今日は相席教室だったんだけれど、午後から1人だけになって、それまではフレスポ稲毛のデザインの続き・・・。一通りやっただろっ・・・って言えば、そこそこ出尽くした感じはあるんだけれど、特にそれまでの時間の中でやれる事と考えると、今はそれでも良いかな・・・となる。
何しろデザインとかデフォルメとか、苦手と言えば苦手で、向き合えば疲れるのだから、終われば楽になり、楽になれば下地作成に移れる。
ある意味、デザインを考えるより下地の方が得意と思っている自分であるのなら、逃げた感あるでしょ・・・・?
だから、しばらく悩むと良いのね・・・・要するに本当にやり尽くしたのか?もう今のデザインよりも良いのは出ないのか?・・・・本当にそれだけやったのなら、結果はともかく納得する方向になる・・・・。勿論、結果が悪いとそうは言ってもダメージになるけれど、少なくなるって言うのかな・・・。
しかも今はその程度の出来事だったとしても、その程度の苦手な事と向き合っているのだから、当然慣れもあって、その事が段々と上手くなる。
つまり向き合い疲れをし過ぎない程度に、少しずつでも慣れを手に入れて、ダメージ慣れをして行く・・・・そんな感じなのかな・・・俺のやり方。
そんな中、リピーターさんがいらして、先日のアトレは・・・とご挨拶をして作品を見た瞬間、出た言葉は凄い・・・。正直、ここまで出来るようになると、遊びとか趣味の域を超える作品に見えて来る。確かに良く見れば1つ1つのパーツは、これからもっと上手くなれば是正すべきはあるにはある。
ただ、さっきの俺のデザインと向き合う・・・・それをきちんと理解されれば、この作品から受けるデザイン性なんてものをどう感じるか?
モザイクとしてタイルを切るって行為はかなりの結果が出ているとしたら、足りなく見えていたのはデザイン性。
つまり、その切る技術を持ってして、そんな人がデザインとして下絵にいつも以上悩んで、しっかり描こうとした・・・って感じられるのね。
これが切る技術を練習と言う段階なら、デザインを考える時間よりもタイルを切る時間が多い事の方が大事になるから、人の絵でスタートになっても、
まず切る技術からとなる。それを少しずつオリジナルを加えて・・・と変化しつつ、言葉は悪いが完全にオリジナルの下絵で仮に結果が良く見えなかったとしても、全て自分でやった・・・・って言う行為の1作目となるのだから、それがスタートラインにもなる。
そう本当の意味でのオリジナルのね。そんな結果が優れた人の下絵で素敵に見えたモザイクであったのなら、自分の絵でやったモザイクは結果として見劣りする場合もあるけれど、その1作目にへこたれずに、もう1つ、もう1つ・・と繰り返す事が更なるハードルとなり、それを超えた時に何か今までに無い
結果を得る事になる。要するに続けている人の場合、ただ何と無く・・・って続ける事は難しいのね。何故ならチャレンジなんかしなくても、素敵な下絵を見つけて来てモザイクすれば、悩む事無く時間が解決するモザイクが出来る。しかも作る大きさもチャレンジしなければ、いつも決まった大きさ。
つまり慣れる事で上手く見せているだけで、そこからは抜けられない。しかもモチーフも常に自分の好きなものだけ。そうなると、見る側としても最初の頃の反応では無く、あぁまた作ったんだぁ・・・・ってリアクションになる。
ただ良い事と悪い事は背中合わせ。良い事は安定感があって、悪い事は進歩が見られない・・・・。そんな感じになる。
けれど更に言えば、貴方はどうしたいの?・・・・・なのね。だって、これだけの経験者になれば、オリジナルを諦めれば、相当上手く見える。
だもの悩んだり、困ったりする必要は無いのね・・・何故なら・・・・趣味って言うのだから。趣味なら十分の域に達しているだろうから。
それをもっと上手くなりたい・・・・って貪欲なら、オリジナルへようこそ・・・になり、チャレンジする事はいっぱいある。
けれど、そっちはまた初心者みたいな所から始まる訳で、しかも目が肥えての上手くなりたい・・・って言うのだから、自分のハードルが相当上がっているのだけれど、本人に自覚が無いと、自分の望みがどの程度の大変さなのか?の判断がきちんと出来ていない事になる。
しかも今までOKであったものが、今日からダメ・・・って言う事も多々ある。えぇぇ前はそれで良いって言ったじゃないですか・・・先生・・・なんてね。それはこっちへ来ちゃったからなのね・・・・。そっちの時は趣味だったから、それだけ出来れば十分って感じだったが、
その域を超えようとするのなら・・・それではダメだね・・・になるのね。その時に弟子になりたい・・・って言うのなら、その意味はお金が貰える腕って意味になるから、上手くて当然になり、当然厳しい指導になる。普通で判りやすいでしょ?
ただ、難しいのは趣味のまま上手くなりたい・・・・ここなのね。この切り替え。趣味のままって気持ちだと、何でこんなに大変な事やらなきゃならないんだろう・・・・って気分になる。悩んだり行き詰ったりした時にね・・・・。
そんな時に何をどう心の支えにするか?になるじゃない?・・・・そもそも趣味で楽しくてそこそこ結果が出て・・・それで?
そのそれで?って所まで来ちゃった時に、どうする?・・・・なのね。それをもっと上手くなりたい・・・ってその線を越えると厳しくもなる。
しかも、もっと上手くなってどうしたいの?・・・・ここなのね。ここ。それが先生になりたい・・・とか、作品を売りたいとか、何処かに出して発表したいとか、こんな感じの掲げるものがあれば、頑張れるのだけれど、そんな目標が欲しくなるのね・・・。
これが単純に玄関が作りたい・・・となれば、建築を教えるのだから、踏まれて大丈夫な素材でとか、安全性とか、必須事項を教えれば良い。
それについてどの程度覚悟して貰わないと・・・が、時間にしてもお金にしても具体化するでしょ?そう言う計画を立てたり指導が出来る。
他には労作展。ほら9月までに何とかしないとならない。しかも9月と言うと、勘違いしてしまうのは、後5ヶ月あるなんて思っちゃうのね・・・。
違ってて、そうじゃないのね。だってアトリエに何回来る?自宅でどれ位やる?・・・その回数を自宅1回、アトリエ1回の2回だったとしたら?
数時間をやって1ヶ月って言うのかな・・・・?何ヶ月あろうが、大事なのは何ヶ月じゃなくて、1ヶ月何時間取れる?になる。こうした具体化する目標のサポートとして指導が出来る。なのに、趣味・・・・何処までなら厳しく言って良くて、何処までは言い過ぎなのか?・・・・難しいでしょ?
だからね、上手くなってしまった人の趣味って言葉は、タチが悪いのね・・・・あははははは。この方もそんな所にいるのね。あはははは。
ただ、きっちりした具体化では無いけれど、明らかに変った事がある。それはきちんと向き合うモザイク・・・って意味が判った事。
楽しいモザイク・・・ってばかりでは、楽しいって文字は、ラクとも読む。つまりラクなモザイクでもあるって事。そのラクばかり上手くなって、何のチャレンジの無いまま、時間の空いている時だけ楽しむ・・・・その時だけで終わる作品を・・・・。
これをいつ終わるか判らないんだけれど、大作に挑み、自分は一体どんなものが作れるのだろうか?・・・・って、見た事の無い自分に会いに行く。
そんなモザイクをする事になったのね。勿論、こっちは疲れるし、辛いし、大変なのね。だって今までそんなモザイクした事無いんだから。
けれどね、良くも悪くも見た事の無い、味わった事の無いものなのだから・・・いずれにせよ、今までとは違う結果が出る。
その時に、本当に疲れたら、楽しいモザイクをすれば良いし、大作を終えたら必ず楽しいモザイクをする事が決まりなのね・・・こっち側の人達は。
そんな姿勢が伺えるのね・・・この作品は。文字の意味もそう言う意味も含まっているらしいが、確実に本気さ加減が伝わって来るのね。
この作品が完成した時、きっと今までの作品とは明らかに違う作品となるだろうし、これがこの方の代表作にもなるだろう。
そんな中、話の中でアトレのイベント楽しかった・・・って言うのね。それがもし本音なら、そんな機会が増えた時に、こう言う作品がある事が名刺の代わりになるって話をしたのね。例えばハンドルネームだったり、あの作品の人・・・って言えば、あぁあの方って判って貰える。
それってきちんとみんなの記憶に残るって事で、きちんとした作品を1つ持っている事は、簡単なものを100個作るよりも上回るもので、この作品はそう言う記憶に残る作品になり得るから、大事に・・・・と声を掛けたのね。
ただいつもと違って、張れば張るほど訳が判らなくなる・・・とか、持って行ったタイルが無くなって、良かったぁぁ・・・終わったみたいな気分になった・・・って言うので、ほらいつもと違うでしょ?ねっ。いつもなら無くなっちゃった・・・ってテンション下がったでしょ?
明らかにヘトヘトになっているじゃない?ラクじゃ無くなったのね。だもの、大事に・・・なのね。それだけ真摯に取り組んでいるのが判るのね。
そんなこんなでお教室が終わって、急きょびれっじさんに行く事になったのね・・・・1つはイベントに関する件。そしてもう1つは金魚の絵・・・
イベントについてはもう少し時間の掛かる事だったが、スケートボードに金魚の絵を描く・・・って頼まれ事の方は、アトリエに戻って・・・・
深夜になるも、かぐやが珍しく今日はいて・・・・そんな中、ローマのお礼って形で制作本をかぐやが作って発注するって話だったり、色々と話す事
があって・・・・明日の教室に差しさわりの無い程度に・・・・とは言え、12時を回る頃には・・・・

こんな事になった・・・。
何しろデザインとかデフォルメとか、苦手と言えば苦手で、向き合えば疲れるのだから、終われば楽になり、楽になれば下地作成に移れる。
ある意味、デザインを考えるより下地の方が得意と思っている自分であるのなら、逃げた感あるでしょ・・・・?
だから、しばらく悩むと良いのね・・・・要するに本当にやり尽くしたのか?もう今のデザインよりも良いのは出ないのか?・・・・本当にそれだけやったのなら、結果はともかく納得する方向になる・・・・。勿論、結果が悪いとそうは言ってもダメージになるけれど、少なくなるって言うのかな・・・。
しかも今はその程度の出来事だったとしても、その程度の苦手な事と向き合っているのだから、当然慣れもあって、その事が段々と上手くなる。
つまり向き合い疲れをし過ぎない程度に、少しずつでも慣れを手に入れて、ダメージ慣れをして行く・・・・そんな感じなのかな・・・俺のやり方。
そんな中、リピーターさんがいらして、先日のアトレは・・・とご挨拶をして作品を見た瞬間、出た言葉は凄い・・・。正直、ここまで出来るようになると、遊びとか趣味の域を超える作品に見えて来る。確かに良く見れば1つ1つのパーツは、これからもっと上手くなれば是正すべきはあるにはある。
ただ、さっきの俺のデザインと向き合う・・・・それをきちんと理解されれば、この作品から受けるデザイン性なんてものをどう感じるか?
モザイクとしてタイルを切るって行為はかなりの結果が出ているとしたら、足りなく見えていたのはデザイン性。
つまり、その切る技術を持ってして、そんな人がデザインとして下絵にいつも以上悩んで、しっかり描こうとした・・・って感じられるのね。
これが切る技術を練習と言う段階なら、デザインを考える時間よりもタイルを切る時間が多い事の方が大事になるから、人の絵でスタートになっても、
まず切る技術からとなる。それを少しずつオリジナルを加えて・・・と変化しつつ、言葉は悪いが完全にオリジナルの下絵で仮に結果が良く見えなかったとしても、全て自分でやった・・・・って言う行為の1作目となるのだから、それがスタートラインにもなる。
そう本当の意味でのオリジナルのね。そんな結果が優れた人の下絵で素敵に見えたモザイクであったのなら、自分の絵でやったモザイクは結果として見劣りする場合もあるけれど、その1作目にへこたれずに、もう1つ、もう1つ・・と繰り返す事が更なるハードルとなり、それを超えた時に何か今までに無い
結果を得る事になる。要するに続けている人の場合、ただ何と無く・・・って続ける事は難しいのね。何故ならチャレンジなんかしなくても、素敵な下絵を見つけて来てモザイクすれば、悩む事無く時間が解決するモザイクが出来る。しかも作る大きさもチャレンジしなければ、いつも決まった大きさ。
つまり慣れる事で上手く見せているだけで、そこからは抜けられない。しかもモチーフも常に自分の好きなものだけ。そうなると、見る側としても最初の頃の反応では無く、あぁまた作ったんだぁ・・・・ってリアクションになる。
ただ良い事と悪い事は背中合わせ。良い事は安定感があって、悪い事は進歩が見られない・・・・。そんな感じになる。
けれど更に言えば、貴方はどうしたいの?・・・・・なのね。だって、これだけの経験者になれば、オリジナルを諦めれば、相当上手く見える。
だもの悩んだり、困ったりする必要は無いのね・・・何故なら・・・・趣味って言うのだから。趣味なら十分の域に達しているだろうから。
それをもっと上手くなりたい・・・・って貪欲なら、オリジナルへようこそ・・・になり、チャレンジする事はいっぱいある。
けれど、そっちはまた初心者みたいな所から始まる訳で、しかも目が肥えての上手くなりたい・・・って言うのだから、自分のハードルが相当上がっているのだけれど、本人に自覚が無いと、自分の望みがどの程度の大変さなのか?の判断がきちんと出来ていない事になる。
しかも今までOKであったものが、今日からダメ・・・って言う事も多々ある。えぇぇ前はそれで良いって言ったじゃないですか・・・先生・・・なんてね。それはこっちへ来ちゃったからなのね・・・・。そっちの時は趣味だったから、それだけ出来れば十分って感じだったが、
その域を超えようとするのなら・・・それではダメだね・・・になるのね。その時に弟子になりたい・・・って言うのなら、その意味はお金が貰える腕って意味になるから、上手くて当然になり、当然厳しい指導になる。普通で判りやすいでしょ?
ただ、難しいのは趣味のまま上手くなりたい・・・・ここなのね。この切り替え。趣味のままって気持ちだと、何でこんなに大変な事やらなきゃならないんだろう・・・・って気分になる。悩んだり行き詰ったりした時にね・・・・。
そんな時に何をどう心の支えにするか?になるじゃない?・・・・そもそも趣味で楽しくてそこそこ結果が出て・・・それで?
そのそれで?って所まで来ちゃった時に、どうする?・・・・なのね。それをもっと上手くなりたい・・・ってその線を越えると厳しくもなる。
しかも、もっと上手くなってどうしたいの?・・・・ここなのね。ここ。それが先生になりたい・・・とか、作品を売りたいとか、何処かに出して発表したいとか、こんな感じの掲げるものがあれば、頑張れるのだけれど、そんな目標が欲しくなるのね・・・。
これが単純に玄関が作りたい・・・となれば、建築を教えるのだから、踏まれて大丈夫な素材でとか、安全性とか、必須事項を教えれば良い。
それについてどの程度覚悟して貰わないと・・・が、時間にしてもお金にしても具体化するでしょ?そう言う計画を立てたり指導が出来る。
他には労作展。ほら9月までに何とかしないとならない。しかも9月と言うと、勘違いしてしまうのは、後5ヶ月あるなんて思っちゃうのね・・・。
違ってて、そうじゃないのね。だってアトリエに何回来る?自宅でどれ位やる?・・・その回数を自宅1回、アトリエ1回の2回だったとしたら?
数時間をやって1ヶ月って言うのかな・・・・?何ヶ月あろうが、大事なのは何ヶ月じゃなくて、1ヶ月何時間取れる?になる。こうした具体化する目標のサポートとして指導が出来る。なのに、趣味・・・・何処までなら厳しく言って良くて、何処までは言い過ぎなのか?・・・・難しいでしょ?
だからね、上手くなってしまった人の趣味って言葉は、タチが悪いのね・・・・あははははは。この方もそんな所にいるのね。あはははは。
ただ、きっちりした具体化では無いけれど、明らかに変った事がある。それはきちんと向き合うモザイク・・・って意味が判った事。
楽しいモザイク・・・ってばかりでは、楽しいって文字は、ラクとも読む。つまりラクなモザイクでもあるって事。そのラクばかり上手くなって、何のチャレンジの無いまま、時間の空いている時だけ楽しむ・・・・その時だけで終わる作品を・・・・。
これをいつ終わるか判らないんだけれど、大作に挑み、自分は一体どんなものが作れるのだろうか?・・・・って、見た事の無い自分に会いに行く。
そんなモザイクをする事になったのね。勿論、こっちは疲れるし、辛いし、大変なのね。だって今までそんなモザイクした事無いんだから。
けれどね、良くも悪くも見た事の無い、味わった事の無いものなのだから・・・いずれにせよ、今までとは違う結果が出る。
その時に、本当に疲れたら、楽しいモザイクをすれば良いし、大作を終えたら必ず楽しいモザイクをする事が決まりなのね・・・こっち側の人達は。
そんな姿勢が伺えるのね・・・この作品は。文字の意味もそう言う意味も含まっているらしいが、確実に本気さ加減が伝わって来るのね。
この作品が完成した時、きっと今までの作品とは明らかに違う作品となるだろうし、これがこの方の代表作にもなるだろう。
そんな中、話の中でアトレのイベント楽しかった・・・って言うのね。それがもし本音なら、そんな機会が増えた時に、こう言う作品がある事が名刺の代わりになるって話をしたのね。例えばハンドルネームだったり、あの作品の人・・・って言えば、あぁあの方って判って貰える。
それってきちんとみんなの記憶に残るって事で、きちんとした作品を1つ持っている事は、簡単なものを100個作るよりも上回るもので、この作品はそう言う記憶に残る作品になり得るから、大事に・・・・と声を掛けたのね。
ただいつもと違って、張れば張るほど訳が判らなくなる・・・とか、持って行ったタイルが無くなって、良かったぁぁ・・・終わったみたいな気分になった・・・って言うので、ほらいつもと違うでしょ?ねっ。いつもなら無くなっちゃった・・・ってテンション下がったでしょ?
明らかにヘトヘトになっているじゃない?ラクじゃ無くなったのね。だもの、大事に・・・なのね。それだけ真摯に取り組んでいるのが判るのね。
そんなこんなでお教室が終わって、急きょびれっじさんに行く事になったのね・・・・1つはイベントに関する件。そしてもう1つは金魚の絵・・・
イベントについてはもう少し時間の掛かる事だったが、スケートボードに金魚の絵を描く・・・って頼まれ事の方は、アトリエに戻って・・・・
深夜になるも、かぐやが珍しく今日はいて・・・・そんな中、ローマのお礼って形で制作本をかぐやが作って発注するって話だったり、色々と話す事
があって・・・・明日の教室に差しさわりの無い程度に・・・・とは言え、12時を回る頃には・・・・

こんな事になった・・・。