今日は朝から新モンゴル日馬富士学園の額を張ったんだけれど、そんな中、以前学校のパンフレットをネットで見つけた中に、面白い記号のようなものがあって、何かそれがモンゴルの算数とかで使う公式とかだったら良いな?・・・・それなら使えるかな?と美術会社の方に問い合わせて貰っていた返答が返って来て・・・。
それがただのパンフレット上の演出的に使っただけの事らしく、入れようとしていたデザインが1つ飛んだ・・・そんな朝のスタート。何しろモノが大きく、側面の片側だけでもアトリエ内では広げられないそんな状況では、これをやっては片付けて、これを出し・・・みたいになるから、繋ぎ合わせの所を合わせて次へ・・・となる。
まぁネタバレ禁止となっているから、全貌を見せる訳にも行かないから、こうした一部の画像では、やってます・・・しか伝わらないのはもどかしいけれど、何しろ大きいって言う事と、今までのモンゴルの額の中では一番主張の部分が判りやすく、伝わりやすいとは思うが、逆に伝わるが故に、何だこりゃ?って方もいるかも・・・。
ここが難しい所で、ん・・・例えば、演出として火を使うってコンサートは昔はあった。今でもKISSならジーンがベロ出して、火を噴く。あれをカッコイイって思ったら素晴らしい演出だけれど、危ない、何かあったら危険と言われたらダメになる。それを黙って演奏をすれば良いって言ったら、元も子もない訳で。そもそも人と違うを
探しているのだから、ただ演奏ではその化粧も派手なコスチュームもいらないって話になる訳で。それじゃCDと変わらない。つまりこれに当てはめると、最初は流石にベロすら出せない状況で、額は普通四角いから・・・と形も変えず、しかも作家の先生がメインなのだから・・・と遠慮気味だった事で、色さえも抑えた。
それを踏まえた2回目はそうした流れを引き継がなきゃならない、同じ場所って事で、それでも正面って事もあり、華やかさも必要だろうと、桜の花の薄いピンクを取り入れた・・・真面目かっ。って位、慎重にコンプラやBPOみたいな意識が高かった。そんな3回目は、1.2回目の大学とは違い、美術館って事もあり、一般の
方もいらっしゃるので、余り地味になるのも・・・って事も踏まえて、多めに色を使い、形すらも変えた。モンゴルに関係があるものだらけって感じに。ただこの3回までは、色を押さえたり、形は変えてもモンゴルの伝統的なデザインを合体したような感じであって、特にビックリするような演出では無かったと思うのね。
しかもモンゴル色やら韓国色は多かったが、日本って点では、桜の花位で、ある意味、先生方の作品が日本色って感じになり、ただ今回は大きく日本色が出ているのね。それは日馬富士自体がモンゴルでもあるが、日本色だったりする事。そこで日本色が使いやすくなったって事。しかし、異国の文化や模様は、知らないと
こんなもんなのかぁ・・・と受け入れやすいが、知っていると、ここが違う、ここが変・・・と感じる事もある。増して伝統なんて古い事は、ちょっと違っていても変に感じるモノで、それは昔の歌をカバーしたりした時、昔の方が良かった・・・なんて言うような事が起きるのと似ていて、それもある意味、昔が良かったって言う伝統
みたいな話で、比較して違う事探しみたいな。つまりこんな場合は、安定していた過去を引き続きの方が、新しいモノよりも良く見える・・・って事になるし、逆にその安定感を慣れると、またかぁ・・・にもなる。こんな事も踏まえての4回目となると、安定感よりも変化を取った。しかも今までとは違って既に日馬富士って言う、
もう既に有名なワードを使わない手は無いし、それが相撲、日本と繋がりを持つ事になる・・・となると、意味もあるけれど、ただ今までとは逆でモンゴルの人達にモンゴル色だったのを、今回はかなりの日本色を見せる事になる訳で・・・しかも、日本の先生には見慣れた文化を見せる事になるし、モンゴルの人達には、
異文化を見せる事になる。もはやデビルマンのようで・・・悪魔からは人間と言われ、人間からは悪魔と呼ばれる・・・ここを解決出来ないとかなり不利にもなる。そう言う点でも、ベロを出したり火を拭いたりするKISSのような演出は、賛否両論を起こすもので・・・。ただリスクを負わないと普通になってしまうもので・・・・。
ある意味、何これ?・・・って声を聞けないと、それすらも普通って事にもなるかも・・・なんて考えてしまうと、やり過ぎの度肝を抜くみたいな事をしたくなったりするもので・・・そのやり過ぎまでやらない位の辺りが理想なんだけれど。いずれにせよ、何のモチーフを選んでもそこに意味が無いと、ただ綺麗みたいになるし、
意味あるモノを選ぶと、伏線みたいな事になるから、きちんと回収出来無いと、取っ散らかる。最初に下部に使おうと思った記号みたいなもののように、単なる演出だった・・・なんてものは使いづらいし、そうなると、上部下部で下絵が棚上げ的になってしまったのね・・・。
それがただのパンフレット上の演出的に使っただけの事らしく、入れようとしていたデザインが1つ飛んだ・・・そんな朝のスタート。何しろモノが大きく、側面の片側だけでもアトリエ内では広げられないそんな状況では、これをやっては片付けて、これを出し・・・みたいになるから、繋ぎ合わせの所を合わせて次へ・・・となる。
まぁネタバレ禁止となっているから、全貌を見せる訳にも行かないから、こうした一部の画像では、やってます・・・しか伝わらないのはもどかしいけれど、何しろ大きいって言う事と、今までのモンゴルの額の中では一番主張の部分が判りやすく、伝わりやすいとは思うが、逆に伝わるが故に、何だこりゃ?って方もいるかも・・・。
ここが難しい所で、ん・・・例えば、演出として火を使うってコンサートは昔はあった。今でもKISSならジーンがベロ出して、火を噴く。あれをカッコイイって思ったら素晴らしい演出だけれど、危ない、何かあったら危険と言われたらダメになる。それを黙って演奏をすれば良いって言ったら、元も子もない訳で。そもそも人と違うを
探しているのだから、ただ演奏ではその化粧も派手なコスチュームもいらないって話になる訳で。それじゃCDと変わらない。つまりこれに当てはめると、最初は流石にベロすら出せない状況で、額は普通四角いから・・・と形も変えず、しかも作家の先生がメインなのだから・・・と遠慮気味だった事で、色さえも抑えた。
それを踏まえた2回目はそうした流れを引き継がなきゃならない、同じ場所って事で、それでも正面って事もあり、華やかさも必要だろうと、桜の花の薄いピンクを取り入れた・・・真面目かっ。って位、慎重にコンプラやBPOみたいな意識が高かった。そんな3回目は、1.2回目の大学とは違い、美術館って事もあり、一般の
方もいらっしゃるので、余り地味になるのも・・・って事も踏まえて、多めに色を使い、形すらも変えた。モンゴルに関係があるものだらけって感じに。ただこの3回までは、色を押さえたり、形は変えてもモンゴルの伝統的なデザインを合体したような感じであって、特にビックリするような演出では無かったと思うのね。
しかもモンゴル色やら韓国色は多かったが、日本って点では、桜の花位で、ある意味、先生方の作品が日本色って感じになり、ただ今回は大きく日本色が出ているのね。それは日馬富士自体がモンゴルでもあるが、日本色だったりする事。そこで日本色が使いやすくなったって事。しかし、異国の文化や模様は、知らないと
こんなもんなのかぁ・・・と受け入れやすいが、知っていると、ここが違う、ここが変・・・と感じる事もある。増して伝統なんて古い事は、ちょっと違っていても変に感じるモノで、それは昔の歌をカバーしたりした時、昔の方が良かった・・・なんて言うような事が起きるのと似ていて、それもある意味、昔が良かったって言う伝統
みたいな話で、比較して違う事探しみたいな。つまりこんな場合は、安定していた過去を引き続きの方が、新しいモノよりも良く見える・・・って事になるし、逆にその安定感を慣れると、またかぁ・・・にもなる。こんな事も踏まえての4回目となると、安定感よりも変化を取った。しかも今までとは違って既に日馬富士って言う、
もう既に有名なワードを使わない手は無いし、それが相撲、日本と繋がりを持つ事になる・・・となると、意味もあるけれど、ただ今までとは逆でモンゴルの人達にモンゴル色だったのを、今回はかなりの日本色を見せる事になる訳で・・・しかも、日本の先生には見慣れた文化を見せる事になるし、モンゴルの人達には、
異文化を見せる事になる。もはやデビルマンのようで・・・悪魔からは人間と言われ、人間からは悪魔と呼ばれる・・・ここを解決出来ないとかなり不利にもなる。そう言う点でも、ベロを出したり火を拭いたりするKISSのような演出は、賛否両論を起こすもので・・・。ただリスクを負わないと普通になってしまうもので・・・・。
ある意味、何これ?・・・って声を聞けないと、それすらも普通って事にもなるかも・・・なんて考えてしまうと、やり過ぎの度肝を抜くみたいな事をしたくなったりするもので・・・そのやり過ぎまでやらない位の辺りが理想なんだけれど。いずれにせよ、何のモチーフを選んでもそこに意味が無いと、ただ綺麗みたいになるし、
意味あるモノを選ぶと、伏線みたいな事になるから、きちんと回収出来無いと、取っ散らかる。最初に下部に使おうと思った記号みたいなもののように、単なる演出だった・・・なんてものは使いづらいし、そうなると、上部下部で下絵が棚上げ的になってしまったのね・・・。