庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

学問

2007-02-23 11:44:39 | 言葉
子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、

子の曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)からざる者を友とすることなかれ。過てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ
-論語・学而第一

先生がいわれた、「君子はおもおもしくなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。[まごころの徳である]忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友達にするな。あやまちがあればぐずぐずせずに改めよ。」

※現代語訳は論語の世界から引用させて頂きました。

論語が面白い。国語辞典では、“君子”は「すぐれた教養と高い徳をそなえた人格者」とあり、和英辞典では、"man of virture"(徳のある人物) とか、単に“gentleman"(紳士)というのもある。最も現代風に言えば「人格者」ということになろうか・・・。

はじめの部分はどうでもよい。これが「君子はおもしろくなければ威厳がない」となってれば拍手喝采するところだが・・・次の「学問をすれば頑固でなくなる」が面白い。普通、学問をすれば頭が固くなって柔軟な発想ができにくくなると思われることが多く、実際そういう例も多いのだが、それは中途半端な学問にすぎない。

さまざまな“ものの見方”を知れば、いやでも自らの見方もその一つにすぎないということが分かるのだから、頑固になりようがないのである。

そもそも、学問とは“問う”て“学ぶ”ことの連続の上に成り立つもので、生きた問いを発するには、ものに触れて驚くみずみずしい感受性と旺盛な好奇心が不可欠だ。その上に立ってはじめて主体的に学ぶ姿勢ができる。

ついでに、教育の字義は“教え”“育てる”ことであるが、教育が成立するために最も大切な条件は、その対象にこの基本姿勢があるということで、人間はこの世界に生まれ出たとたんに、新しい環境世界での出来事の数々に否応なく驚かされるのだから、どんな人間もその姿勢は生まれながらに持っているのだ。つまり、子供は生来、学問するようにできている。

ところが依然、管理教育、押し付け教育、減点教育などが盛んなこの国では、この無限に伸びようとする子供たちの学問の芽を、枯らし、踏みつぶし、切り取りとるという無残なことを平気でやっているのだ。

私は、安直に「教育は死んだ」「学校は死んだ」などと言うつもりはないが、多少なりとも教育に関わって生きている人間には、「子供の心を殺すなよ」とだけは言っておきたい。子供の心が死ねば、それが育って大人の心が死に、それが集まって人間社会の心が死ぬからである。