庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

千の風になって

2007-02-10 22:15:02 | 自然
ここのところ、しばしば良い番組に行き当たる。今夕はNHKの『千の風になって』という番組。この歌は昨年末の紅白歌合戦でも歌われたほど有名らしいのだが、私は何も知らなかった。

「千の風になって大空を吹きわたる」・・・良い歌詞だなぁ・・・風と縁の深い日々を過ごしている私には充分すぎるほど魅力的な歌だ。この歌にゆかりのある地をあちこち巡りながらレメ[トを進める女優もよろしい。最愛の父を亡くした彼女もこの歌に救われた一人なのだ。

中でも、ワシントン州ベリンガムにある先住民・ラミ族の居留地でのビルさんの『サーモン女』お話は、特に最後の部分、感動的だったので記録しておくことにする。


音声ファイル MP3 3mb

We have a story, stories told by the old people of the salmon woman.
And the salmon woman is feeling bad she was way out on the water, and she was crying...ah Whelmoch people, first nation's native American people, they didn't have any salmon any more.

So, people were starving, there was no food, so they had to go on a canoe they went way out there.
They found a salmon woman and she was crying, crying out there.
The man asked her. He said "How come you crying? Are you hungry like we are? You don't have any food?"
"No" She says "I'm OK but I don't have any place to go."
She says to him take off here his cap and dip it into the water. He did that and there was just a full of salmon, full of salmon in his canoe.
"They're some of my children. You take them"

So he invited her to come to live with them. So she went to live with them at the village up there .
One day, somebody said, " Ah, salmon again. That's all we ever eat around here salmon salmon...I'm just tired of salmon."
Salmon woman heard that...her feelings got hurt inside. So she says well it's time to go. And our people starved again.

At one time, the trees, birds, animals, fish...they were all human beings, and they were all people. That's the way our story goes. And the creator,the changer came and worked on our earth and he took human beings and he changed them into different things. They are relatives everything in life out there, at one time, even the mountains and the trees were people at one time.
We honor life, we honor death. We have to respect every thing, we have to respect every thing.

私たちには『サーモン女』という言い伝えがあります。
ある日、サーモン女は落ち込んで海の上で泣いていました。
我々の先祖(フェルモホの人々)は食料がなくて飢えていました。

そこでカヌーに乗って沖に出ると、泣いているサーモン女に会ったのです。
「どうして泣いているの?君もおなかが空いているのかい?」
女は言いました「いいえ、大丈夫。でも、私には居場所がないの」
女は男に水をすくうように言いました。

男が言われたとおりにするとカヌーは鮭でいっぱいになりました。
女は「これは私の子供たちよ、どうぞ持っていって」と言いました。
男は女に自分の家に来るように勧めました。
そうして女は村で暮らすようになったのです。

ある日誰かが言いました。
「またサケか」「サケかサケか・・・もう食べ飽きた」
彼女はそれを聞いてとても傷つきました。
彼女は村を去り、人々はまた飢えたのです。

かつて、木や、鳥も、動物や、魚もみんな人間だった。
そこに創造者が現れ、人を様々な生き物に変えていった。
だからすべては兄弟なのです。山も木も、人間だったのですから。
だから生命を敬い、死を敬います。
すべてのものに敬意を払うのです・・・すべてのものに敬意を・・・

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アインシュタイン

2007-02-10 13:48:13 | 言葉
Our task must be to free ourselves by widening our circle of compassion to embrace all living creatures and the whole of nature and its beauty.
Albert Einstein

私たちの為すべきことは、全ての生きものや大自然やその美しさの全てを抱擁する慈愛の和を広げることによって、自分自身を自由にすることである。
<Aルバート・アインシュタイン 
(March 14, 1879 April 18, 1955)



私もストレートパイプでタバコを吸うが、これは紙巻タバコを何回も止めたあげく(つまりその度に挫折し)、最後の半年禁煙の後で同じ紙巻にもどるのがあんまり癪だったのでパイプに変えただけのことで、パイプスモーカーだったアインシュタインやマーク・トゥエインの影響ではない。

しかし、このお二人の残した言葉の中に、殊に味わい深く感じるものが多いように思うのは、似たような“有用な無駄”を少しは共有しているからかもしれない・・・などと、パイプの煙でぼんやり瞑想しながら、なんも意味がない推理をしたりする。

A hundred times every day I remind myself that my inner and outer life depend on the labors of other men, living and dead, and that I must exert myself in order to give in the same measure as I have received and am still receiving.

「私の内面的外面的な生活が、その生死を問わず他の人々の労苦に拠っているということ、そして私がこれまでに受け取り、現在も受け取りつつあるものと同じだけのものを与えるために自分の生命を使わなければならない、ということ私は毎日百回は思い出す。」

・・・“毎日百回”、これはすごい。彼はそれだけ“感謝”を忘れない人だったということだろう。

A person who never made a mistake never tried anything new.

「一つも間違いを犯さなかった人間は、何も新しいことを試みなかったということだ。」

・・・前向きに生きるために避けることのできない失敗をどう評価するかで、その人の成長とことの成否が決まると言える。

A table, a chair, a bowl of fruit and a violin; what else does a man need to be happy?

「テーブル、イス、ボール一杯の果物、そしてバイオリン・・・人が幸せになるために他に何が必要だろう?」

・・・たまたまそういう時期年齢に当たったのかも知れないが、自転車に乗り始めて、人が幸せになるには余り多くのものを必要としない、ということが分かり始めたような気がしている。

All religions, arts and sciences are branches of the same tree.

「すべての宗教、件p、科学は同じ一本の樹の枝である。」

・・・“真・善・美”を連想する。この世界のあらゆる現象も、それらと向き合う人間やその他の生きものたちも、“すべてが全体として一つ”である、ということを分析的に説明することは容易ではないが、直感的には疑いようがないこの世界の実相のように思える。

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.

「常識とは18歳までに習得した偏見の集積である。」

・・・偏見とは“偏(かたよ)った見方”のことをいう。人間は一度に全ての方向からものごとを見ることはできないのだから、自分の“ものの見方”が常に或る程度の“偏見”を含んでいるということを自覚しておくことは、大きな間違いを犯さないための必要条件かもしれない。

Confusion of goals and perfection of means seems, in my opinion, to characterize our age.

「私の意見では、目的の混乱と手段の完全が我々の時代を特徴づけている。」

・・・鋭い。科学技術など、手段の世界は否応なくどこまでも進歩発展しようとする。しかし、一体どこに向かって進もうとしているのか。目的を自覚できない個人の多くが退廃への道をたどるように、目的を失った文明は荒廃せざるを得ないのではないか。
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