目地をして完成だったので、まずはボンド落としをしながらのぉ・・・新作相談。
新作のお題がフェニックス・・・と言う事で、下絵は何度か見ていたので、
そのバランスでは飛ばない・・・と駄目出ししてあったので、しっかりと是正して来た。
そんな事もあって、考え方もしっかりしていて、自分の下絵の欠点を判っていた。
次なる変な所は・・・足。では、一番の欠点は・・・?実はそんな事では無いのね・・・
その前フリが、先日のパエリアの方との比較の話だったのね。
では、その比較って話。まずパエリアさんの場合、スペインが好きなので・・・・と、
パエリアとなる。しかしながら、お洒落パエリアのような、見る側に判りづらいものを
避ける事・・・と言う、注意点を守って頂いた事でパエリアを作りたい・・・の基本を
崩さず、大事なのはお洒落パエリア具材のものでは無く、パエリアに見えるものの選択と
理解をされてのスタ-トを切った事。そして単純にした事で、パエリアに見えてからの、
そこへプラスして行く方法を取って行く・・・こんなやり方。
しかし、みどりの場合、遊びと銘打ってぺきぺきを選択。それは合っている。
パエリアの方は逆で、固いタイルを使う事で大作になるので、シンプルに・・・となる。
では、みどりは経験値からもスタ-トとしての選択は合っていたのに、何故こうなったか?
それは、以前も言ったように、見た目の可愛さと違い、設定の難易度が高かった事。
方やシンプルなパエリアに対して、ザリガニがモザイクア-チストで竹の玩具のような
ヘビのモザイクを作ったのが飛び出して来る・・・・聞いているだけでもう複雑過ぎる。
それなのに、ぺきぺきだから・・・のみで簡単で遊びと思い込んだ事で、自分の考えていた時間とは大幅に変わってしまった事での戸惑い・・・これがすべて。
ならば、次の大作は同じ失敗をしない事。勿論、単純に考えれば大作である・・・ここで
簡単とは思わないから大丈夫・・・とまた同じ思い込むと言う失敗を繰り返さない為にも
考え方の確認。では、フェニックスに戻り、飛べない羽も是正してあり、それによって
バランスが崩れ、足が是正したくなった。
ではその足・・・何が変なのか?勿論、画力があればこんな事は起こらないのだが、
今更、学校で習うようなやり方では間に合わない。そこで画力のアップとして大事なのは
感じる事なのね。その感じるってのは、感覚のみに頼る感じなのかな?
そうね・・・例えば、作曲って言うのは通常楽器の弾ける人だけのものだったでしょ?
ピアノやギタ-なんてものを使ってね。でも今は楽器の弾けない人も打ち込みって言う
機械やパソコンで楽器の弾けない人も作曲をする時代。
つまり根本的に音楽の基礎が無くても良い事になる・・・あんな考え方かな。
ただそれに相当するのが感覚。つまり感性なんて表現。それを感じるって表現をしたのね
つまり画力は無くても、変だな?って感覚のみを研ぎ澄ませば、正解は近づいて来る。
それがアップすれば、ギタ-やピアノ、パソコンに匹敵する喰い切りの技術って言うのは
持っているのだから、いかにその前の感じる・・・ここを思い込まないって部分を
直せるか?になる。
ではそれを前提に足について。フェニックスって言うのは先人達が相当やり尽くした題材
・・・だから、当然みんなもあぁ言うものである・・・って思い込んでいる。
だから、フェニックスってどんなもの?とみどりに色々と箇条書きで良いから上げて貰う
・・・そう言うやり取りの中で、足は?となり、長くて何かを掴む手を持っているって
言うのね。では掴むって言う事を拾う。掴んでいるのは何?獲物・・・そこでそれでは
猛禽類、つまり鷹だの、鷲だの、ふくろうだのって、うさぎやねずみを捕食するあれ。
そうなるよね・・・?すると、足が長くないって言うのね。じゃ足の長いのは?と聞くと
鶴とかじゃなくて・・・と言うのね。ここまでは、自分で判っていた事らしいのね。
俺も確認の為に質問はしたものの、そこまでは判っていると思っていたのね。
何故なら思い込む人だから。だって、掴むと言ったら猛禽類はすぐに思い浮かぶ。
しかし足は長い・・・長いのは鶴だのフラミンゴになってしまう・・・と思い込む癖。
良くあるみどりやさくらの一か八か・・・ってあの考え方。
一見、二者択一みたいな感じがするが、実は初めから答えは1つあって、もう1つの方には
最初から興味は無く、でも覚悟をする意味でも決めた・・・と思い込む癖。
これを当てはめれば、掴むと言えば猛禽類、長いと言えば、鶴とフラミンゴ・・・。
では、考え方を変えよう。まずどうしてそうなるか?簡単な事で、こんな事をする。
みどりは常に犯人を見た目撃者なのだ。その感覚で何か質問したとしよう。
みどりの目撃証言で犯人が捜せると思うかな?あはははは、無理だね。
何故なら、目撃証言が曖昧で聞けば聞くほど、二転三転する。しかもヘタをすれば、
思い込んでいる分、誤認逮捕なんて事になり兼ねない・・・・。そこで、たまには
逆の立場、つまり取り調べる側の刑事さんや、プロファイリングする人になって見る。
それでもう一度、同じ質問をやって見る。しかも1人で二役・・・
目撃者のみどりさんは、確か足の長い捕獲するような鳥の足だった・・・と言う。
プロファイリングのみどりとしては、それを分析しないとならないから、2つに分けて
足が長い・・・と捕獲する・・・に分けたんだろうね。ここまでは出来ていた。
しかしそこからの掘り下げが甘いのね。では捕獲で掘り下げると、猛禽類じゃなくて
捕獲する鳥は?と考えると、次は魚を捕獲って言うのは、安易に考えられる。
では魚を捕獲する鳥なんて考えられると・・・・ペリカンとか、足がヒレとして、
泳ぎが上手いなんてのも出て来てしまうが、かわせみのような水陸両用的なものも浮かぶ
のね・・・ただそれでは、いずれにせよ足は短い・・・・こうやって消去して行くと、
フェニックス自体が有り得ないもの・・・有り得ない・・・と言う事で言えば、
恐竜みたいなもんで・・・そんなもんがいたとしたら・・・・?ダチョウ?
そうね、ありゃ恐竜チックだよね・・・けど飛べないよなぁ・・・って話になる。
しかも足太いし・・・ってね。良くなって来たのね・・・向き合って来ている。
しかも、ここに今までのような否定とは違う何かが起こって来る・・・要するに
消去するにも、増やして行くにも、根拠を使って感のみに頼らないようにする。
こう言うと、さっき感って言ったじゃん・・・となるけれど、感のみって意味では無く、
思いつきの感から入るのなら、入れて置いて根拠で広げたり、消去したりする。
受け入れるから入るのなら、根拠で絞り込んで行く・・・こう考えると、みどりの場合、
ぞうの時は、何も決めずに増やして行く事に悩み、今度はその失敗を是正しようと、
今回はしっかり考えた・・・と変えて来た。しかし両者共に遊び感覚で大作のようにして
結局、モザイクの腕で結果をまとめて来た・・・・そんな感じなのである。
つまりすべてモザイクの腕に頼り切っていたのである。そこでそれらと同じにならないように、もう一歩上への指導として、根拠を持ってのプラスマイナスをする・・・・
思い込まずに・・・そんな練習。そんな事を踏まえてやって行けば、答えは簡単に
見つかって来る・・・・ダチョウの雰囲気は悪くなくて、足が太いと言うのなら・・・
細くしてみ・・・どんな感じ?・・・えっと・・・にわとりとか孔雀とか・・・ほら
たどり着くでしょ・・・きっと、そんなもんが先人のベ-スだと思うのね・・・。
こんな事をクリエ-タ-って言うのは、やってるんじゃないのかな?
そもそも最初は教わる・・・ここは基礎的なものを習うんだから、それも良い。
ただ先生のサンプルだけを真似していたら、いつかそれも飽きる。何故ならそうして
繰り返せば、先生はこれなら出来るかな?って事ばかりを与え続けるから。
そうしていつか生徒に追い付かれて行く・・・・知らず知らず生徒も先生も意識せずに
・・・。そんな事をし続ければ、限界が来る。ただ、ひとたびオリジナルを作るとなれば
オリジナルとは?自分自身。つまり今までの自分を磨いて変えなければならない・・・・
ただ変えるにしても、基準になる1歩目が必要になる・・・それが大作。
それを基準に自分越えをして行く。しかしながら何を越えるのか?・・また限界が来る。
何故ならモザイクをするには切る張ると言う、道具の使い手になる事を目指す。
反復練習でね。ただ完成度を考えると、美大でも行って無い限り、オリジナルよりも、
人をデザインを真似た方が結果が出る。しかも反復練習の間ならそれも良いが、
いつかそれに飽きて来たり、いつかチャレンジしに行く機会があったりする。
それにつまづいても、くそぉぉぉぉって次のある人は必ず結果は出る。
ではそのつまづく部分、それが下絵なんだけれど、それとて何とかそれに見えるって
所まではたどり着くようになれるが、それでも大きくなればなるほど、ただ見えるでは
満足が行かなくなる。そこで必要なのが情緒となる。いかに自分らしい情緒を出せるか?
ただ普通日常ではそんな事は探さないし、見つけようとはしない。
別にいらないしね・・・生きて行くのにも、日常にも・・・能率効率のみで良いのなら。
でもね、音楽が好き、スポ-ツが好き、写真が好き、・・・と好きが高じた時に、
私もやって見たい・・・となったりすると、いつしかオリジナルへ・・・と、
自分で作りたい、スポ-ツをやってみたい、写真を撮って見たい・・・・となり、
更に歌を作りたい、試合に出たい、展覧会に・・・ってオリジナルを人に見て貰いたい。
そんな風に変化したりもする。そこで必要なのが、構想や組み立て、洞察力、観察力、
想像力・・・・と色々とあって、そんな葛藤の真ん中にみどりはいるのだろう・・・
ただフェニックスとしてのキャラはこれで抜け出したろうから、今度はどんな?なのね。
みどりはここを複雑にするから、まとまりが無くなるのね、いつもいつも。
ここをシンプルにして、出来たらまた付け足す・・・趣旨に沿ってね。
考え方は、まずフェニックスは不死鳥である。恐らくみどりの考え方であるならば、
死なない・・・でスタ-トなのであろう。つまり良い事取り的考え。
では全く逆であるのなら・・・・死ねないとかになる。でも言葉だけなら、死なないは
殺されても死なないとも取れるし、死のうにも死ねないとも取れる。
勿論、生き続けるとも言えるし、表現の仕方で解釈で、言い方は変わって来るが、
内容は何処にたどり着きたいか?で、どれを選択すべきか?になって来ると思うのね。
それを良い事のみだけを選択するのなら、甘くと言うなら、みりんに砂糖にこんぺいとう
・・・後、何を入れる?になるが、塩って手は無かったっけ?ってあれ。
いかにそこを葛藤して行くか?を考えて入れられるようになると、一か八かってあの考え
のみ・・・からの脱出になると思われる。
一番難しいのは、陪審員や審判のような中立で裁く様な立場でモノを見る目を持てると、
冷静な判断を出来ると思うのだけれど・・・・
まっそんな中、目地。それについては経験値でその内に上手くなる・・・だから、まっ
こんな感じで良い。
目地は黄色の薄い感じにしたのね。仕上がりの結果だけなら何も言う事無く、良い。
きちんとまとめて来た・・・・そうも取れる。
そんな中、1つ作品を終えて、新作は下絵の最中・・・・ならばこれ。

オランダシシガシラ。今の話を全部ひっくるめて、下絵は俺の・・・何も悩まずに済む。
プレッシャ-が掛かるとは思うが、飲まれないようにする事。
常連さんとは俺と1対1で作って貰うが、これが2人で作れる最後かも・・・と思えたら、
少し楽しめるかも知れない・・・・。今後はみんなで・・・になると思うから・・・。
それをお礼と取るか?嫌がらせと取るか?はやった人が決めると良い・・・あはははは。
新作のお題がフェニックス・・・と言う事で、下絵は何度か見ていたので、
そのバランスでは飛ばない・・・と駄目出ししてあったので、しっかりと是正して来た。
そんな事もあって、考え方もしっかりしていて、自分の下絵の欠点を判っていた。
次なる変な所は・・・足。では、一番の欠点は・・・?実はそんな事では無いのね・・・
その前フリが、先日のパエリアの方との比較の話だったのね。
では、その比較って話。まずパエリアさんの場合、スペインが好きなので・・・・と、
パエリアとなる。しかしながら、お洒落パエリアのような、見る側に判りづらいものを
避ける事・・・と言う、注意点を守って頂いた事でパエリアを作りたい・・・の基本を
崩さず、大事なのはお洒落パエリア具材のものでは無く、パエリアに見えるものの選択と
理解をされてのスタ-トを切った事。そして単純にした事で、パエリアに見えてからの、
そこへプラスして行く方法を取って行く・・・こんなやり方。
しかし、みどりの場合、遊びと銘打ってぺきぺきを選択。それは合っている。
パエリアの方は逆で、固いタイルを使う事で大作になるので、シンプルに・・・となる。
では、みどりは経験値からもスタ-トとしての選択は合っていたのに、何故こうなったか?
それは、以前も言ったように、見た目の可愛さと違い、設定の難易度が高かった事。
方やシンプルなパエリアに対して、ザリガニがモザイクア-チストで竹の玩具のような
ヘビのモザイクを作ったのが飛び出して来る・・・・聞いているだけでもう複雑過ぎる。
それなのに、ぺきぺきだから・・・のみで簡単で遊びと思い込んだ事で、自分の考えていた時間とは大幅に変わってしまった事での戸惑い・・・これがすべて。
ならば、次の大作は同じ失敗をしない事。勿論、単純に考えれば大作である・・・ここで
簡単とは思わないから大丈夫・・・とまた同じ思い込むと言う失敗を繰り返さない為にも
考え方の確認。では、フェニックスに戻り、飛べない羽も是正してあり、それによって
バランスが崩れ、足が是正したくなった。
ではその足・・・何が変なのか?勿論、画力があればこんな事は起こらないのだが、
今更、学校で習うようなやり方では間に合わない。そこで画力のアップとして大事なのは
感じる事なのね。その感じるってのは、感覚のみに頼る感じなのかな?
そうね・・・例えば、作曲って言うのは通常楽器の弾ける人だけのものだったでしょ?
ピアノやギタ-なんてものを使ってね。でも今は楽器の弾けない人も打ち込みって言う
機械やパソコンで楽器の弾けない人も作曲をする時代。
つまり根本的に音楽の基礎が無くても良い事になる・・・あんな考え方かな。
ただそれに相当するのが感覚。つまり感性なんて表現。それを感じるって表現をしたのね
つまり画力は無くても、変だな?って感覚のみを研ぎ澄ませば、正解は近づいて来る。
それがアップすれば、ギタ-やピアノ、パソコンに匹敵する喰い切りの技術って言うのは
持っているのだから、いかにその前の感じる・・・ここを思い込まないって部分を
直せるか?になる。
ではそれを前提に足について。フェニックスって言うのは先人達が相当やり尽くした題材
・・・だから、当然みんなもあぁ言うものである・・・って思い込んでいる。
だから、フェニックスってどんなもの?とみどりに色々と箇条書きで良いから上げて貰う
・・・そう言うやり取りの中で、足は?となり、長くて何かを掴む手を持っているって
言うのね。では掴むって言う事を拾う。掴んでいるのは何?獲物・・・そこでそれでは
猛禽類、つまり鷹だの、鷲だの、ふくろうだのって、うさぎやねずみを捕食するあれ。
そうなるよね・・・?すると、足が長くないって言うのね。じゃ足の長いのは?と聞くと
鶴とかじゃなくて・・・と言うのね。ここまでは、自分で判っていた事らしいのね。
俺も確認の為に質問はしたものの、そこまでは判っていると思っていたのね。
何故なら思い込む人だから。だって、掴むと言ったら猛禽類はすぐに思い浮かぶ。
しかし足は長い・・・長いのは鶴だのフラミンゴになってしまう・・・と思い込む癖。
良くあるみどりやさくらの一か八か・・・ってあの考え方。
一見、二者択一みたいな感じがするが、実は初めから答えは1つあって、もう1つの方には
最初から興味は無く、でも覚悟をする意味でも決めた・・・と思い込む癖。
これを当てはめれば、掴むと言えば猛禽類、長いと言えば、鶴とフラミンゴ・・・。
では、考え方を変えよう。まずどうしてそうなるか?簡単な事で、こんな事をする。
みどりは常に犯人を見た目撃者なのだ。その感覚で何か質問したとしよう。
みどりの目撃証言で犯人が捜せると思うかな?あはははは、無理だね。
何故なら、目撃証言が曖昧で聞けば聞くほど、二転三転する。しかもヘタをすれば、
思い込んでいる分、誤認逮捕なんて事になり兼ねない・・・・。そこで、たまには
逆の立場、つまり取り調べる側の刑事さんや、プロファイリングする人になって見る。
それでもう一度、同じ質問をやって見る。しかも1人で二役・・・
目撃者のみどりさんは、確か足の長い捕獲するような鳥の足だった・・・と言う。
プロファイリングのみどりとしては、それを分析しないとならないから、2つに分けて
足が長い・・・と捕獲する・・・に分けたんだろうね。ここまでは出来ていた。
しかしそこからの掘り下げが甘いのね。では捕獲で掘り下げると、猛禽類じゃなくて
捕獲する鳥は?と考えると、次は魚を捕獲って言うのは、安易に考えられる。
では魚を捕獲する鳥なんて考えられると・・・・ペリカンとか、足がヒレとして、
泳ぎが上手いなんてのも出て来てしまうが、かわせみのような水陸両用的なものも浮かぶ
のね・・・ただそれでは、いずれにせよ足は短い・・・・こうやって消去して行くと、
フェニックス自体が有り得ないもの・・・有り得ない・・・と言う事で言えば、
恐竜みたいなもんで・・・そんなもんがいたとしたら・・・・?ダチョウ?
そうね、ありゃ恐竜チックだよね・・・けど飛べないよなぁ・・・って話になる。
しかも足太いし・・・ってね。良くなって来たのね・・・向き合って来ている。
しかも、ここに今までのような否定とは違う何かが起こって来る・・・要するに
消去するにも、増やして行くにも、根拠を使って感のみに頼らないようにする。
こう言うと、さっき感って言ったじゃん・・・となるけれど、感のみって意味では無く、
思いつきの感から入るのなら、入れて置いて根拠で広げたり、消去したりする。
受け入れるから入るのなら、根拠で絞り込んで行く・・・こう考えると、みどりの場合、
ぞうの時は、何も決めずに増やして行く事に悩み、今度はその失敗を是正しようと、
今回はしっかり考えた・・・と変えて来た。しかし両者共に遊び感覚で大作のようにして
結局、モザイクの腕で結果をまとめて来た・・・・そんな感じなのである。
つまりすべてモザイクの腕に頼り切っていたのである。そこでそれらと同じにならないように、もう一歩上への指導として、根拠を持ってのプラスマイナスをする・・・・
思い込まずに・・・そんな練習。そんな事を踏まえてやって行けば、答えは簡単に
見つかって来る・・・・ダチョウの雰囲気は悪くなくて、足が太いと言うのなら・・・
細くしてみ・・・どんな感じ?・・・えっと・・・にわとりとか孔雀とか・・・ほら
たどり着くでしょ・・・きっと、そんなもんが先人のベ-スだと思うのね・・・。
こんな事をクリエ-タ-って言うのは、やってるんじゃないのかな?
そもそも最初は教わる・・・ここは基礎的なものを習うんだから、それも良い。
ただ先生のサンプルだけを真似していたら、いつかそれも飽きる。何故ならそうして
繰り返せば、先生はこれなら出来るかな?って事ばかりを与え続けるから。
そうしていつか生徒に追い付かれて行く・・・・知らず知らず生徒も先生も意識せずに
・・・。そんな事をし続ければ、限界が来る。ただ、ひとたびオリジナルを作るとなれば
オリジナルとは?自分自身。つまり今までの自分を磨いて変えなければならない・・・・
ただ変えるにしても、基準になる1歩目が必要になる・・・それが大作。
それを基準に自分越えをして行く。しかしながら何を越えるのか?・・また限界が来る。
何故ならモザイクをするには切る張ると言う、道具の使い手になる事を目指す。
反復練習でね。ただ完成度を考えると、美大でも行って無い限り、オリジナルよりも、
人をデザインを真似た方が結果が出る。しかも反復練習の間ならそれも良いが、
いつかそれに飽きて来たり、いつかチャレンジしに行く機会があったりする。
それにつまづいても、くそぉぉぉぉって次のある人は必ず結果は出る。
ではそのつまづく部分、それが下絵なんだけれど、それとて何とかそれに見えるって
所まではたどり着くようになれるが、それでも大きくなればなるほど、ただ見えるでは
満足が行かなくなる。そこで必要なのが情緒となる。いかに自分らしい情緒を出せるか?
ただ普通日常ではそんな事は探さないし、見つけようとはしない。
別にいらないしね・・・生きて行くのにも、日常にも・・・能率効率のみで良いのなら。
でもね、音楽が好き、スポ-ツが好き、写真が好き、・・・と好きが高じた時に、
私もやって見たい・・・となったりすると、いつしかオリジナルへ・・・と、
自分で作りたい、スポ-ツをやってみたい、写真を撮って見たい・・・・となり、
更に歌を作りたい、試合に出たい、展覧会に・・・ってオリジナルを人に見て貰いたい。
そんな風に変化したりもする。そこで必要なのが、構想や組み立て、洞察力、観察力、
想像力・・・・と色々とあって、そんな葛藤の真ん中にみどりはいるのだろう・・・
ただフェニックスとしてのキャラはこれで抜け出したろうから、今度はどんな?なのね。
みどりはここを複雑にするから、まとまりが無くなるのね、いつもいつも。
ここをシンプルにして、出来たらまた付け足す・・・趣旨に沿ってね。
考え方は、まずフェニックスは不死鳥である。恐らくみどりの考え方であるならば、
死なない・・・でスタ-トなのであろう。つまり良い事取り的考え。
では全く逆であるのなら・・・・死ねないとかになる。でも言葉だけなら、死なないは
殺されても死なないとも取れるし、死のうにも死ねないとも取れる。
勿論、生き続けるとも言えるし、表現の仕方で解釈で、言い方は変わって来るが、
内容は何処にたどり着きたいか?で、どれを選択すべきか?になって来ると思うのね。
それを良い事のみだけを選択するのなら、甘くと言うなら、みりんに砂糖にこんぺいとう
・・・後、何を入れる?になるが、塩って手は無かったっけ?ってあれ。
いかにそこを葛藤して行くか?を考えて入れられるようになると、一か八かってあの考え
のみ・・・からの脱出になると思われる。
一番難しいのは、陪審員や審判のような中立で裁く様な立場でモノを見る目を持てると、
冷静な判断を出来ると思うのだけれど・・・・
まっそんな中、目地。それについては経験値でその内に上手くなる・・・だから、まっ
こんな感じで良い。
目地は黄色の薄い感じにしたのね。仕上がりの結果だけなら何も言う事無く、良い。
きちんとまとめて来た・・・・そうも取れる。
そんな中、1つ作品を終えて、新作は下絵の最中・・・・ならばこれ。

オランダシシガシラ。今の話を全部ひっくるめて、下絵は俺の・・・何も悩まずに済む。
プレッシャ-が掛かるとは思うが、飲まれないようにする事。
常連さんとは俺と1対1で作って貰うが、これが2人で作れる最後かも・・・と思えたら、
少し楽しめるかも知れない・・・・。今後はみんなで・・・になると思うから・・・。
それをお礼と取るか?嫌がらせと取るか?はやった人が決めると良い・・・あはははは。