先月メータ/イスラエル・フィルのコンサートに行って、ベートーヴェン 第九 ベジャール版のチラシを
見て、突然今第九を聴きたくなってインターネットで探したら、サンクスチケット半額でしかも最終公演は
プログラム付きというので、すぐ申し込んで友人と昨日NHKホールまで出かけました。
午前中は少し遠くのスーパーまで買い出しに行って、午後は着付け教室。その後原宿に回り、
コンサートというハードスケジュールになってしまいました。東京バレエ団の創立50周年に当たり、スイスと日本が
国交樹立をして150周年という記念も重なるとのこと。また振付のベジャールが20世紀バレエ団によりブリュッセルで
本作を初演してからも、ちょうど50周年となるとのこと。
私が20世紀バレエ団に夢中になったのも30年少し前のことだったか・・・
ジョルジョ・ドンのボレロに魅かれました。手の一つの動きが素晴らしかった。遠い昔のことのように思えます。
思えるのではなくほんとうに遠い昔のこと。ベジャールは音楽を人間の体で表現する天才だと思いました。
モーツアルトの魔笛など見に行ったし、ジョルジョ・ドンの出るガラ・コンサートには何回か行きました。
あの頃踊っていたジル・ロマンは芸術監督となっていました。
音楽と一体になったこのバレエを見たかったけれど、それ以上にメータの第九が聴きたかった。
その音楽は今までの第九とは別の曲のようにも思えるほど。
どちらかというと田園をきいているような宇宙感、ひろがり、やさしさに包まれている祈りのような曲。
バレエと一緒なので、マイルドになった感じがしました。
第3楽章は静かな美しさに溢れていて、第4楽章は人が手を取り合う桃象徴的な踊りですが、春の祭典の
群舞を思い出させました。
第九がまるでベジャールに捧げられているような感じもしました。
ここの所、亡くなった人が夢に出てきていたり、バッハのヴァイオリン・ソナタを聴いて落ち込み気味でしたが
この祈りと希望の曲に浸りました。
「現在は終身音楽監督の地位にあるメータは早くから同団の指揮台に繰り返し招かれており、初共演から数えると
すでに半世紀を超える付き合いだ。 これらは単なる偶然ではない、と筆者は考える。長年の交流で培われた経験や
信頼関係が、公演という形をとる。客席をも包み込む国境を越えた熱い友情の輪は、一朝一夕には生まれまい。
こうした人類愛を歌い上げるのにまた、「第九」ほどふさわしい楽曲もなかろう。東日本大震災当時、メータは
オペラ公演を振る予定で東京にいた。その後公演は日程途中で中止となり、メータとオペラ座はやむなく帰国して
しまった。それでも、メータはひとり、すぐに日本に戻りチャリティーコンサートで私たちを励ましてくれた。
その時の演目も「第九」だった。 今回は舞台後方にオーケストラが陣取り、前方で両カンパニーの看板ダンサー
たちが舞う。終楽章では藤村実穂子ら世界的な歌手をバックに、熱狂的な群舞が人類の連帯を全身で表現し、
モニュメンタルな総合芸術が“歓喜”を具現化する・・・・イスラエルは歴史的に宗教・政治の紛争が絶えない
場所だが、メータは震災後の東京でやったように、同国が窮地に立たされるたびに積極的にこの楽団に足を運んできた。
互いに深い絆で結ばれ、酸いも甘いも知り尽くしているとなれば、モーツァルトの喜遊もチャイコフスキーの憂愁や
ダイナミズムも、感情表現は自由自在だろう。ズービン・メータ ©Oded Antman」
この最後の公演はNHKとドイツのテレビ局が共同で番組を作成して、何カ国かで年末に放送されるとのことでした。
Nov.9 2014