碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「私の家政夫ナギサさん」に学ぶ プロフェッショナルとは?

2020年07月16日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

「私の家政夫ナギサさん」から学ぶ

プロフェッショナルとは何か?

 

先週、多部未華子主演「私の家政夫ナギサさん」が始まった。

製薬会社のMR(営業担当)である相原メイ(多部)は、専業主婦に不満を持つ母親(草刈民代)の影響で「仕事がデキる女性」を目指して頑張ってきた。その結果、部屋の中は散らかり放題。食生活も最低だった。

そんなメイを心配する妹の唯(趣里)が、家政夫の鴫野ナギサ(大森南朋)を送り込んでくる。ライバル会社の優秀なMR、田所(瀬戸康史)の出現でピンチに立たされたメイは、美しい室内とおいしい食事に癒やされつつも、自分の部屋に「おじさん」が出入りすることに抵抗感があり……。

多部は、昨年夏の「これは経費で落ちません!」(NHK)に続き、ドンピシャの配役。28歳の働く独身女性のリアルを等身大で演じて完璧だ。また大森の「レジェンド家政夫」も堂に入ったもので、雇用主の喜ぶ顔を見るのが自身の喜びであることが伝わってくる。

大人になったら「お母さん」になりたいと言って、母親に叱られたメイ。「なぜ家政夫などしているのか?」とナギサに問いかけると、「小さい頃、お母さんになりたかったのです」と驚きの言葉が返ってきた。

プロフェッショナルとは、誇りをもって仕事をする人を指す。「家事」という仕事の意味や奥深さだけでなく、メイがナギサさんから学ぶことはたくさんありそうだ。

(日刊ゲンダイ「TV見るべきものは!!」2020.07.15)

 


ラジオの「魅力」を再認識させた、ニッポン放送「倉本聰」特番

2020年07月15日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

ラジオの「魅力」を再認識させた、

ニッポン放送「倉本聰」特番

 

13日(月)の夜、ラジオ番組『倉本聰・古木巡礼~森のささやきが聞こえますか』がオンエアされました。

これは、「開局65周年」記念特番。ニッポン放送の誕生から、もう65年にもなるんですね。

特番の放送は22時から24時まで。2時間という長尺でしたが、まったく飽きることなく見入って、いや聴き入ってしまいました。

構成はシンプルで、主な要素は3つです。倉本聰さんと女優・清野菜名さんの「対談」。坂本長利さん、倍賞千恵子さん、西田敏行さんという名優たちによる、倉本さんの書下ろし『「古木巡礼」ストーリー』の「朗読」。そして、挿入される中島みゆきさんの「歌」になります。

この3要素が、交互に組み合わされて、番組は進行していきます。まず対談ですが、もちろんリモート形式。とはいえ、ラジオですから、普通に会話しているように聴こえて、違和感などありません。


倉本さんが、ずっと「古木」を題材に描き続けている「点描画」を媒介にして、自然や人間や社会について、2人の話が進んでいきます。

真冬の富良野の森で聴いた、異様な音。それは、凍った樹木が裂ける「凍裂(とうれつ)」の音だった。

「動物に感情があるなら、植物にもないはずがない。木も話しているんじゃないか。声以外のコミュニケーションだけど、人間も純粋になれば聞こえる、感じられるんじゃないか。そう思って、古木と向き合ってきました」

そして、最初の朗読者は坂本長利さん。600年を生き抜いた、鎮守の森の主です。

室町時代に見た、村の若い男女の悲恋。それから何百年にもわたって、神社の境内で遊ぶ子どもたちと、それを見守るお年寄りたちの姿があった。しかし、今はそれも見られない・・・。

朗読が終ると、「♪僕たちは今、ほんとうに進化をしただろうか」という、中島みゆきさんの歌『進化樹』が流れました。


「木にも、男と女が明らかにあるんだよね。そして女の木は、自分の木肌のしみを恥じないし、隠さない。その木肌と苔、地衣類。雨上がりなんか、きれいですよ」

2番目の朗読は、倍賞千恵子さん。舞台は将軍、家光の時代です。倍賞さんが演じる古木が思い出すのは、自分に触れた人間の男の、忘れられない手の感触でした。

その男は後に、「鈴木春信」と呼ばれる浮世絵師になります。「なでられるのは、いいもんでござんしたよ」と語る倍賞さんが艶っぽい。

お話の後の歌は、中島みゆきさんの『ファイト』。


倉本さんと清野さんの対談は、かつて倉本さんがニッポン放送の社員だった頃の話になります。

「音」だけで伝える、ラジオの難しさと面白さ。ラジオドラマのディレクターだった倉本さんによれば、「池でボートを漕ぐ」というシーンでは、オールから水が「したたり落ちる音」こそ、最もリスナーに鮮明なイメージを与えるのだそうです。

また、完成した番組を誤って消去してしまった時、窮余の一策で、番組の過去のテープから出演者(当時の水谷良重)の言葉を抜き出し、もう一人の出演者(渥美清)には、その抜き出しの声を相手にセリフを言い直してもらって、放送に間に合わせたエピソードも披露していました。

続いて、2人の対談は、福島の立ち入り禁止区域にある「桜」の木の話になります。

「夜ノ森(よのもり)地区」には、2.4キロもの桜の名所があるのですが、倉本さんは特別な許可を得て、そこに通ってきました。

人が消えた町には、あきらかに新居と思われる家があり、玄関に乳母車が置かれていたりする。帰りたくても、帰れない家。

かつて桜の幹の下を歩いていた人たちのことを思ううちに、幹の心情を書きたくなった。人間の暮しが奪われた町で、桜の木の幹だけを描いたそうです。

「文明の進み方が間違っていたというか、行き過ぎたと思うんだよね」と倉本さん。

そして最後の朗読は、西田敏行さんによる、まさに立ち入り禁止区域の「桜」が語るお話です。

「嫌な臭いだなあ。ごみの山が毎日トラックでやって来る。金属とゴムとモノの腐った臭いだ。どうして毒物を次々発明して、地べたにまくのか。自分の首をしめること、なぜ気づかない」

人間の発明した、人間のごみは、森の力で消化できない。

「この臭い、わからん? あんたの鼻は、おかしくなったな。嫌な臭いは、におってこんのか? ああ、そういうもんか。都合いいもんだけ見えて、都合悪いもんは見えんか」

桜の古木の嘆きは続きます。

中島みゆきさんの歌は、『世情』。

♪ 
シュプレヒコールの波
通り過ぎていく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため


対談の最後のブロック。新型コロナウイルスの影響で中止となった、舞台『屋根2020』の話から始まりました。

観た人たちに感激してもらいたくて作るドラマや舞台。自分のことは「心の洗濯屋」だと思っていると倉本さん。

かつての日本を、「不便だったけど、じゃあその頃、幸せじゃなかったかと言えば、そんなことなかった。幸せだった」

文明が進んだのはいいと思うが、こんなに進んでいいのか。便利を豊かと表現するが、便利は、体内のエネルギー消費を抑えること。つまり、さぼることだ。さぼったことのツケを払うのは誰なのか・・。

さらに「グローバル社会」なるものに飛びついた日本人が、何を得て、何を失ったのか。今回の新型コロナウイルスのことも含め、倉本さんは語っていく。

最後に清野さんが、「どう生きるべきでしょう?」とスゴイ質問を投げかけた。

「田舎に帰りなさい、東京捨てて」と笑いながら倉本さん。「またゆっくり話しましょう」と結んだ。

エンディングの歌は、『時代』でした。


これで2時間にわたった、ニッポン放送開局65周年記念特番『倉本聰・古木巡礼~森のささやきが聞こえますか』が終りました。

音だけのラジオ。聴きながら想像し、想像しながら感じ、そして考える。音だけだからこそ、言葉はより大切にされ、言葉に託された思いまで伝わってくる。

そんなラジオ体験であり、ラジオの「魅力」を再認識することが出来た2時間でした。


「続編の作り方」で分かれた、『ハケンの品格』と『BG~身辺警護人~』 

2020年07月14日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

「続編の作り方」で分かれた、

『ハケンの品格』と『BG~身辺警護人~』 

 

ドラマの続編を制作する場合、主に2つの方向性があります。前作の設定を踏襲するか。それとも、あえて変えていくか。


「ブレないヒロイン」が疾駆する、

篠原涼子主演『ハケンの品格』

篠原涼子主演『ハケンの品格』(日本テレビ)は、明らかに前者です。何しろ13年前の第1シーズンと、設定がほとんど変わっていませんから。

ヒロインの大前春子(篠原)は、現在も特Aクラスのスーパーハケンです。仕事は早いし、確実だし、求められた以上の成果をあげてくれます。ただし、自分の仕事の邪魔は絶対にさせないし、残業は拒否するし、プライベートにも踏み込ませません。

今回の派遣先は大手食品会社ですが、ロシアとの商談を成立させたり、人気そば店とのコラボ商品の開発を推進したりと活躍中です。

とはいえ、このドラマで見るべきは、春子の「仕事ぶり」だけではありません。派遣社員に対する、会社の理不尽な仕打ちを許さず、「怒りのチェーンソー」も辞さない覚悟。

何かと派遣社員を差別する上司(塚地武雅)に、「(ハケンは)生きるために泣きたくても笑っているんです!」と本音をぶつけ、「有給たっぷりの皆さんとは違うんです」と皮肉も忘れません。

いや、それだけじゃない。返す刀で、不満ばかり口にする派遣の後輩(山本舞香)を、「お時給ドロボー!」と叱りとばすのも痛快です。

この13年の間に、世の中にはさまざまな変化がありました。現在も刻々と変わりつつあります。だからこそ、本質を見抜く目を持った「変わらないヒロイン」「ブレないヒロイン」の存在が貴重なのかもしれません。


設定変更によって進化した、

木村拓哉主演『BG~身辺警護人~』

そして、『ハケンの品格』とは逆に、大幅に設定を変えてきたのが、木村拓哉主演『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日)です。

2年前の第1シーズンとの大きな違いは、主人公の島崎章(木村)が組織を離れたことでしょう。警備会社を買収したIT系総合企業社長の劉光明(仲村トオル)が、利益のためなら社員の命さえ道具扱いする人物であることを知ったからです。

いわばフリーランスのBG(ボディーガード)となった島崎。最初の依頼人は業務上過失致死罪で服役していた、元大学講師の松野(青木崇高)でした。女性研究員が窒息死した事故の責任を問われた松野ですが、出所後は指導教授(神保悟志)に謝罪するために大学へ行こうとしており、警護を頼んできたのです。

しかも研究員の死には隠された事実がありました。島崎は万全のガードを行いつつ、松野の言動にも注意を怠りません。チームによる警護から個人作業へ。そこから生じる島崎の緊張感を、木村さんが抑制の効いた演技で表現していました。

前シーズンでは警護する相手が政財界のVIP中心で、物語がやや類型的になっていました。しかし、今回からは対象者の幅が広がり、たとえば、盲目のピアニスト(川栄李奈)の身体だけでなく、彼女の折れかけていた「演奏する心」まで護(まも)ったりしています。

そうそう、フリーになった島崎が開設した事務所に、何かと対立してきた高梨雅也(斎藤工)を参加させたことも、テレ朝が得意な「バディ(相棒)物」に寄せた、巧みな仕掛けと言えるでしょう。

ドラマ全体として、設定の大胆な変更が「進化」として結実しているのです。


言葉の備忘録167 問題解決の・・・

2020年07月13日 | 言葉の備忘録

 

 

 

問題解決の糸口を見つけるために

まずは自分から動くこと。

それに尽きます。

 

鷲田清一『二枚腰のすすめ』

 

 


「MIU404」予測不能な新感覚刑事ドラマ

2020年07月12日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

<週刊テレビ評>

 綾野×星野「MIU404」 

予測不能な新感覚刑事ドラマ

 

ドラマのシナリオは大きく2種類に分けられる。一つは、小説や漫画といった原作があるもの。そしてもう一つが、原作なしのオリジナルだ。

前者は「脚色」と呼ばれ、本来は、ストーリーや登場人物のキャラクターをゼロから作り上げる「脚本」とは異なるものだ。米アカデミー賞などでは「脚色賞」と「脚本賞」はきちんと区分される。

しかし日本のドラマでは、どちらも「脚本」と表示されることが多い。例えばTBS系「半沢直樹」シリーズがそうであるように、原作を持つドラマの面白さも十分認めた上で、オリジナルドラマならではの醍醐味(だいごみ)が存在する。それは「先が読めないこと」だ。

中でも脚本家・野木亜紀子が手掛けるオリジナルドラマは、物語の展開を予測する楽しみと、いい意味で裏切られる楽しみ、その両方を堪能できる。2018年のTBS系「アンナチュラル」はその典型だろう。

そんな野木の新作が、6月下旬に始まったTBS系「MIU404」(金曜午後10時)である。タイトルは、警視庁刑事部の第4機動捜査隊に所属するチームのコールサインで、伊吹藍(綾野剛)と志摩一未(星野源)を指す。

この2人、キャラクターが全く異なる。直感と体力の伊吹。論理と頭脳の志摩。刑事としての経験も、捜査の手法も、信念といった面でも似た要素はない。いや、だからこそ両者が出会ったことで化学反応が起き、予測不能の物語が生まれるのだ。

例えば第2話では、殺人容疑の男(松下洸平)が通りかかった夫婦の車に乗り込み、逃走する。その車を見つけた伊吹たちは追尾し、下車した男を確保しようとするが、夫婦に邪魔されて取り逃がしてしまう。男は本当に犯人なのか。夫婦はなぜ彼を助けたのか。それぞれが背負う重い過去と現在が少しずつ明らかになっていく。

このドラマの主眼は、刑事ドラマ的な謎解きやサスペンス性に置かれていない。描こうとしているのは、事件という亀裂から垣間見ることのできる、一種の「社会病理」だ。しかも、それは伊吹や志摩の内部にも巣食(すく)っている、いわば「魔物」かもしれない。正義もまた、さまざまな相貌を持つのだ。

志摩は「他人も自分も信じない」と言う。「オレは(人を)信じてあげたいんだよね」と伊吹。だが、そんな言葉も額面通りに受け取れないのが野木ドラマだ。

演出は塚原あゆ子、プロデューサーは新井順子。野木を含め「アンナチュラル」と同じチームだ。その「アンナチュラル」が「新感覚の医学サスペンス」だったように、この「MIU404」もまた「新感覚の刑事ドラマ」と呼べそうだ。

(毎日新聞夕刊 2020.07.11)


北海道新聞で、「コロナ後のテレビの行方」について

2020年07月12日 | メディアでのコメント・論評

 

<水曜討論>

コロナ後のテレビの行方

 

新型コロナウイルスの感染拡大は、テレビ番組の制作現場にも影を落とした。ドラマは撮影が中断し、タレントらがリモートで出演するバラエティーや情報番組が広まる一方、旧作の再放送も目立った。外出自粛のため自宅で視聴する人も増え、テレビの魅力が再認識された。コロナの収束が見通せない中、テレビは今後どこに向かうのか。現場の事情に詳しい2人に聞いた。(文化部編集委員 石井昇)

 

試行錯誤重ね新しい形を

メディア文化評論家 碓井広義さん

コロナ後のテレビで気になったのは、作り手たちが従来と変わらないことばかりを目指しているように見えることです。日本でテレビ放送が始まって67年。番組作りはある種の完成形になっています。コロナという「外圧」で変わらざるを得ないとしたら、それをプラスに持っていくべきでしょう。以前やりたくてできなかったことも、できるはず。そういうトライが少なかったように思います。

ただ、ドラマではいくつか動きがありました。NHKが放送した「今だから、新作ドラマ作ってみました」は、テレビ会議をやっているような画面でそれぞれ別の場所にいる人たちが登場します。リモートドラマと呼ばれます。WOWOWの「2020年 五月の恋」は画面を二つに区切り、2人の出演者の電話のやりとりを映します。ある種の会話劇ですが、舞台を見ているよう。リモートドラマの枠を超え、かなりよくできていました。現状を逆手に取り、新しい物を生み出した例です。

緊急事態宣言は解除されましたが、新しい生活様式を踏まえた日常が始まっています。当然、テレビもその中に置かれ、もうバラエティーで芸人たちが20人もひな壇に並ぶような番組はできないでしょう。ロケはスタッフら5、6人がひと固まりになって行くのが型になっていました。しかし、スマホが撮影機材として発達した今なら、作り手1人スマホ1台で済みます。平時に変えられなかったことも、今ならできるのです。

「若者のテレビ離れ」と言われますが、今の若い人たちはテレビ番組とスマホの動画の両方を楽しんでいます。SNSで話題にするもののかなりの部分はテレビのネタです。過去に話題となったドラマが再放送され、若い人たちも「テレビ面白いじゃん」と見直した面もあると思います。

最近、気になるニュースがありました。若者の就職希望先のランキング(ワークス・ジャパン調べ)でテレビ東京が業界のトップになったのです。テレ東はキー局の中でも特に予算が少ないのに、今までに無かった新しいバラエティーやドラマを生み出しています。万人向けの丸くつるんとした番組でなく、(心に)刺さってくる。昨年、広告費がインターネットに抜かれ、業界全体が縮小傾向にあります。でも、単にお金があればいいのではない。知恵と工夫とクリエーティビティー(創造性)でやっていけばいいのです。

確かにテレビは人が作る物です。人と会ったり、接したりしてはいけないというのは手足を縛られたようなもの。コロナはこれまで経験したことがない危機です。従来のスタイルを変えるにしても正解があるわけではなく、試行錯誤しながら探るしかありません。

ここでテレビの既成概念を取り払って、ゼロから始めてもいい。私も20年間、テレビ番組を作っていましたが、そのころから言っているのが「テレビ風呂敷論」。テレビは箱に入らないようなどんな形のものでも包んでしまう。あれもテレビ、これもテレビです。姿形が少しぐらいいびつだろうと、「これがテレビ」と言って出せばいいのです。風呂敷に包んでドンと。後は視聴者に判断してもらえばいいのです。

うすい・ひろよし 長野県出身。慶応大法学部卒。1981年から20年間、テレビマンユニオンで番組制作に携わる。千歳科学技術大教授などを経て、今年3月まで上智大文学部新聞学科教授。11年から本紙に「碓井広義の放送時評」を連載中。65歳。

(北海道新聞 2020.07.08)

 

 


俳優・長谷川博己『麒麟がくる』主演獲得まで

2020年07月11日 | 「現代ビジネス」掲載のコラム

 

 

俳優・長谷川博己が

『麒麟がくる』主演を獲得するまで

今や日本を代表する俳優、その軌跡(後編)

 

新型コロナウイルスの影響で、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が休止中だ。

「麒麟のいない時間」の欠落を補うことは出来ないが、その再開を待ちながら、主人公の明智光秀を演じている「俳優・長谷川博己」の軌跡をたどってみたい。

前回、2010年の『セカンドバージン』にはじまり、『鈴木先生』『雲の階段』『夏目漱石の妻』などを取り上げた。今回は、『麒麟がくる』へと至る後編である。

 

『獄門島』で新たな「金田一耕助」を創出

2016年11月19日、NHK・BSプレミアムで、横溝正史原作『獄門島』が放送された。

横溝作品は、これまで何度も映像化され、何人もの俳優が「探偵・金田一耕助」に扮してきた。昭和20年代の片岡千恵蔵はともかく、市川崑監督作品での石坂浩二の印象が強い。またドラマ版には古谷一行を筆頭に、片岡鶴太郎、上川隆也などが並んでいる。

だが、この『獄門島』で長谷川博己が演じた金田一に驚かされた。これまでとは全く異なる雰囲気だったからだ。石坂や古谷が見せた“飄々とした自由人”とは異なる、暗くて重たい、どこか鬱屈を抱えた青年がそこにいた。

背景には、金田一の凄惨な戦争体験がある。南方の島での絶望的な戦い。膨大な死者。熱病と飢餓。引き揚げ船の中で、金田一は戦友の最期をみとり、彼の故郷である獄門島を訪れる。また事件そのものも、戦争がなかったら起きなかったであろう悲劇だった。

このドラマが目指したのは、戦争と敗戦を重低音とした“原作世界への回帰”であり、“新たな金田一像の創出”だった。長谷川は見事にその重責を果たしたのだ。

 

日曜劇場」初主演は、問題作『小さな巨人』

2017年の春クール、刑事ドラマが同時多発した。『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』(関西テレビ制作・フジテレビ)、『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日)、『警視庁・捜査一課長』(同)、『緊急取調室』(同)などだ。

そんな中で異彩を放っていたのが、長谷川博己の『小さな巨人』(TBS)だった。長谷川にとって、満を持しての「日曜劇場」初主演である。

それにしても、『小さな巨人』とは、なかなか大胆なタイトルを付けたものだ。まず、70年代初頭に公開された、ダスティン・ホフマン主演の同名映画が思い浮かぶ。カスター将軍時代のアメリカで、シャイアン族に育てられた青年が、白人と戦う運命を背負うという物語。秀作だが、かなり重たい内容だった。

そして次は、2000年代まで流れていた、「オロナミンCは“小さな巨人”です!」のキャッチフレーズが忘れられない、大塚製薬のCM。懐かしい大村崑は、今も「元気ハツラツ!」な88歳だ。

このドラマでの「小さな巨人」とは、「見た目は小さな存在でも偉業を成し遂げた人」を指す。主人公は元警視庁捜査1課の刑事・香坂(長谷川博己)だ。出世街道を順調に歩んでいたが、上司である捜査1課長・小野田(香川照之)によって所轄署へと飛ばされる。

前半の芝署編では、IT企業社長の誘拐事件や社長秘書の自殺などが発生。真相を探るうち、黒幕として署長(春風亭昇太)が浮かんでくるという大胆な展開だった。誰が味方で誰が敵なのか。「敵は味方のフリをする」のであり、見る側も気を抜けない展開だった。

そして豊洲署編では、事件の現場が「早明学園」という学校法人となっていた。経理課長が失踪するが、その背後には学園の“不正”があった。しかも内偵中の刑事(ユースケ・サンタマリア)も殺害されてしまう。

この学園には元警視庁捜査一課長の富永(梅沢富美男)が専務として天下っている。かつて捜査一課刑事だった香坂の父親を自殺へと追い詰めた、因縁の人物だ。香坂は、ここでもまた警察という巨大組織の力学に翻弄され、苦戦を強いられる。

 

「現代の世話物」というチャレンジ

徐々に明らかになってくるのは、早明学園が行っていた「不正な土地取引」だ。しかもそこには“政治家との癒着”が見え隠れする。

となると、やはり思い浮かぶのは「森友学園問題」であり、「加計学園問題」だ。単なる政治家ではなく、総理大臣という最高権力者の関与が指摘された、当時は「現在進行形」の事件である。もちろん現実の“学園問題”とは設定が異なるが、「学校を舞台とする政治家がらみのスキャンダル」という意味で実にタイムリーだった。

例えば、歌舞伎の演目には「時代物」と「世話物」がある。江戸時代の人たちから見て、過去の世界を舞台にした歴史物語が時代物。一方、当時のリアルタイムな出来事を扱っていたのが世話物だ。近松門左衛門『心中天網島』のような心中事件や殺人事件、さらにスキャンダルも世話物の題材となった。

この『小さな巨人』は、まさに「現代の世話物」と言える。2017年2月、ドラマが準備されていた頃に森友問題が発覚し、制作者たちは急きょ、この現実の事件を物語の中に取り込むことを決意したのだ。

政治家の倫理と犯罪性をどこまで描くのか。それは見る側にとっても、現実とフィクション、2つの「学園問題」が同時進行するスリリングな体験だった。

善と悪の区別が簡単ではなく、敵と味方の見極めも難しい状況の中で、刑事・香坂はじわじわと事件の核心に迫っていく。長谷川は、香坂の中にある怒りや葛藤を、感情をあらわにするのではなく、細かな表情やセリフに込めたニュアンスで表現して見事だった。

そしてもう一つの見所だったのが、香坂VS小野田、いや長谷川VS香川という役者同士の真っ向勝負だ。2人とも、演技過剰とケレンの境目など気にせず、怒鳴り合いも、顔芸も全力投球。「全身俳優」香川照之とのガチンコ対決は、成長する長谷川博己の大きな財産となったはずだ。

 

朝ドラ『まんぷく』の成功に貢献

2018年の秋から始まったのが、NHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『まんぷく』だ。安藤サクラが演じたヒロイン、福子のモデルは日清食品の創業者・安藤百福(ももふく)の妻、仁子(まさこ)である。百福は「インスタントラーメン」を発明した人物であり、ドラマの中では立花萬平(長谷川博己)となっていた。

大正生まれの仁子は、希代の起業家である百福を徹底的に支え続けた。伝記などによれば、実際は肝っ玉母さん型の普通の主婦だ。こうした、誰かを「裏で支えた人物」をドラマの主人公として成立させるのは結構難しい。朝ドラでの成功例は『ゲゲゲの女房』だろうか。目指すは、ゲゲゲならぬ「インスタントラーメンの女房」だ。

物語は昭和13年からスタートした。女学校を卒業した福子は、ホテルに電話交換手として就職。当時32歳の安藤が、18歳の福子になり切っているのは、演技派女優の面目躍如だ。ただ、あまりに高すぎるテンションは、朝からちょっと鬱陶しかった。

安藤は、ただそこにいるだけで、「何かが起きるのではないか」と思わせてくれる、不穏な空気を現出させることができる貴重な女優である。

映画『万引き家族』でも生かされていたように、何を考えているのかわからない、暗いキャラクターを演じさせたら世界レベルだ。それが「朝ドラ」という舞台に合わせて、どこか無理をしているようにも見えた。

違和感と言うとオーバーだが、この「場」に安藤がいることが、どこか不自然に感じてしまう。安藤自身も、そんなことは十分意識していたのではないだろうか。それを打ち消す、もしくは補うための異様なハイテンションだったのかもしれない。

結局、怒涛の演技はドラマの最後まで続くことになるが、それを中和し、補っていたのが長谷川の存在だ。

「萬平さん」は、世事には疎いし、夫や父としても「困ったちゃん」かもしれない。しかし、「これまでにないもの」を生み出そうとする情熱は誰にも負けない。発明少年がそのまま大人になったような無垢な男だ。

その一方で、「みんなに喜んでもらう」ためには、事業として成功させなくてはならない。発明家にして実業家。そんな高いハードルに挑む萬平を、長谷川はユーモアを交えて悠々と演じていった。

見る側は、「愛すべき萬平さん」を福子たち家族と共有することができただけでなく、「愛すべき萬平さんが愛する福子」という形で、このヒロインを、演者である安藤も含めて肯定することができたのだ。長谷川は、『まんぷく』の成功を支えた最大の功労者と言っていい。

 

大河ドラマの「スペシャル・ファクター」へ

今年の1月、長谷川博己主演のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』が始まった。昨年の『いだてん』は意欲的な実験作として評価できるが、残念ながら内容や登場人物が「大河」という枠に合致していたかどうか、疑問が残った。

『麒麟がくる』は、いわゆる「戦国大河」の復活となる。これに対して、戦国時代や幕末など同じ時代、同じ人物が繰り返し取り上げられるという批判があったのも事実だ。しかし、作品によって人物像や史実の解釈が異なる点も大河の魅力だろう。

主人公は明智光秀。「本能寺の変」で主君の織田信長を討ったことによって、「裏切り者」もしくは「悪人」のイメージが強い。

しかし、「歴史」を作ってきたのは、常に勝者であり権力者だ。信長の後継者を自任する秀吉にしてみれば、自らの正当性を主張するためにも、光秀を「逆賊」とする必要があったはずだ。

では、光秀とは果たしてどのような人物だったのか。ドラマはあくまでもフィクションだが、一つの解釈として楽しみたい。

初回で、光秀は主君の斉藤道三(本木雅弘)に直訴して旅に出た。堺に行って、地元にはない「豊かな経済」を体感し、京では「都の荒廃」を目にする。この行動力と洞察力が、光秀にとって終生の武器だ。

脚本を手掛けているのはベテランの池端俊策だが、その手腕は他の場面でも発揮されていた。光秀は京で火事の現場に遭遇する。燃え落ちる民家から子どもを救い出した光秀は、医師・望月東庵(堺正章)の助手、駒(門脇麦)から教えられる。「戦(いくさ)のない世をつくれる人が、麒麟を連れてくる」のだと。

それを聞いた光秀が言う。「旅をしてよく分かりました。どこにも麒麟はいない。何かを変えなければ、誰かが変えなければ、美濃にも京にも、麒麟は来ない!」。光秀が、その後の人生をどう歩むのかを予感させる、見事なセリフだった。

主演の長谷川だが、何よりその立ち姿が美しい。このドラマにおける光秀は、庶民への接し方も人間的で、ごく真っ当な精神の持ち主であることがわかる。そこが、長谷川の雰囲気にはぴったりだ。

ドラマ『鈴木先生』で、鈴木(長谷川)は生徒の小川蘇美(土屋太鳳)のことを、クラスを改革するための「スペシャル・ファクター」と呼んでいた。

実は長谷川こそ、大河ドラマという教室に投入された「スペシャル・ファクター」ではないだろうか。ある時は純な少年の表情を見せ、またある時は大人の思慮深さがにじみ出る「新たな戦国武将像」を創出している。

この戦国武将像ということで言えば、染谷将太の織田信長も、佐々木蔵之介が演じる木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)も、かなりユニークだ。これまでに見たことのない信長であり、秀吉になっている。

光秀、信長、秀吉と、まさに「役者がそろった」ところでの休止だった。残念ではあるが、「お楽しみはこれからだ」の精神で再開を待ちたい。

かつて長尺の映画には、上映の途中で「Intermission(インターミッション 休憩)」の文字が入り、一旦場内が明るくなったものだ。それは観客にとって、前半を振り返り、まだ見ぬ後半を予測し、心の準備をする愉悦の時間でもあった。『麒麟がくる』も今がその時。「刮目(かつもく)して待て」だ。

 


【気まぐれ写真館】 よまにゃ

2020年07月10日 | 気まぐれ写真館

集英社文庫のキャラクター「よまにゃ」


今や日本を代表する俳優「長谷川博己」の軌跡

2020年07月09日 | 「現代ビジネス」掲載のコラム

 

 

『麒麟がくる』放送休止…

今や日本を代表する俳優・長谷川博己の軌跡

 

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が、6月7日の放送後、休止に入った。もちろん新型コロナウイルスの影響だ。

現在は、『独眼竜政宗』『国盗り物語』『利家とまつ』『秀吉』といった歴代大河の中から選ばれた作品の「名場面集」が編成されている。

それぞれの主人公など懐かしくはあるものの、中断された『麒麟』の続きを「早く見たい!」という人が多いのではないだろうか。

しばらく続きそうな「麒麟のいない時間」。その欠落を補うことは出来ないが、『麒麟がくる』の再開を待ちながら、主人公の明智光秀を演じている「俳優・長谷川博己」の軌跡をたどってみたい。

振り返れば、長谷川博己に初めて注目したのは、NHKドラマ10『セカンドバージン』だった。

 

新鮮さが印象に残った

『セカンドバージン』(2010年、NHK)

NHKドラマ10『セカンドバージン』が放送されたのは、2010年の10月から12月にかけてのことだ。この枠としては異例の長さで、全10回だった。

「セカンドバージン」の一般的な意味としては、男性との経験はあるが、最後の性交渉から長い時間が過ぎている女性、もしくはそうした状況を指す。

当時、このタイトルを聞いた時の印象は、「なぜ今?」だった。漫画家の岡崎京子が『セカンド・バージン』を発表したのは80年代半ばであり、放送の時点で四半世紀が過ぎている。

また、92年に水野麻里の本『セカンド・ヴァージン症候群』が出てからでも、すでに20年近くが経過していたのだ。

確かにインパクトのある言葉だが、NHKのドラマでタイトルとして使われるとは思っていなかったので意表を突かれたのだ。このあたりは、脚本を手掛けた大石静の戦略だろう。

ヒロインは若い頃に結婚・出産・離婚を経験し、以後仕事一筋に生きてきた出版プロデューサー、中村るい(鈴木京香)。そして彼女が出会った男が、17歳年下の金融庁キャリアで、その後証券会社を興す鈴木行(長谷川博己)だ。

エリートである行は、資産家の我がまま娘で、しかも低偏差値の妻、万理江(深田恭子)に飽き足らない。あっという間に、るいに夢中になってしまった。要するに、セレブたちの「不倫物語」である。

このドラマのテーマは、ズバリ「40代女性の恋愛と性」だ。それをNHKが、濃厚なキスや際どいベッドシーンを入れ込みながら放送したので、かなり目立った。そして話題になった。

そのラブシーンも、最小限の露出でありながら、体温や香りが伝わってくる。エロティックではあるけど、下品ではない。世の“大人の女性たち”の関心を呼ぶのに十分だったのだ。またNHKだからこそ、「そんな不倫ドラマを見ているの?」と他人に言われる危険も少ない。

長谷川が演じた鈴木行は最終回で死亡してしまうのだが、見る側には、「俳優・長谷川博己」の新鮮さが印象に残った。ハンサムで知的、優しさや清潔感もある。大人の女性たちに大好評だった。このドラマの“成功”の、かなりの部分を、長谷川博己は背負っていたのだ。

 

個性と存在感を示した

『鈴木先生』(2011年、テレビ東京)

東日本大震災のあった2011年。その4月クールに放送されたのが、異色の学園ドラマ『鈴木先生』だ。

まず、何より長谷川が演じる中学教師のキャラが際立っていた。教育熱心といえば非常に熱心。いつも生徒のことを考えているし、観察眼も鋭い。

しかし、それは教室を自分の「教育理論の実験場」だと思っているからだ。単なる熱血教師とは異なる。

たとえば、担任クラスの男子生徒が小4の女の子と性交渉をもってしまう。レイプだと怒鳴りこんでくる母親。対応に困るベテラン教師たち。

鈴木は、この生徒と徹底的に話し合う。そして、たとえ合意の上でも、自分たちが「周囲に秘密がバレる程度の精神年齢」であることを自覚していなかったのは罪だ、と気づかせるのだ。

いや、これで解決かどうかは賛否があるだろう。ただ、このドラマの真骨頂は、鈴木が思いを巡らす、そのプロセスを視聴者に伝えていくことにある。

“心の声”としてのナレーションはもちろん、思考過程における「キーワード」が文字としても表示されるのだ。いわば頭の中の実況中継である。

しかもその中継には、自分のクラスの生徒である美少女、小川蘇美(土屋太凰!)との“あらぬ関係”といった「妄想」さえ含まれていた。

教師も人間であり男であるわけだが、この時点で、学園ドラマの古典である『中学生日記』や『3年B組金八先生』との差別化は明白だ。

さらにドラマの終盤、鈴木先生の“出来ちゃった結婚”をめぐって、クラス全体で討議が行われた。その意見の応酬と、らせん状に進展していく議論の面白いこと。こんな「ディスカッション・ドラマ」、なかなか見られない。

もちろん、頭のかたい視聴者から反発、反感を買わないはずはない。しかし、約10年前に、テレビドラマというものが、その気になればここまで表現できることを示したわけで、やはり高く評価したい。

原作は武富健治の同名漫画。メインの脚本家は、後に『リーガル・ハイ』や『コンフィデンスマンJP』などを手掛けることになる古沢良太だ。演出陣、そして生徒たちを含むキャストも大健闘だった。

最終的に、このドラマは「日本民間放送連盟賞」テレビドラマ番組部門最優秀賞、第49回「ギャラクシー賞」テレビ部門優秀賞、さらに「放送文化基金賞」テレビドラマ番組賞などを受賞する。

『鈴木先生』という難しい作品で、長谷川博己という俳優の「個性」は大いに発揮され、その「存在感」は隠しようもないものとなったのだ。

ちなみに、生徒役に起用されたメンバーの中には、前述の土屋太凰以外にも、その後目覚ましい活躍を見せることになる松岡茉優などがいた。

 

俳優としての覚悟を見せた

『雲の階段』(2013年、日本テレビ)

舞台は、離島にある医師不足の診療所だ。医師免許を持たない事務員(長谷川)が、献身的な看護師(稲森いずみ)のサポートで医療行為を行っていた。

しかし、急を要する患者(木村文乃)に手術を施したことから、彼の運命が変わっていく。『雲の階段』は、恋愛・医療・サスペンスの要素を併せ持つ、欲張りなドラマだ。原作が渡辺淳一で、脚本は寺田敏雄。

見どころは、主演の長谷川が見せる“葛藤”である。無免許ではあるが、人の命を救っているという自負。その技量を極めたいという強い欲求。また稲森と木村、立場もタイプも違う女性2人をめぐる三角関係も複雑だ。

自分の中で湧き上がってきた、人生に対する野心と欲望をどこまで解き放つのか。そんな“内なるせめぎ合い”を、長谷川はオーバーアクションではなく、ふとした表情や佇まいで丁寧に表現していく。

途中からは、物語の主な舞台が島から東京へと移り、主人公にとっての勝負所となる。離島での手術はあくまでも患者の命を救うためだったが、東京の総合病院でのそれは自身の栄達のためでもあるからだ。

上るほどに危険な階段だが、そこからしか見えない風景もある。手術場面での半端ではない長谷川の目ヂカラに、「俳優としての階段」を上っていく男の覚悟が表れていた。

「素顔の文豪」を見事に造形した

『夏目漱石の妻』(2016年、NHK)

2015年、長谷川は『デート~恋とはどんなものかしら~』(フジテレビ)に出演する。杏が主演の恋愛ドラマだった。脚本は、『鈴木先生』の古沢良太だ。

35歳になってもニートで、一度も働いた経験がないくせに、自分を「高等遊民」と言い張るダメ男というのが役どころ。何を考えているのか、本心がどこにあるのか、ちょっと捉えどころがない人物だ。こういう役でも見る側を引き込むあたり、只者ではない。

また鈴木京香と共演した『セカンドバージン』でもそうだったが、長谷川は、共演相手の女優を自然に立て、輝かせるような演技ができる俳優だ。それが次の作品でも生かされていく。

夏目漱石が亡くなったのは1916(大正5)年のことだ。2016年は没後100年に当たっていた。NHK土曜ドラマ『夏目漱石の妻』は、まさに妻・鏡子を軸にして描く夫婦物語だ。

漱石を演じたのが、『進撃の巨人』(2015年)や『シン・ゴジラ』(2016年)など話題の映画への出演が続いていた長谷川だ。

英国留学で顕在化した神経症や、小説家への夢を封印して英語教師として過ごす鬱屈を抱える漱石。家族愛に恵まれずに育ち、妻や子供たちとの接し方が不器用な漱石。ある時は沈黙し、またある時は激昂する漱石。長谷川は、メリハリのある演技で「素顔の文豪」を造形していく。

鏡子役は、当時『はじめまして、愛しています。』(テレビ朝日)を終えたばかりの尾野真千子だった。鏡子は貴族院書記官長の長女で、お嬢さま育ち。結婚後も朝寝坊の癖が直らない。気難しい漱石に従いながらも、自分の意志を通す芯の強さを持っている。

尾野は、漱石の言う「立派な悪妻」の喜怒哀楽を全身で見事に表現。長谷川と尾野が対峙する場面だけでも、このドラマを見る価値は十分にあった。

原作は鏡子の語りを筆録した『漱石の思い出』。脚本はベテランの池端俊策。この池端が現在、書いているのが『麒麟がくる』だ。

漱石が『吾輩は猫である』で注目されてから、49歳で亡くなるまで、わずか10年余り。創作にまい進していく「作家・夏目漱石」と、当時39歳だった「俳優・長谷川博己」の姿が重なって見えた。

(後編に続く)

 


「探偵・由利麟太郎」に 猟奇性とエロスがもっとあれば

2020年07月08日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

吉川晃司がハマり役

「探偵・由利麟太郎」に

猟奇性とエロスがもっとあれば

 

よくぞ原作として思いついたものだ。由利麟太郎は横溝正史が生み出した探偵だが、登場したのは金田一耕助より早く、戦前のことだ。今回の「探偵・由利麟太郎」(関西テレビ制作、フジテレビ系)では時代を昭和初期から現代に、舞台も東京から京都へと設定を移している。

由利は元・警視庁捜査一課長にして犯罪心理学者。演じる吉川晃司のグレーがかった髪と黒のロングコートが渋カッコいい。助手の三津木(志尊淳)を従えて、等々力警部(田辺誠一)の捜査に協力していくのだが、そのちょっと浮世離れしたキャラクターが吉川によく似合う。はまり役だ。

毎回、原作小説はあるものの、物語は大幅にアレンジされている。ただし、女性が事件に深く関わる点は共通だ。これまでに新川優愛や村川絵梨らが登場した。また殺される女性も多く、柳ゆり菜や阿部純子が美しき死体となってきた。

このドラマで見るべきは、吉川の寡黙な探偵ぶりと昭和ミステリー風の謎解きである。ただ、全体がやや地味なことは否めない。

由利の最大の武器は「観察眼」とおとなしいものだし、原作が持つ猟奇性とエロスも不足している。うまく作れば、往年の「土曜ワイド劇場」(テレビ朝日系)の人気企画「江戸川乱歩の美女シリーズ」のようになったかもしれないのだ。

最終章の「蝶々殺人事件」前後編では横溝ファン、そして由利先生ファンをうならせて欲しい。

(日刊ゲンダイ「TV見るべきものは!!」2020.07.07)


【気まぐれ写真館】 ダイハツ「ミゼット」

2020年07月07日 | 気まぐれ写真館


「特別総集編」で再確認する、ドラマ『半沢直樹』の魅力

2020年07月05日 | 「ヤフー!ニュース」連載中のコラム

 

 

「特別総集編」で再確認したい、

ドラマ『半沢直樹』の魅力とは!?

 

7月19日(日)から、『半沢直樹』の新作が始まることになりました。一時はどうなるかと思いましたが、とにかく、もうすぐ「新たな半沢」に会えるわけです。

しかも5日(日)からは、2週にわたり、前シーズンの「特別総集編」が流されます。新作本編への「架け橋」という意味でも、こんなに嬉しいことはありません。

今回の特別総集編で、ドラマ『半沢直樹』の魅力を再確認しておきたいと思います。

2013年の夏、『半沢直樹』が現れた!

第1のポイントは、大量採用の「バブル世代」が主人公だったことです。企業内では、「楽をして禄(ろく)を食(は)む」などと、負のイメージで語られることの多かった彼らに、しっかりスポットを当てたストーリーが新鮮でした。

原作は、池井戸潤さんの小説『オレたちバブル入行組』と『オレたち花のバブル組』の2作です。どちらも優れた企業小説の例にもれず、内部にいる人間の生態を巧みに描いていました。

制作陣がその気になれば、ドラマは大阪編だけでもワンクールの放送は可能だったでしょう。しかし、それだと、結果的に『半沢直樹』が実現した、あの密度とテンポの物語展開は無理だったかもしれません。

第2のポイントは、主演の堺雅人さんです。前年、フジテレビ『リーガルハイ』とTBS『大奥』の演技で、ギャラクシー賞テレビ部門個人賞を受賞していました。シリアスとユーモアの絶妙なバランス、そして群を抜く目ヂカラ。堺さんは当時、まさに「旬の役者」だったのです。

演出もまた「倍返し」の力技

前述のように、『半沢直樹』は1話分に詰め込まれている話の中身が濃く、またスピーディでした。それでいて、わかりづらくないし、見る側も置いてきぼりをくわない。それを支えていたのは、八津弘幸さんのダイナミックな脚本と福澤克維さんをはじめとする演出陣の力技です。

特にチーフ・ディレクターの福澤さんは、『半沢直樹』の前に、同じ日曜劇場の『南極大陸』や『華麗なる一族』なども手がけていました。こうした「男のドラマ」を作らせたら、ピカイチの演出家です。

ワンカットの映像でも、一目見れば「福澤作品」とわかるほど個性が強い画(え)を撮る。往年の和田勉さん(NHK)を彷彿させる、極端なほどの人物のアップ。かと思うと、一転してカメラをドーンと引き、大群衆を入れ込んだロングショット。そのメリハリの利いた映像とテンポが心地いい。

忘れられないのは、『半沢直樹』の第1話の冒頭のシーンです。まず、半沢の顔のアップ。そこからズームアウト(画角が広がり背景も見えてくる)していく長いワンカットが使われました。あのワンカットを敢行する思いきりのよさ、大胆さが見事です。

その一方で、福澤さんの演出は細部にまでしっかりと及んでいる。登場人物たちのかすかな目の動きや表情。台詞のニュアンス。さらに大量のエキストラが登場するシーンでも、一人一人に気を配り、画面の隅にいる人物からも緊張感のある演技を引き出していく。

大胆であること、そして繊細であること。福澤演出には、「天使のように大胆に、悪魔のように細心に」の黒澤明監督と重なるものがあります。

また銀行、そして金融業界が舞台の話となれば、背景が複雑なものになりがちですが、『半沢直樹』は物語の中に解説的要素を組み込み、実にわかりやすくできていました。

銀行内部のドロドロとした権力闘争やパワハラなどの人間ドラマをリアルに描きつつ、自然な形で銀行の業務や金融業界全体が見えるようにしていた。「平易」でありながら、「奥行」があったのです。

半沢の武器は「知恵」と「友情」

主人公の半沢は、「コネ」も「権力」も持っていません。その代わりに、「知恵」と「友情」を武器にして、内外の敵と戦っていきます。

しかもその戦いは、決して正義一辺倒ではありません。政治的な動きもすれば、裏技も使う。また巨額の債権を回収するためなら、手段を選ばない狡猾(こうかつ)さもあります。そんな「清濁併せのむヒーロー像」が共感を呼んだのでした。

窮地に陥る主人公。損得抜きに彼の助太刀(すけだち)をする仲間たち。そして際立つ存在としての敵(かたき)役。勧善懲悪がはっきりしていて分かりやすい、まるで時代劇の構造です。

威勢のいい「たんか」は、『水戸黄門』の印籠代わりと言っていい。主人公は我慢に我慢を重ね、最後には「倍返しだ!」とミエを切って勝負をひっくり返す。見る側は痛快に感じ、留飲が下がるというわけです。

骨太なストーリーの原作小説。そのエッセンスを生かす形で、起伏に富んだ物語を再構築した脚本。大胆さと繊細さを併せ持つ、達意の演出。それに応えるキャストたちの熱演。それらの総合力が、このドラマを、見る側の気持ちを揺さぶる、また長く記憶に残る1本に押し上げたのです。


ドラマ続編の作られ方 「BG」と「ハケン」は好対照 

2020年07月05日 | 「北海道新聞」連載の放送時評

 

 

碓井広義の放送時評>

ドラマ続編の作られ方 

「BG」と「ハケン」は好対照 

ヒットドラマの続編を制作する。その場合、主に二つの方向がある。前作の設定を変えるか、それとも踏襲するか。

木村拓哉主演「BG~身辺警護人~」(テレビ朝日-HTB)は明らかに前者だ。2年前の第1シーズンとの最大の違いは、主人公の島崎章(木村)が組織を離れたことである。警備会社を買収したIT系総合企業社長の劉光明(仲村トオル)が、利益のためなら社員の命さえ道具扱いする人物であることを知ったからだ。

いわばフリーランスのBG(ボディーガード)となった島崎。最初の依頼人は業務上過失致死罪で服役していた、元大学講師の松野(青木崇高)だった。女性研究員が窒息死した事故の責任を問われた松野だが、出所後は指導教授(神保悟志)に謝罪するために大学へ行こうとしており、警護を頼んできたのだ。

研究員の死には隠された事実があった。島崎は万全のガードを行いつつ、松野の言動にも注意の目を向ける。チームによる警護から個人作業へ。そこから生じる島崎の緊張感を、木村が抑制の効いた演技で表現していた。

前シーズンでは警護する相手が政財界のVIP中心で、物語がやや類型的だった。しかし、今回から対象者の幅が広がり、第2話では盲目のピアニスト(川栄李奈)の身体だけでなく、彼女の折れかけていた心も護(まも)っていた。ドラマ全体として、設定の大胆な変更が“進化”として結実している。

一方、篠原涼子主演「ハケンの品格」(日本テレビ-STV)は、13年前の第1シーズンとほとんど変わっていない。ヒロインの大前春子(篠原)は特Aクラスのスーパーハケン。仕事は早くて確実で、求められた以上の成果をあげる。ただし残業は拒否するし、プライベートにも踏み込ませない。

今回の派遣先は大手食品会社だが、海外との商談を成立させたり、人気蕎麦(そば)店とのコラボ商品の開発を進めたりと活躍中だ。

とはいえ、このドラマで見るべきは春子の「働き方」だけではない。何かと派遣社員を差別する上司(塚地武雅)に、「(ハケンは)生きるために泣きたくても笑っているんです!」という本音と、「有給たっぷりの皆さんとは違うんです」という皮肉をぶつける。また返す刀で、不満ばかり口にする派遣の後輩を「お時給ドロボー!」と叱りとばすのも痛快だ。

この13年の間に、世の中にはさまざまな変化があった。現在も刻々と変わりつつある。だからこそ、本質を見抜く目を持つ「ブレないヒロイン」の存在が貴重なのかもしれない。

(北海道新聞 2020.07.04)


【書評した本】 宮台真司ほか 『音楽が聴けなくなる日』

2020年07月04日 | 書評した本たち

 

 

安易な自粛の根底にある“やめられない社会”

宮台真司、永田夏来、かがりはるき

『音楽が聴けなくなる日』

集英社新書 902円

 

テクノバンド「電気グルーヴ」のメンバーで、俳優でもあるピエール瀧が、麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたのは昨年3月だ。レコード会社は即座に電気グルーヴの全ての音源・映像の出荷停止、配信停止を決定する。完全な自粛だが、理由は示されなかった。

逆に「反社会的行為は容認できない」、「犯罪者が社会に与える影響を考慮した」などと言う必要もない、当たり前だという姿勢が透けて見えた。宮台真司、永田夏来、かがりはるき『音楽が聴けなくなる日』は、「それって本当に当たり前なのか?」という疑問からスタートしている。

社会学者の永田は、事なかれ主義や前例主義など自粛の背景にあるものを指摘する。音楽研究家のかがりは、この30年間の自粛の歴史を振り返り、平成を「自粛の時代」と呼ぶ。そして『サブカルチャー神話解体』などの著書で知られる宮台は、この問題が音楽というジャンルに限定されたものではなく、社会の根幹に関わるテーマであることを明らかにしていく。

中でも宮台の主張に注目したい。原発そのものよりも「原発をやめられない社会」をやめよう。同様に、電気グルーヴ作品の販売・配信停止の措置そのものよりも「そうした措置をやめられない社会」をやめようと言うのである。

不祥事発覚後、当事者の出演や活動を控えるのは仕方ないかもしれない。しかし、過去の作品にまでさかのぼる安易な自粛は、思考停止に他ならないのだ。

(週刊新潮 2020年6月25日早苗月増大号)


日刊ゲンダイで、「コロナ禍とエンタメ業界」について解説

2020年07月03日 | メディアでのコメント・論評

 

 

「シルク・ドゥ・ソレイユ」破産は

対岸の火事ではない…

エンタメ業界が存続かけ決死の試行錯誤

 

カナダに拠点を置く世界的なサーカス劇団「シルク・ドゥ・ソレイユ」が29日、同国の破産法に基づき、会社更生手続きに入ると発表した。

「シルク――」は新型コロナの影響で、3月以降、各地の劇場公演を中止し、約9億ドル(約970億円)の債務返済ができなくなった。申請に伴い、ダンサーを含めスタッフのおよそ95%にあたる約4700人を解雇すると発表した。

1984年の設立以来、ショービジネス界をリードしてきた世界的パフォーマンス集団を襲ったコロナ禍だが、日本も決して対岸の火事ではない。

「ぴあ総研」によれば、コンサート、舞台、スポーツなど国内の「ライブ・エンターテインメント業界」は、新型コロナの影響による公演の中止・延期により、今年2月から来年1月までの1年間で、年間市場規模の8割弱を失うという。損失額は約6900億円。内訳は、最も多い音楽系が約3300億円、演劇系は約1600億円だ。

すでに公演中止で立ち直れないほどの経済的損失を被った劇団も多い中、女優・劇作家の渡辺えりさん(65)が文化芸術の支援を求める要望書を文化庁に提出したことは記憶に新しい。日刊ゲンダイのインタビューでも「文化芸術には金銭的な支援が必要。コロナで演劇を殺しちゃいけない」と訴えた。

一方、「新しい生活様式」に応じて、感染対策を徹底した上での公演や「リモート配信」なども増えている。

歌手の加藤登紀子さんは28日、約3カ月ぶりとなるコンサートを渋谷のBunkamuraオーチャードホールで決行。収容人数2150人の会場で、客席を990人に制限。ソーシャルディスタンスを確保し、検温、マスク着用、手指の消毒など感染対策を徹底した上での開催となった。3月から上演を中止していた歌舞伎も、8月1~26日に、東京・歌舞伎座が「八月花形歌舞伎」で5カ月ぶりに公演を再開すると発表。座席数を半分以下に絞り、4部制で、1時間程度の1演目を上演するという。

また、人気バンドのサザンオールスターズは25日、「無観客ライブ」を有料でリモート配信した。3600円のチケット購入者は18万人に及んだという。

コロナ禍で困窮極まるエンタメ業界は、ニューノーマル時代の興行のあり方を模索中だ。しかしマネタイズがどこまで成功するかはどれも未知数。それでも文化や芸術を絶やさないため、“赤字覚悟”で挑む例も多いという。

メディア文化評論家の碓井広義氏はこう話す。

「確かに文化というものは、不要不急で“なくはない”という側面があるかも知れません。しかしながら、コロナに限らず、いろいろな意味で閉塞感に包まれている世の中では、精神的な部分、つまり心を支える文化というものは、平時より重要になってくると思います」

「送り手を守ると同時に自分を守ることにも」

さらに碓井氏は、甚大な経済的損失を被りながら、存続のために試行錯誤を続けるライブ・エンタメ業界を守ることの大切さを説く。

「本当に大変だと思います。しかし、そこに行った人たちにとっては、ある種の救いになっているわけです。文化を受け取る側も、文化を発信する側の取り組みに、より積極的に参加し、できる範囲で共に文化を守っていくという“協働作業”の意識を持つことも大切だと思います。それは送り手を守ると同時に自分を守ることにもつながるんです」

“第2波”の襲来が懸念される中、エンタメ業界の挑戦は続く。

(日刊ゲンダイ 2020.07.02)