋な、品位のある
飾り気のない人間。正義の友であり、神を敬い、好意にみち、愛情に富み、自己の義務を雄々しく行う人間。そういう人間に
自分を保て。哲学が君を作り上げようとしたその通りの人間であリ続けるよう努力せよ。神々を畏れ、人を助けよ。
人生は短い。地上生活の唯一の収穫は、敬虔な態度と社会を益する行動である。
あらゆることにおいてアントーニーヌス(養父であり、先帝)の弟子としてふるまえ。理性にかなう行動に対する
彼の張りつめた努力、あらゆる場合におけるむらのない心情、敬虔、彼の顔の穏やかのこと、やさしさ、むなしき名誉
に対する軽蔑、ものごとを正しく把握しようとする熱意ーこれらのものを思え。
第10章
15 君に残された時は短い。山奥にいるように生きよ。至る所で宇宙都市の一員のように生きるならば、ここにいようと
かしこにいようとなんの違いもないのだ。真に自然にかなった生活をしている人間というものを人々に見せてやれ。・・
16 善い人間の在り方如何について論ずるのはもういい加減切り上げて善い人間になったらどうだ。
17 全体としての時、全体としての物質を常に思い浮かべよ。またすべて個々のものは物質の点では無花果の種のごとく
時の点では錐のひとねじのごとくであることを思え。
18 目の前に横たわるもののひとつひとつを注意深く眺め、それがすでに分解しつつ変化しつつあり、いわば腐敗と分散の
状態にあること、またあらゆるものはいわば、死ぬために生まれるのだということを考えよ。
一人の国の指導者として、また個人として、自分と向き合った言葉が並びます。
マルクスアウレリウスの自省録
哲人皇帝マルクス=アウレリウス
お気に入りのブータンの布を一眼レフで昨日撮り直しました。
色がこちらの方が近いです。緑やピンクが・・・
この少し古いような布は額を合わせて入れようかと思っています。
私の学生時代は大学紛争の時代でしたので、遊ぶことには抵抗があり、あこがれの先輩の影響で集会に行ったりしていました。あの嵐の時代です。好きなことだけ勉強して、いい先生たちに巡り合いました。米文学の亀井俊介や哲学の加藤武先生など。就職は物を生産するところは選びませんでした。学会でしたが、楽しくて学生時代に味わうことができなかった、素敵な人たちと学生同士のような時間を過ごすことができました。
ヨーロッパに旅行したことが転機になり、さらに活動の輪が広がり、建設会社のアトリエに通い始め、やっときた青春時代のようでした。
結婚や出産、しごと、看病などで長いこと文化的なことに費やす時間も少なかったですが、これからですね。
大切な時間を大切に使って。
今もまた素敵な方たちと出会うことができて刺激をたくさんもらっています。そういう環境にいれることが幸せだと思います。長く静かに燃えていたいです。