庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

5℃

2007-02-03 08:55:41 | 自然
今朝の室温。今冬、最低気温を記録した。郵便受けの上に溜まった夜露が氷になっている。この南国では、ひと冬数回しかない珍しいことだ。

自宅の屋根がうっすら白くなっている。これも昼までには溶けて消えるだろう。



ベランダの時計草は折り返しの誘導線でピタッと成長を止め、葉を縮こませながら寒さに耐えているが、枯れることなく頑張っている。


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土民生活7・8

2007-02-03 08:34:00 | 自然


こうした自然の中に、井戸を掘って飲み、土地を耕して食べる。人間の生活はこれだけで充分である。それが人生の全てである。人間は大地と共に生きるより他に、何事をも成しえないものである。私たちは大地によってのみ天を知り、大地によってのみ智恵を得る。大地だけが私たちの教育者である。大地だけが真の件p家である。大地を耕すことは、すなわち大地の教育を受けることに他ならない。大地の養育を受けることに他ならない。そうして、大地を耕すことは、また、大地の件pに参加することである。そのように、大地を耕すことは、すなわち私たち自身を耕すことに他ならない。



社会の進歩とは、社会とその個人とが大地の恩恵を正しく享受するということでなくてはならない。ギリシャは地の利を得て繁栄した。そうしてギリシャ人がその地の利を乱用して、返って大地を離れ大地を忘れた時、退廃してしまった。強大なローマ帝国も、土の匂いを嫌う貴族や富豪の重量のために悼オたのである。より多くの大地をより良く耕すことは私たちの名誉であり幸福である。それと同時に、自ら耕さない地面を領有することは、不名誉な罪悪である。領土の大きさを誇る虚栄心は、すなわち多くを耕すという名誉の幻影にすぎない。

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