碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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晩夏にサザンを聴きながら

2008年08月27日 | 舞台・音楽・アート
クルマで走りながらラジオを聴いていたら、あちこちの局でサザンが流れる。そうか、ラストライブが終わったんだっけ、と思いあたった。

サザンオールスターズが、あの「勝手にシンドバッド」でデビューしたのが1978年。つまり30年前だと聞くと、はやり驚く。

正直言って、最初に彼らをテレビで見たときは、てっきりコミックバンドの一発屋だと思った。すみません。

いいことも悪いこともあったこの国の30年は、そりゃ「ろくでもない社会」と言う人もいるだろうが、いつもサザンの曲が流れる中で暮らせたことはラッキーだったかも、と思う。

サザンはいくつもの面を持つ、多面体のようなバンドだ。サザンの曲には、ロックも、ポップスも、バラードもある。ずいぶん幅広い。しかも、どのジャンルでも、あるレベル以上。だから、聴く人が、自分史の中で、そのときどきの自分の状態や好みや波長に合ったものを楽しむことができたのだ。

以前、『ジョン・レノンを聴け!』『ディランを聴け!!』といったタイトルで、「全曲批評」というトンデモナイ本を書いてきた中山康樹さんが、昨年2月に『クワタを聴け!』を出した。

新書なのに厚さ2センチ。普通の新書の2倍から2.5倍はある。少なくとも昨年2月までのものに関しては、サザン、クワタバンド、ソロ、そしてシングルのB面まで、とにかく桑田佳祐の楽曲のすべて、1曲1曲について批評しているのだ。これはすごい。

桑田の魅力について、中山さんはこんなふうに書いている。

   「50年代に生を受け、
    アメリカ化していくニッポンで育ち、
    さらに音楽的には
    イギリスがそのアメリカもニッポンも飲み込み・・・
    といった時代的音楽的混沌と融合が凝縮されている」

確かに、サザン・桑田の曲には、不思議な懐かしさがある。それは、和と洋、過去と現在、さまざまな音楽が桑田の中でギュッと圧縮され、壮大なビッグバンを起こしたようなものかもしれない。

ラジオで、パーソナリティーが「好きなサザンの曲をリクエストしてください」みたいなことを言っていたっけ。サザン30周年を祝い、また解散を記念して、自分も<好きな曲>を発表順に選んでみる。

   「いとしのエリー」 1979.4 10ナンバーズ・からっと
   「私はピアノ」   1980.3 タイニイ・バブルス
   「夏をあきらめて」 1982.7 NUDE MAN
   「鎌倉物語」    1985.9 KAMAKURA
   「Melody(メロディ)」     同
   「いつか何処かで(I feel the echo)」
               1988.7 Keisuke Kuwata
   「希望の轍」    1990.9 稲村ジェーン
   「真夏の果実」        同

うーん、どれもいい曲だよなあ。サザンに、桑田さんに、感謝です。

クワタを聴け! (集英社新書 380F)
中山 康樹
集英社

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