碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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「MIU404」予測不能な新感覚刑事ドラマ

2020年07月12日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

<週刊テレビ評>

 綾野×星野「MIU404」 

予測不能な新感覚刑事ドラマ

 

ドラマのシナリオは大きく2種類に分けられる。一つは、小説や漫画といった原作があるもの。そしてもう一つが、原作なしのオリジナルだ。

前者は「脚色」と呼ばれ、本来は、ストーリーや登場人物のキャラクターをゼロから作り上げる「脚本」とは異なるものだ。米アカデミー賞などでは「脚色賞」と「脚本賞」はきちんと区分される。

しかし日本のドラマでは、どちらも「脚本」と表示されることが多い。例えばTBS系「半沢直樹」シリーズがそうであるように、原作を持つドラマの面白さも十分認めた上で、オリジナルドラマならではの醍醐味(だいごみ)が存在する。それは「先が読めないこと」だ。

中でも脚本家・野木亜紀子が手掛けるオリジナルドラマは、物語の展開を予測する楽しみと、いい意味で裏切られる楽しみ、その両方を堪能できる。2018年のTBS系「アンナチュラル」はその典型だろう。

そんな野木の新作が、6月下旬に始まったTBS系「MIU404」(金曜午後10時)である。タイトルは、警視庁刑事部の第4機動捜査隊に所属するチームのコールサインで、伊吹藍(綾野剛)と志摩一未(星野源)を指す。

この2人、キャラクターが全く異なる。直感と体力の伊吹。論理と頭脳の志摩。刑事としての経験も、捜査の手法も、信念といった面でも似た要素はない。いや、だからこそ両者が出会ったことで化学反応が起き、予測不能の物語が生まれるのだ。

例えば第2話では、殺人容疑の男(松下洸平)が通りかかった夫婦の車に乗り込み、逃走する。その車を見つけた伊吹たちは追尾し、下車した男を確保しようとするが、夫婦に邪魔されて取り逃がしてしまう。男は本当に犯人なのか。夫婦はなぜ彼を助けたのか。それぞれが背負う重い過去と現在が少しずつ明らかになっていく。

このドラマの主眼は、刑事ドラマ的な謎解きやサスペンス性に置かれていない。描こうとしているのは、事件という亀裂から垣間見ることのできる、一種の「社会病理」だ。しかも、それは伊吹や志摩の内部にも巣食(すく)っている、いわば「魔物」かもしれない。正義もまた、さまざまな相貌を持つのだ。

志摩は「他人も自分も信じない」と言う。「オレは(人を)信じてあげたいんだよね」と伊吹。だが、そんな言葉も額面通りに受け取れないのが野木ドラマだ。

演出は塚原あゆ子、プロデューサーは新井順子。野木を含め「アンナチュラル」と同じチームだ。その「アンナチュラル」が「新感覚の医学サスペンス」だったように、この「MIU404」もまた「新感覚の刑事ドラマ」と呼べそうだ。

(毎日新聞夕刊 2020.07.11)


北海道新聞で、「コロナ後のテレビの行方」について

2020年07月12日 | メディアでのコメント・論評

 

<水曜討論>

コロナ後のテレビの行方

 

新型コロナウイルスの感染拡大は、テレビ番組の制作現場にも影を落とした。ドラマは撮影が中断し、タレントらがリモートで出演するバラエティーや情報番組が広まる一方、旧作の再放送も目立った。外出自粛のため自宅で視聴する人も増え、テレビの魅力が再認識された。コロナの収束が見通せない中、テレビは今後どこに向かうのか。現場の事情に詳しい2人に聞いた。(文化部編集委員 石井昇)

 

試行錯誤重ね新しい形を

メディア文化評論家 碓井広義さん

コロナ後のテレビで気になったのは、作り手たちが従来と変わらないことばかりを目指しているように見えることです。日本でテレビ放送が始まって67年。番組作りはある種の完成形になっています。コロナという「外圧」で変わらざるを得ないとしたら、それをプラスに持っていくべきでしょう。以前やりたくてできなかったことも、できるはず。そういうトライが少なかったように思います。

ただ、ドラマではいくつか動きがありました。NHKが放送した「今だから、新作ドラマ作ってみました」は、テレビ会議をやっているような画面でそれぞれ別の場所にいる人たちが登場します。リモートドラマと呼ばれます。WOWOWの「2020年 五月の恋」は画面を二つに区切り、2人の出演者の電話のやりとりを映します。ある種の会話劇ですが、舞台を見ているよう。リモートドラマの枠を超え、かなりよくできていました。現状を逆手に取り、新しい物を生み出した例です。

緊急事態宣言は解除されましたが、新しい生活様式を踏まえた日常が始まっています。当然、テレビもその中に置かれ、もうバラエティーで芸人たちが20人もひな壇に並ぶような番組はできないでしょう。ロケはスタッフら5、6人がひと固まりになって行くのが型になっていました。しかし、スマホが撮影機材として発達した今なら、作り手1人スマホ1台で済みます。平時に変えられなかったことも、今ならできるのです。

「若者のテレビ離れ」と言われますが、今の若い人たちはテレビ番組とスマホの動画の両方を楽しんでいます。SNSで話題にするもののかなりの部分はテレビのネタです。過去に話題となったドラマが再放送され、若い人たちも「テレビ面白いじゃん」と見直した面もあると思います。

最近、気になるニュースがありました。若者の就職希望先のランキング(ワークス・ジャパン調べ)でテレビ東京が業界のトップになったのです。テレ東はキー局の中でも特に予算が少ないのに、今までに無かった新しいバラエティーやドラマを生み出しています。万人向けの丸くつるんとした番組でなく、(心に)刺さってくる。昨年、広告費がインターネットに抜かれ、業界全体が縮小傾向にあります。でも、単にお金があればいいのではない。知恵と工夫とクリエーティビティー(創造性)でやっていけばいいのです。

確かにテレビは人が作る物です。人と会ったり、接したりしてはいけないというのは手足を縛られたようなもの。コロナはこれまで経験したことがない危機です。従来のスタイルを変えるにしても正解があるわけではなく、試行錯誤しながら探るしかありません。

ここでテレビの既成概念を取り払って、ゼロから始めてもいい。私も20年間、テレビ番組を作っていましたが、そのころから言っているのが「テレビ風呂敷論」。テレビは箱に入らないようなどんな形のものでも包んでしまう。あれもテレビ、これもテレビです。姿形が少しぐらいいびつだろうと、「これがテレビ」と言って出せばいいのです。風呂敷に包んでドンと。後は視聴者に判断してもらえばいいのです。

うすい・ひろよし 長野県出身。慶応大法学部卒。1981年から20年間、テレビマンユニオンで番組制作に携わる。千歳科学技術大教授などを経て、今年3月まで上智大文学部新聞学科教授。11年から本紙に「碓井広義の放送時評」を連載中。65歳。

(北海道新聞 2020.07.08)