katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新モンゴル日馬富士学園の額の追加分と外構工事の下絵

2020-04-23 00:44:46 | モザイク作家
今日は昨日に引き続き、前半はモンゴル、後半は外構工事の下絵をやったのね。結果としては、白の縁取りは8枚目の途中まで終わったのね。それと下絵は・・・

こんな感じ。これが家の壁に付くって予定で、全体で6.70cmくらいあるかな?まぁ家族にゆかりがあるモノのモチーフで、家族の紋章風味になっているのね。

そうね、こんな事を考える時ってね、例えばね、ガウディとかを思い浮かべたりするのね。あのゴシック様式全盛の時代に、昔の人達の表現をあえて使わせて貰えば、チンドン屋みたい・・・この表現は俺が子供の頃に、誰もが変わった色合い、カッコなどを見た時に大人の人達が、使った言葉なのね。ただこれを紐解くと、普通

って言うのは、こんな感じであり・・・と決まっていて、それとは大きく違ったものは、その表現をされたのね。じゃあ何で?となった時、恐らく浮世離れしたカッコ、色合い、そして人前での演奏、メイク・・・こう言う、人と違った事をしているからであるとしたら?所がこれが役者だったとしたら?非難は無く、知名度でも大きく違って・・・

例えば役者さんの場合には、さんが付く。けれど点々とあちらこちらに回る役者を旅役者と呼び捨てにする。同じ芝居でも格差がある。それでも役者であるのなら、差別用語は使われない。つまり紐解くに、人と変わったモノは変なものとして扱われるが、変わっていても素敵に変わって見えて、しかも流派が認められていて、知

名度が高い場合は、さん。同じ芸をしても、一定の小屋、ステージ等を持たず、点々と歩くフランチャイズを持たないものをビジターとして、昔の野球でも、そう言う扱いをされていた球団は多々あったし、今でも正社員と派遣やら、助っ人なんてのも、そんな意味を持つ言葉だったりすると思うんだけれど。話は戻して、ただ化粧1

にしても、玉三郎さんなら、教えて貰った人や見て来た人達が一流であり、それを盗む事も出来るだろうが、旅役者だったら?そしてチンドン屋だったら?ちなみにわざと、さんは付けていないのね・・・じゃないと、当時の差別が伝わりづらいから。そして、それぞれに違いがあって、役目があったと思われるのね。それは、

役者さんとして最高峰の人達なら、きらびやかに、憧れを持たせるような浮世離れであり、旅役者なら、こんな田舎では見られないようなものが見れて嬉しいって言うような、もっと身近で有難う・・・位の浮世離れであり、チンドン屋なら、大人はその人達よりも、チラシの方に目が行く・・・そうなるような大袈裟で滑稽な化

粧をして、いる浮世離れしていたと思われるのね。ただ演奏しているんだけれどね・・・つまり鼓笛隊やら、ブラスバンドのように見えるんだけれどね・・・俺には。おっとかなり遠回りしちゃったんだけれど、こんな違いがあったとして、仮に値段なんかを付けたりして見て。一体いくらの価値があるか?ってね。答えはチンドン

屋と役者さんは今日の手間、でも旅役者はご祝儀・・・勿論、役者さんもチンドン屋も出るだろうけれど・・・旅役者のようにご祝儀命のような生き方では無い気がするのね。まっ、それも置いといて、いずれにせよ、物事ってのは、賃金が発生する。しかも建築ってのは、莫大な費用な訳ね。だって借金までするのだから。それ

を、あの当時にゴシック様式全盛の時代に、無名のガウディに一体いくら支払った?まさか同じ額は払えまい。つまり旅役者扱いだったんじゃないか?と思ったりするのね。ただそれでもやらせてくれた事を考えると、かなりの勇気。タダじゃ無いんだから。しかもあんな仕上がり・・・それで、はいゴシック様式のお金って、言

われても・・・そりゃあね。一昨日来やがれって話でしょ?でもね、あの建物が何だったか?なのね。最初はカーサ・・・つまり賃貸物件。なら、お客さんが入ればそれで良いのね。大家さんにしたら。それが噂を呼び、次から次のカーサってな話だと思うのね。だって見た事の無いものに大枚出せないでしょ?これが本当なら?

考え方は、ここに家族の紋章風味に見えるものが提案したい・・・だからゆかりのあるモチーフを入れる。この考え方はヨーロッパの紋章のデザインと一緒で、これを入れたら、これも無いと駄目だし、そっちのが大きくない?みたいな敷地分配もしたりして・・・ただ普通はワッペンのように形でくくって、その中に入れるのね

。それが普通。さっきの話で、浮世離れって言ったって、役者に旅役者、そしてチンドン・・・これだけあったりする。所が、俺の場合、知名度やら流派は無く、つまり最高でも旅役者止まり・・・それは簡単な話で感だけでやっているから。そうね、人って上を目指すと、芸大って事になるでしょ?プロに習いたいじゃん。でもね、今

から無理じゃん。勿論、お金とやる気があれば・・・なんて励ましてくれる人もいるだろうけれど、折角行って無いのね。ここ勿体無いでしょ?行っちゃった人は、行って無い人にはなれないんだから・・・って話なのね。発想の転換ってのは。じゃ折角行って無いんだから・・・と前向きになった所で、そのままやってても限界があ

って、それが証拠に塾を選ぶにしても、野球、サッカー、何でも肩書きのしっかりした人の方が良いじゃない?でも俺の履歴書の1行目はタイル屋20年。さて、じゃどうする?って話なんだけれど、風味・・・ここね。良く出て来る言葉で、風味だ、モドキだ、みたいだ、感じだ・・・的に、本物じゃ無かったとしても似せる。これなら、

何とか行けるんじゃないの?って事だとして、この1行目のタイル屋の部分に何かプラス出来れば、単なるタイル屋では無くなるし、美大出でも無いし・・・って曖昧な風味やらモドキにならないか?って事になった時、先生になる人は結構いる。その中で、一番良いのは、かぐやの娘なのね。奴は美大を卒業して、それを生か

した仕事をしている。つまり美のプロ。更に昔から俺が何している人で、どんな人か?も知っているから、割とざっくばらんに話せる。お互いにね。つまり何か質問や相談をしても、ザックリ切ってくれるし、判らない事を、老人のパソコン教室のように、親切に対応してくれるのね。これが大事で、俺には無い眼が手に入るの

ね・・・その意味も伝えたんだけれど、俺はここまで感でやって来た。何もかも見よう見まねでね。ただデッサン力のような、しっかりした技術って言うのは、感じゃ上手くはならない。しかしながら、プロとしてやって行くのでは、見て真似るではダメだし、オリジナルって言うのは、書道のようにオレンジの字は無い。だから考

える事になるのだけれど、考える事は流石に慣れて来た。けれど、それを絵にした時、何かが違う・・・の何か?って言うのが、バランスと言うのであれば、タイル屋だった事でのバランスの取り方で補えるにしても、デッサン力って言うのも、同じように何枚も描かないと上手くならない。そう言う点では、いくらかマシにはなっ

て来たが、更なる・・・となった時、基礎を知らない俺では、いくらモザイクが上手くなっても、最終的にはオリジナルの絵が見劣りしていてはね。その時に失礼な話なんだけれど、かぐやの娘の眼が風味やモドキくらいでも良いから、俺のモノになると、ウイルスはワクチンに変わる。ただね、プライドなんてくだらないもの

があると、ちぃとも向上なんかしないのね。俺はただ良いモノが作りたいだけだから・・・。ではその眼って何だ?となった時、きっと基礎を習った人の普通は・・・って言ってくれるはずなのね。つまりゴシック様式は・・・ってね。それを知らずにただオリジナルって言っても、限界があるのね。そこで、わざと途中の絵を見せて、

意見を聞くのね。その時に、恐らくここが変って言われるはず・・・って所を予期して置き、指摘された場所を確認する。それと同時に良い場所も聞いて置く。その時にポーカーでは無いが、残すカードがカギになるのね。でも流されると、奴の言葉が正しい・・・と流されがちになるし、意地を張れば良いモノにならない。その

残すカードを見る眼を養う為の練習に付き合って貰っているのね・・・何度か。面倒だと思うのね・・・仕事から帰って夕飯時に画像見て・・・こんな感じかな?って。やり取り・・・でもちょっとだけ塾に行った気分なのね。何せ是正が出来ているように見えるから。ただね、今はこの程度で済むだけで、本当に向き合う事になると

・・・今は奴が美大出の普通って・・・を俺に教えていたとして、俺はその普通を少しづつ風味でも手に入れられて・・・の関係が、今度はもし俺の感覚だけの影響を受けると、きちんと基礎を持ってして、学校で習った普通じゃない事を言い出したとしたら?・・・奴の中には無かったモノが出来る事になる。逆にまたそれを俺

のモノに出来る事になる。がしかし、それが余りに上手く行ってしまったら・・・赤の水と青の水を綺麗に混ぜたら、ただ綺麗な紫になるだけなのね。いつか同じ紫同士の会話になってしまう・・・だから常にきちんと赤であり、青でありの自分を混ぜに行かないと・・・そう言う点では、まだ違和感は無い。いつかヒカルと佐為の

ように、成長してしまうと、自分でやりたくなるのかな?・・・お互いに。ならば、それならそれ。それまでの間、付き合って貰おうかな?って気持ちもある。

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