katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

世田谷key俱楽部の担当者さん教室

2015-08-19 06:55:16 | モザイク教室
今日は世田谷key俱楽部の担当者さん教室。自宅で相当な数のパーツを切ってあって・・・そんな中、納得行かないパーツがあったみたいなのね。
それがチューリップのパーツだったんだけれど、それは横にランダムな感じで4つくらいで作られていたのね・・・・。

理由はとても簡単な話で、作り手が花を作ろうって意識が薄いからなのね・・・・。輪郭だけを合わせただけで、全てを色に頼るから。
例えば話をもっと簡単にするのなら、白い花びらを見て貰うと、大きなパーツを1枚で切ってある。葉っぱを見ても同様。

つまり普通に考えれば、単純にその流れでやれば安定感に繋がるだろうが、実は本人もそう思って切ってはいたらしいのね。ただ、それが自分の中で大き過ぎるかな?と思ったんで、切ったパーツをクラッシュに切り替えたらしいのね・・・だよね・・・見れば判る。

要するにこの表現で判るのは、狙った形で大きく1枚切りをしたものを、ランダム・・・つまり決まりが無くて別にどうでも良いってクラッシュって言うものに切り替えた・・・・って事になるのね。折角意識して切ったものを・・・意識薄く切り直し・・・ってね。

意識して狙って切れるようになったが、許容範囲としてこの作品の全体の大きさ分の1つのパーツの大きさ・・・って考えた時に自分の中で大きく感じたか?単純過ぎるかな?とか迷ったんだろうね・・・・。その迷いの中、考えたのが細かい方が良いのかな?だったらしく、その細かいって言う大きさが、

それを4分の1程度の大きさだった・・・・って話。それが上手くなってこだわっている証拠なんだけれどね・・・・。大体、上手く切れなかったら、そんな事を考えずに、ひたすらその形に切るだろうし、わざわざ1枚で切れているパーツを切り直すなんて事はしないよね?・・・・あははははは。

実はこれじゃない・・・って感じた・・・これだけ切れる人がね。これが狙って切れない人がやればただの欲なんだけれど、ここまで切れるのなら、その欲は向上心に繋がるのね。だってそれはステップアップなのだから。出来たから次へ・・・って具合にね。ただここにその意識が薄いと・・・。

何か変?何か・・・・って、きちんとそのパーツを切るって言う目的ありき・・・って言う状態で無く、正解はなんだろうか?・・・って探しながら進むって感じになる。だからやって見た様子・・・けれど正解があって切っている訳じゃないから、こうじゃない・・・こうじゃない・・・って、

間違いだけははっきりしているのに、正解が出ないもどかしさになる。しかも、その正解を知っているのは本人のみ・・・何せオリジナルなのだから。
しかしながら、これだけははっきりしているのは、花を作るって場合、輪郭だけで1枚で切ると、凄い技術なのに幼稚な感じに見えたりする。

勿論、モザイクをやっている人にはその技術は一目瞭然だが、ここが問題なのね・・・つまり上手くなった時に、その眼も一緒に持てば良いが、その眼が劣っていると、何が上手くて何が下手か?の区別がつかず、何と無く・・・・って感になる。その癖、切るのは上手くなって行く・・・・。ここ。

それによって、上手く切れたものであるにも関わらず、何か変だと錯覚する。しかも細かい方が凄いってイメージがあるから、そうしたくなる。ただ、今までそんな風にやった場所は?となると、茎となるが、茎は1色で幅を合わせるだけだから考えずに進める。 

一見同じようなもののようだが全く違うのね。難易度がね。それを何処が、何が?がしっかり判れば、今日は難しいから進まないだけだと理解して進めるが、何か今日調子悪いなんて、

勘違いしてしまう。いずれにせよ、またこれについては他の人で出て来るだろうから、その時にするにして、そんな中、日高氏がやって来たから、アトレの近況報告から。

実は苦戦中らしいのね、って言うと、まっ、呼び込みも出来るし、生で見せれば何とかなるんじゃねえの?って言うのね。この見解はかぐやも同様。

あら、中々良い感じなのね。苦戦なのに巻き返せるってかっ。ほぉ、俺もまだ諦めていないし、流しの教室はこうじゃないとね。アトレって名前におんぶに抱っこって訳には行かない。

ただ、人1人の力なんてわずかなもの。下地には最善は尽くしたし、後は宣伝。
やっぱ客引かないとね、いかに見せるか?いかに楽しそうって?見て貰わないとね。

いずれにせよ、皆さんお時間があったら、ご協力お願いします。
そんな中、グダグダ進まなかった野暮用作品も、落とし所だろって所に入ったようだ。


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