庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

リンドバーグ

2007-02-04 23:57:11 | 大空
Man must feel the earth to know himself and recognize his values... God made life simple. It is man who complicates it.
- Charles Lindbergh

我々は自分自身を知るために大地を感じ取り、その(自分自身の)価値を認識しなければなければならない。神は生命を分かりやすいものとして創った。それを複雑にしているのは人間である。
- チャールズ・リンドバーグ




今日はC・リンドバーグの誕生日だ。航空という現代文明の先端を走り続けてきた彼は、やがてその文明の鋭い批判者になり、飛行機と鳥のどちらを選ぶ?と聞かれたら鳥を選ぶ、と答えるほどのナチュラリストになる。

1974年の夏に72歳で亡くなった彼の簡素な墓はオアフ島にあり、緑と海に囲まれたその地は鳥たちの楽園でもある。

土民生活9・10・11

2007-02-04 09:02:00 | 自然


私たちが大地に着き、大地を耕すのは、これ天地の輪廻に即しているからである。工業も、貿易も、政治も、教育も、大地を耕すために、大地を耕す者のために行われるべきはずのものである。私たちの理想の社会は、耕地事業を中心として、一切の産業、一切の政治、教育が施され、組織されなければならない。換言すれば、土民生活を立てることにある。もし土民生活者の眼をもって今日の社会を見れば、いかに多くの有害無益な設備と組織とが大偉観を呈(てい)して存在するかが、分かるであろう。そして、そのためにいかに多くの人間が有害無益な生活を営むかがわかるであろう。そして、そのためにいかに多くの有為な青年壮年が幻影を追って生活するかが分かるであろう。いまや、世界を挙げて全人類は生活の改善を叫んでいる。しかし、その多くは幻影を追ってバベルの塔をよじ登るに過ぎない。幻想を追って騒いでいるに過ぎない。幻滅の夕べ、彼らが疲れ果てて地上に唐黷驍ニき、大地は静かに自らを回転しつつ太陽の周囲を廻っている。そして謙遜な土民の鍬(くわ)と鎌(かま)とを借りて、大地は彼らに平和と衣食住を提供するであろう。



そうである、大地の運行、ローテーション(自転)とレボリューション(公転)、これが自然の大いなる舞曲である。音律ある詩そのものである。音楽そのものである。俗耳の聞くことのできない音楽、俗眼の観ることのできない舞、俗情の了解できない詩である。梢(こずえ)の上にさえずる小鳥の声も、渓谷を下る清流の流れも、山林に吹く松風の音も、浜辺に寄せる波のささやきも、すなわちこれ大地のオーケストラの演奏の一部にすぎない。大地は偉大なる件p家である。
 私たちは大地の子、土民であることを光栄とする。私たちは日本の歴史を通じて、「土民起こる」の言葉を用いる。むしろ旗、窒竄閧ヘ、すなわち土民のシンボルである。そのが「土民起こる」時、そのむしろ旗、窒竄閧フひらめく時、社会の改革はすなわち大地のレボリューションと共鳴する。幻影の上に建てられたバベルの塔はその高さがある程度に達したとき、大地の回転運動のために振り落とされるのである。その幻滅のレボリューションはすなわち大地のドラマである。

十一

 大地のローテーションは私たちに昼夜を与え、大地のレボリューションは私たちに春夏秋冬を与える。この昼夜と春夏秋冬とによって、大地は私たちに産業を与える。大地の産業は同時にまた大地の件pである。件pと産業とは大地においては一つである。大地の子、土民は、幻影を追うことをやめて、大地に着き大地の真実に生きることを願う。大地の子、土民は、大地の件pに共鳴し協働して、穢(けが)れない美的生活を享楽することを願う。土民生活は真である、善である、美である。

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以上、『土民生活』の寛太郎的現代風口語訳

底本:「石川三四郎著作集第二巻」青土社
   1977(昭和52)年11月25日発行
初出:「社会主義」
   1920(大正9)年12月号