katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ロンとみどりの相席教室

2016-07-30 06:53:38 | モザイク教室
今日はロンとみどりの相席教室。まっみどりは完成したんで、そちらから。結果として完成度は高く良い作品になったと思う・・・がしかし、これを最初からイメージして作ったのならお見事なんだけれど、後出しじゃんけんの繰り返しでここにたどり着いた・・・漂着物みたいな感じ。

それはまだキャリアの無い人なら十分な作り方だと思うが、みどりは弟子になったんだし、それでは結果だけでは喜べない。要するに大作の前の遊びの作品と銘打ったから、下絵に困りたくないのを踏まえて、俺のデザインの金魚を使った・・・・そこは趣旨通りになる。

これで1つ楽になり大作の下絵に集中出来る。所がトントン拍子で下絵が完成してしまうと、拍子抜けみたいな感じで、今度はさっさとこの作品を終わらせたい・・・に心変わり。すると、ガラスタイルをクラッシュで・・・と完全に舐め切った感ありあり・・・。

そこを指摘されると図星だった事もあり、今度は襟を正し真摯に向き合うと、今度は一転まるで大作のバックですか?と思うようなデザイン。しかも単なるクラッシュは何処にも無い・・・・この極端さ。つまりこの作品はそんな気持ちの移り変わりで2転3転して行ったものなのね・・・。

あれ?何処かにそんな奴いたなっ・・・・?あはははは、ロンだわっ。そうこの相席はロンにとってもみどりにとっても参考に・・・そんな教室なのね。
ただロンは中学生・・・みどりは弟子・・・同じであってはならない。と言う事。

そもそも遊びでガラスタイルのような高価な素材を使う程の腕前か?って話で、謙虚のけの字も無い発言。それを本気でやると言うなら、そうか・・って話で、それとてやる気だけでは基礎も出来ていない状況ではお金で解決されても、誰に教わった?って人に聞かれてkatsuと言われてしまうのでは、

責任を持ってして、よそで言われても良い納得した指導ありきでなら出しても良いと思うのね。更に言えば、気持ちの立て直しだったり、自覚だったりって話でここまで作れるのなら、単なる自分の問題だった訳で・・・。腕がいくら良くなっても、謙虚さやその作品への愛着だったり、いずれにせよ、

そう言う事が判らないとただの作品であって、上手いね良かったね・・・って話。もっと人に上手いと言われるようになったのなら、自覚を持って作れるように・・・そもそも遊びの作品なら欲しい人にあげてしまえ・・・って話。遊びの作品って言うものはそんなもん。

ただ最初から本気ならこんな作品が作れるのだから、本来なら最初からそう言う姿勢で、金魚の下絵で楽をした分、次の大作に行かされる何かアイデアを試す・・・そんな作品だったと思うんだけれどね・・・・とは言え、完成した作品はお見事で、これでは人にはあげられない。

と言う事で大作の下絵写しとなり、すでに用意してあった木に写しだしたので、手が離れて目をそらせるようになり、それではロンとなる・・・。


こちらも結果としてこんな感じになったが、みどりの失態を目の前で見て、尚且つ自分に当てはめて、何が何処が・・・って意味が判ったようで・・・。
いずれにせよ、もう一度良く考えて立て直しだと思うのね・・・・もししっかり立て直せたのなら、当初の予定通りに欲張らずに後5回を目安に、

作って行くと思うのだが・・・ただ色んな事があって良いのね・・・ロンは。何しろ制作日誌を書かなきゃならないのだから、そう言う作品作りをしている葛藤を、自分の中での作りたいものと作れるもののギャップ・・・そんなものも1つ書く事が出来る訳で・・・。

何枚張ったとか、大変だったとか、それはそれで構わないが、ただモザイクを教えて貰うだけなら俺じゃなくてもいっぱいあるだろうけれど、労作展って言うのなら、制作日誌についても何が大事なんてのも助言くらいは出来る。何しろみんなと違って3年間じゃないのでね・・・。

もう労作展は10年以上のお付き合い。本気で作るのなら、本気で制作日誌も取り組まないと、バランス悪くなるだけだからねぇ・・・。
まぁ、どう考えるか?は人それぞれ・・・なんて曖昧にした方が良いだろうが・・・・それが優しい言い方なんだろう・・・でも・・・・

俺に何が教わりたいのか?・・・だと思う・・・モザイクって言うのなら、もっと簡単に教えられるが、もし作家katsuのオリジナルの作り方って言うのなら、単なる技術では無く作る姿勢など、目に見えない事があったりすると思うのだが・・・。

そう言う点では、弟子のみどりは弟子なのだから、そんな事を必要としているが中学生のロンが必要かどうか?なんて事は果たして必要か?となると、必要かどうかはロンが決める事で、伝えないって決め込む事も無いだろうから、遠慮なく伝えた・・・・。

もし来年も来るのなら、技術の成長だけでは俺は飽きる・・・と。そしてそんなに時間がある限りやろうとするのなら、何かを真似るってものじゃなくて、オリジナルとして自分だけのものを本気で悩んで作ると良い・・・単なるタイルを切るだけなら悩みなんてたかが知れてる。

他に無い自分だけのもの・・・なんてもんは、そう簡単に生み出せるもんじゃない。そうね、小説を読むだとか、歌を歌うとか、楽器を弾くとか、ダンスをするとか、問題を解くとか、ゲームを攻略するとか・・・人の作ったもの・・・じゃなくて、小説を書くとか、歌を作るとか、創作ダンスとか

問題を作る・・・みたいに全く反対側の考えるって方を3年間の集大成としてやれば良いじゃないか・・・・それはただ真似るって1日分やればやっただけ進む・・・なんて甘いもんじゃなく、いくら考えても何も出て来ない・・・自分の薄っぺらさを思い知る事も出来るし、期日が迫る焦り・・・

それは昔、テレビチャンピオンで味わった苦い記憶・・・・良い物が作りたくても時間制限の中で作るって事は思い通り出来ない苦しみがあったり、もっと良い物・・・と要求され却下を食らう苦悩・・・そこにプロなら収入ってものも関わって来る・・・・。

いくら己が納得しても売れなきゃただのゴミ・・・自己満足に過ぎない。モノを作る、生み出す側って言うのはそう言う葛藤の中の制作であって、もし時間の限りやりたいと言うのなら、来年は俺が教える最後の年・・・もう一生モザイクを教えたり習ったりする事は無いだろう・・・。

これでお別れ・・・3年間の集大成って言うのは、1年目は出来た喜び、2年目は真似る題材の時代背景やらそれを作った者達の気持ちを考えて・・・
そして3年目は作り手とは?・・とオリジナルと向き合う事で、世の中にある生み出されたモノへの感謝やねぎらい、そしてその本当の価値を見抜く目

そんな事を考える・・・それこそがkatsuって所で3年習った・・・とお互いに教えた、教わった関係である・・・と思う。勿論、押し付けるつもりは無いし、それは俺の考えであり、必要ないと言われれば、単なるモザイクの宿題でも教えるし、それならそんなに時間も掛けなくても良いのね。

お互いにね。何しろ人と本気で向き合えば心に傷も負うし、時間も労力も掛かる。それはお金には繁栄しないしね。ただ、もしそんな事が必要だって思うのなら、また・・・があるし、あるからまた向き合うし・・・って話で、いずれにせよ、ロンが成長すると言うなら、ロンの上を行く成長を

俺もしていないと、見劣り先生になるのは嫌なんでね・・・・。何かの糧になれるようにしないと・・・・と思ったりもする。まっ、その前に後1か月きちんと結果を出さないと、来年の話は鬼に笑われちゃうしね・・・。あはははは。

ただ、みどりが苦笑いしながら、私もいつも勉強です・・・・ってロンに言ってたのは、ロンにも何か心に残る1つになったかも知れない・・・。


中々、素直に自分を語った所まで良かったが、目を離すと下地に写すだけだったのに、大きい下絵だから紙がずれて曲がっちゃって・・・。
修正不可能と判断して、裏側にやり直すも、また同じ失敗・・・・流石にめげてた・・・・。

ただ写すだけ・・・・それは油断だったり、やっとやれる・・・って嬉しくて浮かれたかも知れないし、ただこれがマンツーマンなら、こんな事は起こらなかっただろうな・・・・と思うと、こっちも痛かったが・・・・いずれにせよ、これから制作すれば何年掛かるか?・・・になるのだから、

初日に大失敗なんて言うのは、みどりには丁度良いのかも知れない。さっきの作品の事もあるしね・・・・気を引き締めるときちんと出来るのだから。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする