katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新モンゴル日馬富士学園の額の追加分

2020-04-20 22:50:17 | モザイク作家
今日は新モンゴル日馬富士学園の額の追加分。結果としては白い部分の縁取りが2枚張り終わり、また切る事に専念。ただ、いくらか気分って言うのなら、流石にやる事はあっても、毎日の繰り返しの日常はその人その人次第だけれど、ダメージを受ける。それを余暇を娯楽で埋める事で非日常を楽しむ。これがバランスで、

普通、サラリーマンの人なら月曜から金曜まで、頑張って働いて土日が休み。つまり5日の日常に2日の非日常で、これが職人さんだと、6日の日常に1日の非日常だったりするから、それははめの外し方も激しかったりもする。まっ、いずれにせよ、こんな感じが一般の人だったりするとして、俺の場合は休みと言う休みは特に無く

お教室も年中無休なんで、いつでも受け付けていたりするから、余暇ってものが無い・・・しかもお教室が無い時間は作家katsuだから、作品作りになる。ここまでは単純な説明なんだけれど、この先生katsuと作家katsuって言うのが厄介で、同じ人物なのにやる事なす事、正反対の生き方になるのね。先生の場合は人と携わり、

自分の実力を測るには、生徒さんの結果が全てになる。つまり先生がいくら上手くても、極端に言えば何にも役立たない。勿論、営業と言うのなら、その先生に習いたいと思わせる事が出来るのなら、人が集まると言う集客には役立つだろうが、結果として満足な結果が得られたかどうか?となると、質が問われる訳で。それが

作家の場合、依頼主と打ち合わせはするが、制作は1人。つまり孤独になる。さっきは人と向き合い、その癖、自分の実力は腕では無く、きっかけを作れるかどうか?みたいになり、孤独にはならないで済むが、腕では無いもので、導いたりして満足した結果へ・・・となる。逆に作家は全てが自分の腕であり、人とは携わらず孤独。

こんな感じになる。これを昔は作家活動ばかりで、教える機会が少ない分、孤独の時間が多かった。それがいつしか先生として教える機会が多くなり、人と接する機会が多くなると、孤独な時間は減って行った。つまり最近のkatsuって言うのは、少ない孤独の中での作家活動だった事になる。それがこのコロナで、急に孤独な時

間になった・・・習慣と言うのは恐ろしいモノで、それに慣れると、それがいつしか当たり前になったりするから、無くした時のダメージって言うのは大きいもので・・・。簡単に言えば、里帰りした時のお別れの時のご両親の気持ち・・・あんな感じに近いかな?日常のご両親2人の時よりも里帰りされると、孫もいたりして、

とても賑やかで毎日の生活の日常よりも華やかで楽しい。そしてそれはたまにの事。つまり非日常。それがいきなりおしまい・・・になる。味わった事は無いが、竜宮城から帰った浦島太郎なんて、お礼の時間を過ごしただけで、独りぼっちになってしまう訳で・・・。しかも、ご両親揃っていれば2人だが、太郎は1人。つまり太

郎の気持ちは誰よりも判るのね・・・あははは。こんな事になっているって気がするのね、正直今の気持ちとしては。それでね、これで終わっちゃうと単なる愚痴とか、ぼやきとか、悲痛な叫びっぽくなっちゃうでしょ?そうじゃ無いのね。何故なら昔ならそうだったかも知れないんだけれど、その原因の1つはお金の余裕だと

思うのね。昔は今の話に、明日の生活費の支払いに追われる・・・何度と無く家賃の催促、車検、修理代、更新・・・日々の支払いは逃げ切る事が出来ても、蓄える余裕が無い分、大きな請求が来ると、支払えなくなる・・・そりゃそうなのね。何しろ良いモノが作りたい。けれど予算は決まっている。その中で制作しようと思うと

普通は儲けなんて考える。けれどそれでは、いくら頑張った所で限界がある。材料は買わないとならず、結局削るのは手間代。つまり考え方はいくらあれば死なないか?・・・になる。限界は何処までか?だから何1つ余裕など無い。これでは結果が出たとしても嬉しさよりも、やり切ったってだけになる。明日に繋がった・・・。

そんな感じだから、何しろ余裕が無い。そんな中での金魚は唯一の娯楽や趣味と言ったものだったが、それを無くした分、銘木下地に走った。つまり仕事はモザイク、趣味が銘木彫りみたいにね・・・趣味と実益みたいにね。こうして娯楽も一切無く、休まず仕事だけしていれば、多少は残る。その余裕がゆとりとか安心にな

ったが、今はそれが無くなった。本来なら昔のように厳しくなるはずなんだけれど、これがモンゴルの仕事だったり、店舗だったり、制作の仕事が入って逃げ切っている中、また建築ずらみの見積もりをさせて貰っている。これが決まれば、また1か月延命になる感じ・・・となると、今すぐお金には困らなくなる。つまり生きら

れる事になる。ただ厄介なのは、人は感情がある。だからご飯を食べられて生きられる、だから良いだろう・・・にならないのね。ではこんな中、足りないものがあるとしたら?娯楽や趣味とかになるんだけれど、アトリエにいたら当然モザイクしちゃうでしょ?それだと娯楽が無い。これが普通な考え。欲しいのは非日常。けど

外出禁止・・・どうする?って事になった時、今何してるか?ってたどり着いたのは、冷やし中華始めました・・・じゃないけれど、katsu自炊始めました。笑っちゃうでしょ?これだけ条件揃えばそうなるのね・・・普通は毎日作るお母さんなら、たまには休みたいって外食なんでしょ?じゃ全然作らないんだから、始めなさい。って

なるでしょ?だって非日常が欲しいんでしょ?しかも、昔はその時間も惜しんで制作していたのね。何しろ支払いの為。けれど、そんなに困って無いんでしょ?しかも外出を減らせなんでしょ?じゃ自分で作れば良いんでしょ?何か笑っちゃうのね・・・自分の為に自分のご飯作るんだって・・・何か馬鹿馬鹿しいのね。でもそれも

そんな事をして来なかったから新鮮だし・・・スーパーとか行けちゃったりもする。本当は生活感出ちゃうのは嫌だったんだけれど・・・浮世離れしてる方が良いのかな?って。でも誰も来ないし、なら生活感うんぬん関係無いし・・・そんなこんなでまだ大丈夫のお知らせでした。

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