庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

土民生活2

2007-02-01 09:44:00 | 自然


 人間は、輪廻の道をたどって果てしない旅路を急いでいる。自ら落ち着くべき故郷もなく、休息すべき宿もなく、いたずらに我欲の姿にあこがれて、あえぎ疲れている。旅の恥はかき捨てといって、少しも省みるところなく、平気で道に外れた恥ずかしいことを行う。今の時代の全ての人は、ことごとく異郷の旅人である。自らの本来の土地、本来の生活、本来の職業、というような思想は、今の時代の人に求めても得られない。彼らの生活は全て異郷の旅に他ならない。全ての職業と地位とは腰鰍ッである。今の時代の生活は不安の海に漂(だだよ)う放浪生活に他ならない。放浪生活で本当の仕事ができるわけがない。教師も牧師も公務員も商人も百姓も大臣も、自らの故郷を知ることができないで、生涯、旅の恥をかき捨てている。旅の恥をかくために競い合っている。疲れはてて地に唐黷スとき、自分の影が消えると同時に人は幻滅の悲哀に打ちのめされるであろう。国家、社会が、幻滅の危機に遭遇した時、まさにその時に大変革が来るのである。


ユゴーの『レ・ミゼラブル』などの末メで、生涯自然と自由と孤独を愛した豊島与志雄は、 「自分の生を・・・一生を手段とすることほど惨めで浅ましいことはなく、人にとっては“生きること”が目的であって、名誉や金銭や名声や衣食住に関する余贅などは、生きるための方便であるべきである。そして、人を正しく生かすものは、自分の生を愛し慈む心であり、それを最も多く体得するのは、私たちが大自然に接する時である」というようなことを言っている。(大自然を謳う)

人類の今の文明が、生命進化の過程も含めると億年に渡って拠(よ)ってきた大自然に背を向けたものであるとすれば、人がその文明の中のみで生の歩みを急ぐとき、その目に映るのは当然、本来の故郷である自然の光明とは反対方向にある「影」であって「本体」ではあり得ないだろう。

幻影は容易に消滅するが、実体は自然宇宙の営みそのもであるから消滅しようがないのである。
コメント
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