Reflections

時のかけらたち

ピアノ診断 ・・・ piano diagnosis

2024-12-22 23:25:46 | a day in the life

12月20日

小学校から高校まで一緒だったピアノの調律士のKさんに調律をお願いしたのですが、
まずどの程度か見てからということで、忙しい中、家に来て診断してもらいました。

でも何よりも久しぶりに会うことができてそのことがとても嬉しくて。I君のエレキ・ギターコンサート以来かしら?
あの時は夜遅くて話をすることもできなかった。

家に来て、とにかく、まずピアノを見たいということで、状態を見てもらうことにしました。
ピアノの鍵盤の上のフェルトに丸く割ときれいに穴が開いていて、私は虫が食ったと思っているのですが、あまりにも
きれいだから何かで切れたんじゃないかと言われましたが、ふたを開けてピアノの内部を見たら、近くに虫の死骸が一匹だけ。
やっぱり虫だったのかな? ピアノの中にはカルテみたいに記録が残っていて、いつ調律したかが書かれています。そのピアノの
番号など制作日にかかわるものも。やっぱり十数年(二十年近く)調律してなかったみたい。ヤマハのこの時代のピアノはいいと
言われました。ピアノの内部を見たら、コードが交差して張られていて、改めてすごい楽器だと思いました。フエルトも金属を抑える
ところには全部はまっていましたが、内部のフェルトに損傷はありませんでした。とてもきれいだということです。音もそれほど
くるっていなくて、鍵盤の奥のフェルトを張り替えて、調律すれば二日くらいですむとのことでした。中に虫が入って被害が大きくなくて
良かったです。ほっとしました。ここの修理が入ると何十万もかかってしまいます。ピアノの中に乾燥・防虫剤を入れて今日の所は
とりあえず閉めて、弾いても大丈夫よと言われました。来月調律と一部の張替えに来てもらえることになりました。ピアノの内部を
見るとピアノっていう楽器のすごさを感じることができました。北村朋幹がフォルテピアノの音に魅せられているのもわかるような
気がします。古楽器の音色はまた格別のもの。

そのあとはお茶を飲んで、ピアノや人生や宗教について話したりしていました。彼女の想像を絶する苦しみを簡単に理解することは
できませんが、そんな中で清らかにまっすぐに生きている彼女は素晴らしいと思いました。今ピアノとの新しい出会いもとても面白いと
話していました。ハミルトンというメーカーがあるのも知りませんでした。

彼女との高校時代の話の中で聖書研究同好会の先輩のすてきな女性のことを思い出しました。一緒に教会にも連れて行ってくれた方です。
大学を卒業してから出版社に就職して、辞書の編纂をしていたみたいでした。その時の部長がたまたま入学式の時にすてきだと思った人で
私の高校から大学にかけて忘れられない人でした。ボブ・ディランや学生運動やいろいろ影響を受けました。人数が少ないクラブで
もう一人いた1歳上の学年の男の子から「星の王子様」を教えてもらい、初めて知りました。その後英語のクラスでも1冊買って読みましたが。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆彡


夕方カーブスに行って、買い物に行って帰ってきたら、アメリカのペンパルからクリスマス・カードが届いていました。

ディスプレイの真ん中に置きました。

立体的なカードで、バースディ・カードも同じようで素敵だったことを思い出しました。

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆彡


夕食に納豆好きの娘のために、面白い料理を作ってみました。
納豆クリームドリア。レシピは小学校の時の同級生のOさんのお嬢さんが出している、マクオビオティックな料理本からです。

前日に絹ごし豆腐とひきわり納豆を混ぜて準備しておきます。翌日ドライトマトのペーストを作って、それに混ぜて
炒めた玉ねぎとバジルで和えたご飯の上にかけて融けるチーズをのせオーブンで焼くだけです。納豆料理が少し苦手な私にも
とてもおいしくいただくことができました。

 

 

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スコットホールでの小さな贅沢なクリスマスコンサート ・・・ Concerto di Natale at Scott Hall

2024-12-21 23:59:19 | music

12月18日



今年も素敵なクリスマスコンサートが近くのスコット・ホールで開催されるので、歩いて出かけて行きました。
冬らしい季節になって夜は寒くなり、風が少しあって急ぎ足で歩いて・・・

早稲田奉仕園は音楽が好きだった亡き友人が日本語教育のヴォランティアをやっていて、私も一時やりたいと思い
コースを受けようと思っていたのですが、コロナで遠のいた場所でした。ヴォリーズの建築も魅力的です。

 



子供たちも一緒に輪唱の猫の二重唱もとても楽しかったです。ジュニアコーラスの
まだ小学生低学年くらいの顔が真ん丸でふっくらした男の子がまっすぐな声で歌っていて
かわいかったです。昨年も出ていた少女も透き通った声を聴かせてくれました。

ベルカントの先生たちのシューマンの二重奏曲、初めて聴けて良かったです。

ヴォカリーズはキャスリーン・バトルで聴きすぎました。声ってそれぞれ違うことを
あらためて思いました。

ゴメスのアヴェ・マリアも誰かで聴いたことがある曲でした。美しく清らかなこの曲はギタリストのウィリアム・ゴメスが
亡くなる直前に作曲した曲。2000年に61歳で亡くなられていました。名前だけは聞いたことがある人です。

Ave Maria (William Gomez) - Elina Garanca

「死の都」はすべてが夢だったという不思議なオペラとの説明があり、アリアが美しくて
魅かれるオペラです。

キリ・テ・カナワ コルンゴルト 「死の都」 から マリエッタの歌 『わたしに残された幸せ』


撮影禁止だったので終わった時に会場を撮りました。


帰りはさらに寒くなっていましたが、楽しくまた心洗われるクリスマス・コンサート。
こんな曲が聴けるなんて、ぜいたくすぎますが、来る人が少ないので残念です。
まるでファミリーコンサート。でも2階には外国の方が見えていました。

 

Dec. 18 2024  Waseda

 

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玉三郎の美の世界へ ・・・ into the world of Tamasaburo's beauty 

2024-12-19 23:59:32 | art

12月17日

10月以来今年4回目の歌舞伎座でした。昨年12月にも天守物語を見ましたが、役がスィッチして、こちらが本来あるべき姿でした。
一つ一つの舞台がとっても大事です。
「舞鶴雪月花」との組み合わせもファンタジーがあり、よかったです。






 

第三部

萩原雪夫 作

一、舞鶴雪月花(ぶかくせつげっか)

上の巻 さくら
中の巻 松虫
下の巻 雪達磨






桜の精/松虫/雪達磨
松虫
    勘九郎
    長三郎

かわいい松虫の写真がないのですが、勘九郎見事に季節を演じていました。
雪が融けちゃうのがかわいかったです。見事なパントマイムでした。

 

泉 鏡花 作

坂東玉三郎 演出

今井豊茂 演出

二、天守物語(てんしゅものがたり)
  富姫
姫川図書之助
亀姫
小田原修理
侍女撫子

朱の盤坊
舌長姥
近江之丞桃六
    玉三郎
    
    七之助
    
    歌女之丞
    
    男女蔵
    門之助
    童へ



市川團子は香川照之の子供で祖父の二世市川猿翁も演じたことのある役に挑戦。
まだ二十歳ということで世代を超えての共演で多く学ぶことでしょう。
若いけれど一生懸命勉強しているという感じで新鮮でした。



PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA DECEMBER 14, 2024
The New York Times Style Magazine

玉三郎は舞台に登場するだけで輝き、オーラがあります。なんて美しいんでしょう。

前回も玉三郎の演出でしたが、また少し違っていました。不思議な泉鏡花の世界に連れて行ってくれました。

愚かな人間の世界で何があっても花は咲くという下界を見ての最後のメッセージがいつも心に響きます。

 

いつもお世話になっているK子さんのトータル・コーディネイトが決まっています。
赤の帯締めいいですね。



夢のある帯で、すてきですね。

 

 


米沢紬(筬園工房)に歌舞伎座うらの圓蔵さんの段ボールセールでセットの中に入っていた帯。初めて締めたものです。
この着物結構帯が難しくて、いつもクリーム色系に合わせていたものです。

なかなかうまく着れなくていつも時間ギリギリになって出かけています。

とても魅力的な歌舞伎の世界に浸った一時でした。

 

Dec. 17   2024        Ginza

*********************************************

この日にやっと借りていた本をお返しすることができました。
和田秀樹の70代からどう生きるか関連の本2冊です。
「大往生」の中からの言葉のメモ

入力でなく出力が大事
幸せな老後のためのヒントは「人」
幸せな老後は人生で出会った「人」で決まる。数ではなく。

お金より思い出

物忘れではなく、「出力障害」

 

フランソワーズ・アルディーを聴きながら書いています。
若い頃もたくさん聴いて、あの頃の思いを思い出しました。音楽は不思議と聞いていた時代の感覚を
思い出します。再会した若い時からの友人にもその昔アルディーを録音してあげたことがあったっけ。
20代の頃の私はヨーロッパに旅行したことで世界が広がりました。

Françoise Hardy - Let It Be Me

 

Let it be me

I bless the day I found you
I want to stay around you
And so I beg you, let it be me
 
Don't take this heaven from one
If you must cling to someone
Now and forever, let it be me
 
Each time we meet, love
I find complete love
Without your sweet love
Honey, what would life be?
 
So never leave me lonely
Tell me you love me only
And that you'll always let it be me
 
Each time we meet love
I find complete love
Without your sweet, sweet love
Honey, what would life be
 
So never leave me lonely
Tell me you love me only
And that you'll always let it be me
 
 
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ピアノに向かう ・・・ piano for the first time in 50 years

2024-12-18 23:55:04 | a day in the life

12月16日

私の小学校の時からの親友の1人で彼女のお母さまが私にピアノの先生だった旧姓Oさんにやっと会うことができました。
前回会ったのが何年前だったのか二人とも思い出せないくらい昔です。最後はオペラシティで食事した時だと思うけど・・
彼女のお宅やお母さまのお宅にも遊びに行ったことがあるけれど、それはもっと前。会おうと思った時、彼女は北海道で
スキーの骨折で重傷で、北海道に何カ月も取り残され、2回も手術したとか。その後も会えるかと思ったら、コロナの時代に
なって・・・10年振りどころではなく15,6年ぶりかもしれないけど、やっと再会できました。

私が織をやるきっかけを作ってくれたもの彼女のお母さん。とてもかかわりの深い友達です。ずっと肝臓を悪くしていたのですが
薬が開発されてそちらの方は完治したとのこと。

午後は用事があるので朝はどんなに早くてもいいということで9時半に金沢文庫に着くように出かけました。
運転免許を返納してしまったとのことで何とタクシーで駅まで迎えに来てくれていました。彼女のお宅はお父さんが外国航路の
船長さんをしていて定年後東京湾の水先案内をしていたので海が見えるところに引っ越しました。彼女も結婚してから
同じマンションに越してきていました。

ベランダからの素晴らしい眺めです。とてもいい天気で暖かい日でした。サンタ・ルチアやオー・ソレ・ミオ
でも歌いたくなるような広がりです。



彼女に会うのはピアノをまた始めたいからでした。社会人になりたての頃、すでに結婚していた彼女の家に
ピアノを習いに少しだけ行っていました。シューマンの「トロイメライ」が弾きたくて、指の取り方とか
習って、あとはレコードを聴いてあれこれ騒いでいました。

その延長ではないですが、今回50年ぶりにピアノが弾きたくなったので、相談に行って、習いたいと思ったので
とにかくお会いしたいと思っていました。それがなくてもずっと会いたかった友人でした。

しばらくお茶をして話していたのですが、ピアノの部屋に移動して、彼女はブラームスの曲を連弾しようと
言うのですが、とにかくピアノに50年も触れていなくて、娘が全く弾かなくなった開かずのピアノは状態がすごく悪そうです。
防音室でもなく、消音ペダルだけで練習してました。

きっかけは山歩きの友人からメンデルスゾーンのエレジーをいい曲だよと教えてもらったことからです。自分で弾けたらと
思いました。最初はやさしい曲からでないととにかくお茶の稽古よりももっとブランクがあって、全く弾けるかどうかわからない
状態でした。北村朋幹がアンコールで弾いたシューマンの子供のための曲がとてもよくてまずそれからと、彼女が用意して
くれたいたユーゲントアルバムから「小さな練習曲」を教わりながら1回おさらいしました。楽譜を読むのも50年ぶり?
歌は楽譜を見ても譜読みで歌ってはいませんでした。

後はこんな曲が好きというと彼女がシューベルトのソナタや即興曲のさわりを弾いてくれたり、最近行ったキーシンの
コンサートの話やヴァイオリンだったらレオニダス・カヴァコスがいいと話していました。私もカヴァコスは実際には聴いて
いないけどYouTubeでブラームスを聴いていいと思っていいたギリシア人のヴァイオリニスト。音楽の話も話せる人が少ないので
お互いにとても楽しかったです。彼女は中学校の音楽教師をしていたことがあったので、ご主人も先生でしたが、クラシックが
大好きな人で趣味がすごく合うとのことでした。彼女のお気に入りのテノールは元はホルン奏者のクラウス・フロリアン・
フォークトでローエングリンとか見たとか。ワグナーはなかなかヘビーで昔録画してもまだ全部通してみたオペラがありません。

近くの海鮮のお店でランチを取りました。彼女は最近味を感じなくなってしまって、歯の具合がわるいせいか、薬のせいか
舌の洗浄のせいかわからないとのこと。味があまりわからないのはつまらないと言っていました。人生の楽しさ半減します。
でも性格はもともと底抜けに明るいと思うので、心身ともに元気になってほしいです。

帰りは前にはなかったモノレールで八景島まで行って、京浜急行で帰りました。


最初、彼女は八景島シーパラダイスにでも案内しようかと思って下見に行ったら、ジェットコースターに一人しか
乗っていなくて、寂しくなっちゃうのでやめたと言っていました。

前は野島というそうで、私は駅名を野鳥公園と勘違いして、「うゎー野鳥がいるの?」とはしゃいでしまいました。


楽しい時間を過ごして、八景島から東京に戻りました。


帰りに都庁にある全国の観光パンフレットコーナーで、土曜日にベルカントのレッスンの後で行った銀座の大分の
アンテナショップで置いてなかった観光案内をもらって帰りました。とても充実していて、帰ってから
竹田や臼杵のパンフレットを見ていたら、楽しくてワクワクしてしまいました。奄美に行った帰りに九州も行って
みようかとの話になり、黒川温泉まで行ってその先のルートが決まっていなくて、最初国東半島はどうかとの
提案があったけど私も昔はとても行きたい場所でしたが、秘境過ぎて、今回はパスして九州横断して臼杵を
最終地にしました。彼がとらふぐなんていいねと言っていたので締めは臼杵の石仏ととらふぐで。
急に九州に目覚めてしまいました。


 

家に帰ってからも、Oさんと次回の曲でやり取りがあって、私が好きな無言歌集の中の曲を何曲か言うと
私にはまだ難しそうです。楽譜が真っ黒よと言われてしまいました。しばらくシューマンの子供向けから
やってみたらいいかしらね。

再会できただけでもうれしかったけれど、とにかく1曲、ピアノに触って弾けたことが嬉しかったですね。
彼女はピアノをなんとスタンウェイのグランドピアノに変えて、音がすごくいいのです。

来年がピアノ元年となりますように。あとは家のピアノ診断を待つばかりです。

前日図書館から借りてきた「老後とピアノ」。まさに私ですね。著者も40年ぶりのピアノらしいです。
花緑さんが「花緑ごのみ」で紹介してくれた元朝日新聞の論説委員や編集委員をされていた稲垣えみ子さんという方の
音楽雑誌に連載されていたエッセイがまとめて出版された本のようです。

 

Dec. 16   2024    Kanazawabunko

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秋の陽ざしの中の図書館通い ・・・ going to library in the light and warmth of the autumn sun

2024-12-15 22:47:19 | seasons

12月13日

やっと図書館から借りたイスラーム文化の本を返すことができました。
入門書なのでイスラム教の内容まではわかりませんでしたが、同じ宗教でありながら中で対立しながら
お互いに絡み合って社会が成立していることがわかりました。なかなか難しくて・・・


12月14日

ベルカントのレッスンの日。
なかなか発声練習が難しくて。息を自然に吸うけど、しっかり吸うこと。
音が下がっていく方が難しくて、のどの奥の空間に響かせて、決して下がる音ではなく。
後は母音の発音。先生は発音がすべてだと。日本語の発音ではなく。
何年やっても難しい。

歌は今度の体験レッスンの時に歌うことになっている『私のお父様』と『オーソレミオ』。『忘れな草』は1回さらってみただけ。
先生から教えてもらったギターの伴奏のオーソレミオがすごく心地よくて癖になりそう。今まではIL VOLO で聴いていて、それは
もちろん一番好きなのですが、この新感覚のオーソレミオには驚き。まるでシャンソンのようだと思いました。

 'O Sole Mio


レッスンの後はいつもの大学のカフェでパンのランチ。

サラダが嬉しいセットです。

サークルの今後のことなど話ながらのランチです。




この後は銀座の熊本と大分のアンテナショップに行って、帰りに品川のエキュートで蜂の家のまゆもなかを
友だちの家に持って行くために買って帰りました。


12月15日

図書館にやっと本を返却できたので、次の予約をしてそろったとの連絡が入ったので図書館まで取りに行きました。
今度は区の図書館のシステム更新のため2週間休館になるので期間が長くなりほっとします。ヨシタケシンスケの本や
「老後とピアノ」、フランソワーズ・アルディのCD3つ、モーツァルト、ボロディン等を借りました。









今日、ピアノ調律師の友人との2回目のコンタクトでやっと診断してもらえる日が決まりました。

そして明日は小学校からの友人にピアノのことで会いに行くことになっています。
彼女と会うのは10年ぶりくらいかと思ったけどもっとその倍くらい時間が経っていたのかもうわからなくなってきて
しまっています。コロナでも会えなくなったけど、その前に彼女北海道で骨折して大変だった時期もあり、
何十年ぶりにか再会した後、続けて会おうと思っていたのにずっと会えなくなっていました。

来年からピアノ生活をはじめることができるでしょうか?

 

今朝の日曜美術館で「熊野 聖なる謎~神の像・神の宝~」をやっていると友人から連絡をもらって、NHKプラスで見ました。
熊野速玉大社がその奥にすごい量の宝物を持っていたなんて知りませんでした。熊野の正倉院と呼ばれているとのこと。
神の像の迫力はTVで見てもすごかったので実際に観たらさぞすごかったろうと思いました。
数回訪れた熊野を懐かしく思い出し、あのアミニズムに近い神への古代からの思い、今も生きている人間と神のつながりを
感じました。また行きたくなってしまう力がそこにはあります。

今度は奄美に引き寄せられた私たちの計画は帰りに九州横断で熊本から杖立、黒川温泉に行って、阿蘇を通り、竹田、臼杵
までとやっと最後が決まりました。湯布院、国東半島といろいろ案が出たのですが、もうそんなに行ったら、帰れなくなって
しまいます。臼杵の石仏ととらふぐで締めです。旅行はあれこれ考えている時も楽しいです。

 

 

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難しかった「瞳をとじて」と軽やかな「お早う」・・・ difficult "Close your Eyes" and light "Good Morning"

2024-12-14 23:57:01 | movie

素朴な疑問。今頃なんですが、国会中継を見て思うこと。国会の審議って政権担当者に対する
質疑だけだったのですね。意見を出し合って決めて行くのが民主主義だと思ったけど。今は危うくなってきているけど
自民党独裁政治だった。そして国会の外で他の党との合意を得たりして・・?! 他の民主国家でもこんなものなのだろうか?
目の覚めるような議論はないのだろうか? 
大きな問題の時、国民はデモなどの行動で意思を表すことしかできない。


***********************************************

成瀬監督の「浮雲の次」に観た映画。

若いころ大好きだったエリセ監督が何十年ぶりに映画を撮っていたことを知り、11月に小津の映画と一緒に借りて見ました。
小津監督の「お早う」は中井貴一が父親佐田啓二が出た小津の作品で一番好きなのはこの映画と語っていて、最近、中井貴一
っていい役者だなあと思っていました。その父親の映画を見たくなり・・・
映画の内容は全然知らなくて借りたのですが、絶妙な組み合わせでした。

エリセもキアロスタミ監督も小津のファンであり、小津そのものより小津崇拝者の映画がいいなーと思っていた私です。

 

瞳をとじて

『瞳をとじて』
監督・脚本:ビクトル・エリセ
撮影 バレンティン・アルバレス
美術 クルル・ガラバル
出演:マノロ・ソロ、ホセ・コロナド、アナ・トレント
原題:Cerrar los ojos/英題:Close your Eyes
2023年製作/169分/スペイン

 

 

『瞳をとじて』本予告_2月9日(金)全国順次公開

 

ビクトル・エリセは若い頃の私の映画の全盛期、ヴィスコンティの後、イタリアのオルミ監督、ロシアのミハルコフ、タルコフスキー
ギリシアのアンドロケプス等夢中になって見た映画の中でも印象の強く残った「ミツバチのささやき」を作り「エル・スール」
まで見たけれどそれ以降のマルメロの・・は見ていなかった。今年エリセ監督が31年ぶりに長編映画を撮ったと知り、TSUTAYA DISCUS
で借りて見ました(新聞をやめてしまったのでこういう情報が入りません)。月でのサブスクなので月末が来てすぐ返さなくては
いけなかったので、何回も見ることができなかったけれどこの映画は1回ではわかりにくい映画だったかと思います。

始まってからも謎めいて、これはいったい何なのかと思っていたら映画の中の映画だった。
ミツバチのささやきのあの少女アナが50年ぶりにエリセ監督の映画に登場して、映画の中にそれぞれの歴史が入り組んでいくように
複雑な気持ちになって行く映画でした。時代の流れがしっかり組み込まれていて・・ 映画自体の歴史も・・・
この間、それぞれの苦しみを背負って生きてきた人々・・ それが最後にマックスがこだわる映画フィルムによる映画館での
スクリーンでの映像にフリオの心の奥に光がともったと感じたのは私だけではないと思います。記憶の奥底から何かひらめいた感じの
フリオ役の演技が素晴らしかった。

老いをどう生きるか・・恐れも希望も抱かぬこと。
みつからなかった本当の居場所を持つこと。
失ったものを取り戻すには記憶はとても大切なもの。
医者にはできない方法で失ったものを取り戻す手助けができる。心を揺り動かし、魂を呼び覚ます ・・・映像?


参考)

ビクトル・エリセの映画愛がつまった驚くべき傑作 ”瞳をとじて"が語りかけるもの
名匠エリセ 31年ぶりの新作に映画を再発見する幸せ 『瞳をとじて』
ビクトル・エリセの31年ぶりの長編映画『瞳をとじて』に仕掛けられたものとは
『瞳をとじて』 スペインの巨匠ビクトル・エリセが紡ぐ31年ぶりの長編!記憶をめぐるヒューマン・ミステリー
『瞳をとじて』 ビクトル・エリセ 
スペインの巨匠ビクトル・エリセ監督が31年ぶりの新作『瞳をとじて』に注ぐ魂の言葉とは

 

 

お早う

『お早よう』松竹製作ニュース

 

ヴェンダース、「お早よう」を語る | Wenders talks about "Good Morning"

 

お早う

上映時間:94分 / 製作:1959年(日本) / 配給:松竹=松竹大船

スタッフ

監督:小津安二郎

キャスト

福井平一郎:佐田啓二
有田節子:久我美子
林敬太郎:笠智衆
民子:三宅邦子
原口きく江:杉村春子
福井加代子:沢村貞子
浦辺粂子

 




スタッフ

監督:小津安二郎

キャスト

福井平一郎:佐田啓二
有田節子:久我美子
林敬太郎:笠智衆
民子:三宅邦子
原口きく江:杉村春子
福井加代子:沢村貞子
浦辺粂子

実は小津の作品、昔『東京物語』と他に一つくらいしか、しかもTVで流されていたのを見たことしかない。
今回の作品は小津の作品では珍しい喜劇で家族の問題にも深く入って行かない軽やかな作品であるということでした。
たわいのない日常・・ 戦後少したって平和が戻ってきたそんな時代の中の一コマ。映画のストーリーよりも何も
昭和中ごろの日本が敗戦から復興し始めてきたころの世の中の暮らし方がとても面白かった。まさしく私の小学校の
時代とぴったり合ってきます。テレビの導入・・ ある家にみんなで見に行っていたり‥ 洗濯機や冷蔵庫の家電も
普及し始めたころ・・映画では出ていたかどうか覚えていないけれど電話もまだなかなかつく時代ではなく、今とは
全く別の世界。日本の直線的な家もとても美しいと思いました。今は日本的な家を探そうと思っても、世の中、ほとんど
暮らし方が違って来ている。

思わず笑ってしまう、なかなか軽いいい映画でした。
でもその中に、あの時代でさえ、無駄も必要とか世の中便利になりすぎることの危惧を感じているのには驚きます。
そして大切なことは伝え合うこと・・

 

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12月の日々の流れ ・・・ flowing days of December

2024-12-12 23:57:12 | a day in the life

12月12日

国会中継、今まであまり聞いたことがないけど、今日本がどうなっているのか知るのにいいかと思い
まじめには聴いていないのですが、流しています。かみ合わない部分はあるとしてもまじめな応答は続いているかと
思いました。昨日の健康保険のこととか、今日本で何が起こっているかよくわかります。宇宙開発費のこととか・・
予算案はこれからの日本、今の日本に何が必要なのかわかりやすい議論です。今までの国会中継と言えば
やじだらけか寝ている人とか・・見る気もしませんでしたが、石破さんは結構正直な人かもしれません。
古い体質の政治、早く改革してほしいですよね。

立件民主党の早稲田ゆき議員の日本語分かりやすかったです。

いま日本で何が起こっているのかわかるのが国会中継だったのですね。いま迄のは聞くに堪えなかったけれど、何か
身近な感じでした。これが国家なのかと思ってしまうほど村みたいだけど・・

 

12月10日

ボビンレースのレッスン。

反対側の襟はここまで家でやって、最後の右からと左からの糸を流して、糸を捨てながら
ドッキングしての終わらせ方は難しすぎて、教室で先生に教えていただくことにしていました。

 

最後の方は先生にお任せ状態で終了。
角から流れが45度を境に変わるところが注意点でした。
後の糸の収束はまだまだ難しすぎて、課題です。

どんなセーターに付けようかワクワクします。

 

12月11日

富士山が真っ白。

画像修正で手前の建物を少しぼかして消しました。

表千家茶の湯の稽古日

和服はあきらめて洋服で出かけました。




なんだか頭もクリアでなく、ぼーっとしていて、ほんとうのお茶は難しい。
炉のお稽古に入って2回目。糸巻棚でした。

軸が「無事」この言葉に感動してしまうほど異常な世の中。

お箸の持ち方もおかしい私は茶杓やひしゃく、茶筅、お茶碗の持ち方がすごく難しい。指が出てしまって
美しくなく、無意識になると出る癖を直さなくてはいけません。

美味しいお茶を点てることが一番の目的ですが、見た目美しくも大切です。私は全体的にスローテンポ
なので、早くできるところはさっとすることも課題。

総飾りにするために茶巾を絞るところがまた難しくて。水屋でちゃんと準備ができていないのですよね。
後からメモを取ろうと思ってもなかなかできません。これは回数を重ねないとだめですね。
それでも正座できることだけでも奇跡的。膝を悪くして整形外科に通っていた時は信じられないことです。
再びお茶ができるようになるなんて。畳に座らない生活になった私達。昔の人は膝が丈夫だったのね。

名古屋の友人はお抹茶を飲むのは日常のような環境で育ったので、昔は縁側で点てて飲んだりしていたと
話していて、私がお茶を再び習うと言ったら、大変だねみたいな感じでしたが、私は非日常のお茶も好きなのです。
あの空間の中での日常を離れた時間を超えた中での静けさとか・・・

 

3時近くにお茶が終わったのでおなかがペコペコ。
久しぶりに薬膳のZENのおかゆを食べて帰りました。

 

12月12日

一日家にいてCurvesだけだったので、掃除や買い物など・・
やっとクリスマス準備に追いつきました。今年は早い方です。ずっと前は12月に入ったらすぐ飾っていたことも
会ったのですが、最近はと煮の流れについていけません。

今年は聖歌隊の人形を玄関から変更。
素晴らしいサンタさんの額が増えました。とても細かい刺繍です。
お花の友人の作品です。敷いてあるハーダンガーのクロスも。大変な作業です。
若いころこの半分のサイズのハーダンガー刺繍をしましたが、これだけの物を作ることは
すごい労力がいります。

クリスマスっぽくなりました。


 

玄関はサンタさんと父からもらったツリー。
なぜか両親からは何回もツリーをもらっています。義理の姉や、この前亡くなった親友からも。

 

いつもの妹が作ってくれたフェルトのツリー。

で今年の飾りが勢ぞろいです。

いつもクリスマスにチキンを頼むスペインバルで買い物ついでのランチ。
カレイと季節野菜のフリット。カリフラワーや長芋もあったみたい。
これにサラダ、スープ、デザートまでつきます。お客さんが心配して値上げをすれば
と話していますが、来年あたりしそうです。世の中の物価は1.5倍くらいになっています。
2倍くらいになっているものさえあり、クリスマスチキンも考えてしまいますが、我が家では
何日も楽しめるのでコスパはいいと娘は言っているしね。

 

夕食に国会中継の前のNHKの朝の番組で紹介された、じゃがいもをすりおろしてとろみを出す鮭のクリームシチューを
作ってみました。OKです。溶けるチーズをお皿に敷き、粒マスタードで味をつけるのがシンプルでいいです。ブイヨンも
生クリームも使用しません。バターとベーコンも味出しになるかな。コショウも粒マスタードが入るので不使用。

 

ボロディンの弦楽四重奏曲1番も聴いてみることにしました。そういえばノクターンだけで第2番もちゃんと聴いていなかったのです。
これから聴いてみることにしましょう。まだBGMみたいに流しているだけなので、これからちゃんと聴いて行こうかと思っています。

アレクサンドル・ボロディン:弦楽四重奏曲第1番 イ長調

 

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日曜の散歩は東京大神宮~神楽坂 ・・・ walking on a sunny autumn Sunday

2024-12-11 23:59:42 | a day in the life

12月8日

秋の陽ざしの中、近場の散歩と言うことで、東京大神宮のあたりをお散歩することに。
なぜか、結婚願望がない娘なのに行ってみようと・・・

有名な神社なのに行ったことがなくて、この前九段下からバスに乗って家に帰る途中、道案内が出ていて
こんなところだったのかと認識。

伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建された神社で最初は日比谷にあり、関東大震災で飯田橋に移転。
東京なんて名前がつく胡散臭い神社かと思ったら、明治天皇に裁断を仰ぎ東京でお伊勢参りができる神宮として建てられた
神宮なのですね。結婚式専用神社のようですが・・ 縁結びの神様として若い人たちがたくさんお参りしていました。









 

 










 

 

小さいけれど手入れが行き届いた神宮。

 

飯田橋~東京大神宮~飯田橋~神楽坂と歩きました。


飯田橋サクラテラスの台湾朝食専門店のランチを食べに再び駅方面に戻りました。

wanna manna 台灣早餐〜台湾朝食の新習慣〜



豆乳や豆乳スープが新しい味でおいしかったです。
豆乳スープの中に出来立ての豆腐のように、少し固まったおぼろ豆腐のようなものが入っていて珍しかったです。
やさしい味でした。台湾のクレープもおいしかったです。珍しいおにぎりのようなもののセットはすでに売り切れでした。



 

 

 

再びハウザーを聴きながら・・
ツアーもずいぶんしていますね。
来年東京に来ないかな?

HAUSER - Classic Gala Concert LIVE at the Royal Albert Hall - FULL Concert

最後のショパンの「別れの曲」、ハウザーのチェロでは初めてです。
しっとりしていてとてもいいです。

HAUSER plays Morricone

ヨーヨーマのチェロで眠る時によく聴いたモリコーネの曲。
夫も大好きなアルバムでした。


音楽を聴いていると、自分の人生あっという間にここまで来てしまったとしみじみ思います。
今の自分の年が信じられません。

12月8日 夕方の富士

 

12月11日の朝の富士
白く輝いていてきれいでした。思わず望遠レンズで撮りました。

 

Dec.8 2024  Iidabashi → Kagurazaka

 

 

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老いをみつめて + ボロディンのノクターン ・・・ Looking at myself growing old  + Borodin

2024-12-10 23:39:13 | music

12月9日

今の私って学生時代の生活に少し似ているかな?
日々は勉強していないけど、時々イタリア語、歌、そしてお茶、工芸・・ 本はなかなか読み進められなくて。あとは週3くらいの
軽いジムと。

今朝NHKの朝番組で「老いの始まり」と言うのをやっていたけれど、40代から感じ始めるらしい。
私は38歳で結婚、43歳でのまさかの高年齢出産。そしてフルタイムでの仕事がずっと続いたので、そういうことを感じる暇が
なかったように思う。難病の夫との暮らしで日々が戦いだった。

定年後も地元で何か社会参加をしたいと思ってこども園でパートで仕事を続けたけれど70歳を前に辞めて
自由の身に。私には何か働いていないといけないような感覚があったけれど、やめてからやりたいことができることに
ほんとうに喜びを感じました。仕事をしているということはパートでも休みにくく、拘束力が強かったけれど
経済的にもあるだけでやって行けばいいと思うようになりました。ゼロで死ぬでも・・ 

でもここに来ての物価高と老いを感じることのダブルパンチで老いを生きるのは大変だと思うようになりました。
スロースターターだったのでだいぶ後ろにずれた感じがしましたが、いっきにやって来ますね。surviveするのは大変だ。


 

通っているジムとその周辺

 

NHKの名曲アルバムで流れた大好きな曲。久しぶりにハウザーで聴いてみました。
どこか懐かしくもせつない思いを感じるこの曲が人の心を引き付けてやまないわけがわかりました。

HAUSER - Nocturne (Borodin)

 

愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く 

1859年、26歳の若い熱心な化学者ボロディンは、恩師ジーニンの推薦により、医科大学からの公費留学生として、ドイツに
留学します。留学先は、「アルト・ハイデルベルク」で有名なハイデルベルク大学。化学実験室でおなじみのブンゼンバーナー
を作り、炎の色のスペクトル分析を行い、新元素ルビジウムやセシウムを発見したブンゼンや、ブンゼンの共同研究者だった
物理学者キルヒホッフらが教鞭をとり、同期の留学生には周期律を発見し周期表を作ったメンデレーエフがいる、という環境で
研究に没頭します。そして2年が経過した1861年の5月、イタリアからもどったボロディンは、たまたま結核の療養のために
ハイデルベルクに滞在していたロシア人の女性ピアニスト、エカテリーナ・プロトポポーヴァの、サナトリウムにおける演奏会
に出席します。プログラムの第1曲目は、まだ没後5年目のR.シューマンの「アルバムブレッター」だった(*)といいます。

演奏会の後、シューマンの音楽について彼女に問いかけ、二人は急速に親密になっていきます。ボロディンの研究室での仕事が
終わる夕刻に落ち合い、ネッカー河を散歩しながら、化学に明け暮れていたボロディンの生活の中に、再び音楽の灯火が灯った
ことでしょう。二人で出かけたマンハイムやバーデンバーデンへの旅行の後に、ボロディンは結局は未完に終わる「ピアノ三重奏曲」
に着手し、二人は婚約します。

ところが、エカテリーナの病状が急に悪化し、イタリアに転地療養を余儀なくされるのですが、ボロディンもまた同地の化学者の
研究室で働きながら、一歳年上のエカテリーナに付き添います。1年後の1862年、エカテリーナは回復し、結婚の準備のために
モスクワの母親の元に帰り、ボロディンもペテルブルクに戻ります。それから20年の年が過ぎた1881年、ボロディンは、愛を告白
した20周年の記念に、愛妻に「弦楽四重奏曲第2番」を贈る(*2)のです。 

                                            blog 電網郊外散歩道より

 

シューマン :アルバムの綴り Op.124
Schumann, Robert:Albumblätter Op.124

がエカテリーナとボロディンを近づけたのですね。

 

ボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻した。転じて、サンクトペテルブルク大学の医学部に入る。
最優秀で卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張した。この頃、ムソルグスキー
知り合い[2]シューマンの曲を紹介され、興味を持つ。ピサ大学では臭化ナトリウムを用いた有機窒素の定量法を発見した。
26歳の時、ハイデルベルク大学(化学)入学。元素理論を確立したメンデレーエフと知り合う。卒業後はサンクトペテルブルク大学
医学部生化学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究家として多大な業績を残した。

                                                   ウィペキデアより

クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~ ボロディン:弦楽四重奏曲第2番 ニ長調

ボロディンの弦楽四重奏曲なんて聴いたことがないよと言う人でも、この第3楽章の「夜想曲」だけはどこかで耳にしたことがある
はずです。それほどに、これは魅力的で詩情豊かなメロディです。

それもそのはずで、この作品はボロディンが妻に愛を告白した20周年の日を記念して作曲し、その妻に贈った作品なのです。
ボロディンの妻はエカテリーナ・プロトポポーヴァというピアニストで、ボロディンが化学者としてドイツのハイデルベルク大学に
留学したときに知り合いました。知り合ったきっかけは、彼がたまたま訪れたサナトリウムでの演奏会でエカテリーナがピアノを
演奏していたからでした。

そして、二人はその時に彼女が演奏したシューマンについて話し合ううちに親しくなり、それがボロディンの中に再び音楽に向かう
気持ちを蘇らせたのです。
やがて二人は婚約をするのですが、エカテリーナは体調を崩ししてイタリアへの転地療養を余儀なくされます。ボロディンもまた、
イタリアの研究所に移り、そこで働きながら彼女の介護を献身的に行います。そして、一年ほどで体調を回復したエカテリーナは
結婚の準備のためにロシアに帰り、二人はペテルスブルグでめでたく結婚することになるのです。

それ故に、この弦楽四重奏曲はボロディンとエカテリーナの親密で幸福な生活を想像させるような音楽になっています。
それは、時には二人の語らいを思わたり、大学教授として忙しく働くボロディンを思わせたりするのですが、なんといっても聞き所は
第3楽章の「夜想曲」でしょう。深い感情に彩られたこの静かな夜の歌は、二人の幸せな結婚生活そのものです。

人格破綻者の群れと言っても言い過ぎでないほどのクラシック音楽の作曲家の中で、ボロディンは稀に見るほどの人格者でした。
その様なボロディンが行ったもう一つの大きな業績が、彼が務める医科大学に女子課程を始めて作ったことでした。
21世紀の日本でも、平気で女性に対して差別的な扱いをすることが横行していることを考えれば、19世紀のロシアで女性が医学大学で
学ぶ機会と場を作りあげる為には、とんでもない苦労があったはずです。

つまりは、何が言いたいのかというと、ボロディンという人は必ずしも音楽だけの人ではなかったと言うことです。そして、それ故の
物足りなさも彼の作品にはあるのですが、それ故の魅力もまたあるのです。
この愛する妻に捧げた弦楽四重奏曲は、それ故の魅力が発揮された作品だと言っていいのでしょう。

 

 

グルジア貴族の血をひきながら非嫡出子として生まれたボロディンは農奴の子供として登録されたけれど、音楽やその他優れた
教育を受け、医学、有機化学の道に進み多大な業績を残したという。特に女性の人権に対しての業績(医大に女子過程を作る)
は素晴らしいかと思いました。

NHKの名曲アルバムで聴いて、初めてこの心惹かれていた曲「ノクターン」の曲の成り立ちとボロディンが音楽家としては
日曜音楽家であったことを知り、彼の人間性にもひかれました。このノクターンを完成後数年後に多忙なボロディンは53歳で
突然死で亡くなり、ずっとボロディンが支えてきた病弱な妻は4ヶ月後に後を追うように亡くなったとのことでした。
この曲が人々の胸を打つのはボロディンの妻への愛情にあふれているからだったのですね。

 

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ピアノ活動再開計画とMartin Fröst, Mozart Clarinet Concerto ・・・planning to resume piano lesson

2024-12-09 21:14:43 | music

今年のリフォームはまず必要な水回りの更新のためでしたが、二次的には自分のやりたいことをやりやすくするための
配置換えもあり、和服を着やすく、ピアノを弾きやすく、はた織りもできるようにとしたのですが、長い夏の猛暑のため
すっかり止まってしまっていました。

今年も終わろうとしたときに、やっとピアノの調律をしている中学校のクラスメイトに連絡をして、私のピアノの先生の
子供で小学校の時の親友にもやっと再度連絡しました。彼女には社会人になってから、中学の時やめたピアノを弾きたくなり
教えてもらいに少しだけ遊びに行ったことがありました。

問題はピアノです。娘が弾かなくなってもう18年くらい開かずのピアノとなっていて、少し前に見たら、鍵盤が下がって
上がらなくなっていたり、鍵盤の奥に貼ってあるフェルトか何かがボロボロしているみたいで・・かなり状態が悪いです。
調律できる状態かどうか一度見てからと言うことになりました。修理からだとかなり費用もかかりそうです。
ピアノにも虫がつくことがあると恐いことも聞きました。

弾きたい思いが強くなったのは、友人からメンデルスゾーンの無言歌のエレジーがいいと言われた時からだったと
思います。それまで漠然とまた人生の最後にはピアノを弾きたいと思い始めていました。

最近聴いた北村朋幹のフォルテピアノのコンサートでシューマンの子供のための曲やあまりひかれない曲が
アンコールで演奏されて、これも弾いてみたいと弾きたい曲も増えてきました。大人になってからシューマンの
トロイメライを小学校からの親友に習ったことがあり、やっぱりシューマンかと思いました。
メンデルスゾーンやシューマンのやさしい曲を弾いてみたい。ピアノが調律だけで済むことを願っています。

習いたいのは、メンデルスゾーンの無言歌からとシューマンのユーゲントアルバム、アルバムの綴りなどから・・

そういえばブーニンの八ヶ岳音楽堂での復帰コンサートはシューマンの色とりどりの小品 作品99でしたね。
「それでも私はピアノを弾く〜天才ピアニスト ブーニン 9年の空白を越えて〜」は録画して何回も見たけど、もう消してしまって。
若いころ弾いたシューマンが弾きたくなったと話していました。技巧の曲ではなくああいう優しい曲が弾きたくなったのね。

 

スタニスラフ・ブーニン ~再会~ より 「シューマン:色とりどりの小品」「ショパン:マズルカ」

 

Little Study (op.68, no.14) by R. Schumann

 

R.シューマン アルバム綴り op.124-8 果てなき苦しみ Albumblätter "Leid ohne Ende" Op.124-8 #schumann #romantic


R.シューマン アルバム綴り op.124-11 ロマンス Albumblätter "Romanze" Op.124-11 #schumann


實川風の「秘曲喫茶」第10回 / シューマンの秘曲『アルバムの綴り Op.124』から、《ワルツ イ短調 Op.124-4》、《終わりのない歌へ長調Op.124-8》

 

 

モーツァルトのクラリネット協奏曲

最近よく聞いていたのはファビオ・ルイージのシューマン交響曲集とモーツァルトのクラリネット協奏曲。

クラリネットは図書館から借りて聴いたマーティン・フロストのがすごくいい。家で父の残したCDの中から探してカラヤン
指揮、カール・ライスターの演奏を聴いたりもしたけどやはりMDにとったフロストのが素晴らしい。

このしみじみとした感じがいいと思っていたのですが、ネットを見ていたら、モーツァルトが亡くなる1か月前に自分自身への
レクイエムを作曲するように作ったのではという記事をみつけて、納得しました。彼岸の音楽。

 

Martin Fröst

 

Martin Fröst, Mozart Clarinet Concerto part 2

 

モーツァルト クラリネット協奏曲イ長調K622 名盤 ~彼岸の音楽~

モーツァルトが亡くなる一か月前に完成させた「クラリネット協奏曲イ長調K622」は、数々の名作が並ぶ彼の協奏曲の
中の最後の作品です。そして、この曲を最高傑作に上げる人も決して少なくは無いと思います。

この曲には良く言われるように、既に天国に旅立ってしまったかのような、現世から解脱した雰囲気が漂っています。
正に「彼岸の音楽」に他なりません。
若い頃の作品にも、天国的な曲は幾つも有りましたが、この曲の第2楽章は自分が黄泉の国へ旅立つことをはっきりと
予感して、”去りゆく自分自身のためのレクイエム”として書いたことは間違いないでしょう。まるで秋の青空のように
澄み渡った音楽は、そこに何とも深い哀しみをたたえています。モーツァルトが愛する家族や友人たち、それに音楽活動
に別れを告げねばならない、この世の無常さを感じていたからでしょう。

                                            ハルくんの音楽日記より

 

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