katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ロン教室だけど・・・・

2015-08-30 06:19:23 | モザイク教室
今日は3時からロン教室。それまでアクアリウムバスの下地のペーパー掛け・・・・結局来るまでやって20枚弱。結構掛かるのね・・・やっぱり。
そんな中、ロンがやって来たのだけれど・・・・今日は予定では最終日だったのだけれど、それよりも何よりも言いたい事が2つ・・・。

実は先日、1枚の画像が送られて来て・・・・ギターの台を作ったと言うのね・・・そこには1cmのタイルが張られていて、それがかなりの大きさなのね。
それを踏まえて、作った労力や作った前向きさだけは褒めるが・・・・・このばかちんがっ・・・・と一言を言う事になる。

それは何故か?と言うと、一体この作品の趣旨は何だ?と言う事。まずは今までの作品の作り方と言うのは、お母さんと一緒に夏休みの全時間を費やした・・・そんな作り方をしていたと言う事・・・・つまり言い方を変えれば、己の欲望のまま作りたいものを作る為の時間を惜しまない。

ただそれだけ。では質は?となると、精一杯やってそれで良いのは小学生だからであり、中学生なら中学生の作り方があるはず。
それをえぐる言い方をすれば、お母さんの時間を独り占めして、己の欲望のまま作ったって事でしょ?そこまですんなら質をあげろよっって話。

ただそれがここへ来て先生として雇われた以上、掲げた目標は質の良いものを作るであり、時間を費やすのみで終わらない為には・・・って言う事を教えようとした1年目だった・・・・。ただこれは逆を返せば、もしお母さんがその子供の欲望を一緒に楽しんでいたり、もっとえぐれば、お母さんの欲望を

彼と一緒にやっていたとしたら?・・・それでは趣旨は変わって来る。つまりその場合はこの作品で親離れ、子離れをするきっかけにする。
おそらくそう言う趣旨になるはず・・・まっ今までの慶應の子供達には多かったが・・・。

そんな事を踏まえて、何が何処がばかちんなのか?を検証しないとならない。だから1つ1つ納得して貰わないとならない。ではまずそのギターの台をどう言う気持ちで何時間を掛けて作ったか?になる。すると、そんなに時間は掛けていないし、何と無く・・・って。

それがばかちんなのね。では聞く。このギターはどんな気持ちで作った?すると、数ヶ月前から準備して・・・ほら、どうして違う作り方をする?
もしギターが刀だとしたら、俺と一緒に名刀作りをしていたんじゃないのか?妥協せずにじっくりと・・・。

そう言うともしかしたら、お母さんとももっと時間を掛けたと思っているかも知れないから、はっきり言う。時間なんて製作に掛けても自慢にはならない。質と言うのは、構想に掛けるもので、腕があるのなら製作に無駄な失敗や時間は掛けないもの。

つまり質を上げるって言うのは、何も考えずにチャカチャカ作るなんて子供のやる事。そこにお金や労力を掛けるのだから、しっかり構想を練り、それを完成するにはどうしたら良いか?・・・としっかり考えをまとめてからスタートするやり方を教えたはず・・・なのに。

それを相談もせずに、勝手にお母さんと作り、よりによってタイルを買って目地以外は完成って・・・・。しかもただ張っただけだから・・・って。
その言葉の裏には、張るだけなんてチャカチャカで十分・・・・切らないんだから。って張る事を舐めていた発言なのね。違うかな?と聞くと・・・

ロンは・・・そう言う事になりますよね・・・・って。しかも、きちんと例えも出して、そう言う事になる・・・って意味ですよね・・と確認まで出来ている。どうやらここまでの意味は判ったようだ。つまり俺の教えた技術は切る事であり、それを張る事は教えたが、真っ直ぐ張るなんて、

何1つ教えていない。ここで誤解を生み兼ねないので、棟梁のように仏像彫刻を習っていて、お地蔵さんを勝手に彫ったとする。これは今の事例に当てはまるようで当てはまらない。つまり勝手にやったのは一緒だけれど、技術として彫る事を勝手にやっただけで、きちんと彫る技術を使った。

つまりロンの場合、ワンポイントできちんと切って何かを作って台を作ってそこに張った・・・・と言うのなら、教えた技術を使った事になるが、
結局、ロンのやった事は、俺の教えた技術を使わず、習った事では無い事をして、尚且つタイル屋なんて簡単じゃん・・・だって張るだけなんだから

そう言ったも同然って態度だったって事になる。その姿勢に喝。勿論、本人も恐らくお母さんもそんな事は一切思っていないだろう・・・がしかし、
それがこの世の一番の悪。つまり思っていない、意識なし、知らなかったから・・・全ては自覚無しって武器を使ったのね。

何故なら、張るのは簡単だから、チャカチャカって作れたし、難しかったとも言わない。つまり楽だった事になる。しかも、その張るって技術は習わなくても出来ると判断された・・・・。つまり切る行為は張る行為よりたやすい・・・とね。

どうせ中学生の宿題程度の話・・・そんなのどうでも良いじゃないですかぁ?面倒な先生・・あぁ金払ってんのにぃぃ・・・・って言ってくれれば、ビジネスだから、終わろうが終わらなかろうが、時間を教えれば良いだけに出来るのにね。それが普通でしょ?世の中って・・・。

何しろ悪意を持って自覚があれば、お互いその程度なんだから・・・とやりやすいし断るって選択も生まれる。なのにまだ1年目も終わっていないのに、3年間通うとか、普段も労作展に限らず来たい・・・と言って頂いている・・・・なのにたった1つの意思の疎通が出来ない・・・・。

大事なのは姿勢。つまり本物を作ろうとするには、きちんとした構想を立て、しかしながら時間やお金の制約の中、出来る事と出来ない事の選別や、やりたい事と出来る事のギャップに苦しんだり、出来るはずだと確信していたものが頓挫や座礁したり、そう言う葛藤と向き合う・・・。

つまりオリジナルのものつくりとは?己自身なのである。だから作る人の姿勢がその作品に反映されると言う事になる。それが今までの作り方とは違う所だったのだが、また同じ作り方に戻した・・・しかも2人いてどちらも留める事は無かった・・・これってやばくない?ってね。

ここまでは意識の問題で姿勢って話。ではそんな気持ちで作った作品の内容は?となるが、何事も例外って言う事があるのね。つまり時間を掛けずに手間もそこそこ、なのに結果は悪く無い・・・・また例えは棟梁になるが、目地材の残りで作ったお人形・・・あれは見せると欲しいと言われるもの。

つまり腕があると何と無く作ったものが良く見える事がある。これが良く言う器用と言う話になる。要するに恐らくロン親子も器用なんだろう。
これが困ったものなのね・・・器用な人は結果を残す。それにより人よりも少し良い結果出てしまう事で是正をする気持ちが生まれない。

何故なら是正と言うのは、大きく失敗した事を自覚する方が直しやすいから。つまり大きく失敗するどころか、そこそこ結果が出ているから良いじゃん・・・これでは是正の気持ちにはなれない。要するに教える側としてはつまづいている人の方が教えやすいと言う事になる。

そんな事を踏まえると、その台はきちんと中学生レベルに出来ていて何ら悪く無い。ではギターは?・・・もしこの評価が別人の作品に見えたとしたら?・・・・何故そんなものを作る人がこれ?って比較される事は無いのか?それともいっぱい張ってあれば、それで良いのか?と言えば、

恐らくギターがあればどちらでも良いだろうが、いかんせん3年関われるのなら、労作展だけの事では無い事を教えて良いのであるのなら・・・・。
それは、質を上げる為には・・・と言う作り手の姿勢。

人に評価をされるものを作ったのなら、例えそれが自分であっても、その作り方をしたからであり、それにふさわしいものを残り時間に作るにはどうしたら良いか?を考えるべきであるし、それをチャカチャカって・・・俺の指導と一緒に作ったロンに失礼ではあるまいか?

ただ俺は自分のエゴを押し付けるつもりは無いので、その目地の指導もするし、却下するつもりも無い。もっと言えば、その台はお母さんと一緒に作った最後の作品となるのなら、労作展には半分親離れした作品になるだろうし・・・・来年はそう言う事は無くなるだろうから。

そんなお小言を言いつつ、目地の前のボンド取りを数時間。更に目地、そして1度塗りのペンキ・・・そんな事が終わる頃には9時半。
そもそも台の目地が増えた時点で、今日は終わらなくても良くなったのだから・・・次回1回で終わる所までやって・・・送る事にした。

そして帰りにその台を引き取って帰宅。途中で飯喰おうぜって言ったんだけれど・・・・・ウチにご飯あるし・・・って。話なんでそのまま食べずに・・・すると、お母さんが食べ物を持たせてくれて・・・・まぁ、いつもいつも色んな事があるのね・・・・長く付き合うと。

ただ良くも悪くも俺は面倒臭い・・・・そんな奴である。



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