碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

今や日本を代表する俳優「長谷川博己」の軌跡

2020年07月09日 | 「現代ビジネス」掲載のコラム

 

 

『麒麟がくる』放送休止…

今や日本を代表する俳優・長谷川博己の軌跡

 

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が、6月7日の放送後、休止に入った。もちろん新型コロナウイルスの影響だ。

現在は、『独眼竜政宗』『国盗り物語』『利家とまつ』『秀吉』といった歴代大河の中から選ばれた作品の「名場面集」が編成されている。

それぞれの主人公など懐かしくはあるものの、中断された『麒麟』の続きを「早く見たい!」という人が多いのではないだろうか。

しばらく続きそうな「麒麟のいない時間」。その欠落を補うことは出来ないが、『麒麟がくる』の再開を待ちながら、主人公の明智光秀を演じている「俳優・長谷川博己」の軌跡をたどってみたい。

振り返れば、長谷川博己に初めて注目したのは、NHKドラマ10『セカンドバージン』だった。

 

新鮮さが印象に残った

『セカンドバージン』(2010年、NHK)

NHKドラマ10『セカンドバージン』が放送されたのは、2010年の10月から12月にかけてのことだ。この枠としては異例の長さで、全10回だった。

「セカンドバージン」の一般的な意味としては、男性との経験はあるが、最後の性交渉から長い時間が過ぎている女性、もしくはそうした状況を指す。

当時、このタイトルを聞いた時の印象は、「なぜ今?」だった。漫画家の岡崎京子が『セカンド・バージン』を発表したのは80年代半ばであり、放送の時点で四半世紀が過ぎている。

また、92年に水野麻里の本『セカンド・ヴァージン症候群』が出てからでも、すでに20年近くが経過していたのだ。

確かにインパクトのある言葉だが、NHKのドラマでタイトルとして使われるとは思っていなかったので意表を突かれたのだ。このあたりは、脚本を手掛けた大石静の戦略だろう。

ヒロインは若い頃に結婚・出産・離婚を経験し、以後仕事一筋に生きてきた出版プロデューサー、中村るい(鈴木京香)。そして彼女が出会った男が、17歳年下の金融庁キャリアで、その後証券会社を興す鈴木行(長谷川博己)だ。

エリートである行は、資産家の我がまま娘で、しかも低偏差値の妻、万理江(深田恭子)に飽き足らない。あっという間に、るいに夢中になってしまった。要するに、セレブたちの「不倫物語」である。

このドラマのテーマは、ズバリ「40代女性の恋愛と性」だ。それをNHKが、濃厚なキスや際どいベッドシーンを入れ込みながら放送したので、かなり目立った。そして話題になった。

そのラブシーンも、最小限の露出でありながら、体温や香りが伝わってくる。エロティックではあるけど、下品ではない。世の“大人の女性たち”の関心を呼ぶのに十分だったのだ。またNHKだからこそ、「そんな不倫ドラマを見ているの?」と他人に言われる危険も少ない。

長谷川が演じた鈴木行は最終回で死亡してしまうのだが、見る側には、「俳優・長谷川博己」の新鮮さが印象に残った。ハンサムで知的、優しさや清潔感もある。大人の女性たちに大好評だった。このドラマの“成功”の、かなりの部分を、長谷川博己は背負っていたのだ。

 

個性と存在感を示した

『鈴木先生』(2011年、テレビ東京)

東日本大震災のあった2011年。その4月クールに放送されたのが、異色の学園ドラマ『鈴木先生』だ。

まず、何より長谷川が演じる中学教師のキャラが際立っていた。教育熱心といえば非常に熱心。いつも生徒のことを考えているし、観察眼も鋭い。

しかし、それは教室を自分の「教育理論の実験場」だと思っているからだ。単なる熱血教師とは異なる。

たとえば、担任クラスの男子生徒が小4の女の子と性交渉をもってしまう。レイプだと怒鳴りこんでくる母親。対応に困るベテラン教師たち。

鈴木は、この生徒と徹底的に話し合う。そして、たとえ合意の上でも、自分たちが「周囲に秘密がバレる程度の精神年齢」であることを自覚していなかったのは罪だ、と気づかせるのだ。

いや、これで解決かどうかは賛否があるだろう。ただ、このドラマの真骨頂は、鈴木が思いを巡らす、そのプロセスを視聴者に伝えていくことにある。

“心の声”としてのナレーションはもちろん、思考過程における「キーワード」が文字としても表示されるのだ。いわば頭の中の実況中継である。

しかもその中継には、自分のクラスの生徒である美少女、小川蘇美(土屋太凰!)との“あらぬ関係”といった「妄想」さえ含まれていた。

教師も人間であり男であるわけだが、この時点で、学園ドラマの古典である『中学生日記』や『3年B組金八先生』との差別化は明白だ。

さらにドラマの終盤、鈴木先生の“出来ちゃった結婚”をめぐって、クラス全体で討議が行われた。その意見の応酬と、らせん状に進展していく議論の面白いこと。こんな「ディスカッション・ドラマ」、なかなか見られない。

もちろん、頭のかたい視聴者から反発、反感を買わないはずはない。しかし、約10年前に、テレビドラマというものが、その気になればここまで表現できることを示したわけで、やはり高く評価したい。

原作は武富健治の同名漫画。メインの脚本家は、後に『リーガル・ハイ』や『コンフィデンスマンJP』などを手掛けることになる古沢良太だ。演出陣、そして生徒たちを含むキャストも大健闘だった。

最終的に、このドラマは「日本民間放送連盟賞」テレビドラマ番組部門最優秀賞、第49回「ギャラクシー賞」テレビ部門優秀賞、さらに「放送文化基金賞」テレビドラマ番組賞などを受賞する。

『鈴木先生』という難しい作品で、長谷川博己という俳優の「個性」は大いに発揮され、その「存在感」は隠しようもないものとなったのだ。

ちなみに、生徒役に起用されたメンバーの中には、前述の土屋太凰以外にも、その後目覚ましい活躍を見せることになる松岡茉優などがいた。

 

俳優としての覚悟を見せた

『雲の階段』(2013年、日本テレビ)

舞台は、離島にある医師不足の診療所だ。医師免許を持たない事務員(長谷川)が、献身的な看護師(稲森いずみ)のサポートで医療行為を行っていた。

しかし、急を要する患者(木村文乃)に手術を施したことから、彼の運命が変わっていく。『雲の階段』は、恋愛・医療・サスペンスの要素を併せ持つ、欲張りなドラマだ。原作が渡辺淳一で、脚本は寺田敏雄。

見どころは、主演の長谷川が見せる“葛藤”である。無免許ではあるが、人の命を救っているという自負。その技量を極めたいという強い欲求。また稲森と木村、立場もタイプも違う女性2人をめぐる三角関係も複雑だ。

自分の中で湧き上がってきた、人生に対する野心と欲望をどこまで解き放つのか。そんな“内なるせめぎ合い”を、長谷川はオーバーアクションではなく、ふとした表情や佇まいで丁寧に表現していく。

途中からは、物語の主な舞台が島から東京へと移り、主人公にとっての勝負所となる。離島での手術はあくまでも患者の命を救うためだったが、東京の総合病院でのそれは自身の栄達のためでもあるからだ。

上るほどに危険な階段だが、そこからしか見えない風景もある。手術場面での半端ではない長谷川の目ヂカラに、「俳優としての階段」を上っていく男の覚悟が表れていた。

「素顔の文豪」を見事に造形した

『夏目漱石の妻』(2016年、NHK)

2015年、長谷川は『デート~恋とはどんなものかしら~』(フジテレビ)に出演する。杏が主演の恋愛ドラマだった。脚本は、『鈴木先生』の古沢良太だ。

35歳になってもニートで、一度も働いた経験がないくせに、自分を「高等遊民」と言い張るダメ男というのが役どころ。何を考えているのか、本心がどこにあるのか、ちょっと捉えどころがない人物だ。こういう役でも見る側を引き込むあたり、只者ではない。

また鈴木京香と共演した『セカンドバージン』でもそうだったが、長谷川は、共演相手の女優を自然に立て、輝かせるような演技ができる俳優だ。それが次の作品でも生かされていく。

夏目漱石が亡くなったのは1916(大正5)年のことだ。2016年は没後100年に当たっていた。NHK土曜ドラマ『夏目漱石の妻』は、まさに妻・鏡子を軸にして描く夫婦物語だ。

漱石を演じたのが、『進撃の巨人』(2015年)や『シン・ゴジラ』(2016年)など話題の映画への出演が続いていた長谷川だ。

英国留学で顕在化した神経症や、小説家への夢を封印して英語教師として過ごす鬱屈を抱える漱石。家族愛に恵まれずに育ち、妻や子供たちとの接し方が不器用な漱石。ある時は沈黙し、またある時は激昂する漱石。長谷川は、メリハリのある演技で「素顔の文豪」を造形していく。

鏡子役は、当時『はじめまして、愛しています。』(テレビ朝日)を終えたばかりの尾野真千子だった。鏡子は貴族院書記官長の長女で、お嬢さま育ち。結婚後も朝寝坊の癖が直らない。気難しい漱石に従いながらも、自分の意志を通す芯の強さを持っている。

尾野は、漱石の言う「立派な悪妻」の喜怒哀楽を全身で見事に表現。長谷川と尾野が対峙する場面だけでも、このドラマを見る価値は十分にあった。

原作は鏡子の語りを筆録した『漱石の思い出』。脚本はベテランの池端俊策。この池端が現在、書いているのが『麒麟がくる』だ。

漱石が『吾輩は猫である』で注目されてから、49歳で亡くなるまで、わずか10年余り。創作にまい進していく「作家・夏目漱石」と、当時39歳だった「俳優・長谷川博己」の姿が重なって見えた。

(後編に続く)