庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

退院

2007-02-21 21:13:00 | その他
10日ほど前にハートクラッシュを起こして入院していたレッツノートが本日無事退院した。これがあれだけの情報を出し入れしていた40GBのノート用ハードディスクだ。



発送してからわずか6日で完了。今回お世話になった修理屋さんSUSは、実に誠実でスムーズな対応をしてくれた。良い機会だからと2割ほど回転の速い60GBにアップグレード換装したのだが、これで3万円ちょっとの費用だから、メーカー送りの何分の1かの出費で済んだことになる。

ただ、ちょっと困っているのは、入院中替わりに使っていた、ノートの2倍以上の能力を持つデスクトップがもうすっかり体に馴染んで、冷却ファンが少々うるさいことを除いては、ビデオ類はもちろん、あらゆるソフトの処理がきわめて軽快・快適になっているということ。

これまでのようにFSと録画の用途に役割分担させれば良いだけのことではあるが、モニターやキーボードやマウスをいちいち切り替えなくて済む利便性も、ちょっと捨てがたいものがあるのだ。これも有難き現代文明が次々生み出す贅沢と不便の感覚の一つであろう。

・・・と、ちょっと調べてみたら、モニター切り替えだけではなくて、全部いっぺんにしかも簡単なキーボード操作でできる「パソコン切替器」なるものが複数のメーカーからちゃんと出てるではないか・・・やはり同じような悩みを抱えている人が大勢いるということだ。

PC関係でもう一つの今日のニュースは、何年も使っているYahooBB・ADSL12Mのネット回線をNTTのフレッツ光に遂に変えることにしたということ。これについては経過も含めてまた書く予定。
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論語

2007-02-21 12:25:56 | 言葉
子曰、君子和而不同、小人同而不和、

子の曰わく、君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。
- 論語 巻第七 子路第十三

先生が言われた、「君子は調和するが雷同しない。小人は雷同するが調和はしない。」

子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎

子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。
巻第一 学而第一

先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。(そのたびに理解が深まって向上していくのだから。)だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね。(同じ道について語り合えるから。)人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね(凡人にはできないことだから。)」

※現代語訳は論語の世界から引用させて頂きました。



「和を持って貴しとなす・・・」は聖徳太子の憲法17条の最初に出てくる一句だが、その後に「忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」、つまり「反抗するな」と続く。何に反抗するな、か・・・言うまでもなく当時の朝廷権力だ。

彼が、論語の「君子は和して同ぜず」から、その「和」の概念を抽出しようとしたかどうかはともかく、人の和が本当に貴くなるには、孔子の言う「同ぜず」の精神が不可欠であることには、知ってか知らずか、彼は触れていない。

論語は儒家の聖典として日本でも長い間読まれ、堅牢な封建体制の思想的バックボーンになったことは周知の事実で、現在も多くの経営者や指導者の伴侶になっている。

私はずっと、論語は封建時代の遺物・・・程度の理解でいたが、しかし、心を白紙にして読んでみると、これがなかなか大した哲学書ではないか。「君子は調和する」しかし「雷同しない」・・・こんな言葉は、よほど独立した個人としての自覚がないと出てこないだろう。

また、学而第一の「学びて・・・」の最後の段、「人知らずして慍(うら)みず」などは、一段、二段を受けることによって、より屹立した一人の人間としての強さと余裕を感じさせる。

やはり、古典は虚心になってじっくり読み込むべきものである。身長190cmに近い大男の人生の大半が“無冠の一学者”に過ぎなかったということも忘れるべきではないだろう。
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