前日ニュ-ゆみから連絡があって今日教室は・・・?の問い合わせがあって、みどりさんに
連絡すると、快く承諾を得て2人の教室になる。
みどりさんに続いてニュ-ゆみもやって来てスタ-ト。2人共面識は無いのだけれど、
ブログを観てくれているので、作品だけは知っている・・・・
良く俺が味わっているあぁあの作品の人・・・まるでハムの人・・あの宣伝みたいね。
この人なんだぁ・・・あの作品作っているのは・・・・みたいなね。
お互い名前も知らないけれど作品だけはブログをまめに見てくれていれば良く知っている
ただ先生katsuだけはどちらも良く知っている・・・・そんな感じ・・・
共通しているのはただモザイクのみ。
正直、みどりさんは今同じパ-ツを切り続ける・・・これに専念しているから、悩み事が
あるとしたら色のみ。後はほぼ監視。安定したパ-ツが切れているかどうか?
ではニュ-ゆみは?
そう全く同じ状況なのである。それは切る形が違う事とタイルの素材が違う事だけ。
根本的には何も変わらない。
今、丸以外のタイル・・・つまり羽の模様の時と胴体にアイデアとしては指導は
あるものの、監視って言う点では一緒。
ではその2人はどんな雰囲気になるのか?って言うのは、みどりさんからすれば、
1cmタイルを始めたばかり・・・だからニュ-ゆみは先輩だし自分より上手いと判断。
ではニュ-ゆみからすると、定期的に通っているから凄いな・・・って感じ。
これが複数の人がいる教室の良さ。
認めて貰う・・・これが何より自信になる。ただ大事なのはそれを素直に受け入れる
事が出来るかどうか?
もしこれがかぐやなら明らかに判りやすい関係になる。自分より上手い人だと・・・
だからもし上手いですね・・・と声を掛けられると、やったぁ・・・なんて
思ったりするのも素直にあるだろうし、口に出る言葉としていえいえ・・・と
謙虚な事を言ったりする事もあるだろう。
では2人の場合は?自分から見た目線と相手から見られている目線の違いに気が付く事が
出来るのならこの教室は良い教室になったはず。
けれど、もし食い違っていたのならこれは納得しないといけなくなる・・・・
これは最近俺が考えたものなんだけれど、興味があったらやって見て下さい。
まずは図1の解説。斜線部分に自分を入れて、残りの3人の登場人物の名前を入れる。
上記は自分から斜線が出ているから、自分が考える相手の気持ち。下記は相手がどう考えているか?を自分自身でイメ-ジする。勿論あくまで自分が考える・・・もので
正解は聞いて見ないと判らない。では例題を作って見よう。
ではまずはお題。夏の団体のお教室とでもしようかな。
そして登場人物を俺、かぐや、キウイ、オ-ドリ-として見ようか。
この仕組みは力量が一番弱いと簡単なのね。ならばオ-ドリ-を斜線に入れる。
モザイク歴、教室手伝い歴、何を取っても新人となれば上記はみんな凄いな・・・
こんな感じだろうね。
ではみんなから見たオ-ドリ-は?こうなると三者三様になるだろうが、大丈夫かな?
オ-ドリ-・・・・物凄く簡単になる。
それを今度は図2に力量に応じて上から順に入れて行く。さっきと同じようにオ-ドリ-
から考えるものと、俺から、かぐやから、そしてキウイから・・・とね。
おそらくその後、みんなに聞くまでも無いが全員何一つ変わる事無く答えは一緒に
なるだろう。もしこれが一致して成立する時、オ-ドリ-が考える自分の立ち位置と
みんなが考えるオ-ドリ-の立ち位置が一緒なので誰が何をすれば良いか?おのずと
それぞれが教室を円滑に進めるには役割が簡単に理解出来るはず。
これは物事を考えるにあたって建築的発想で作ったもの。平面図と立面図。
図1では知らない人が見ると誰が上手いか?誰が力があるか?何も判らない。
しかし図2は子供でも順番が判る。物事を斜に見る基本。
図1では平面なので意見は良いやすい。物事を力量に関係なく進めやすい。
しかし図2では自分の身の置き方1つで立場は大いに変わって来るはず。
しかし1番下にすれば、上の人だ・・・と判断すれば面倒掛けないように・・・・
位で必要以上に考える必要は無い。遅刻しないとか忘れ物は無いか?とかね。
当たり前と言えば当たり前の事のみ。
そしてここで大事なのは、気を使うって言う言葉・・・本来この国では、気を使うのは
下になる。何故なら無礼講なんて言葉があるが、じゃ今日は無礼講で・・・と言うのは
ある程度上の立場な人であり、末端が今日は無礼講で・・・とは余り聞かない。
しかも誰が言ったとしてもこの国では本当の無礼講はほぼ無い。
俺が考える理想は、気を使うのは上の者達で面倒を見るのは上の仕事。
それを下の者達に見せる事が出来、伝わったのなら次に出て来る下の者へ上にして
貰った事を伝達して行けば良いだけとなる。そして今日は無礼講にして下さい・・・と
下の者が言えるような環境は整えたいと思っている。
同じように責任は常に上で下の者には責任を取る事は出来ない。出来る事は謝る事だけ。
長々書いては見たけれど、一番良いたかったのは、みどりさんにはもしニュ-ゆみを
上に見たのならその人に上手いと言われたのだから自信にすれば良いし、
もしニュ-ゆみがみどりさん凄いな・・・と思ったのならそのみどりさんが、続けている
・・・って凄いと言っていたのだから、素直にそうなのかな・・・と位は思って欲しい
人の作品を観るって言うのは、うわべの技術じゃなくてその人にしか無い何か?を
知り得る事。それが例え判らなくても判ろうとする心。
それが少しでも判った時にその人から自分自身を知るきっかけとなる事もある・・・
それが本来の複数教室の意味。
そんな中の作家katsu。
連絡すると、快く承諾を得て2人の教室になる。
みどりさんに続いてニュ-ゆみもやって来てスタ-ト。2人共面識は無いのだけれど、
ブログを観てくれているので、作品だけは知っている・・・・
良く俺が味わっているあぁあの作品の人・・・まるでハムの人・・あの宣伝みたいね。
この人なんだぁ・・・あの作品作っているのは・・・・みたいなね。
お互い名前も知らないけれど作品だけはブログをまめに見てくれていれば良く知っている
ただ先生katsuだけはどちらも良く知っている・・・・そんな感じ・・・
共通しているのはただモザイクのみ。
正直、みどりさんは今同じパ-ツを切り続ける・・・これに専念しているから、悩み事が
あるとしたら色のみ。後はほぼ監視。安定したパ-ツが切れているかどうか?
ではニュ-ゆみは?
そう全く同じ状況なのである。それは切る形が違う事とタイルの素材が違う事だけ。
根本的には何も変わらない。
今、丸以外のタイル・・・つまり羽の模様の時と胴体にアイデアとしては指導は
あるものの、監視って言う点では一緒。
ではその2人はどんな雰囲気になるのか?って言うのは、みどりさんからすれば、
1cmタイルを始めたばかり・・・だからニュ-ゆみは先輩だし自分より上手いと判断。
ではニュ-ゆみからすると、定期的に通っているから凄いな・・・って感じ。
これが複数の人がいる教室の良さ。
認めて貰う・・・これが何より自信になる。ただ大事なのはそれを素直に受け入れる
事が出来るかどうか?
もしこれがかぐやなら明らかに判りやすい関係になる。自分より上手い人だと・・・
だからもし上手いですね・・・と声を掛けられると、やったぁ・・・なんて
思ったりするのも素直にあるだろうし、口に出る言葉としていえいえ・・・と
謙虚な事を言ったりする事もあるだろう。
では2人の場合は?自分から見た目線と相手から見られている目線の違いに気が付く事が
出来るのならこの教室は良い教室になったはず。
けれど、もし食い違っていたのならこれは納得しないといけなくなる・・・・
これは最近俺が考えたものなんだけれど、興味があったらやって見て下さい。
まずは図1の解説。斜線部分に自分を入れて、残りの3人の登場人物の名前を入れる。
上記は自分から斜線が出ているから、自分が考える相手の気持ち。下記は相手がどう考えているか?を自分自身でイメ-ジする。勿論あくまで自分が考える・・・もので
正解は聞いて見ないと判らない。では例題を作って見よう。
ではまずはお題。夏の団体のお教室とでもしようかな。
そして登場人物を俺、かぐや、キウイ、オ-ドリ-として見ようか。
この仕組みは力量が一番弱いと簡単なのね。ならばオ-ドリ-を斜線に入れる。
モザイク歴、教室手伝い歴、何を取っても新人となれば上記はみんな凄いな・・・
こんな感じだろうね。
ではみんなから見たオ-ドリ-は?こうなると三者三様になるだろうが、大丈夫かな?
オ-ドリ-・・・・物凄く簡単になる。
それを今度は図2に力量に応じて上から順に入れて行く。さっきと同じようにオ-ドリ-
から考えるものと、俺から、かぐやから、そしてキウイから・・・とね。
おそらくその後、みんなに聞くまでも無いが全員何一つ変わる事無く答えは一緒に
なるだろう。もしこれが一致して成立する時、オ-ドリ-が考える自分の立ち位置と
みんなが考えるオ-ドリ-の立ち位置が一緒なので誰が何をすれば良いか?おのずと
それぞれが教室を円滑に進めるには役割が簡単に理解出来るはず。
これは物事を考えるにあたって建築的発想で作ったもの。平面図と立面図。
図1では知らない人が見ると誰が上手いか?誰が力があるか?何も判らない。
しかし図2は子供でも順番が判る。物事を斜に見る基本。
図1では平面なので意見は良いやすい。物事を力量に関係なく進めやすい。
しかし図2では自分の身の置き方1つで立場は大いに変わって来るはず。
しかし1番下にすれば、上の人だ・・・と判断すれば面倒掛けないように・・・・
位で必要以上に考える必要は無い。遅刻しないとか忘れ物は無いか?とかね。
当たり前と言えば当たり前の事のみ。
そしてここで大事なのは、気を使うって言う言葉・・・本来この国では、気を使うのは
下になる。何故なら無礼講なんて言葉があるが、じゃ今日は無礼講で・・・と言うのは
ある程度上の立場な人であり、末端が今日は無礼講で・・・とは余り聞かない。
しかも誰が言ったとしてもこの国では本当の無礼講はほぼ無い。
俺が考える理想は、気を使うのは上の者達で面倒を見るのは上の仕事。
それを下の者達に見せる事が出来、伝わったのなら次に出て来る下の者へ上にして
貰った事を伝達して行けば良いだけとなる。そして今日は無礼講にして下さい・・・と
下の者が言えるような環境は整えたいと思っている。
同じように責任は常に上で下の者には責任を取る事は出来ない。出来る事は謝る事だけ。
長々書いては見たけれど、一番良いたかったのは、みどりさんにはもしニュ-ゆみを
上に見たのならその人に上手いと言われたのだから自信にすれば良いし、
もしニュ-ゆみがみどりさん凄いな・・・と思ったのならそのみどりさんが、続けている
・・・って凄いと言っていたのだから、素直にそうなのかな・・・と位は思って欲しい
人の作品を観るって言うのは、うわべの技術じゃなくてその人にしか無い何か?を
知り得る事。それが例え判らなくても判ろうとする心。
それが少しでも判った時にその人から自分自身を知るきっかけとなる事もある・・・
それが本来の複数教室の意味。
そんな中の作家katsu。