Reflections

時のかけらたち

秋の花をさがしに高尾山へ ・・・ looking for autumn flowers in Mt.Takao

2022-10-21 23:57:45 | nature

日影のアケボノシュスランか高尾山のタカオヒゴタイ、一丁平のセンブリを見たいとずっと
機会をうかがっていたのですが、どうも体調に危険信号が出たので、火曜日の血圧の薬のために診断を近くの
家庭医で受けた時にその日のヨガは止めておきなさいと言われて、その日はやむなくキャンセルしておとなしく
していました。しばらく家事とボビンレースをして静かにしていたのですが、今日のさわやかに晴れた日に
様子を見ながら行けるところまで行って見ようかと半年ぶりくらいに高尾山に向かいました。

元気だったら、奥高尾から一丁平、日影まで回ってアケボノシュスランまで見て帰って来たかったのですが
一人で萩原作業道を抜ける自信がなく、膝やふくらはぎの具合がよくなってきたところなので、無理はしない
ことにしました。結局、もみじ台から一丁平に向かって降りて行って、途中いくつかセンブリを見てターンして
帰ることにしました。

高尾山ケーブル駅 → 1号路 → 冨士道 → 5号路 → もみじ台 → 一丁平への道を行ってすぐ戻り
高尾山頂 → ビジターセンター → 1号路 → 薬王院 → 高尾山ケーブル駅 → TAKAO COFFEE →
高尾森林ふれあい推進センター → 高尾山口駅

 

後からちゃんと載せることにして今は思いつきでピックアップした写真を・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もみじ台からの富士山の眺めに心が広がっていきます。

 

一丁平まで行けば、ブーケのようなセンブリにたくさん出会えるのですが、体に無理がないように
今日は途中から引き返しました。

 

途中で会った人たちが、ここにも咲いているわよ~と教えてくれました。

 

 

 

こちらは高尾山頂からの長めです。

 

 

 

 

 

 

かわいいヤマホトトギスに始まって終わった高尾山の秋の風景です。
今年はキッコウハグマを見たくて、11月の初めの頃にまた行って見たい高尾山です。
体調が良ければ一丁平の方にも行って見たいし、4号路の通行禁止が解除されたら
そちらにも花探しに行きたいのですが・・

 

Oct. 21 2022  Mt.Takao

 

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10月生まれの友と落語と築地で誕生祝(追記あり) ・・・ birthday celebration with friend born in October

2022-10-20 22:58:37 | a day in the life

ずっと落語が聞きたいと言っていた友人と数カ月前に花緑さんの落語を行くことにしていました。
なんと彼女が昔から落語ファンだったことは知らなくて、しかも花緑さんもよく聞いていて行きたいとずっと
言っていましたが、まだ現役で仕事の都合でなかなか行けませんでした。やっと日程の都合がついて、ちょうど
二人の誕生日も近いので一緒にお祝いをしようということになりました。

誕生日のあたりにはお電話やメッセージをいただいて、うれしかったです。

アメリカの友人もお母さんが亡くなったばかりなのにカードを送ってくれました。
one-and-only you と書かれてあったのがうれしくて。

私の誕生日は軽井沢に行っていてちょうど帰る日で、掃除や片付けで忙しくてお祝いをする
どころではありませんでした。それまでゆったりと過ごせたのがお祝いのようなものだったかしら・・
花を見たり、新しくできた藤田嗣治の美術館で過ごしたりしました。

 

10月15日 13:00~ イイノホール

 

前回もイイノホールでしたが、新しく建て替わった座り心地のいい椅子のホールで
気持ちよく噺を聴くことができました。ほとんど笑いっぱなしで、最近こんなに笑ったことは
ありませんでした。初めて落語を花緑さんで聴いたときと同じようです。

また枕が楽しくて、いつ本当の落語が始まるのかと思うくらい果てしなく続き、少し心配になったくらい・・
後から演目を見たら、枕の長いのにタイトルがついていて笑ってしまいました。三峰神社の話です。
後日お聞きしたら、他の会でタイトルをつけてくれた人がいたのでそうしているそうです。
インディアンと三峰神社というものです。スピリチャルな話で、有名な人(カナダ人?)に見てもらったら、先祖はアメリカ
インディアンなんですって。あとは三峰神社にお詣りに行ったら不思議なことがおこった話。

家族が見守ってくれているという話から、小さん師匠から引き継いだ言葉について話していました。「素直」という言葉
が好きでよく色紙に書かれていたとのこと。落語でも師匠からやってみろと言われたことは嫌がらずにまずやってみてから
判断する。そういう柔らかさって必要ですよね。久しぶりに「素直」ということばがすっと入ってきた感じです。

小言念仏は小三治師匠追悼の意味があると書いている人がいました。小三治さんやっていたのかな~。聴いてみたかった。
「二階ぞめき」は落語はそうでなくても一人芝居なので、もう賑やか・・・ エネルギー爆発の花緑さんでした。
「中村仲蔵」人情噺で聴かせました。なんとも言えない夫婦の情が感じられる話でした。夜の部では「芝浜」をする予定と
予告がありました。これは花緑さんで前に聴いたことがありました。

友人も大満足でまたすぐ行きたくなっちゃったと話していました。

 

何年振りかで日比谷公園を散歩して、松本楼でコーヒーを飲んでゆっくりしてから
彼女の知っている築地のはずれにある老夫婦でやっているお寿司屋さんに行きました。

なんだか、今ひまわり? という感じではあります。コスモスでしょ!

 

 

秋バラが咲き始めました。

 

 

銀座を通った時にはあまりにも人が多いのでびっくり。3年ぶりくらいに見る光景かしら?
最近はあまり見ていないのですが、コロナ感染者も相変わらず多いようですね。

友人と二人、贅沢な誕生祝をしてしまいました。
笑い飛ばして、天気も良く気持ちのいい一日でした。

追記)
帰り道、築地駅に向かうと本願寺が浮かび上がっていて、不思議な感じでした。

 

 

 

 

Oct.15 2022  Kasumigaseki → Hibiya → Tsukiji

 

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熊野旅行のスーベニール ・・・ souvenir of Kumano travel

2022-10-19 23:55:55 | souvenir

熊野のお土産

 

他に温泉で茹でた卵と熊野古道の無人売り場で買ったもち麦と梅干。

 

この共通スタンプ帳はネットで見たら、9月30日までで10月からは有料で熊野古道だけになっているとのことでしたが
まだ残っていたので勝浦のトラベル・ビューローでいただいていろいろなスタンプを押しました。

 

 

 

 

 

熊野那智大社

左は特別御朱印

 那智御滝(飛瀧神社)        青岸渡寺

 

飛瀧神社(那智の滝)の限定御朱印

闘鶏神社

 

那智黒石

那智で那智黒の宣伝をたくさん見ましたが、黒飴のことだったのですね。石の方も那智黒石
と言って、碁石の材料になるとのこと。本宮大社の中のお茶屋さんの近くの砂利のなかから
友人がみつけて見せてくれました。そのままスーベニールに・・・

なんだか4日間も一緒に旅した友人が名古屋で降りて帰って行ったときは、あいてしまった
座席にちょっとした喪失感を感じてしまいました。この旅行が人生のいいスーベニールに
なりました。

 

おまけ)

旅行の参考にした本

左下の巡礼の旅だけ買いました。あとは図書館で借りて・・
山と渓谷社の「歩いて旅する熊野古道・高野・吉野」はガイドブックとして
役に立ちました。

 

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神々が棲む森へ -7 ・・・ into the sacred wood the gods dwell -7

2022-10-18 23:45:00 | wonderland

瀧よしで朝5時から温泉に入れるので、翌朝も温泉に入りました。
真っ暗いうちは入りにくいので、だんだん夜が明けて行くなかで入りました。
友人はお風呂に入ってから早朝散歩に行ってきたとのこと。朝、外に足音がしたので部屋の窓から道路を見ると
温泉道具を持った人が共同温泉浴場に向かっているところでした。どこかの泊り客なのか‥地元の人なのか・・・
友人は外で出会い、地元の人らしいと話していました。

荷物のパッキングを早々とすませてから朝食に行きました。

温泉で作ったお粥がおいしかったです。

 

本宮大社から12:40のバスで田辺に向かうので、8時ころチェックアウトして
朝の街を歩き始めました。

宿で卵を買って、ゆで卵を作って持って帰りました。

 

ゆで卵ができるまでの間すぐ近くの一遍上人の磨崖名号碑を見に行きました。

 

 

 

 

時の経った碑は文字も薄れあまりはっきり読むことができません。
ここから赤城越えのルートがあります。

 

湯煙りの街ともお別れです。江戸時代にはここで体の汚れを落としてから熊野詣に向かったのが流行ったとか。

茹で卵も出来上がったようなので、いよいよ熊野古道歩きの最後の難関に向かいます。

 

最古の温泉と言われるつぼ湯がありました。

 

前日行った湯峯王子を通り、ひたすら登ります。本宮の方からの方が急な坂が長く続く
となっていますが、こちらもどこまで登ったら下るのかと思うくらい。

急な坂道もあったので写真はほとんど撮っていません。

立ったまま少し休憩して進むの繰り返しです。

 

 

天然記念物「ユノミネシダ」 

 

 

念仏供養塔

やっと何かモニュメントと説明が出てきました。

 

 

 

この石仏は何? お地蔵さんみたいだけれど、何か夢中で登って鼻欠地蔵は撮れていませんでした。

やっと少し尾根のような場所を歩いて、月見ヶ丘神社に到着。
ここでたくさんお休みして、急な下り道を降りていくことになります。

誰にも人に会わなくてとても一人で歩けるようなところではありませんでした。
友人に感謝。やっと月見ヶ丘神社で後から来た男性一人に会いました。その人も湯筒で茹でた
卵を持っていましたが、ちゃんと手袋もして装備していました。

 

 

 

 

 

ここからの下りはまず最初が高さがありすぎて座って両手をついて降りるような感じ。
友人の手袋を借りて、急斜面では荷物を一時的に持ってもらったりして降りて行きました。
写真どころではありません。

不思議な岩は撮っておけばと言われて撮るような感じ・・・

とにかくケガをしないように降りて行くのがやっとでした。

終わりが近くなっても気を抜かないように一歩一歩踏みしめながら足を運びました。

 

終わりが近くなった時の喜びはありませんでした。

 

その喜びを分かち合える人がいて、本当に良かった。一人では達成できない道でした。

 

熊野本宮大社から湯の峰温泉までは3.4kmと短いけれど約2時間かかると言われています。私たちは3時間
かけて本宮大社まで行きました。

この地点に降りる寸前によかった、ありがとうの気持ちでいっぱいになり、久しぶりに味わう達成感がありました。
こういう喜びはなかなか味わうことができません。

 

かわいいマークの食堂は通り過ぎ、大社の前日も行ったお茶屋さんでやっぱりかき氷!
そしてここの名物らしきお蕎麦で昼食。

 

大根がこの地方らしい感じです。梅干しも!

 

バス停から田辺行のバスがすぐ出たので乗って帰りは田辺から新大阪経由で帰ります。
新宮方向へはちょうどいいバスがなくおまけにJRとうまくつながりません。

 

長い旅なのでバスも途中で休憩。

何やら美術館のようなものがありました。おしゃれだと思ったら、熊野古道なかへち美術館と言って
「妹島和世+西沢立衛/SANAA」が最初に手がけた美術館とのことです。

 

学生たちが稲刈りをしているように見えました。

 

 

 

 

稲穂が輝いていました。秋の旅行はこれが見れるだけでもうれしいです。

バスで約2時間かけて紀伊田辺に着きました。
特急の時間まで少し時間があるようでしたので、土産物屋を見ているより、近くの闘鶏神社に行って見ようと思い
駅の観光案内で聞いて行って見ることにしました。

前日のニュースで弁慶にまつわる行事が行われたと湯の峰温泉で見たばかりのお寺でした。
9月30日から10月1日まで3年ぶりに弁慶祭りが開催されたと後からわかりました。
歴史を動かした場所だったのですね。もっとゆっくり見れたら面白かったと思いました。

 

 

 

 

 

 

友人が見ていたのはのんびりしているにゃんこでした。岩合さんのねこ歩きにでも出てきそうですね。

 

田辺駅に隣接した田辺市観光センター(右側の建物)。ここにはスペイン人らしい女性も窓口にいました。
これからは少しは以前の賑わいを取り戻すことができるのでしょうか・・・

 

この特急で新大阪まで2時間少し・・・

友人と何十年ぶりに再会して有松と如庵に行ったときはあまり話す時間はありませんでしたが、この時間のかかる
旅行ではいろいろな語り合うことができました。孤独が好きな友人と人間が好きな私の不思議な旅でした。

新幹線に乗り換え、友人は名古屋で降りて、私は一人新大阪で買ったお弁当の夕食を食べて東京に戻りました。

何よりも天気が良かった4日間が最高のプレゼントでした。あんな道、雨が降ったら歩けません。帰った翌日から天気が
崩れました。やっぱり熊野に呼ばれた旅だったのですね。熊野に行ってみたいとつぶやいて半月で実行できたのですから・・

 

Oct. 4 2022   Kumano

 

 

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神々が棲む森へ -6 ・・・ into the sacred wood the gods dwell -6

2022-10-17 23:57:12 | wonderland

中辺路ハイライトコースを歩いた後は最後の訪問地、湯の峰温泉に行くためにバスターミナルに行きました。

世界遺産熊野本宮館がバスターミナルの奥にあり、多くの展示や、図書、そして観光協会の事務所もあり
旅の相談に乗ってくれるようになっています。

バスを待っている間に展示物を見て、少し熊野のことについて学びました。

 

 

 

明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある
「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありました。
かつての本宮大社は、およそ1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿が立ち並び、幾棟もの摂末社もあり、
楼門がそびえ、神楽殿や能舞台、文庫、宝蔵、社務所、神馬舎などもあり、現在の8倍もの規模を誇っていたそうです。

 

本宮新宮那智からなる熊野三山
 本宮の主神は、家都御子大神(けつみこのおおかみ)。(家都美御子大神(けつみみこのおおかみ))
 新宮の主神は、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の2神。
 那智の主神は、熊野夫須美大神。

近世には熊野速玉大神はイザナギに、熊野夫須美大神はイザナミに同定。

 本宮の主祭神・家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ)は、古語で「食(衣食住の『食』)」のことを「ケ」という
ことから、「ケ=食」を司る神ではないかという説が一般的。人間に自然の恵み、食べ物をもたらしてくれる神様。

またケという生命力を司る神ではないかという説もある。
 ケのエネルギーが枯渇するのが「ケガレ」で、ケのエネルギーを時々充填して元に戻さなければならないから、ケの神様の
おわす熊野を詣でる。新たなケを得られることに熊野詣の意味があり、まさによみがえりの地、熊野にふさわしい神様だ
と思わる。

もともと熊野信仰は自然崇拝から生じたもの
那智はへの崇拝から、新宮はその元宮が神倉神社であるとの説によれば、岩への崇拝から、本宮は川に浮かぶ森への崇拝から

熊野の神様は熊野権現と呼ばれます。「権現」とは字義的には「仮に現われた」ということ。仮に現われたのは仏。
熊野は神仏習合を積極的に受け入れたことで日本の聖地となる。
平安時代末期から鎌倉時代にかけておよそ100度の上皇の熊野御幸がありましたが、上皇を熊野に連れてきたのは修験者(山伏)。
室町時代頃に「蟻の熊野参り」という言葉ができ、蟻の行列にたとえられるほど多くの人々を熊野に導いたのは時宗という鎌倉
新仏教の一派。

一遍上人 

時衆の念仏聖たちは南北朝から室町時代にかけて熊野の勧進権を独占し、説経『小栗判官』などを通して熊野の聖なるイメージを
広く庶民に伝え、それまで皇族や貴族などの上流階級のものであった熊野信仰を庶民にまで広めていったと言われる。

時衆の念仏聖たちは熊野を特別な聖なる場所と認識。熊野の本宮は時衆の開祖とされる一遍上人がある種の宗教的な覚醒に到った場所

平安時代後期以降の浄土信仰の広がりのもと、本宮の主神の家都美御子神は阿弥陀如来、新宮の速玉神は薬師如来、那智の牟須美神は
千手観音を本地(本体)とする。本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土、那智は南方補陀落(ふだらく)浄土の地である
と考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされる。人々は生きながら浄土に生まれ変わることを目指して熊野を目指した。

 

仏教と神道が入り乱れていてややこしい日本の宗教。
私の友人は青岸渡寺や熊野古道の王子で時々念仏を唱えていたけれど納得。
私は般若心経くらいしか知らないけれど、昔時々TVなどで話を聞いていた唐招提寺の長老森本孝順を思い出したりしました。
友人は唐招提寺の僧侶が書いた仏教の本はわかりやすいと話していて、ずいぶんと仏教のことを勉強していて、昔はそう
言った感じがしなかったので驚きました。入門書だけ読んだことある道元の「正法眼蔵」のことなど、音楽や今までの経験など
に加えて移動中に話したりして旅を進めました。

 

 

反対側の建物には観光協会があり、いろいろ調べ物もできるようになっていました。

 

 

 

 

 

 

湯の峰温泉までは25分くらいで着きます。
歩く場合は大日越えというルートですが、どの本を見ても本宮側から行く方が最初急な登り道が長く続くと
書いてあったのでこのルートは最終日に湯の峰温泉側から通ることにしました。

 

湯の峰温泉

 

 

泊ったのはこの温泉宿の一番端にある新しいタイプの民宿「瀧よし」。
江戸時代から続く風情のある温泉宿にも泊ってみたかったのですが、そういうところには
個室対応がありません。この若夫婦のやっている民宿にはそういうタイプの部屋もありました。
おじいさんから引き継いだという本当に若いご夫婦でしたが気持ちのいい応対でした。

宿に行く前に湯峯王子まで行っておこうということになり、暗い道を上がって行きました。

 

 

 

ショウキズイセン

時間がたっぷりあったので温泉で疲れと汗を取ってから夕食に行きました。
他に揚げ物やおつくりもあったと思うのですが、写真撮っていませんね。
温泉を使った鶏の鍋物がとてもおいしかったです。最後にコーヒーとデザートをいただきました。
この日はビールは飲みませんでした。食事も程よい量でおいしかったです。

バスもすいていたのですが、この民宿に泊まったのは私たちだけでした。
温泉も贅沢に独り占めです。

ふくらはぎをよくもみほぐしてから寝ました。

 

1泊目はベッドだけ、2泊目はゲストハウスで朝食と夕食のお弁当付き、3泊目は温泉もあり、豪華でした。
それでも畳の生活は慣れていないので苦しかったですね。

コースも歩く初日は階段状になっている大門坂、2日目は発心門王子からの熊野古道、3日目は大日越えと難易度が高く
なっていってなかなかいいプランだったと自画自賛。
我ながらいい計画を立てたものだと。

 

Oct.3 2022  Kumano

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神々が棲む森へ -5 ・・・ into the sacred wood the gods dwell -5

2022-10-16 16:29:05 | wonderland

熊野の旅 3日目の中辺路発心門からの熊野古道を歩き、水吞王子で少し休憩してまた歩き始め、民家の近くの陽の当たる道では
いろいろな花を見ることができました。その花巡りからの続きです。

 

 

 

 

ヤブマメ

ショウキズイセンほど黄色くないので、シロバナマンジュシャゲかしら・・・

シロバナハギ

 

 

 

 

フジバカマ

伏拝王子の石祠

和泉式部の供養塔

 

ここまで来ると熊野本宮大社(旧社)が遠く見えるというのですが・・・

 

 

 

 

伏拝王子の茶屋はやっていませんでした。紫蘇ジュースが飲めなくて残念。
ここでトイレ休憩。やっと何組かのシニアの旅行者に会うことができました。

 

 

 

ここまで来ると目的地はもうすぐ近くという感じです。

 

 

三軒茶屋跡

ここからは高野山への道の分岐がありました。

 

 

 

展望台があるので、ちょっと寄り道をしてみることにしました。
ここより前にも展望台に行ける道があったようでしたが、見逃しました。

この見晴らしのいい場所でお弁当にしました。昨晩の残りのめはり寿司を
いただきました。少しだけ持って行った行動食も役に立ちます。

熊野本宮大社のあった旧社地。神が舞い降りたという大斎原が見えます。
友人は夢ででも見たのか流されてしまった8つの祠が気になっていました。

 

 

 

反対側から上がってくる人がしゃがみ込んで写真を撮っていた珍しい花は、チャボホトトギス。

 

 

袖すり地蔵
そんなに人が通ったのでしょうか・・・

伏拝王子の前の道休禅門は見逃してしまっていました。

 

 

 

 

もう本宮大社に出た感じです。

最後に祓殿王子のお参りして上から本宮大社に入りました。前日にお参りをしていたので
前日押し忘れたスタンプを共通巡礼手帳に押して休憩しました。

境内の珍重庵でなんとかき氷。暑かったので気持ちがよかったです。

ここからバスで湯の峰温泉に向かいました。

 

発心門王子からのタイムライン

8:14 大日越登り口 → 8:37 発心門王子 (バス)
熊野古道ウォーキング  8:57 発心門王子 → 9:33 水吞王子 → 10:54 伏拝王子
             11:37 三軒茶屋跡 → 12:12 展望台(ランチ) 12:30 → 13:06 祓殿王子 本宮大社

6.9km 所要時間:約3時間 とガイドブックにありましたが、私たちはゆっくり休みながら行ったので約4時間かけました。
           

Oct. 3  2022   Kumano

 

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神々が棲む森へ -4 ・・・ into the sacred wood the gods dwell -4

2022-10-15 23:55:33 | wonderland

熊野旅行のクライマックスに近づいてきました。
3日目いよいよ中辺路の発心門王子から本宮大社を目指して歩きます。

碧空ゲストハウスの私の泊まった部屋からの眺めです。

 

コロナのため食堂は使用しないで、部屋に食事を運んでくれました。トースターも持ってきて
パンは自分で焼くようになっていました。バターはエシレのようでとてもおいしかったです。

 

バスは本宮大社前のバス停まで歩くつもりでしたが、なんとゲストハウスの近くに大日越登り口の
停留所があり、そこから乗ることができました。本宮前を通り、発心門王子までバスで行きました。

 

発心門王子のバス停です。

 

ここから本宮に向かって歩き始めるわけですが、少し戻って、スタート点に当たる発心門まで行ってみました。

 

ここからがいよいよ熊野古道のハイライトと言われる道が始まります。
発心門は悟りの心を開く入り口とされここから聖域から神域に入ると認識され
熊野詣の重要なポイントとされていました。

この前の古道を通って、鳥居を越えてここに到達するわけですが、この鳥居の下の道は
途中湯の峰温泉に行く道(赤城越)との分岐点多あります。友人はここから下の様子を偵察に行って、
戻ってきました。ゲストハウスの人が言ったようにあまり整備されていない険しい道であることを
確認しました。継桜王子から発心門王子までに至る道が中辺路で最も体力のいるコースとされています。
初心者の私は自分の体力に見合った、発心門からの最後のコースを選びました。

まずは道中の無事をお祈りしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

里山の気持ちのいいコースです。

 

 

 

子安地蔵

 

 

時々視界が開けて、下のバスが通る道が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

水吞王子

 

 

 

コロナ以前には海外からの多くの巡礼者でにぎわったと思われる休憩所です。
ここまでほとんど人には会わないで歩いてきました。

少しだけ休憩してまた歩き始めました。

 

 

 

 

 

 

苔もきれい・・

 

珍しい花はシコクママコナ?

 

 

 

 

 

途中、にぎやかな声が聞こえたと思ったら、下の方の道路に猿の群れがいました。
近くでなくて良かった。山には熊もいると脅かされていたので、やっぱり自然の中なのだ
と思いました。

 

 

 

 

 

民家の近くでは茶や紫蘇が栽培されていました。

 

Oct. 3 2022  Kumano

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神々が棲む森へ -3 ・・・ into the sacred wood the gods dwell -3

2022-10-13 20:19:00 | wonderland

熊野への旅2日目の途中からです。

那智の滝を見て、今度は熊野本宮大社を目指します。
バスで着いたJR那智駅からきのくに線に乗りました。きのくに線は1時間に
1本よりもっと少なく日に数本しかないローカル線です。

 

 

汽車の窓から見る那智の海。ここから観音の浄土・補陀落山(ふだらくさん)を目指して帰らぬ旅に僧侶が
出て行ったという・・・ 補陀落山寺にも時間があったら寄ってみたかったのですが、なんだか残酷な
感じしかしなくて、その先に極楽浄土があったと信じられていた那智の海だけ見てみたい気がしました。

 

新宮駅では時間が少しだけあったので駅前のツーリスト・ビューローでバスが来るまでに見れる場所はあるか
聞いたところ、すぐ近くにある徐福公園を教えてもらいました。

 

徐福は今から2200年前の中国秦の始皇帝時代の人で、多くの人を連れて始皇帝の命により東国に向かったという
記述が史記などになり、近年実在の人であったという論文が書かれ、実際に生まれた町が判明したとのことです。
中国の伝説が日本に伝わったのか、日本でもあちこちに徐福伝説が残っていますが、ここ熊野が一番有名他だそうです。
徐福が3000人ほどの若者や技術者たちと共に不老不死の薬を求めて東方に向かった時代は日本では弥生時代の初期に
当たります。熊野にたどり着いた人々は農耕や漁法、捕鯨、造船、紙すきなどの技術を伝えたと言われています。
伝説の世界のことですが、多くの人たちが中国と日本の間を渡ろうとしていた事実に思いをはせて公園内をまわりました。
周りの中華式の建物は比較的最近に建てられたものです。

 

 

 

徐福公園の徐福の墓は初代紀州藩主・徳川頼宣が建設を計画し、それからおよそ100年後の1736年に現在地に建てられた
とのことです。

 

 

 

新宮駅に戻り、この日に時刻表が改正になったばかりで5分ほど早くなったバスに乗りました。

川沿いの山々を見ながらバスで気持ちのいい旅です。ほとんど人が乗っていなくて、最後には私たち二人だけに
なってしまいました。今回の旅はそういうことも多かったですね。友人はこの川の川下りをしたこともあると
話していました。

約1時間で熊野本宮大社につきました。熊野のツーリスト・ビューローが奥にあり、展示もいろいろされています。

 

 

咲きにほふ 花のけしきを見るからに 神のこころぞ そらにしらるる

                              白河上皇

八咫烏のマーク入りのマスクをしていた狛犬

 

 

本宮の中は撮影禁止です。

中には和泉式部の建てた供養塔と句碑もありました。

熊野詣で伏拝(ふしおがみ)という場所に来た時詠んだとされる歌が
「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」
すると、その夜、夢に熊野権現が現れて
「もとよりも塵(ちり)にまじはる神ならば月のさわりもなにかくるしき」と告げ、そのまま参拝できたと
伝わっています。

不浄と言われていた女性を受け入れた熊野の神様です。

 

 

 

社殿は崇神天皇65年(紀元前33年)に創建されたと『皇年代略記』や『神社縁起』に記されています。
奈良朝の頃より仏教を取り入れ、平安朝以後は仏化により「熊野権現」と称し、神々に仏名を配するように
なりました。熊野本宮大社は上・中・下社の三社から成るため、熊野三所権現と呼ばれています。また、
十二殿に御祭神が鎮座ますことから、熊野十二社権現とも仰がれています。
平安当時、宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の熊野御幸は百余度に及びました。幾度かの御幸に供奉した
藤原定家が『明月記』の中で「感涙禁じ難し」と記しており 、困難な道を歩き御神前に詣でたことが、いかに
ありがたく、いかに御神徳が高かったかを窺い知ることができます。

1184年、第21代熊野別当に就任したのは、本宮・田辺を拠点とする田辺別当家の湛増でした。
源平二氏の争乱に際し、湛増率いる熊野水軍が源氏側についたことにより、勝敗が決したと云われています。
 
※熊野別当・・・熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の統轄にあたった役職
 

南北朝から室町時代にかけては、皇族や貴族などの上流階級に代わり、武士や庶民の間に熊野信仰が広がりました。
身分の貴賤や老若男女を問わず、全ての人を受け入れる懐の深さゆえ、熊野には大勢の人々が競って参詣し「蟻の熊野詣」
と呼ばれる現象を起こすまでに至りました。

なお残念なことではありますが、明治二十二年の未曽有の大水害により社殿のうち中・下社が倒壊し、現在地に上四杜のみ
お祀りすることとなりました。他八社は石祠として旧社地大斎原おおゆのはらにお祀りし、現在に至っております。

                                           熊野本宮大社のHPより抜粋

 

明治時代に川の氾濫により、流されてしまった本来の聖地に向かいました。

 

 

 

 

小さな石祠に中四社と下四社、境内摂末社の神々が祀られています。
友人はもっとちゃんとした祠を写真で見て、実際に見たような気がすると、探してみましたが、ありませんでした。
明治時代の写真を見てそれが記憶に残っていたのかも。

ここは犬も入れてはいけないと看板がある、聖地でした。

 

 

 

 

川の土手に上がり、そこからの大鳥居の眺めも素晴らしかったです。

 

 

ここから近いゲストハウスに向かって夕暮れの熊野を歩きました。

 

わかりにくいところにあるのですが、方向指示がきちんと表記され、それに従って歩けば目的地に着きました。

碧空ゲストハウスは大日越えの登り口の近くにあります。

 

朝食しかついていないのですが、お弁当の夕食を予約すると準備してもらえます。
暖かくてとてもおいしかったです。鮎も焼きたてでした。少し食べ始めてしまって慌てて写真を
撮りましたが、有名なめはり寿司とさんまの押しずしもついていました。量が多くて食べられ
なかったのでご飯の分は残して冷蔵庫に入れて翌日の古道歩きに持って行くことにしました。

夕食後次の日のルートも話し合いましたが、新しい提案は本宮大社から発心門王子まで歩いて
そこから湯の峰温泉まで赤城越えのルートで行ってはどうかとのこと。ゲストハウスの方にお聞き
したところその道は大変な道だということで、翌日は最初の案通り、まず発心門王子までバスで行き
そこから熊野本宮大社までゆっくり歩く計画にもどしました。

お風呂でパンパンになったふくらはぎをもみほぐしてから寝ました。大門坂から那智大社、那智の滝まで
結構歩いた一日。久々においしいビールでした。

 

Oct. 2  2022  Kumano

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神々が棲む森へ -2 ・・・ into the sacred wood the gods dwell -2

2022-10-07 23:59:09 | wonderland
10月2日
8:00 朝食 市場
 
那智の滝へ
9:05 那智勝浦駅 ~  9:24 大門坂  熊野御坊南海バス
大門坂 → 熊野那智大社 → 青岸渡寺 → 那智の滝(飛龍神社)
13:04 那智の滝前 ~ 13:19 那智駅  熊野御坊南海バス
 那智の海 補陀洛山寺には寄れず
13:56 那智駅 ~ 14:17 新宮  JRきのくに線・新宮行
15:00 新宮駅 ~ 15:54 本宮大社前  51川丈線・本宮大社前行/熊野御坊南海バス
(10月1日のダイヤ改正で14:55新宮駅発に変更。バス停案内にその記載がなくぎりぎりに着たら間に合わない。)
熊野本宮大社 → 旧社地の大斎原、大鳥居
 
宿泊 蒼空ゲストハウス  (本宮大社前バス停から7~8分、大日越え登り口ならすぐ)
 
 
勝浦の朝は8時前にホステルをチェックアウト、オプションの市場での朝食券を持って港まで歩いて
8時のオープンを少し待ちました。

 
市場の好きなところで作ってもらって、海を見ながら朝食がとれます。
 
 
 
 
お魚はもちろん、副菜の味も薄くておいしかったです。これでもう昼食は食べれませんね。


 
駅前からバスなので、再び勝浦駅。駅にはトラベル・ビューローがあり、熊野古道のスタンプ帳をもらいました。
10月1日からは熊野古道のみの押印帳で有料。サンティアゴ・デ・コンポステーラの道と合わさったものがまだ置いてあり
持って行っていいとのことでしたので、それをいただいて、慌ててバスに乗りました。
 
 
バスで大門坂で降り、有名な那智大社までの道を登っていきます。
友人は那智大社までは何十回と来たことがあるけれどなんといつも車で、古道は歩いたことがないとのこと。
紀伊の山は登ったり、海辺には釣りに来たことはあるけれどなんと熊野古道は歩いていないので私が車を断ったため
友人にとっては発見の旅になりました。
 
 
 
 
 
シュウカイドウ

 
鳥居を越えたところで掃除をしていたおじさんと少し話をしました。
この鏡石の他にも上の方にもう一つあるけれど、看板を立てることができない場所で
そこから遠くに那智の滝が見えると言われましたが、みつけられませんでした。
あとから思うと椅子が置いてあった場所で少し休憩していた時に後から来たシニアの
カップルが木々の間に何か遠くを見ていたので、あれだったのねと残念に思いました。
二人でチェックしながら行ったのに。世界遺産に登録されるとその地域は守られるけど
看板一つ立てられないことがあるのだと思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
熊野那智大社まで500段となっていたけれどどこからかしら・・ 大門坂はずっと続いていたので休憩しながら
ゆっくり登りました。
 
多富気王子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
那智山の土産物屋のおばあさんの顔がまるでお寺にある木彫のようで驚き。晴れて良かったねと
声をかけてくれました。おばあさん自体が神話の国から来た人のように見えました。
 
 
もう終わりかと思ったら、まだまだ階段が続きます。
 
 
やっと那智大社につきました。
 
 
 
 
江戸時代に建て替えられたものと言われていますが、朱塗りがまるで新しいもののように感じられました。
 
 
青岸渡寺は古いままです。
 
 
 
 
 
 
 
 
青岸渡寺
山号は那智山。本尊は如意輪観音菩薩。西国三十三所第1番札所。
文化財: 本堂、宝篋印塔、那智山経塚出土品8点...
正式名: 那智山 青岸渡寺
 
 
ここから那智の滝に向かいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
瀧の方まで、最初は自動車道、少し行くと細い脇道に入り石を重ねた急な階段を
気をつけながら降りて行きました。

 
 
 
 
 
那智の滝が奉ってある場所です。
階段を降りて行って間近に見ると、白い霧のようになって砕けてながら落ちていく
水が輝くような白でその美しさに感動しました。もっと山の中で神秘的なところに
あるのではないかと想像していましたが、やっぱり神々しく存在していました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
水が落ちて行くのを目で追っているといつまでもいれそうな感じがしましたが、バスの時間に合わせて
移動しなければなりません。友人は私が御朱印をもらっている間に、虹を見たと話していました。
光が当たるところをよく見ていると虹が発生していることがあると。私もそのあとじっと見ていましたが
残念ながら見ることはできませんでした。

 
瀧の近くに絵馬が掛けてあった所には、小学生低学年の平仮名とカタカナで
ウクライナとロシアの戦争が早く終わるようにと願い、自分の願いをそのあとに続けて
書きそれには✖をつけて消していたのがありかわいかったです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここからバスで那智駅に向かいます。
 
三本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」は熊野のシンボル、神の使いとされている。 日本サッカー協会の
シンボルマークにもなっているこのカラス、ルーツは古代中国にあり、朝鮮半島を経て日本にやってきたらしい。
どうしてシンボルマークになっているのか尋ねたら、足が3本あると蹴りやすいんじゃないなんて返事が返って
きました(笑)
 
 
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神々が棲む森へ -1 ・・・ into the sacred wood the gods dwell -1

2022-10-06 23:59:09 | wonderland

神秘的な空気に包まれた熊野から戻ってきました。
70代で初めてのバックパックでホステルの旅。途中で計画も修正したりいろいろな案を
出しあったけれど、結局は当初の私がたてた案を実行、クリアできました。
コースも最初は緩やかな道からだんだん山道になって、最後の大日越えはハードでした。
宿泊も最初はドミトリータイプ、2段ベットの上で、翌日はゲストハウス、最終日は民宿と
だんだんグレードアップ。

今回の山歩き、お天気に恵まれたことがラッキーでした。急な山道を越えて最後のポイントに
着いたときは行程を無事クリアしたことに感動しました。私を見守ってくれた友人にも感謝です。
達成感につつまれて幸せな気分でした。

いつか熊野古道を歩きたいと思っていたけれど、こんなに早く行くチャンスが巡ってくるとは
思いませんでした。

行程:
10月1日 那智勝浦 濱口祐自Live                        勝浦泊
10月2日 大門坂 → 熊野那智大社 → 青岸渡寺 → 那智大滝(2.5km) 熊野本宮大社 本宮大社泊
10月3日    熊野古道ウォーキング  発信門王子 → 本宮大社(7km)         湯の峰温泉泊
10月4日 大日越え (3.4km)  紀伊田辺より帰路

昨日はパンパンになった足とまだフワフワした気分でボーっとしていた一日でした。
歩いた距離:
10/1 7.9km 11,574歩  10/2 11.8km 16,719歩  10/3 13.9km 19,840歩  10/4 10.1km 14,742歩

 

10月1日   7:33   東京駅発 ひかり633
                9:14   名古屋着
              10:01  名古屋発  JR特急南紀3号紀伊勝浦行
              13:58  紀伊勝浦着
                           勝浦の海辺で

             16:00  熊野カフェ   濱口祐自Live  (駅から徒歩15分)

                宿泊    Why Kumano

 

ほとんど使っていない大人の休日倶楽部で行くと交通費が3割引きになることを思い出し「ひかり」で
行くことに計画を変更して、少し早めに家を出ました。前日作っていたハッシュドコンビーフポテトを
パンにはさんで持って行き、新幹線でポットに詰めた紅茶で軽い朝食。

 


旅に出ると列車の窓から畑を見るのが好きです。日本の風景・・ 稲穂を見るとなぜかほっとします。

名古屋からくる友人に少し早く来てもらって、1両しかない自由席に並んでもらうことにしていましたが
結局私もひかりにしたので余裕をもってつくことができました。JRの案内が不親切でホームがわからず
行ったり来たり・・ 南紀行きの特急は1日に4本しかないとのことでしたが、表示がなく焦りました。
ホームも南紀行きの列車は3両なのでどこが自由席なのかわかりにくく、駅員さんに聞いて戻っていたら
友人も来ていて、余裕で自由席に乗れました。乗る人も少なくここから4時間という特急の旅です。

今回はリュックも30Lにして、いつもより重く、重たいカメラは朝持って行くのをやめることにしました。
八方で使ったステッキや雨具も準備。安全第一を考えました。カメラはあきらめたと友人に話したら
持ってあげたのにと言われましたが、写すたびに出してもらうのも厄介なので今回はやむを得ない選択でした。
日帰りハイキングくらいでしたら、持って行けましたが。友人は磁石や懐中電灯も2つ、手袋も持っていて、
最終日の下りのきついところでは荷物を降ろして腰かけて降りたところや石を掴んだりしたので、手袋は
助かりました。今度から山に行くときは準備すべきと思いました。

私も行動食をいろいろ準備して詰めて、友人には名古屋名物のお弁当を昼食のためにお願いしていました。
友人も遠足の前みたいで前日は音楽を聴きながら大きな声で歌っていたら声が枯れたと話していて
笑ってしまいました。

名古屋名物の味噌カツに鰻。食べきれないので、半分をお昼ごはんにして、残りをホステルで
ひつまぶしのお茶漬けにして夕食にしました。ホステルでは自由に食器も使えるので便利でした。

 

反対側の席が海が見える景色でしたが、こちらからも充分見ることができました。

 

勝浦についたら、まず港まで行ってみました。

 

 

グレイっぽい色のクラゲのようなものが浮いていて、小さな小魚がいっぱいいました。

 

海岸線が入り組んでいるので、ぐるぐる回って突端にある熊野カフェを目指しました。
途中で軌道修正をしながら歩いて・・・

ライブ会場のカフェのテラスが見えました。

準備中だったので、埼玉から来たという女性と少し話として、荷物を置いて海辺に出てみることに
しました。

穏やかな海で、気持ちのいい風も吹いていました。
少し休憩してぼーっとしていました。時おり小さな船が戻ってきていました。

 

 

 

 

 

リハが始まっていました。

 

 

 

本番が始まり、ワン・ドリンクは生ビールをいただいていい気分。
暑かったのでぴったりでした。

 

波の音がして、海風の吹く中でブルースはぴったりでした。
途中、イソヒヨドリかなにか海鳥も頑張って鳴いていました。

 

 

夜がだんだん深くなり、飛び入りのセッションも最後にありました。

ギターを始めたきっかけとなった「禁じられた遊び」は弾くたびに違って、濱口バージョン
美しいです。今回は「黒いオルフェ」も心にしみました。残念ながらサティが聞けなくて
終わって挨拶するときにサティ聞きたかったのにと言ったら、忘れたと言っていました。レパートリーが
たくさんあって漏れてしまったのですね。濱口さんと握手をしてお礼を言いました。

ドリンクと引き換えのチケットは記念にもらっておきました。
後からフェイス・ブックで知りましたが、なんと濱口さんの手書きチケットなんですって!

 

暗い道を歩き、途中から海沿いに出たりしてホステルに向かいました。空には星が満天ではありませんでしたが
たくさん輝いていました。
いい音楽を聴いてご機嫌な帰り道です。

途中に結構大きな神社がありました。 勝浦八幡神社という普通の名前でした。

 

駅前のホステルにチェックイン。それからお湯を沸かして、お昼のお弁当の残りをひつまぶし茶漬けにして
お椀でいただきました。お漬物や出汁巻き卵も残っていたので、おいしい夕食となりました。

あとはシャワーでスッキリして、二段ベットの上に登って寝ました。
カプセルホテルも泊まったことがないけれど、結構眠ることができました。

 

2話題沸騰中! 那智勝浦のリアル・ブルースマン濱口祐自Yuji Hamaguchi、PV第2弾UP!!

 

014.11.15.勝浦八幡神社奉納演奏 c06

 

2014.11.15.勝浦八幡神社奉納演奏 c14

 

濱口さんはなんと玉置神社でも奉納演奏をしていました。なかなか行きにくい秘境のような場所です。

 

*写真はすべてスマホで写したものですが、だいぶ前にスマホを落としてしまって、レンズの所の固いカバーが少し
 かけてしまいました。そのせいか光が変に入ってしまうこともあります。

 

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