今日は唯一の大人の男性教室。笑い話とニュアンスだけ伝えるのなら、アナに出て来るあのトナカイの主人に雰囲気が似てて・・・以前キウイが会っていて言い出したんだけれど・・・・確かに似ていて、本人に伝えると、この手の映画を見るのは初めてなのに3回もDVD観ちゃいました・・・って。
まぁ、それはそうとお教室となると、正直、自宅ではやっていないって言うのと、ここで髪のパーツを切ろうとしていたので、いくらか進もうって事で、気分を変える為にも、襟元などの切らなくても進められる所を中心に進める事にした。
こう聞くと、簡単そうに聞こえるが、実はそうでも無くて、むしろ切る事が上手くなった人は、単なる繰り返しになるから単調になりやすい。
しかも調子も良さそうなのに、単調な事を進みも悪く、でも簡単な事をやるよりも、自宅で進めていない状況から考えると、進む事も大事になる。
そんな事から進む事を選んだが、当然良い事と悪い事は背中合わせ。つまり一見、簡単そうに見える事には落とし穴があって、点で作るのと、線で作る流れとでは、難易度に違いがあり、楽々切らずに進む分、急激に曲がらないとならない部分が出て来る。
ただやった事が無い事では無いのだけれど、点としてパーツ切りばかりを続け、そちらに慣れてしまうと、慣れてしまった分、しばらく線で作っていなかったから、どう曲げたっけ?と忘れてしまっている。まぁ、暗号のように言えば、ピザを切るような・・・とか、S字フックには気を付けてとか・・・
一番難しいのは、S字の真ん中の2パーツくらい・・・そこは曖昧にね・・・こんな言葉で思い出すもんなんだけれど・・・。それでも思い出すのに時間が掛かるのだから、しばらく振りなのね・・・ただ、出来ない訳じゃない。忘れていただけ・・・思い出せば、あぁ・・・ってな感じ。
腕は使わなきゃ、錆びるだけで、研げば直るし、体は覚えているもので・・・・ただ、どうやってたのか?の理屈を、説明では無く、キーワードで思い出す事が出来れば、いちいち説明を聞かなくても、短い時間で戻れるし、それは繰り返しそのキーワードを何度も聞いた人でないと判らない。
しかし、大事なのはそんな事を興味を持てない場合、それはキーワードとして記憶されないので、ほぼ記憶に残らないけれど、モザイク教室の中で、
バイクに乗らない・・・とか、S字フックに気を付けろとか、ピザを切るような・・・なんて、何それっ?って思えれば、それだけで十分だけれど、
全く興味が沸かなければ、その時点でいちいち説明を聞く、説明を話す関係が必要になる。その時点で目を見て話す事になれば、手は動かない。
いちいち手を止めていては、限られた時間の中、無駄な時間が増える。
実は限られた時間の中で・・・とは、手は止めてはいけないのね。何しろ切らないと慣れないのだから。けれど、切ると言う事は失敗をすると言う事。
失敗の数が慣れを生むから。けれど、限られた時間の中で失敗し続ければ、その失敗の分、進まない訳で・・・心のダメージは大きい。
しかも、記録したとしても、失敗の材料はいくらでもあり、成功の為にはこうする・・・なんて指導は、上手くなった人に対する指導であって、慣れの為の回数の無い場合、いくらその手の指導をしても、こうしないと出来ないって数学のように答えは1つじゃない訳で。
まっ、何が自分の正解か?を見つける手助けみたいな事であり、ここはオリジナル教室なんで、いかに時間内に習った事が復元されるか?になり、その復元した腕に上乗せ指導となる訳で、復元しか出来なければ、復元だけで終わる訳で。
その復元した事を踏まえて、自宅でやった場合、また慣れを生む・・・の繰り返し。勿論、やらなくても、その復元の繰り返しも繰り返せば、忘れる事が少なくなって行くもので・・・単なるその人のペースって話となる。
ただ、それがその人の思い描くペースと違うと、進み具合や質など、その人の求めるものとの差が現実としてどの程度の違いがあるか?になる。
それはその人にしか判らないもので、こちらとしては比べるものが無い場合、お互い見つけて行くものであり、サンプルがあるものとは違う。
ただ、こうしたコピーものは、正解がそこにあるので、いかに歩み寄るか?なので、お互いの気持ちや確認がしやすい。しかも、遊びに切り替えたから、厳しく言う必要も無いし・・・ただ、実は全く逆で、その件の時にきちんと向き合った分、かなりお互いに近寄ったんだろうね・・・・
むしろあの時よりも進歩がある。そもそも昔は自宅でもやっていたが、それは仕事に生かしたかった時の話。今は遊びなんだから、無理してやる必要は無い。そこが判れば簡単で、むしろこうして毎月1回ここに来る分だけ上手くなれば良い。
そうね、普通に考えれば、毎月1回でもこうして定期的に続けられて、しかも信頼関係としても一緒に築けていると、恐らく1つだけは大きく変わった事があるとしたら、きっとオリジナル制作に当たっての自分との向き合い方だろうね・・・きっと。
有難いのは仕事として生かすって目標が無くなっているのに、むしろここに来るのが楽しみで・・・と言われる事で、何らか自分なりの意味みたいなものが見つかっているようで・・・・それが何より。そこまで来ているなら、慌てずに気が向いたら、時間があったら自宅でもやれば良い。
続けるって言うのは、最初の珍しかった新鮮さは失うものなのだから・・・・それ以外の何かが各々必要になって行くものなのね・・・。
さて、その後は先日電話で問い合わせがあった場所に伺う事になるのだが・・・・道も混んでいなくて、予定の時間にも間に合った。
そうね・・・結果としてはいつもの通り。答えは2つに1つになる。
一体、俺に何を望まれるのか?例えば、作品依頼ならいくらの予算で何をお望みか?で、すんなり決まり、予約されている方がまだいらっしゃるので、お待ちになって貰う事になる。ただ例外はあって、それが建築がらみとなると、工期があり、あくまで建築扱いになるので優先させて貰う。
こんな程度の話になるが、どうやら自宅をサンプルとしてやって、自分の仕事に生かしたいようで・・・・。そうね、イメージとしては、浴槽を売るに当たって、浴室リフォームみたいな感じになるのかな?まぁ、決まった話じゃないので、むしろ流れる前提での例えとしてね。
仕事が特殊なので、具体的に言うと社名が判ってしまうのでね1つの例として・・・。
ここで本来すべてが終わったも同然の話で・・・・。要するに俺の趣旨はオリジナルの1点モノ。大量生産ではない。つまり見積もりを・・・と言われても、何をどう作るか?は予算次第。何が良いか提案して予算を立てて・・・と言われても、どの程度のものが欲しいか?になる。
要するに既存に無いものが欲しい・・・・そこはとても俺には簡単な話で、いくらでも作れるが、各々好みが違う訳で。それを何色がとか、柄が・・・とカタログでいくら?と言う、タイル屋のような仕事なら誰でも見積もりは出来るし、俺もタイル屋の時はそうしていた。
それは当たり前の事。それを既存と違うものを見積もりして・・・・と、それだけでは、提案したものが1回で通るはずも無く、つまり既存に無いものを定番とする見積もりする為のサンプル作り・・・と言う、ほぼ困難なお話をされた訳で・・・。
しかも、定番になると言う事は量産したいと言う事になる。当然、年間100件扱っているような話をなされる・・・・何とも俺の趣旨とは変わって行く。つまり同じようなものを100個作るのが嫌だから、タイル屋を辞めたのに、また同じ事をしてどうするのか?になる。
いくらそこを基準に変えると言っても、所詮ちょっとでは、簡単に人に真似されるだけ。タイル屋を見れば判る。何処のタイル屋がやったか?判るような仕事が出来るのは、俺が知っている限り、テレチャンの時の、安藤、武田氏以外見た事が無い。人とは違うって言うのはそれ程難しい。
つまり個性と言うのは、そう簡単には真似が出来ないものであり、似たようなものは所詮、何処にでもあるものになる。すぐに真似が出来るから。
つまりサンプルと言っている以上、その時点で大量生産の話をしている訳で。1点モノの話では無い。つまり商売の話をしている訳で・・・。
そう商売・・・それなら、お互い傷付かずに生きる道が違うのだから、これ以上は接点が無い方が良い。
商売は儲かってなんぼ。綺麗事では済まない。何しろ一等地を確保するには、儲けが無きゃ尊属出来ないし、社員の生活を維持するには当然の事。
しかし、俺は家族もいなければ、角嶋の親父の倉庫の間借り・・・。失うものはほぼ無い。
こんな状況なら、確かに有難い話になるだろう・・・商売と言うのなら・・・。食えない奴が食えるようになるだろうから。そうね、デザインだけ考えて日高氏に施工させれば良いのだから・・・それが商売と言うもの。世の中の大半はそう言うもので成り立っている。
それでは設計士になる。勿論、請け負ってあがりをはねれば、請負師となる。別に悪い事では無いし、普通な事である。がしかし、その仕事が例え儲かろうと、潤う事になろうと、もし旨く行って100件なんて話を請けたら、お教室も個人の依頼も受けられなくなる。
だから、最初から縁の無い話だっただけ。俺はあくまで1点モノにこだわって生きるべきで。商売と言う大量生産がしたい訳では無い。
こんな説明をして断られに行くって言うのは、精神的に辛いのね・・・けれど、問い合わせを断る訳には行かない・・・。
もっと言えば、それと引き換えに知られるって営業に行った事になる・・・一生忘れられない営業に・・・・いかんせん、それはきついものになる。
何しろ断られる前提になる可能性が大なのだから。しかも、見積もりや提案をしないで予算を聞く事を無礼と扱われる状況では、いくら説明しようと
伝わるはずも無く・・・・普通は仕事は欲しいもので・・・。俺は俺の作品が欲しい人に作りたい訳で、誰が作っても良い商売と言う名の作品を、
出来ればやりたくない・・・・それが本音。まっ、角嶋の親父に頼まれたら例外であるが・・・それでもね・・・・。
ただ、礼には礼。電話とは言え、呼ばれたのだからすぐに伺ったし、ただ、こちらから断る事は出来ないし、ならば断られる前提でお会いして、相手の仕事も見せて頂き、自分の作品の写真も観て頂いた・・・それだけで十分。それも営業・・・。
ただこれも良い事とかぐやには話したのね。最近の近況では、川田氏の件、美術芸術の海外の話、フレスポ開催と、良い事が続いた。本来、かぐやや日高氏なら浮かれ気分になる所だが、今日のような現実はむしろ生きて行く事には必要な話で・・・商売・・・そうね、当たり前の話だった。
けれど、当たり前の事なら俺では無くて、きっと他にいる。何しろ俺じゃ無きゃだめで、俺を買ってくれる人に時間を使いたい。まっとは言え、そんな生き方を出来るのも角嶋の親父さんあっての事・・・・調子に乗らないように、現実のお灸とでも思って受け入れるべきで・・・。
ただ、判っていて出来ない事もある。想像力、洞察力、観察力・・・・すべてはクリエーターの生命線・・・相手がどう思っているか?
1つだけ言うのなら、俺より後に来て、俺より先に席を立った時点で、この話はそれ以上進む必要は無い事だと思う・・・その程度に必要なのだから。
また1つ練習させて頂いた。これも踏み台として上に上がる糧にしないと・・・・。勉強にならない・・・。それを使えてなんぼ。知識では無く知恵。
得た事が相手よりも多ければ、得したのは俺になる・・・・。はず・・・。
まぁ、それはそうとお教室となると、正直、自宅ではやっていないって言うのと、ここで髪のパーツを切ろうとしていたので、いくらか進もうって事で、気分を変える為にも、襟元などの切らなくても進められる所を中心に進める事にした。
こう聞くと、簡単そうに聞こえるが、実はそうでも無くて、むしろ切る事が上手くなった人は、単なる繰り返しになるから単調になりやすい。
しかも調子も良さそうなのに、単調な事を進みも悪く、でも簡単な事をやるよりも、自宅で進めていない状況から考えると、進む事も大事になる。
そんな事から進む事を選んだが、当然良い事と悪い事は背中合わせ。つまり一見、簡単そうに見える事には落とし穴があって、点で作るのと、線で作る流れとでは、難易度に違いがあり、楽々切らずに進む分、急激に曲がらないとならない部分が出て来る。
ただやった事が無い事では無いのだけれど、点としてパーツ切りばかりを続け、そちらに慣れてしまうと、慣れてしまった分、しばらく線で作っていなかったから、どう曲げたっけ?と忘れてしまっている。まぁ、暗号のように言えば、ピザを切るような・・・とか、S字フックには気を付けてとか・・・
一番難しいのは、S字の真ん中の2パーツくらい・・・そこは曖昧にね・・・こんな言葉で思い出すもんなんだけれど・・・。それでも思い出すのに時間が掛かるのだから、しばらく振りなのね・・・ただ、出来ない訳じゃない。忘れていただけ・・・思い出せば、あぁ・・・ってな感じ。
腕は使わなきゃ、錆びるだけで、研げば直るし、体は覚えているもので・・・・ただ、どうやってたのか?の理屈を、説明では無く、キーワードで思い出す事が出来れば、いちいち説明を聞かなくても、短い時間で戻れるし、それは繰り返しそのキーワードを何度も聞いた人でないと判らない。
しかし、大事なのはそんな事を興味を持てない場合、それはキーワードとして記憶されないので、ほぼ記憶に残らないけれど、モザイク教室の中で、
バイクに乗らない・・・とか、S字フックに気を付けろとか、ピザを切るような・・・なんて、何それっ?って思えれば、それだけで十分だけれど、
全く興味が沸かなければ、その時点でいちいち説明を聞く、説明を話す関係が必要になる。その時点で目を見て話す事になれば、手は動かない。
いちいち手を止めていては、限られた時間の中、無駄な時間が増える。
実は限られた時間の中で・・・とは、手は止めてはいけないのね。何しろ切らないと慣れないのだから。けれど、切ると言う事は失敗をすると言う事。
失敗の数が慣れを生むから。けれど、限られた時間の中で失敗し続ければ、その失敗の分、進まない訳で・・・心のダメージは大きい。
しかも、記録したとしても、失敗の材料はいくらでもあり、成功の為にはこうする・・・なんて指導は、上手くなった人に対する指導であって、慣れの為の回数の無い場合、いくらその手の指導をしても、こうしないと出来ないって数学のように答えは1つじゃない訳で。
まっ、何が自分の正解か?を見つける手助けみたいな事であり、ここはオリジナル教室なんで、いかに時間内に習った事が復元されるか?になり、その復元した腕に上乗せ指導となる訳で、復元しか出来なければ、復元だけで終わる訳で。
その復元した事を踏まえて、自宅でやった場合、また慣れを生む・・・の繰り返し。勿論、やらなくても、その復元の繰り返しも繰り返せば、忘れる事が少なくなって行くもので・・・単なるその人のペースって話となる。
ただ、それがその人の思い描くペースと違うと、進み具合や質など、その人の求めるものとの差が現実としてどの程度の違いがあるか?になる。
それはその人にしか判らないもので、こちらとしては比べるものが無い場合、お互い見つけて行くものであり、サンプルがあるものとは違う。
ただ、こうしたコピーものは、正解がそこにあるので、いかに歩み寄るか?なので、お互いの気持ちや確認がしやすい。しかも、遊びに切り替えたから、厳しく言う必要も無いし・・・ただ、実は全く逆で、その件の時にきちんと向き合った分、かなりお互いに近寄ったんだろうね・・・・
むしろあの時よりも進歩がある。そもそも昔は自宅でもやっていたが、それは仕事に生かしたかった時の話。今は遊びなんだから、無理してやる必要は無い。そこが判れば簡単で、むしろこうして毎月1回ここに来る分だけ上手くなれば良い。
そうね、普通に考えれば、毎月1回でもこうして定期的に続けられて、しかも信頼関係としても一緒に築けていると、恐らく1つだけは大きく変わった事があるとしたら、きっとオリジナル制作に当たっての自分との向き合い方だろうね・・・きっと。
有難いのは仕事として生かすって目標が無くなっているのに、むしろここに来るのが楽しみで・・・と言われる事で、何らか自分なりの意味みたいなものが見つかっているようで・・・・それが何より。そこまで来ているなら、慌てずに気が向いたら、時間があったら自宅でもやれば良い。
続けるって言うのは、最初の珍しかった新鮮さは失うものなのだから・・・・それ以外の何かが各々必要になって行くものなのね・・・。
さて、その後は先日電話で問い合わせがあった場所に伺う事になるのだが・・・・道も混んでいなくて、予定の時間にも間に合った。
そうね・・・結果としてはいつもの通り。答えは2つに1つになる。
一体、俺に何を望まれるのか?例えば、作品依頼ならいくらの予算で何をお望みか?で、すんなり決まり、予約されている方がまだいらっしゃるので、お待ちになって貰う事になる。ただ例外はあって、それが建築がらみとなると、工期があり、あくまで建築扱いになるので優先させて貰う。
こんな程度の話になるが、どうやら自宅をサンプルとしてやって、自分の仕事に生かしたいようで・・・・。そうね、イメージとしては、浴槽を売るに当たって、浴室リフォームみたいな感じになるのかな?まぁ、決まった話じゃないので、むしろ流れる前提での例えとしてね。
仕事が特殊なので、具体的に言うと社名が判ってしまうのでね1つの例として・・・。
ここで本来すべてが終わったも同然の話で・・・・。要するに俺の趣旨はオリジナルの1点モノ。大量生産ではない。つまり見積もりを・・・と言われても、何をどう作るか?は予算次第。何が良いか提案して予算を立てて・・・と言われても、どの程度のものが欲しいか?になる。
要するに既存に無いものが欲しい・・・・そこはとても俺には簡単な話で、いくらでも作れるが、各々好みが違う訳で。それを何色がとか、柄が・・・とカタログでいくら?と言う、タイル屋のような仕事なら誰でも見積もりは出来るし、俺もタイル屋の時はそうしていた。
それは当たり前の事。それを既存と違うものを見積もりして・・・・と、それだけでは、提案したものが1回で通るはずも無く、つまり既存に無いものを定番とする見積もりする為のサンプル作り・・・と言う、ほぼ困難なお話をされた訳で・・・。
しかも、定番になると言う事は量産したいと言う事になる。当然、年間100件扱っているような話をなされる・・・・何とも俺の趣旨とは変わって行く。つまり同じようなものを100個作るのが嫌だから、タイル屋を辞めたのに、また同じ事をしてどうするのか?になる。
いくらそこを基準に変えると言っても、所詮ちょっとでは、簡単に人に真似されるだけ。タイル屋を見れば判る。何処のタイル屋がやったか?判るような仕事が出来るのは、俺が知っている限り、テレチャンの時の、安藤、武田氏以外見た事が無い。人とは違うって言うのはそれ程難しい。
つまり個性と言うのは、そう簡単には真似が出来ないものであり、似たようなものは所詮、何処にでもあるものになる。すぐに真似が出来るから。
つまりサンプルと言っている以上、その時点で大量生産の話をしている訳で。1点モノの話では無い。つまり商売の話をしている訳で・・・。
そう商売・・・それなら、お互い傷付かずに生きる道が違うのだから、これ以上は接点が無い方が良い。
商売は儲かってなんぼ。綺麗事では済まない。何しろ一等地を確保するには、儲けが無きゃ尊属出来ないし、社員の生活を維持するには当然の事。
しかし、俺は家族もいなければ、角嶋の親父の倉庫の間借り・・・。失うものはほぼ無い。
こんな状況なら、確かに有難い話になるだろう・・・商売と言うのなら・・・。食えない奴が食えるようになるだろうから。そうね、デザインだけ考えて日高氏に施工させれば良いのだから・・・それが商売と言うもの。世の中の大半はそう言うもので成り立っている。
それでは設計士になる。勿論、請け負ってあがりをはねれば、請負師となる。別に悪い事では無いし、普通な事である。がしかし、その仕事が例え儲かろうと、潤う事になろうと、もし旨く行って100件なんて話を請けたら、お教室も個人の依頼も受けられなくなる。
だから、最初から縁の無い話だっただけ。俺はあくまで1点モノにこだわって生きるべきで。商売と言う大量生産がしたい訳では無い。
こんな説明をして断られに行くって言うのは、精神的に辛いのね・・・けれど、問い合わせを断る訳には行かない・・・。
もっと言えば、それと引き換えに知られるって営業に行った事になる・・・一生忘れられない営業に・・・・いかんせん、それはきついものになる。
何しろ断られる前提になる可能性が大なのだから。しかも、見積もりや提案をしないで予算を聞く事を無礼と扱われる状況では、いくら説明しようと
伝わるはずも無く・・・・普通は仕事は欲しいもので・・・。俺は俺の作品が欲しい人に作りたい訳で、誰が作っても良い商売と言う名の作品を、
出来ればやりたくない・・・・それが本音。まっ、角嶋の親父に頼まれたら例外であるが・・・それでもね・・・・。
ただ、礼には礼。電話とは言え、呼ばれたのだからすぐに伺ったし、ただ、こちらから断る事は出来ないし、ならば断られる前提でお会いして、相手の仕事も見せて頂き、自分の作品の写真も観て頂いた・・・それだけで十分。それも営業・・・。
ただこれも良い事とかぐやには話したのね。最近の近況では、川田氏の件、美術芸術の海外の話、フレスポ開催と、良い事が続いた。本来、かぐやや日高氏なら浮かれ気分になる所だが、今日のような現実はむしろ生きて行く事には必要な話で・・・商売・・・そうね、当たり前の話だった。
けれど、当たり前の事なら俺では無くて、きっと他にいる。何しろ俺じゃ無きゃだめで、俺を買ってくれる人に時間を使いたい。まっとは言え、そんな生き方を出来るのも角嶋の親父さんあっての事・・・・調子に乗らないように、現実のお灸とでも思って受け入れるべきで・・・。
ただ、判っていて出来ない事もある。想像力、洞察力、観察力・・・・すべてはクリエーターの生命線・・・相手がどう思っているか?
1つだけ言うのなら、俺より後に来て、俺より先に席を立った時点で、この話はそれ以上進む必要は無い事だと思う・・・その程度に必要なのだから。
また1つ練習させて頂いた。これも踏み台として上に上がる糧にしないと・・・・。勉強にならない・・・。それを使えてなんぼ。知識では無く知恵。
得た事が相手よりも多ければ、得したのは俺になる・・・・。はず・・・。