katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新モンゴル日馬富士学園用の下地と看板の続き

2020-02-07 01:28:57 | モザイク作家
今日は朝一番はコーナンに買い物。昨日スルーしたファルカタ材・・・確かにベースには使えなかったけれど、重ねて使う分なら、厚みは出るし、反らないし、軽いし、安い。って事で、昨日は思い付かなかったんだけれど、行ける…と判断したので買う事にしたのね。そんな訳で、昨日の下絵写しの説明としてはね・・・。


こんな感じに四角の目を描いて、下絵にも同じように分割して、その時に何倍にするか?って事で、例えば下絵は2cmの四角として、下地に6cmの四角にすれば、3倍になるのね。そんなこんなで何とかかんとか泣き泣き写して・・・・夕方、またコーナン・・・思っていたよりも早く終わったのね。これで側面の分が1つ出来たのね。

それをもう1つ仕上がると、両側面分が出来て、更にそれから下面をやると、ひとまずかぐやを呼べるって感じなのね。ちなみにそこまでのデザインは決まっているのね。ただ何しろ2mX5mなんて大きさなんで、アトリエでは手狭なんだけれど、リフォームしていくらか以前よりはやりやすくなってはいるんだけれど・・・。

そうね、1回目は何しろ額縁としか考える事が出来ず、しかも主張する事を考えず、山周タイルのレンガのようなシックな色合いで作っていたのね。それを2つだった。更に同じ部屋の正面に追加となって、また同じ雰囲気を保つ為に同じタイルを使ったものの、正面な事もあり、コロを使っていくらか色を入れたりもしたのね。

だからどちらかと言うと割と地味な仕上がりだった。ただその分、同じ部屋に3つと言う事で、大きさの分それでも迫力はそれなりに合った。ちなみにそれはモンゴル大学。それが次は美術館となり、一般の人達も見られる・・・となり、今後も増える事は無いとなると、多少なりとも主張する方向を考える事になったのね。そこで、

モンゴルにちなんだモチーフを満載に・・・と、メインに馬頭琴と言う馬が付いている三味線みたいな楽器に、模様なんかを取り入れて、更に大きく違うのは、色を取り入れたのね。それによってグッと華やかになった。これらを経て4回目。今回は新モンゴル日馬富士学園と言うと、モンゴル大学とくくりは一緒で学校って思うが、

大きく違うのは、個人の名前が入っていて、しかもその名前は力士のしこ名。完全に日本色が濃い。そんな事も踏まえて、考える。良く聞く事がある、古き良き時代の良いモノと新しいモノの融合とか・・月並みだが理想と言えば理想。そんな事を踏まえると、日本とモンゴルの融合なんて事が浮かんだりする。そうなった場合

何が日本で何がモンゴルか?となったりする。ただ日馬富士学園・・・もう相撲は欠かせない。ただね、単純に相撲を入れればなんて、誰もが考えるような事では薄っぺらくなる。そもそも誰もが目指せば憧れる横綱になった人。格式、威厳、当然強さ、伝統・・・一般の社会には無いモノばかり。あった所で薄い・・・。

そんな掛け離れた一番遠い所にいるのが子供だったりする。そこに一体何を伝えて、何が大事で、どうして欲しいのか?となったりした時、横綱は良く露払いやら太刀持ちなんて言う2人を従えて雲竜型だ、不知火型だと披露したりする。能率効率なら見せるのは横綱だけなんだから1人で良いじゃん・・って話だが、伝統

と言うのは、最初にやった人達が、何らかの意味があってやった事であり、仮に単なる思い付きやノリでやった事であったとしても、引き続いている以上、文化でもあったりする。つまりそうなるか?ならないか?は最初の1歩目が大事になると思うのね。以前、モンゴルに行った時、申し訳無いが、これからの国だった。しかし

美術会社の社長さんが言うには、行くたびに目覚ましい発展だと言うのね。それならこれから歴史が変わって行くんだろうね。そう考えると、この学校に行ける人達はきっとエリートになるような人達なんだろうね・・・まるで横綱ように。ただ、さっきの露払いや太刀持ちもそうだし、付き人だったり、何をするにも、何処に

行くにも横綱の廻りには人がいて、良くも悪くも見本になる訳で。ただ相撲が強ければ良いだけじゃなくて、それに相応しい振る舞いや言動なんてものまで要求されたりもして、人の器まで問われる。弱かった時はただがむしゃらに強くなる・・・、ただ勝つだけを目指せば良いで済んでいたものが・・・。下に身を置けば楽と

言うのはそう言う事で、責任なんてものは、そう言う自覚なんかから生まれたりもする。そんな事を最高峰まで上がった人だから、そう言う経験をした人なんだろうね。勿論、例の事件でお辞めになられたが、志を持ってこうした学校を建設した訳で。こう言う背景を判ろうとしないと、安いものになる。ただモチーフを入れた

だけでは、本当の意味は伝わらない。相撲なんて使ったら伝統、格式、文化・・・こんなもん無しでは済まない。しかもお披露目などがあるのだから、単に出来ました・・・では、はいおしまい・・・って事になるし、やはり、そこは、わぁぁぁって歓声も欲しいし、ずっとそこで大事にされたい・・。当然そうなるには、ノリだの思い付き

なんてもんでは話にならない訳で。こんな事をひたすら考えつつ、反対側にある本来一番大事な子供達の事・・・そんな小難しい話は良いから、楽しいな、凄いな・・・みたいな単なる五感の衝動。見た時にわぁぁぁって言うような、そんな気持ちになるようなもの・・・昔、子供の頃に自分も味わったような・・・あの感覚。

そんなものが作りたいと思っているのね。そもそも人が良いなと思うものには、大小様ざまあるだろうが、感じるって五感に触れたものだったりする。ただ、その感じた・・・って事の奥の方に、作者の伝えたい意味って言うのがあって、それが伝わるのはもっと大人になってからって事で良いと思うのね。そうなるようにするには、どうしたら良いか?が試行錯誤な訳で・・・ある意味、モザイクに入ったら、おしまい・・・って気がするのね。大きさはあるけれど、悩む事は今だけ。

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