<週刊テレビ評>
綾野×星野「MIU404」
予測不能な新感覚刑事ドラマ
ドラマのシナリオは大きく2種類に分けられる。一つは、小説や漫画といった原作があるもの。そしてもう一つが、原作なしのオリジナルだ。
前者は「脚色」と呼ばれ、本来は、ストーリーや登場人物のキャラクターをゼロから作り上げる「脚本」とは異なるものだ。米アカデミー賞などでは「脚色賞」と「脚本賞」はきちんと区分される。
しかし日本のドラマでは、どちらも「脚本」と表示されることが多い。例えばTBS系「半沢直樹」シリーズがそうであるように、原作を持つドラマの面白さも十分認めた上で、オリジナルドラマならではの醍醐味(だいごみ)が存在する。それは「先が読めないこと」だ。
中でも脚本家・野木亜紀子が手掛けるオリジナルドラマは、物語の展開を予測する楽しみと、いい意味で裏切られる楽しみ、その両方を堪能できる。2018年のTBS系「アンナチュラル」はその典型だろう。
そんな野木の新作が、6月下旬に始まったTBS系「MIU404」(金曜午後10時)である。タイトルは、警視庁刑事部の第4機動捜査隊に所属するチームのコールサインで、伊吹藍(綾野剛)と志摩一未(星野源)を指す。
この2人、キャラクターが全く異なる。直感と体力の伊吹。論理と頭脳の志摩。刑事としての経験も、捜査の手法も、信念といった面でも似た要素はない。いや、だからこそ両者が出会ったことで化学反応が起き、予測不能の物語が生まれるのだ。
例えば第2話では、殺人容疑の男(松下洸平)が通りかかった夫婦の車に乗り込み、逃走する。その車を見つけた伊吹たちは追尾し、下車した男を確保しようとするが、夫婦に邪魔されて取り逃がしてしまう。男は本当に犯人なのか。夫婦はなぜ彼を助けたのか。それぞれが背負う重い過去と現在が少しずつ明らかになっていく。
このドラマの主眼は、刑事ドラマ的な謎解きやサスペンス性に置かれていない。描こうとしているのは、事件という亀裂から垣間見ることのできる、一種の「社会病理」だ。しかも、それは伊吹や志摩の内部にも巣食(すく)っている、いわば「魔物」かもしれない。正義もまた、さまざまな相貌を持つのだ。
志摩は「他人も自分も信じない」と言う。「オレは(人を)信じてあげたいんだよね」と伊吹。だが、そんな言葉も額面通りに受け取れないのが野木ドラマだ。
演出は塚原あゆ子、プロデューサーは新井順子。野木を含め「アンナチュラル」と同じチームだ。その「アンナチュラル」が「新感覚の医学サスペンス」だったように、この「MIU404」もまた「新感覚の刑事ドラマ」と呼べそうだ。
(毎日新聞夕刊 2020.07.11)