WEB上でメールアドレスを公開している限り、まあ仕方のないことではあるが、数年前からスパム(迷惑)メールの量が増えてきて、最近は毎日100通を越えるようになった。
去年までOE(OutlookExpress)の振分け機能で5割方、残りはひたすらデリートで対処してしてきたのだが、あんまり鬱陶しいのでこないだから「SpamFighter」というネット機能をフル活用したソフトを使ってみたらこれがとても良かった。ところが基本的に有料ソフトだけあって、試用期間が終わったら送信メールにこれまた鬱陶しい宣伝文が付くようになった。
それではと、フリーの「迷惑メール振分けソフト」を幾つかDLしてみたのだがどれも設定が面唐ナ使いものにならない。これはもう、メーラー自体を変えるしかないという結論に達した。
そこで、数日前から迷惑メール撃退機能が充実しているというベッキーを試し、最終的にサンダーバードに落ち着いた。これももちろんフリーのメーラーだが、OEの設定をそのまま簡単に引き継ぐことができる。動作が軽いし、学習能力があるというフィルター機能もすこぶる優れていて、すでに9割方自動的に削除してくれている。ありがたいことだ。これでつまらない作業に貴重な時間を使わないで済むようになるかもしれない。
ことほど左様に、文明の利器は常に便利と不便、明と暗が背中合わせになっている。人間が作り出したものはすべからくそうだと言えるだろう。小は手近な生活道具から大は社会国家の諸制度に至るまで、何らかの幸福を作り出すための道具が、同程度の不幸を作り出さずにはいない。
であるとするなら、もの作りを止めることができない宿命をもった人間が、自ら作り出したものの中で取るべき賢明な生き方は、幸不幸の狭間で幸の方向を見る眼を堅持するということではないだろうか。つまり「楽観主義」を採用することである。これを「幸福主義」と言っても差し支えない。どんな環境でも何があっても、心の持ち様を幸福の方向に向けることである。具体的には「・・・ありがたい・・・」と思うことである。
こんなことは、山ほどある人生論や処世術に書いてある単なる観念論ではないか・・・と思われるかもしれないが、実はそうではない。単なる観念は客観的現象を生まないが、心底からの感謝の一念は必ず何らかの具体的事実として現れ、手に触れることのできる形となって結果する。これがこの地球上に無数にある生命体の一つである人間という変な存在の面白いところだ。
去年までOE(OutlookExpress)の振分け機能で5割方、残りはひたすらデリートで対処してしてきたのだが、あんまり鬱陶しいのでこないだから「SpamFighter」というネット機能をフル活用したソフトを使ってみたらこれがとても良かった。ところが基本的に有料ソフトだけあって、試用期間が終わったら送信メールにこれまた鬱陶しい宣伝文が付くようになった。
それではと、フリーの「迷惑メール振分けソフト」を幾つかDLしてみたのだがどれも設定が面唐ナ使いものにならない。これはもう、メーラー自体を変えるしかないという結論に達した。
そこで、数日前から迷惑メール撃退機能が充実しているというベッキーを試し、最終的にサンダーバードに落ち着いた。これももちろんフリーのメーラーだが、OEの設定をそのまま簡単に引き継ぐことができる。動作が軽いし、学習能力があるというフィルター機能もすこぶる優れていて、すでに9割方自動的に削除してくれている。ありがたいことだ。これでつまらない作業に貴重な時間を使わないで済むようになるかもしれない。
ことほど左様に、文明の利器は常に便利と不便、明と暗が背中合わせになっている。人間が作り出したものはすべからくそうだと言えるだろう。小は手近な生活道具から大は社会国家の諸制度に至るまで、何らかの幸福を作り出すための道具が、同程度の不幸を作り出さずにはいない。
であるとするなら、もの作りを止めることができない宿命をもった人間が、自ら作り出したものの中で取るべき賢明な生き方は、幸不幸の狭間で幸の方向を見る眼を堅持するということではないだろうか。つまり「楽観主義」を採用することである。これを「幸福主義」と言っても差し支えない。どんな環境でも何があっても、心の持ち様を幸福の方向に向けることである。具体的には「・・・ありがたい・・・」と思うことである。
こんなことは、山ほどある人生論や処世術に書いてある単なる観念論ではないか・・・と思われるかもしれないが、実はそうではない。単なる観念は客観的現象を生まないが、心底からの感謝の一念は必ず何らかの具体的事実として現れ、手に触れることのできる形となって結果する。これがこの地球上に無数にある生命体の一つである人間という変な存在の面白いところだ。