この3年余り愛用してきたレッツノートが今日遂にハードクラッシュを起こした。昨年末に調子がおかしくなり、この正月に思い切ってOSの再インストールをして復旧したのだが、やはりハード自体にかなり深手を負っていたらしい。旅行の時もキャンプの時もどこに行くにも携行して随分手荒い使い方をしてきたから、そろそろ音を上げるのもまあ仕方あるまい。ヘビーユースのディスクの寿命は3年~5年ということだ。
しかし、このノートほど親密に付き合ったPCはない。私の感性や用法に実にしっくりとフィットしていた。いつも傍において触っているだけで何かやる気が出てくる・・・という単なる道具を超えた伴侶みたいなところがあった。こないだのブログに、私にとって自転車は近現代文明が生んだ三大傑作の一つだ・・・と書いたが、実はパソコンもその一つなのだ。(後の一つは幾つか候補があってまだ決まっていない)早速、ハードディスクの換装をするついでに40GBの容量を少しUPしてやろうと考えている。
バックアップは外付けハードにマメにとってあるから特に困ることはない。昨年の頭からフライトシミュレーターとテレビ録画用に使っていたデスクトップがものを言うことになった。実は性能的にはこちらのほうが数段上で、CPUやメモリは2倍、ハードの容量など6倍以上ある。
ところで、人生のリセットやバックアップもこんな風に気楽にできれば、人はもっと楽しく生きていけるだろうにな・・・と思ったりする。
どんな人間も等しく稀な幸運でこの世界に生まれ出てくる。その後、生まれ持った個性や生活環境の違いなどによって、人それぞれの人生模様を描いて行くわけだが、一つ一つの喜びや悲しみや成功や挫折が、消しがたい痕跡となって“人生”というハードディスクに刻まれていく。
ただ、パソコンと人間が決定的に異なるのは、人間は事実を“評価することができる”ということだ。変えようのない事実としての過去の傷や痕跡も、自分が変わればその評価、つまりその意味が変わる。これは実質的には過去が変わるに等しいだろう。自分が大きく変われば過去も大きく変わる、決定的に変われば決定的に変わる。
だから、どんなに消しがたく癒しがたいような悲痛な過去を抱えていたとしても、人間は決して希望を失う必要はないし、失ってはいけない・・・と思うのだ。
しかし、このノートほど親密に付き合ったPCはない。私の感性や用法に実にしっくりとフィットしていた。いつも傍において触っているだけで何かやる気が出てくる・・・という単なる道具を超えた伴侶みたいなところがあった。こないだのブログに、私にとって自転車は近現代文明が生んだ三大傑作の一つだ・・・と書いたが、実はパソコンもその一つなのだ。(後の一つは幾つか候補があってまだ決まっていない)早速、ハードディスクの換装をするついでに40GBの容量を少しUPしてやろうと考えている。
バックアップは外付けハードにマメにとってあるから特に困ることはない。昨年の頭からフライトシミュレーターとテレビ録画用に使っていたデスクトップがものを言うことになった。実は性能的にはこちらのほうが数段上で、CPUやメモリは2倍、ハードの容量など6倍以上ある。
ところで、人生のリセットやバックアップもこんな風に気楽にできれば、人はもっと楽しく生きていけるだろうにな・・・と思ったりする。
どんな人間も等しく稀な幸運でこの世界に生まれ出てくる。その後、生まれ持った個性や生活環境の違いなどによって、人それぞれの人生模様を描いて行くわけだが、一つ一つの喜びや悲しみや成功や挫折が、消しがたい痕跡となって“人生”というハードディスクに刻まれていく。
ただ、パソコンと人間が決定的に異なるのは、人間は事実を“評価することができる”ということだ。変えようのない事実としての過去の傷や痕跡も、自分が変わればその評価、つまりその意味が変わる。これは実質的には過去が変わるに等しいだろう。自分が大きく変われば過去も大きく変わる、決定的に変われば決定的に変わる。
だから、どんなに消しがたく癒しがたいような悲痛な過去を抱えていたとしても、人間は決して希望を失う必要はないし、失ってはいけない・・・と思うのだ。