枕無しで行こうかな・・・・。さくら相当悪いのね。ほぼ右手は駄目らしい・・・・
来るなり左手じゃ無理かな?って。
そっか・・・じゃ折角動かないなら左でやっかっ。って事になる。
あのさぁ、深夜のアニメで、ちはやふる・・・ってお気に入りがあるのね。
主人公が、ちはやちゃんって言うんだけれど、競技カルタの話でね、団体戦で負傷して
個人戦を迎えた時に左手で戦うのね。ちはやに出来るなら、さくらにも出来る。って
そんな話をして、もう1つ真面目にかぐやのように上手くなくて良かった・・・そんな話もした。もしかぐやなら確実に右手よりも見劣りする。
じゃさくらは?って言うと、そんなでも無い。恐ろしく上手く切るって程では無い。
例えばかぐやが右10点だとしたら、左は相当見劣りするだろうから2点だとする。
じゃさくらは?もし5.6点だとしたら、左はかぐやにも実績が無くて2点なら、さくらでも
同じと考えるのが妥当。だとしたら、たった2.3点差。ならばいくらでも取り返せるはず
そこで教えるに当たって俺もやらないと理不尽である。棚に上げての指導では、たわけた
親みたいで・・・。やっぱり痛みも折角だから共有しなくちゃね。
じゃまず両腕の固定ね。必要以上に頑丈に。ぶらぶらさせないように。
何しろ利き手じゃない以上、経験値が無さ過ぎる。
例えば弓を引くとする。両足が地についていれば安定感があるが、馬に乗って移動しながら・・・・となると、眼もぶれるし、体もぶれる。難しさは増す。だからまず安定。
大抵切る時に力が入ると、喰い切りを下に下げてしまう事が多い。それによって、左手も同時に動き、折角狙った場所をこじってずらしてしまう・・・まずはそれを防ぐ・・・
更に安定させた上に、グリップの一番遠くの終わりの部分から小指が若干出る位にして、
よっこいしょ・・・とか、うぅぅぅぅんと・・・とかのセリフじゃなくて、
クソッ、ばかっ、とか2文字の掛け声な感じで、一瞬だけ力を入れる。そんなタイミングで切る。更にタイルに刃を入れる時には、出来るだけ浅めに入れると、柔らかく感じる。
こんな基本的な事を一緒に左手で切って見せながら教えた・・・ただそれがさくらは、
初めて聞いた・・・って言うのね。
まっブログでは何度と無く書いたと思うが・・・・そうね、さくらは具合が悪い人だったから、そんな基本なんてイチイチ言わなかったかもね・・・
何しろ来て、何しろ切って、何しろ張って・・・何しろ出来たら良かったじゃん。
それを繰り返して自分のスタイル・・・そんな感じだったかも知れない。
ただ流石に1から・・・そしてきちんと動く左手って言うのなら、話は別で、それでは
きちんと基本通りやって見ようか・・・となる。
右手のように慣れだけで切ろうと思わずに・・・ね。
こんな指導をするきっかけになるセリフがある・・・・今の私に左手で切れるタイルは
何?・・・・こんな質問をされた・・・。
こう言う時は理想と現実とか、見栄えと機能性みたいな話で、堅実、確実、確立のような
そんな事を選べば良い。それなら答えは簡単。
一番大きいタイルは持ちやすい。だからエミリアに決定。
じゃその白で・・・とさくらが言うので、何で白なの?と聞くと、家紋のような格式が
あるものは、派手にしたら行けないって師匠が言ったんですよ・・・以前と言うのね。
じゃ辞めようか・・・以前の話なんて。
何故なら理由は簡単。その時は右手でやっていたから。今はもはや体験教室のように、
楽しみながらやらないと、全部きちんとすると、すべてが窮屈になる。
だから色を好きに選ぶ事と引き換えに、同じ模様の繰り返しをする事で、倫理とモラルを
する事でバランスを取る。しかも同じ模様の繰り返しは先日のご夫婦もやっていて、
反復練習になる。それによって一体今の自分にどの大きさが切れるのか?どの細さが
切れるのか?と1つ1つ確認をしながら、全部自分に聞いて行く。物理的に練習にもなる。
後はマチマチになったタイルをどうやって倫理とモラルを作って、どうル-ズになった
パ-ツのフォロ-が出来るかになる。上手くなるとは?同じ事を繰り返せるか?になる。
それが最初は出来ない場合が多い。それをいかにカバ-する張り方が出来るか?
同じ大きさ、同じ形に切れなくても、いかにそれをフォロ-する並べ方をするか?
諦めたり、悩まず進んだり、まっ良いか・・・こんな人には無理だが、それが出来ない
理由を考える。理由は簡単。目的意識が薄いから。何故大事か?どうしてそうするべきか?
それをきちんと理解する。やらなきゃならないのかぁぁって面倒だけれど・・・これでは
完全に後向きのイヤイヤである。
あっやっぱりやった方が良い・・・こう言う自覚が必要である。
それには受け入れる勇気が必要となる。
人は大抵経験値からプライドなんかがあったりする。無いと言ってもあったりする。
その時に何が一番自分に大事な事なのか?を1つだけ決めて置けば答えは必ず出る。
それなのにあれもこれもと理想ばかりを追求しているのにも気が付かずに、
理想で進んで出来ないと、難しいと言ったりする。実は難しくしているのは自分なのに。
もっとシンプルに考える事。私は初めてなんだ・・・と考えられれば、出来て良かったと
最初の自分に戻れる。もっと言うのなら、へっぽこな右手でそこまで出来たのなら、
満足に動く左手なら、もっと可能性があるかな?くらいに前向きに思えないかな?
初めてやるのに、出来ない出来ないって、出来なくて当たり前で、出来なくて当然なのに
プライドばかりが先行するから、追い込まれる。追い込まれるから失敗しないように・・
失敗したくない・・・と脳にプレッシャ-が掛かる。
ばかちぃぃぃん。悪い想像が出来るなら、それと同じだけ良い想像をしないから、
バランスが取れない痛みばかりを味わう事になる。
堅実に出来る事を1つでも増やす。何が出来るか己を知る。ただそれだけだと特訓になるから、そんな人は色だけを選んで楽しみながら、きちんと切る練習をする。
これが倫理とモラルを元に自由な色選びで基本を身に付けるやり方になる。
とても地味だが、それを反復する事で確かなる結果が出た時に、受け入れられるはず。
1つ結果が出れば、脳が俺の指導も、自分自身も認める事が出来るだろう・・・
それまで辛抱である。
良くお笑いに緊張と緩和ってバランスの言葉みたいなものがあるが、全く同じで
バランスを整える為には合い交わらないもので、より強調させる事が出来る。
どちらともにね。白と黒、丸とバツみたいなのがバランスになる。ハッキリさせる為のね・・・ここから崩して行けば、そのバランスが緩くなって行く。
きちんとどの分野でも、人がやる事なんて、必ずこうした基本がある。
所詮、その程度なのだ。そして本当に凄い人達は、その基本を元に自分らしさを手にする
自分の今を受け入れられてこそ、その中に活路が見つけられるはずなんだけれど、
逆も真なりと言うのなら、簡単に諦められるものなら本気にならない事をお勧めするね。
何よりも続けられて良かった・・・純粋にここから始められれば、さくらはきっと
左手で作ったこの時間、この作品が、また1つさくらの凄さに付け加えられるはず。
あっそうそう、その前に末期の病人ってのも自覚すんだなっ。
やれなくなったらどうしよう・・・なんてくだらない想像すんなら、やれなくなるまで
頑張ろうっと・・・こんな気持ちも大事である。続ける執着ばかりに気を取られると、
馬鹿みたいに脳が追い込まれ、手が動かなくなる。
だから動かなくなるまで続ければ良いだけ。ほら運動の選手見りゃ良いじゃん。
すべてが物語っている。体が動かなくなると指導にまわるしか無い。あれあれ。
両手が動かなくなったら、口で指導すりゃ良い。何処まで言っても一緒にいられる。
全くこんな馬鹿支えんのも大変である・・・・ただ俺は親兄弟よりも弟子を取るって
決めてあるので、生きて行く上で、大切な人の1人だから、面倒だが仕方無いのね。
そもそも折角、死ぬまで付き合う人なのだから、つまんない意地とかプライドよりも、
私に何出来るのかな?って思いながら出来る事だけやって行けば良いだけ。
さくらはそれだけで存在感十分。
全く昨日の指導者として・・・みたいな話と同じで、かぐやが私はこうやって出来た・・
って教えるのなら、さくらは、私は右手がポンコツになった時に、左手でも続けて見た
・・・・って言えば良い。笑いながら・・・・それだけで十分。まずは笑って私の右手は
ポンコツなんだぁ・・・って言える強さを持つ。脳にポンコツを植え付ける。
さくらの単純な脳なら、ポンコツを100回くらい言えば、むかつくぜっって反骨精神で
左手が動くって。痛いよねぇぇぇ、大変だよねぇぇ・・・なんて、その辺にいくらでも
転がっているから、俺が言う事では無い。俺には俺にしか出来ないさくらとの付き合い方がある。さくらが今のさくらではなく、本当のさくらになるには、まずは受け入れる姿勢
それを手にした時、きっと自分も観た事の無いさくらと出会う事になる。
来るなり左手じゃ無理かな?って。
そっか・・・じゃ折角動かないなら左でやっかっ。って事になる。
あのさぁ、深夜のアニメで、ちはやふる・・・ってお気に入りがあるのね。
主人公が、ちはやちゃんって言うんだけれど、競技カルタの話でね、団体戦で負傷して
個人戦を迎えた時に左手で戦うのね。ちはやに出来るなら、さくらにも出来る。って
そんな話をして、もう1つ真面目にかぐやのように上手くなくて良かった・・・そんな話もした。もしかぐやなら確実に右手よりも見劣りする。
じゃさくらは?って言うと、そんなでも無い。恐ろしく上手く切るって程では無い。
例えばかぐやが右10点だとしたら、左は相当見劣りするだろうから2点だとする。
じゃさくらは?もし5.6点だとしたら、左はかぐやにも実績が無くて2点なら、さくらでも
同じと考えるのが妥当。だとしたら、たった2.3点差。ならばいくらでも取り返せるはず
そこで教えるに当たって俺もやらないと理不尽である。棚に上げての指導では、たわけた
親みたいで・・・。やっぱり痛みも折角だから共有しなくちゃね。
じゃまず両腕の固定ね。必要以上に頑丈に。ぶらぶらさせないように。
何しろ利き手じゃない以上、経験値が無さ過ぎる。
例えば弓を引くとする。両足が地についていれば安定感があるが、馬に乗って移動しながら・・・・となると、眼もぶれるし、体もぶれる。難しさは増す。だからまず安定。
大抵切る時に力が入ると、喰い切りを下に下げてしまう事が多い。それによって、左手も同時に動き、折角狙った場所をこじってずらしてしまう・・・まずはそれを防ぐ・・・
更に安定させた上に、グリップの一番遠くの終わりの部分から小指が若干出る位にして、
よっこいしょ・・・とか、うぅぅぅぅんと・・・とかのセリフじゃなくて、
クソッ、ばかっ、とか2文字の掛け声な感じで、一瞬だけ力を入れる。そんなタイミングで切る。更にタイルに刃を入れる時には、出来るだけ浅めに入れると、柔らかく感じる。
こんな基本的な事を一緒に左手で切って見せながら教えた・・・ただそれがさくらは、
初めて聞いた・・・って言うのね。
まっブログでは何度と無く書いたと思うが・・・・そうね、さくらは具合が悪い人だったから、そんな基本なんてイチイチ言わなかったかもね・・・
何しろ来て、何しろ切って、何しろ張って・・・何しろ出来たら良かったじゃん。
それを繰り返して自分のスタイル・・・そんな感じだったかも知れない。
ただ流石に1から・・・そしてきちんと動く左手って言うのなら、話は別で、それでは
きちんと基本通りやって見ようか・・・となる。
右手のように慣れだけで切ろうと思わずに・・・ね。
こんな指導をするきっかけになるセリフがある・・・・今の私に左手で切れるタイルは
何?・・・・こんな質問をされた・・・。
こう言う時は理想と現実とか、見栄えと機能性みたいな話で、堅実、確実、確立のような
そんな事を選べば良い。それなら答えは簡単。
一番大きいタイルは持ちやすい。だからエミリアに決定。
じゃその白で・・・とさくらが言うので、何で白なの?と聞くと、家紋のような格式が
あるものは、派手にしたら行けないって師匠が言ったんですよ・・・以前と言うのね。
じゃ辞めようか・・・以前の話なんて。
何故なら理由は簡単。その時は右手でやっていたから。今はもはや体験教室のように、
楽しみながらやらないと、全部きちんとすると、すべてが窮屈になる。
だから色を好きに選ぶ事と引き換えに、同じ模様の繰り返しをする事で、倫理とモラルを
する事でバランスを取る。しかも同じ模様の繰り返しは先日のご夫婦もやっていて、
反復練習になる。それによって一体今の自分にどの大きさが切れるのか?どの細さが
切れるのか?と1つ1つ確認をしながら、全部自分に聞いて行く。物理的に練習にもなる。
後はマチマチになったタイルをどうやって倫理とモラルを作って、どうル-ズになった
パ-ツのフォロ-が出来るかになる。上手くなるとは?同じ事を繰り返せるか?になる。
それが最初は出来ない場合が多い。それをいかにカバ-する張り方が出来るか?
同じ大きさ、同じ形に切れなくても、いかにそれをフォロ-する並べ方をするか?
諦めたり、悩まず進んだり、まっ良いか・・・こんな人には無理だが、それが出来ない
理由を考える。理由は簡単。目的意識が薄いから。何故大事か?どうしてそうするべきか?
それをきちんと理解する。やらなきゃならないのかぁぁって面倒だけれど・・・これでは
完全に後向きのイヤイヤである。
あっやっぱりやった方が良い・・・こう言う自覚が必要である。
それには受け入れる勇気が必要となる。
人は大抵経験値からプライドなんかがあったりする。無いと言ってもあったりする。
その時に何が一番自分に大事な事なのか?を1つだけ決めて置けば答えは必ず出る。
それなのにあれもこれもと理想ばかりを追求しているのにも気が付かずに、
理想で進んで出来ないと、難しいと言ったりする。実は難しくしているのは自分なのに。
もっとシンプルに考える事。私は初めてなんだ・・・と考えられれば、出来て良かったと
最初の自分に戻れる。もっと言うのなら、へっぽこな右手でそこまで出来たのなら、
満足に動く左手なら、もっと可能性があるかな?くらいに前向きに思えないかな?
初めてやるのに、出来ない出来ないって、出来なくて当たり前で、出来なくて当然なのに
プライドばかりが先行するから、追い込まれる。追い込まれるから失敗しないように・・
失敗したくない・・・と脳にプレッシャ-が掛かる。
ばかちぃぃぃん。悪い想像が出来るなら、それと同じだけ良い想像をしないから、
バランスが取れない痛みばかりを味わう事になる。
堅実に出来る事を1つでも増やす。何が出来るか己を知る。ただそれだけだと特訓になるから、そんな人は色だけを選んで楽しみながら、きちんと切る練習をする。
これが倫理とモラルを元に自由な色選びで基本を身に付けるやり方になる。
とても地味だが、それを反復する事で確かなる結果が出た時に、受け入れられるはず。
1つ結果が出れば、脳が俺の指導も、自分自身も認める事が出来るだろう・・・
それまで辛抱である。
良くお笑いに緊張と緩和ってバランスの言葉みたいなものがあるが、全く同じで
バランスを整える為には合い交わらないもので、より強調させる事が出来る。
どちらともにね。白と黒、丸とバツみたいなのがバランスになる。ハッキリさせる為のね・・・ここから崩して行けば、そのバランスが緩くなって行く。
きちんとどの分野でも、人がやる事なんて、必ずこうした基本がある。
所詮、その程度なのだ。そして本当に凄い人達は、その基本を元に自分らしさを手にする
自分の今を受け入れられてこそ、その中に活路が見つけられるはずなんだけれど、
逆も真なりと言うのなら、簡単に諦められるものなら本気にならない事をお勧めするね。
何よりも続けられて良かった・・・純粋にここから始められれば、さくらはきっと
左手で作ったこの時間、この作品が、また1つさくらの凄さに付け加えられるはず。
あっそうそう、その前に末期の病人ってのも自覚すんだなっ。
やれなくなったらどうしよう・・・なんてくだらない想像すんなら、やれなくなるまで
頑張ろうっと・・・こんな気持ちも大事である。続ける執着ばかりに気を取られると、
馬鹿みたいに脳が追い込まれ、手が動かなくなる。
だから動かなくなるまで続ければ良いだけ。ほら運動の選手見りゃ良いじゃん。
すべてが物語っている。体が動かなくなると指導にまわるしか無い。あれあれ。
両手が動かなくなったら、口で指導すりゃ良い。何処まで言っても一緒にいられる。
全くこんな馬鹿支えんのも大変である・・・・ただ俺は親兄弟よりも弟子を取るって
決めてあるので、生きて行く上で、大切な人の1人だから、面倒だが仕方無いのね。
そもそも折角、死ぬまで付き合う人なのだから、つまんない意地とかプライドよりも、
私に何出来るのかな?って思いながら出来る事だけやって行けば良いだけ。
さくらはそれだけで存在感十分。
全く昨日の指導者として・・・みたいな話と同じで、かぐやが私はこうやって出来た・・
って教えるのなら、さくらは、私は右手がポンコツになった時に、左手でも続けて見た
・・・・って言えば良い。笑いながら・・・・それだけで十分。まずは笑って私の右手は
ポンコツなんだぁ・・・って言える強さを持つ。脳にポンコツを植え付ける。
さくらの単純な脳なら、ポンコツを100回くらい言えば、むかつくぜっって反骨精神で
左手が動くって。痛いよねぇぇぇ、大変だよねぇぇ・・・なんて、その辺にいくらでも
転がっているから、俺が言う事では無い。俺には俺にしか出来ないさくらとの付き合い方がある。さくらが今のさくらではなく、本当のさくらになるには、まずは受け入れる姿勢
それを手にした時、きっと自分も観た事の無いさくらと出会う事になる。