今日は午後からリピーターさん2人相席教室って事で、午前中は先日頼まれた仏像彫刻の方の下地の作成。これは後半に見せる事にして、まずは月に1回の方から。もうすっかりペースも決まって来て、大体目安は2文字進むって感じなのね。
更に言えば、この方なりの文字の作り方も定着して、普通は文字ってこんな感じに作る・・・って事から言えば、何か違和感も感じる人もいるだろうけれど、月に1回でアトリエのみ・・・そうなると、これ以上進まないのは果てしな過ぎになる。
自分で決めた事とは言え、同じ色の繰り返しを何度も何度も・・・・もはや特訓の素振りのような・・・。ただ、リピーターさんとして、上手さは欲しくなるとしても、月に1回では楽しみ感覚も残してあげたいし、恐らくこの作品のみを作り続けるだろうし、
色んな事を考慮に入れてこうなったのだけれど、まずまずの仕上がりで、段々と雰囲気が出て来て、本人も楽しみが増して来たのね。
まぁ、本人も気が付いているけれど、今まではプレゼント作品ばかり作っていたのだけれど、上手くなりたかったら手元に残す作品を
作りましょう・・・って言った1作目がこれ。こんな作品は簡単にあげるとは言えないし、こんな作品を余程図々しい人で無いと、頂戴とは言わないだろう・・・・もうその時点で作品に重みを感じるでしょ?完成もしていないのに・・・。
簡単な話でこだわりが少ないから、簡単にあげられた訳で、何年も掛かるような作品は、こだわりや思い入れが違うのね。
自然と作り手の姿勢は、上手いとか下手だとか関係なく、小物作りとは変わって来る。
紅白戦と対外試合では、同じ試合でも、応援や罵声があり、人に見られるなんてものが加わると、プレッシャーにもなるし、逆に
いつもよりも力が出たりもする。緊張感とは、そんな事を生んだりする訳なのね。
って事だと、プレゼント作品は1.2回で終わるから、余程のインパクトが無いと忘れられて行く。けれど、何度も何度もとなると、
あの作品だ・・・とみんなも覚えると、こうした相席の場合、進み具合や質を見られる訳で・・・。
それが、ずぅぅぅっと小物では、後から入った人がしっかり取り組むと、何か拍子抜けをしてしまう事だってあるだろうし、それがさくらであり、キウイのように、きちんと大作を持っていたら、今は小物を作っているだけで、今は楽しんでいるって話になる。
それを別に楽しければ良い・・・・って言い切られると、単にこだわりを捨てれば良いだけだから、材料さえ揃えば誰でも作れる。
それが証拠に体験教室は楽しく必ず終わっちゃって、そこそこ結果は付いて来るでしょ?しかも、それがリピーターさんではね。
要するにこの方は、この作品が今までとは違う意識で取り組む1作目になっている訳で。そりゃ、上手く見えて当たり前で・・・。
いずれにせよ、今の段階であっても、小物作品とは違って見える。後はこのまま最後まで終える気持ちの問題・・・。
そんな中、もう1人のリピーターさんはと言うと、入ったばかりでこの作品は、体験含めて3作目。ただ月に2回で自宅でもやるようになったのね・・・・それが初めてへこたれましたぁぁぁってやって来たのね。
そこで一応、何があった?って聞くと、尻尾の方のブーメランみたいなパーツが切れなくて・・・・って言うのね。
やっぱりセンスとか無いからなぁ・・・・って言うので、テクニックやセンスなんて無くて良いでしょ?まだ始まったばかり。
じゃ、切れなかったパーツの指導と行くかね・・・と、こう持って、こう刃を入れて、こう力を入れて・・・後は、フォア、バックみたいに・・・繰り返して、真ん中へ向かって・・・・って言っていると、1枚目から成功したのね。
あれ・・・切れたって。じゃセンスあんじゃん。あはははは、くだらないのね。センスだテクニックだなんて言葉で、片付けるって・・・。それは10年位必死にやって、何度も泣いて、レギュラーになれなかったり、プロになれなくて諦めた・・・そんな感じ
の人の場合なら、判る気もするけれど、たった3作目・・・センスだテクニックの前に、キャリアとしての反復練習が足りないだけ。あはははは、1回の指導で出来ちゃったんだから、むしろセンスあんじゃん・・・になる。あはははは。
違うのね、さっきの方とは違って、1回多いし、自宅でもやるとなると、教え方も変わって来るのね。だから、痛んでね・・・になる。つまり宿題って言うよりも、ここならやっても良いよ・・・であって、やって来いでは無いのね。強制なんてしないから。
じゃ何が痛いか?あははは、気持ちね、気持ち。前回はやればやるほど進んだのね。それは焼き芋みたいなパーツの繰り返しだったから。ちなみに前回は、アトリエが終わってすぐに期間を空けずに自宅で同じパーツの繰り返し。
じゃ今回は?少し時間が空いてしまって、尚且つ手馴れたパーツじゃない・・・ほら難しくなっている。けれど、本人の意識の中には、そう言った意識は無く、同じ気持ちで取り組んだら、スイスイ切れていたものが切れない・・・進まない・・・になった。
しかも、失敗のパーツだらけなんてなった事は無いし、持って行ったタイルも少なくなって行く・・・ほらプレッシャー。
ナイスです、そうじゃなきゃ。つまり初めて挫折って感じなんでしょ?逆、逆、出来ない事が普通で、出来た事がラッキー。
だって3作目。なのに意識では、出来ると判断している分、ダメージが大きい・・・・何で?どうして?ってね。逆に何で今まで出来たんだろう?って考えられれば、答えは簡単。進級したんだね・・・そのパーツは出来るのかぁ・・・なら、これは?ってね。
こんな事が出来るのは、月に2回・・・つまり悩んだ所で、すぐにまた来る。悩んだ事が経験値になる。それが勉強。何が、何処が出来なかったか?どう失敗したのか?何があったか?・・・・こんな問診すればね、理由なんかすぐ判るし、もっと言えば、
月のようにえぐるパーツは、誰がやっても難しいもので、つまづく覚悟でこっちも提案した訳で・・・。ただその失敗のお陰で、それでも進む・・・では無く、下山を覚えた訳で。悩んだら立ち止まり、進まずに他の出来る場所を進む・・・・。
その判断の勉強だった訳で。心は痛かっただろうけれど、良い勉強になったはず。まっ、頑張ったんだから、ご褒美って言う訳じゃないけれど、バックへ入れたから、その後の下絵のお手伝いをして・・・今回の自宅での制作はすべての茎なら、どれでも・・
そんな提案をしたのね。細いのもあるし、太いのもある。出来る所からやれば良い。けれどただ幅を合わせて切るのでは無く、こっちが前なのか?こっちが後ろなのか?を意識すれば、ただタイルを切っているのでは無くて、茎を切っているって意味が判るはず
で、そう言う意識を持てば、どっちが濃いか?薄いか?になるが、感で色決めをしているようじゃ、質を落とす。この方の場合は、
入ったばかりだけれど、月に2回で自宅もだから、モザイクの回数が多い事からも、単に進むならどんどん進んでしまう・・・。
けれど、カッターを見れば大きさも判断出来るだろうが、30cm程度ある作品。進む事よりも質の向上。体験とは違う・・・って、
本人だけじゃなくて、ご家族や身の回りの方に、習っている・・・・って判るような進歩が見える作品になるように・・・。
そこが大事で、月に1回なら遊び・・・って表現も良いだろうが、2回に自宅となると、随分と熱を入れてやっているね・・・って思われたとしたら?・・・小物続きでは、上手くなったようには見えないからね・・・・。要するに続けるって言うのは、
ある程度の上手さも必要になるって事でもある・・・・そう考えると、2人共にお互いのスタンスの中での力作であり、体験の遊びには全く見えない。中々のものである。
さて、それでは朝の仏像彫刻の方に頼まれた下地・・・
先日の金魚の鏡を見て、あぁ言うの欲しいなぁ・・・って話になり、色々と話していると、この木彫りの像を持って来て・・・・
じゃ、この後ろを鏡にして、回りの額にモザイクしたい・・・・となり、制作する事になった・・・・って話なのね。
まっ何とかここまでは出来たので、ひとまずこの後、焼いてペンキ塗りをして、渡して、そこにデザインして貰ったものを、また彫る・・・ってな工程になるんだけれど・・・・まぁ、ひとまず難しい所のはめ込みが上手く行ったので何よりなのね。
更に言えば、この方なりの文字の作り方も定着して、普通は文字ってこんな感じに作る・・・って事から言えば、何か違和感も感じる人もいるだろうけれど、月に1回でアトリエのみ・・・そうなると、これ以上進まないのは果てしな過ぎになる。
自分で決めた事とは言え、同じ色の繰り返しを何度も何度も・・・・もはや特訓の素振りのような・・・。ただ、リピーターさんとして、上手さは欲しくなるとしても、月に1回では楽しみ感覚も残してあげたいし、恐らくこの作品のみを作り続けるだろうし、
色んな事を考慮に入れてこうなったのだけれど、まずまずの仕上がりで、段々と雰囲気が出て来て、本人も楽しみが増して来たのね。
まぁ、本人も気が付いているけれど、今まではプレゼント作品ばかり作っていたのだけれど、上手くなりたかったら手元に残す作品を
作りましょう・・・って言った1作目がこれ。こんな作品は簡単にあげるとは言えないし、こんな作品を余程図々しい人で無いと、頂戴とは言わないだろう・・・・もうその時点で作品に重みを感じるでしょ?完成もしていないのに・・・。
簡単な話でこだわりが少ないから、簡単にあげられた訳で、何年も掛かるような作品は、こだわりや思い入れが違うのね。
自然と作り手の姿勢は、上手いとか下手だとか関係なく、小物作りとは変わって来る。
紅白戦と対外試合では、同じ試合でも、応援や罵声があり、人に見られるなんてものが加わると、プレッシャーにもなるし、逆に
いつもよりも力が出たりもする。緊張感とは、そんな事を生んだりする訳なのね。
って事だと、プレゼント作品は1.2回で終わるから、余程のインパクトが無いと忘れられて行く。けれど、何度も何度もとなると、
あの作品だ・・・とみんなも覚えると、こうした相席の場合、進み具合や質を見られる訳で・・・。
それが、ずぅぅぅっと小物では、後から入った人がしっかり取り組むと、何か拍子抜けをしてしまう事だってあるだろうし、それがさくらであり、キウイのように、きちんと大作を持っていたら、今は小物を作っているだけで、今は楽しんでいるって話になる。
それを別に楽しければ良い・・・・って言い切られると、単にこだわりを捨てれば良いだけだから、材料さえ揃えば誰でも作れる。
それが証拠に体験教室は楽しく必ず終わっちゃって、そこそこ結果は付いて来るでしょ?しかも、それがリピーターさんではね。
要するにこの方は、この作品が今までとは違う意識で取り組む1作目になっている訳で。そりゃ、上手く見えて当たり前で・・・。
いずれにせよ、今の段階であっても、小物作品とは違って見える。後はこのまま最後まで終える気持ちの問題・・・。
そんな中、もう1人のリピーターさんはと言うと、入ったばかりでこの作品は、体験含めて3作目。ただ月に2回で自宅でもやるようになったのね・・・・それが初めてへこたれましたぁぁぁってやって来たのね。
そこで一応、何があった?って聞くと、尻尾の方のブーメランみたいなパーツが切れなくて・・・・って言うのね。
やっぱりセンスとか無いからなぁ・・・・って言うので、テクニックやセンスなんて無くて良いでしょ?まだ始まったばかり。
じゃ、切れなかったパーツの指導と行くかね・・・と、こう持って、こう刃を入れて、こう力を入れて・・・後は、フォア、バックみたいに・・・繰り返して、真ん中へ向かって・・・・って言っていると、1枚目から成功したのね。
あれ・・・切れたって。じゃセンスあんじゃん。あはははは、くだらないのね。センスだテクニックだなんて言葉で、片付けるって・・・。それは10年位必死にやって、何度も泣いて、レギュラーになれなかったり、プロになれなくて諦めた・・・そんな感じ
の人の場合なら、判る気もするけれど、たった3作目・・・センスだテクニックの前に、キャリアとしての反復練習が足りないだけ。あはははは、1回の指導で出来ちゃったんだから、むしろセンスあんじゃん・・・になる。あはははは。
違うのね、さっきの方とは違って、1回多いし、自宅でもやるとなると、教え方も変わって来るのね。だから、痛んでね・・・になる。つまり宿題って言うよりも、ここならやっても良いよ・・・であって、やって来いでは無いのね。強制なんてしないから。
じゃ何が痛いか?あははは、気持ちね、気持ち。前回はやればやるほど進んだのね。それは焼き芋みたいなパーツの繰り返しだったから。ちなみに前回は、アトリエが終わってすぐに期間を空けずに自宅で同じパーツの繰り返し。
じゃ今回は?少し時間が空いてしまって、尚且つ手馴れたパーツじゃない・・・ほら難しくなっている。けれど、本人の意識の中には、そう言った意識は無く、同じ気持ちで取り組んだら、スイスイ切れていたものが切れない・・・進まない・・・になった。
しかも、失敗のパーツだらけなんてなった事は無いし、持って行ったタイルも少なくなって行く・・・ほらプレッシャー。
ナイスです、そうじゃなきゃ。つまり初めて挫折って感じなんでしょ?逆、逆、出来ない事が普通で、出来た事がラッキー。
だって3作目。なのに意識では、出来ると判断している分、ダメージが大きい・・・・何で?どうして?ってね。逆に何で今まで出来たんだろう?って考えられれば、答えは簡単。進級したんだね・・・そのパーツは出来るのかぁ・・・なら、これは?ってね。
こんな事が出来るのは、月に2回・・・つまり悩んだ所で、すぐにまた来る。悩んだ事が経験値になる。それが勉強。何が、何処が出来なかったか?どう失敗したのか?何があったか?・・・・こんな問診すればね、理由なんかすぐ判るし、もっと言えば、
月のようにえぐるパーツは、誰がやっても難しいもので、つまづく覚悟でこっちも提案した訳で・・・。ただその失敗のお陰で、それでも進む・・・では無く、下山を覚えた訳で。悩んだら立ち止まり、進まずに他の出来る場所を進む・・・・。
その判断の勉強だった訳で。心は痛かっただろうけれど、良い勉強になったはず。まっ、頑張ったんだから、ご褒美って言う訳じゃないけれど、バックへ入れたから、その後の下絵のお手伝いをして・・・今回の自宅での制作はすべての茎なら、どれでも・・
そんな提案をしたのね。細いのもあるし、太いのもある。出来る所からやれば良い。けれどただ幅を合わせて切るのでは無く、こっちが前なのか?こっちが後ろなのか?を意識すれば、ただタイルを切っているのでは無くて、茎を切っているって意味が判るはず
で、そう言う意識を持てば、どっちが濃いか?薄いか?になるが、感で色決めをしているようじゃ、質を落とす。この方の場合は、
入ったばかりだけれど、月に2回で自宅もだから、モザイクの回数が多い事からも、単に進むならどんどん進んでしまう・・・。
けれど、カッターを見れば大きさも判断出来るだろうが、30cm程度ある作品。進む事よりも質の向上。体験とは違う・・・って、
本人だけじゃなくて、ご家族や身の回りの方に、習っている・・・・って判るような進歩が見える作品になるように・・・。
そこが大事で、月に1回なら遊び・・・って表現も良いだろうが、2回に自宅となると、随分と熱を入れてやっているね・・・って思われたとしたら?・・・小物続きでは、上手くなったようには見えないからね・・・・。要するに続けるって言うのは、
ある程度の上手さも必要になるって事でもある・・・・そう考えると、2人共にお互いのスタンスの中での力作であり、体験の遊びには全く見えない。中々のものである。
さて、それでは朝の仏像彫刻の方に頼まれた下地・・・
先日の金魚の鏡を見て、あぁ言うの欲しいなぁ・・・って話になり、色々と話していると、この木彫りの像を持って来て・・・・
じゃ、この後ろを鏡にして、回りの額にモザイクしたい・・・・となり、制作する事になった・・・・って話なのね。
まっ何とかここまでは出来たので、ひとまずこの後、焼いてペンキ塗りをして、渡して、そこにデザインして貰ったものを、また彫る・・・ってな工程になるんだけれど・・・・まぁ、ひとまず難しい所のはめ込みが上手く行ったので何よりなのね。