庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

田中正造

2007-02-17 00:27:44 | 言葉
 今日の質問は、亡国に至っている、我が日本が亡国に至っている、政府があると思うと違うのである、国があると思うと違うのである、国家があると思うと違うのである、これが政府に分からなければすなわち亡国に至った。これを知らずにいる人、己の愚かさを知ればすなわち愚かにあらず、己の愚かであることを知らなければこれが真の愚かさである。国民を殺すことは国家を殺すということであり、法を蔑如することは国家を蔑序することであり、人が自ら国家を殺すのである。財用を乱して、国民を殺して、法を乱して滅びないというものは、私はいまだかつて聞いたことがないのでございます。
 自分で知っていてなされるのではなかろうと思う。知っていてすれば、これは悪人という暴虐無道である。その本人その人間が暴虐無道である。政府というものは集まった集合体の上で知らず知らず悪いほうへ陥って行く。これは政府が悪い。この政府という集合体の上で悪いのであるか。これを知っているのであるか。本人が承知しているのであるか。承知していて直すことができないのであるか。これが質問の要点であります。国家が乱れるからといって、にわかに乱れるものではない、段々歴史のあるものである。
- 田中正造




先日、この春の地方選挙に出ようという方と少しじっくりお話しする時間を持った。立憲主義の本質、地方自治の本氏E・・など幾つか、耳慣れない方にはちょっと小難しいテーマを私の方から振る形になったのだが、話の中で、敬愛する政治家として、明治の田中正造、昭和の石橋湛山の名前を挙げさせてもらった。

今日2月17日は、その田中正造が衆議院において、あの「亡國に至るを知らざれば・・・」の大演説をぶった日だ。これに対する総理・山縣有朋の回答が「質問の趣獅ェ不明であるから答弁しない」というものだった。

この演説の明治33年から50年を待たずして、日本という国家は悲惨と苦悩の極限とでも言うべきものを国民全体にもたらしたあげく、まさに“亡国に至る”のである。

この日本が世界に誇るべき大政治家については、またいつか別に書きたいと考えている。