何故か管理不能となった別のブログに寝かせていた「飛行理論の覚書き」の記事を、まとめてこちらの「飛行理論」のカテゴリに移動した。
基本的に、無線誘導なしの単独フライトが可能となった段階の教習生向けに、思い付いたまま「覚書き風」に書き連らねているもので、なんら体系的なものではない。
一般的な飛行理論や航空力学、更には航空気象、航法などについては、その道の専門書がいくらでもあって、屋上屋を架すような興味も能力も私にはないのだが、ただ、巷間出回っている理論書の大半は固定翼を前提にしたもので、その理論内容を空気の圧力そのもので翼形を成す“エアロフォイル(軟体翼)”の世界に応用する場合は少しの工夫を必要とする。
そして、あらゆる普遍的理論が生命を持つのは、一回限りの具体的体験においてであり、その体験一つ一つが集積されてある程度の分量を持つようになると、今度はその体験の側から理論を眺めるようになる。
そうすると、ときどき理論と経験がずれる場合が出てくる。それは大概、勉強不足か経験不足が原因なのだが、極めて稀にそうとも言い切れない場合がある。
理論と実践は車の両輪である・・・とはよく言われることであるが、生きた経験の側から自分のフライトスタイルにとってほんとうに必要な理論を再構築してみたい・・・というのが私の夢の一つである。
基本的に、無線誘導なしの単独フライトが可能となった段階の教習生向けに、思い付いたまま「覚書き風」に書き連らねているもので、なんら体系的なものではない。
一般的な飛行理論や航空力学、更には航空気象、航法などについては、その道の専門書がいくらでもあって、屋上屋を架すような興味も能力も私にはないのだが、ただ、巷間出回っている理論書の大半は固定翼を前提にしたもので、その理論内容を空気の圧力そのもので翼形を成す“エアロフォイル(軟体翼)”の世界に応用する場合は少しの工夫を必要とする。
そして、あらゆる普遍的理論が生命を持つのは、一回限りの具体的体験においてであり、その体験一つ一つが集積されてある程度の分量を持つようになると、今度はその体験の側から理論を眺めるようになる。
そうすると、ときどき理論と経験がずれる場合が出てくる。それは大概、勉強不足か経験不足が原因なのだが、極めて稀にそうとも言い切れない場合がある。
理論と実践は車の両輪である・・・とはよく言われることであるが、生きた経験の側から自分のフライトスタイルにとってほんとうに必要な理論を再構築してみたい・・・というのが私の夢の一つである。