katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

亀有カルチャーとオードリーと珍しい方の相席教室

2014-09-14 03:22:30 | モザイク作家

まずは先日のアトリエ教室に最近いらっしゃるリピーターさんが、亀有のスペイン語講座の先生になった・・・・そんな事から、窓口の人達に話すと・・・・・・・・・・皆さん知ってて、そうなんですってねぇ・・・・凄い偶然でビックリしましたぁ・・・・って。ひとまず、ご挨拶代わりに・・・・。

そんな中、みんながいつものように集まると、先生ぃぃ・・・・あの下地ぃぃ・・・・・ですよねぇ・・・・・すべてはブログを見てくれている話・・・・。良いですよねぇ・・・何て挨拶したってしょうがないし、それでどうしますぅ?・・・・やりたいです・・・・って話になり、まずは小物でマグネット3つって言った方から・・・・。

まずは目地をして来年のひつじの絵馬完成して、いちごのミニテーブルになるのだけれど・・・・。この方がこの後にアトリエ教室って言う事になって・・・・そんな訳で、初めての事なので、この話は後半にするとして、それでは金町湯の方。

今日は白い花びらだったんだけれど、2時間って上手くなると・・・・こだわるって・・・・こうして数えられる位しか進まないものなのね。けれどね、質としてはほぼ完璧で、当然、それだけのこだわりを上手くなって持つと・・・当然これだけの結果が付いて来る。そう言う点では、報われている作品の1つである。

欲を言えばね、次に作る本気の作品は、この方を金町湯の人って言えないようになる、そんな作品が見てみたいのね・・・・。何しろ上手さや丁寧さはもう判った。だから、それらを持っての・・・・からの・・・・って感じ。判るかなぁ?

それをすでに作っているのが、この犬の方。

多分、犬の人がさぁ・・・・って言うと、常連やリピーターの人達は、簡単にあぁあの人ね・・・って判っちゃうのね。それは犬であるって意味では無く、上手さも含めた反応であって、金町湯の方も、同じように上手いのだけれど、看板なんて作った人は少ないし、漢字で銘木で、何もかもアイデア勝ちって感じに、

見えたりしてしまう・・・・。それは何故か?それは俺の作品の数々で考えたり、以前、浦安の展覧会での話を知っている人なら、すぐに判るのだけれど、要するに、美術芸術と工芸を比較すると、工芸を下に見る傾向があったり、美術芸術とアニメだったりを比較すると、所詮アニメと下に見たり、

リアルと可愛いは可愛いは下で・・・と、人は口にはしないが、何と無くそう言う感じに思う事が多く、金額の桁を増やせば増やすほど判りやすい。例えば、100円の凄いもの・・・って言うよりも、100円の可愛いもの・・・になったりする。それを1000円にする。1万円にする、10万円にする、100万円にする。

まぁ庶民と言うのなら、10万円で十分だと思うんだけれど、10万円の凄いもの・・・・10万円の可愛いもの・・・・わぁ可愛いぬいぐるみぃぃ、わぁ10万安いぃぃ・・・これ欲しかったんだぁ・・・・って表現をするよりも、わぁ可愛いバック・・・・この後に一体どんなバックって続ける?

欲しかったんだエコバックとは言わないと思うのね・・・庶民派は。恐らく、きちんとフォーマルなバックみたいな感じになると思うのね。つまり10万では、ぬいぐるみって話じゃ無かろう・・・って話で、そこは論外。じゃバックとして・・・って、品物を変えたとして、バックなら10万でも判るけれど、エコバックは・・・・

って、こんなニュアンスが伝わったのなら、伝わったチーム。もし10万くらい、デザインが良いんだからエコバックだろうが、良いんじゃない・・・って言うのなら、そのチーム。馬鹿じゃん、10万の話が、ぬいぐるみだバックだって・・・生活費に決まってんでしょ・・・そう言う人はそのチーム。

こんな感じで、モノへのこだわり、生活水準、色んなシュチエーションで、人それぞれ変わって来るものだけれど、いずれにせよ、感じ方の問題になる。それが作り手のみで考えれば、自分の好きなもの、好きな色、自分の絵・・・そんなものだらけで作ったら、上手く出来たら最高の自己満足が作れた事になる

じゃ、それで?・・・そのスタイルでどうします?何個作ります?って話になる。ここが1つの分岐点になる。すべてが良い事と悪い事は背中合わせって言うのも、前提に考えると、犬の方の場合、自分の飼っている犬を作っているのだから、モチーフは最高なものを選んだよね?

しかも時間は掛かっているけれど、本人もプレッシャーが掛かるほどにグレ-ドも気に入っている。つまり最高の自己満足へ向かっているでしょ?それでは結果として完成しました・・・・やったぁ、お見事でした。になって、それでは人の評価は?となると、飼っている犬と似ているかどうか?は見た事が無い人には

、比べようが無いのだから評価の対象にはならないのにも関わらず、あの犬種だなっ?って言うのが判ったり、それ以前にモザイクをやっていない人は、リアルである事や、細かいパーツの繰り返しが凄いと思ったりする・・・・。しかも、その評価の言葉が、凄い・・・であったりした瞬間、自己満足では無く、

評価として、人にも評価されて、自分一人の判断では無くなっていたりする。それが上手い人への賞賛になる。つまりその評価が、さっきの趣味趣向だったり、まったく違うチームなのにも関わらず、評価が一致したりした場合、価値観が一緒になった訳で・・・・それが自己満足からの脱出の作品となる。

では金町湯の方の場合、その上手いと表現された犬の方が、本当に丁寧で上手いよね・・・・って言うのだから、上手さとして細かいから上手いって素人の評価では無く、それだけの作品を作っている人の評価。

だから、ある意味1つ1つのパーツへの絶賛度は半端無い。では、それで良いのでは無いか・・・となりそうだけれど、先生としては、それだけの素材・・・ん・・・・常連にもタピオカってのがいるんだけれど、ある意味そっくりで、そう言う人を更なる進化させるには・・・・。

要するに小物とのメリハリが無いのね。小物は例え大きさが大きくても小物。何のプレッシャーも掛からずに、ただ時間が解決するのだから。大作は悩んで進まず、その時間の経過の中には、自分の環境が常に変わっていて、あの時の自分と向き合わないとならない・・・・そんなものが大作。

そう言う事から言うのなら、遊びの作品が3ヶ月、半年では、本気の作品と同じような時間になってしまうでしょ?勿論例外で、キウイのように大作と同じような遊びの作品で1年になっちゃう贅沢さってのもあるけれど・・・。

いずれにせよ、すぐに終わらせる、あっこれあげるよ・・・・こんな表現になるものが小物。人がびびって頂戴って言えないのが大作。こんな感じかな?って事を踏まえると、金町湯の方には是非、1年掛かるような作品と平行に季節モノで遊ぶってくらい極端にメリハリを付けて貰いたいのね。

その結果がタピオカなのね。今まで小物作品ばかりだったのが、あのテーブルになった瞬間、何とも垢抜けた上手さが際立つ。まぁあんな感じ。いつ終わるか?判らないようなそんな作品が見て見たいのね・・・。とは言っても、40cm程度の大きさでも十分なんだけれどね・・・・。

簡単な話で正味全部がモザイクって事になれば良いだけ。ほら、のりちゃん母さんのように、大作はあやめ、そこから見たら土佐金は上手くても見劣りしちゃうでしょ?その位、あやめは大作。けれど、モザイクの上手さだけなら、あの土佐金は抜群なんだけれどね・・・。

そんな事も踏まえて考えると、すべてモザイクにすると、銘木のように助けてくれる部分は無くなる。勿論、いきなりオリジナルの絵を描いて・・・・なんて乱暴な事を言うつもりも無い。でも、犬の方やあやめの母さんのように、リアルなものをリアルに作る・・・・は結果も出やすいし大作として作りやすい。

時間は掛かるけれどね。その時に文字は入れない方が良い。何故なら単なる文字を描いてしまいそうだから・・・。絵として絵は意識して美を追求しそうだが、書道をやっているような、山川なんて表札を作った方のように、達筆ならそれ自体がデザインだし、オリジナルになる。しかも短時間で遊び・・・。

それが金町湯の看板はタイルのカットの上手さのみで見せた作品。つまり分野が工芸の方向で美術展には出せない。そう、美術展に出せるような作品を作れる人だから、そう言う作品の作り方を教えて見たいのね・・・・。その一歩が犬の方のようなリアルなモチーフって話なのね。

そういつかね・・・いつか。本人がやる気になるように・・・・。その一歩を進んでいるのが犬の方で、それが終わった後、今度はオリジナルで作って見ましょう・・・・って大作をお勧めする。つまり下絵の精度を上げる事の指導ってね。コピーをいつまでも作っても、似ているだけの贋作作りなだけ。

ここまで忠実に切る、張るが上手くなったのなら、それが上手くなった上でのオリジナルとなる。その上手さを持った上なら、そうそう大きな失敗は無い。勿論、金町湯の方もそれだけの腕が付いているのだけれど、大作って言うのは逃げ道無しのロングラン・・・・。だから、その前に代表作の書き換えをして欲しいのね・・・・その代表作の書き換えをして、これぞ・・・・って言う本当の真の実力作品が見たいのね・・・。

何故今日はこんな話になるか?って言うのは、色々と理由が重なったから。その1つがこの話なのね・・・・実はこの犬の方は、陶芸に仏像彫刻、縫い物とか、その上モザイク・・・・なんて大忙しの方なんだけれど、その1つに展示会があって、その為に量産しているらしく・・・疲れたって言うのね。

そりゃ当たり前で、要するにそれものりちゃん母さんで説明が付く。では、もし母さん、美術展に出そうよ・・・あやめ。ほら、何も疲れない。つまり、今出す作品を今作っていては遅いし、せかされる。だから、疲れるのね。

あの大御所の宮崎さんだって、過去のストックをナウシカ発表後に出して行く訳で・・・。だから作家はストックが大事になる。けど、私は作家じゃない・・・・って言うかも知れないが、出展する時点で、立派かどうか?は別として、土俵は一緒になる。

これが美術展と工芸展と、商業看板との違いで、どこに当てはまるか?で、ある意味、重みが違う事に気が付いて欲しいのね。人の評価も、自分に掛かるプレッシャーも・・・・。そんな話をしないとならないカルチャーって、どんだけレベルが高いのかっ・・・って話で、先生冥利に尽きる。

では、一番最後に入った4人目の方は・・・・

ほら、それでもこうしてちゃんと出来ている。本来、こんな感じで楽しむのがカルチャーな感じだと思うんだけれど、こんな先人達に囲まれると、いつしか上手くなりたいなっ・・・・もっと・・・・って思った瞬間に、自宅でやるとか、ほんの少しやっただけで、急激に上手くなるものなのね・・・。最初は。

それがおっかないもので、これだけ2作目で作れれば十分なんだけれど、ここに囲まれると、本当にこれで良いのかな?って錯覚したりするのね・・・。まだまだってね・・・。ただ、2作目。十分なんです。これを表札として飾った瞬間、素敵ぃぃってなるものです。

そんな中、イチゴの方がこの後に、アトリエ教室となる。

ちなみにここまでがカルチャー2時間の結果で、これから7時間アトリエにいると・・・・

1回お休みしたから・・・・取り戻すって感じにいらしたんだけれど、もう十分進んだし、もっと言えば、何でこんなに進むんだろう?って思ったはずなのね。勿論、そうも言ってたから。理由は簡単で、1つは1ヶ月前にやった事を思い出す頃には、2時間なんてあっと言う間。思い出す前に終わってしまう。

それが今日は、思い出して、本来なら忘れて行くはずが、エンジン暖めてからの・・・・アトリエ。さっきの調子でやれば慣れからも進む。ただね、カルチャーとアトリエは全く別物。向こうは2時間割る4名だから、単純に1人30分分の指導。ここはガッチリ見られている訳で・・・・。

しかも相席はさっきまで先生のオードリー。この程度の作品なら、数秒のやり取りで十分。

そうなると、ほぼkatsu独り占めになる。当然、質が上がって当たり前、是正も増えて当たり前だけれど、それなら進まなくなるでしょ?普通・・・けれどね、逆にそうしないで・・・それは辞めて・・・・って言う指導が入るから、はっきりやっちゃ行けない事だけは理解出来るようになる。

勿論、こちらとしてカルチャーでの付き合いで、何が出来て、何が出来ないか?を知っている前提なんだけれどね。つまり初見とは違う訳で。だから、切れる前提で、テクニック論を展開出来る。しかも当然失敗をする・・・・ここがアトリエとカルチャーの違い。

じゃ同じ指導でやったとしよう。たった2時間で失敗の数が増えてみ?ただでさえ進まないのに、失敗ばかりだったら、2時間で何パーツ進むの?でしょ?所が、エンジンは暖まっているわっ、その上、長時間なのだから、失敗しても進みは良いし、教えた事の無いテクニックを聞くのだから、

ある意味、初めて真面目に技術を習った気がしたかもね・・・・あははははは。けれどね、ほら、カルチャーは楽しむ所。アトリエは上手くなる所。趣旨が全く違う訳で・・・・。ただね、俺の根本的な指導は一緒で、俺がいなくても作れるように・・・・一人でね。

それが本来の習うであって、先生ぃぃ次は何やるんですか?は1年目の人かくらいなモノで、依存しないで自分の作りたいものを考えて作れるように・・・。俺はそんな人を作りたいのね・・・・。勿論、体験やカルチャーは楽しくね・・・楽しく。

それにしても、カルチャーと言いつつ、みんなの楽しむの質が上がって来ると、それはそれで色々と俺のやる事は増える訳で・・・・。それはまたその内に・・話すとして・・・・今日はおしまい。


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