碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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『あまちゃん』は、あの「震災」をいかに描いたか!?

2020年03月15日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

『あまちゃん』は、

あの「震災」をいかに描いたか!?

 

9年目となる、今年の3月11日。春休み中ですが、大学で仕事をしていました。午後2時46分となり、研究室から1人で東北の方角に向って、黙とう。

震災から2ヵ月後の2011年5月に、仙台の荒浜地区を訪ねた時のことを思い出しました。

たとえば、住宅があった跡だけが残り、見渡す限り、瓦礫ばかりが続く風景や、小学校の教室の中に、つぶれた自動車が何台も入り込んでいた光景です。それは、「想像を超えた」などと、簡単には言葉に出来ないものでした。

もう一つ、思い出したのが、NHKの朝ドラ『あまちゃん』のことです。

2013年の4月から9月まで放送された『あまちゃん』。あのドラマで、放送開始直後から注目されていたことの一つに、「東日本大震災をどう描くのか」がありました。

ドラマの設定は2008年から12年までであり、震災が起きた2011年3月11日は、放送前から「避けて通れないもの」としてあったのです。

『あまちゃん』の放送までは、震災から2年が経っていましたが、その時点までに、日本のドラマはなかなか正面から東日本大震災を描けていませんでした。

2013年1月クールで話題となった『最高の離婚』(フジテレビ)は、震災をきっかけに結婚した夫婦のドラマでしたが、舞台はあくまでも東京でした。その意味で、『あまちゃん』は、「日本初の本格的震災ドラマ」だったのです。

多くの視聴者が「一体どうやって見せるのだろう」と注目していた、震災と津波の場面が放送されたのは、2013年9月2日(月)の第133回です。

冒頭、アキ(能年玲奈、当時)の親友であるユイ(橋本愛)が、東京へ向うために北三陸鉄道に乗っていました。そこに、母・春子(小泉今日子)による、「それは突然やってきました」というナレーションが流れます。そして突然、祖母・夏(宮本信子)の携帯電話が緊急警報を告げました。

結果的に、脚本の宮藤官九郎さんと制作陣は、津波の実写映像を視聴者に見せることをしませんでした。その代わり、主に2つの表現によってこの惨事を伝えたのです。

まず、観光協会に置かれていた、ジオラマ(鳥瞰図的立体模型)の破壊された無残な姿。地震で壊れた北三陸のジオラマで、どこでどんな被害があったのかを物語っていました。

そして次が、電車が止まったトンネルを徒歩で抜けて、外の風景を見た瞬間のユイと駅長の大吉(杉本哲太)の表情です。2人の絶望とも驚きとも取れるような表情を見た多くの視聴者は、それぞれに震災当時を思い浮かべたことでしょう。

さらに、津波が運んできたと思われる、線路の周囲に散乱した瓦礫を、短い時間で見せていました。敢えて、それだけにとどめたのです。

この描き方は見事でした。放送当時、津波も、破壊された町も、本物の映像は多くの視聴者の目に焼きついています。何より、被災地の皆さんもこのドラマを見ているのです。あの日の出来事を思い起こさせるには、必要かつ十分、しかも表現として優れたものでした。

では、何が優れていたのか。このドラマのように、「現実性」と「物語性」の入り混じった表現をする場合、作り手側は見る側がどう感じるのかを想像する力を持っていなくてはなりません。

なぜなら、視聴者の中には被災地に住む人も、実際に被災した人もいるわけで、流す映像やストーリーが、そうした「当事者」の特に精神面に、どんな影響を与えるかを考慮する必要があるからです。それがまさに制作側の「想像力」だと言えるでしょう。

さらに、「想像力」による当事者への配慮があった上で、「表現」として成立させなくてはならない。このドラマで言えば、被災地以外の場所に住む視聴者をも納得させ得る、表現になっているかどうかです。制作側は、そこでは精一杯の「創造力」を発揮しなくてはなりません。

つまり、「想像力」と「創造力」という2点において、『あまちゃん』での震災の表現は、今も忘れられないほど優れていたのです。

東日本大震災から9年目の2020年3月11日。あらためて、合掌。


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