かぐやが帰って何が必要か?それは普通な表現なら元に戻る・・・これに尽きる。
つまりかぐやが来た事で非日常を過ごした事になる。
簡単に言えば、仕事では無い以上、収入は一切無し、けれど3食いつもよりも贅沢になる
・・・・それがいつもの貧乏作家に一夜にして・・・
とここまでは普通の話なのだけれど、実はそんな事は当たり前の話で、そうでは無く、
それはその後に大した仕事も無く、お教室もそんなに無い時代の話で・・・・
だからこそ大変だったのであって、今は元に戻るってのは、先生に戻る・・・じゃ何から
・・・?一体かぐやが来ていた3日間、何であったのか?俺は・・・・それは師匠。
つまり1年間1人大阪でモザイクをしていた弟子が、ラン展の準備とらんちゅうを作りに
来た・・・そのねぎらいを師匠として迎えていた・・・・そんな感じ。
と言う事は、普段電話で向き合っていたのとは違い、俺は穏やかだったのだろう・・・・
そんな事も踏まえて・・・みどり教室。
それが来ていきなり、かぐやの作品を観るなり目地の色の変化に気付き・・スタ-ト。
では折角気が付いたのだから・・・・何故こうなったと思う?すると白かった目地が、
濃くなった事から・・・と言う。では濃くなれば良いのか?と聞き直すと・・・・
くっきりはっきりして・・・・と言う。要するに簡単な話でくっきりはっきりさせたいのなら・・・の場合はそれで良いが、そうで無いのにそれでは話は違って来る・・・・
要するにどう見せたいか?が大事。しかもどんなイメ-ジなのか?・・・・ここ。
では今回のこの作品はどのようなイメ-ジなのか?となる・・・すると、・・・・
ザリガニ作家がモザイクでヘビを作っている・・・・それが動き出して生きているように
・・・・とかなり具体的に考えている・・・・さてさて・・・どうしたものか・・・
本人はこれをイメ-ジと思っている・・・果たしてイメ-ジの意味が判っているのか?
まず登場キャラ作りとなる。何しろいかにそれに見えるか・・・?デフォルメして・・・
それはひとまずヘビがヘビに見える、ザリガニがザリガニに見える・・・最低ラインは
確保した。では更なるハ-ドル・・・ザリガニは作家である事・・・・しかもモザイクの
・・・と言う事で喰い切りを持たせた・・・・しかしながらそれでも心配である。
何せモザイクって何?って認知度だから、俺は苦労しているのに・・・と言う事で、
更なるアイテムとしてベレ-帽をかぶらせる事にした・・・ここまでは良い。まずまず。
問題は飛び出しているように見えるヘビ・・・・何処から?普通考えたら・・・・
キャンバス・・・って事はイ-ゼル・・・こんな連想は簡単に出ては来ないかな?
つまりこんなアイテムが必要となるのだけれど・・・それがそもそもが難しい事に
気が付かない・・・・それは今までのアイテムと違ってデフォルメするにも水平、垂直
が必要になる・・・つまり画力が必要なのだ。元々の・・・今までのアイテムは
観なくても感に頼って出来るだろうが、イ-ゼルだのキャンバスなんて見なくては一般に
描ける人は少ない・・・まっそう言う点では良く資料を見て描いては来ていたが、
当然、俺でも難しいと思うようなアイテムだったから、直しつつ何とかサマにはなった。
けれど・・・今度は宿題としてやった字が邪魔となり、カ-ボン紙で写そうにも、
上手く行かない・・・だから写せない場所は感で・・・となった。それは今後の是正と
なるのだから、ここも何とか切り抜けた・・・となる。
これですべて終わったか・・・に見えたが、実はまだまだ決まり事はあって、
このヘビは縁日なんかで売っていた玩具のようなヘビに見せたい・・・と更なるハ-ドル
があって・・・・と後出しジャンケンのように次々に出て来る・・・1つ解決しても、
また1つ、また1つ・・・結局、完全なる図面が必要な題材なのに、これをイメ-ジと
言い張る・・・そもそもイメ-ジの意味が判っていない・・・一体イメ-ジとは何?
しかも本当の大事な事にたどり着いていない・・・本当の・・・それは何?
それは自覚。本人はこんなに決まり事があるのに、そうは思っていなくて、簡単に
考えている・・・前回、自覚無く進めると1年以上も掛かって痛い思いをしているのに、
また同じ事をしているにも関わらず、自覚が無く、しかもぺきぺきだから・・・と
舐めている自分にも気が付かない・・・・しかもそれすらも言えば言ったでへこむ。
軽く見ていた自分に気が付くとその重みに怖くなりびびり、言われないと不安になる。
一体どうするべきか・・・?あれだけ自覚、あれだけ言ったのに・・・何も伝わらない。
そんな中、かぐやに電話し、こんなものをぺきぺきで1ヶ月掛けずに作りたいんだとさ。
・・・どう思う?しかも遊びなんだって・・・・と言うと、思い入れがある以上、
小さかろうが、大きかろうが大作です。と言われた・・・・まさにその通りである。
つまりみどりは100m走のつもりがみどりが上手いと思っているかぐやには1万mくらいに
見えている・・・・・どうするこの思い違い・・・・。
では検証する。一体何がどうなってしまっているのか?
まずペキペキである事。確かに使いやすいから体験には好都合だけれど、切る事が
上手くなると、繊細にやろうとするから、ポロッと欠けてしまったりもする。
つまり今度はもろい・・・に変わってしまった事になる。と言う事は、もろい側に
みどりはいる・・・その確認。で、下絵に入ると説明した通り・・・どんどんと出て来る
無理難題のように・・・しかしながら、字は写しただけでスタ-トすると・・・・
自宅でこうして結果を出す・・・つまり下絵さえきちんとしていれば、字のように
決まった形、決まった色をその枠に沿って切る・・・これはグレ-ドまで問題無く出来る
つまりそうなる所まで行ければ、時間が解決するのである・・・それが何とか下絵まで
たどり着いた・・・だから後は色だ・・・となってしまう・・・気を抜いたのである。
では舌を・・・赤で3パ-ツ・・・クロ目は1つ、白は3パ-ツ・・・何故?
では質問を変える。尻尾はどうなる?・・・・案の定、全部1パ-ツと言う・・・・
だってあの玩具はそうなっている・・・・じゃ顔は?と言うと黙ってしまう・・・
この意味は簡単。常に言っている見栄えと機能性。
つまりみどりの頭の中にあるのは、あの玩具をタイルで作りたい・・・だから、尻尾は
1パ-ツ、顔も1パ-ツ、舌も1パ-ツ・・・出来れば・・・ただ物理的に無理。
だから出来る所は1つで・・・出来ない事は最低の数で・・・何とも能率効率。
つまり機能性。カビが生えるからタイルなんかキッチンに張らずにパネル、パネル・・
って言ったも同然。ただ本人に意識は無い。そんな事は一言も言っていない・・・・
と思っているのも、顔に出ている。じゃどんなつもりで切ったか?と聞いても、
答えられない・・・自分がやったのに・・・つまり意識はあるのに無意識と言い張る。
ストレスって何だ?の質問のように・・・難しいらしい・・・
とても簡単。つまり脳で思い描いている事柄ってのが、人にはあって、けれどそれは
余りにも漠然としている・・・それを言葉、手、足、何でも良いが表現しようとすると
思い描いた通りにならない・・・そのジレンマがストレス。だから上手く行くと、
それが楽しくて、上手く行かないとへこんだり、諦めたり、辞めたり・・に繋がる。
つまり自覚の無さ。すると後向きになる人は、きっと出来ないだろうから・・・・と
勝手な判断をし、思い込み、結局妥協した事にも気が付かず、結果はそれ以下になる。
しかももしそれが大作なら永遠と続く・・・・終わるまで、辞めるまで・・・
忘れられるならまだ良いが、記憶とは中々消えない・・・もしそこに思い入れが
あったのなら・・・しかも記憶に残って忘れていたとしても・・・キ-ワ-ドで思い出す。
まっ映画にこんな事はいくらでも出て来るでしょ?あんな考え方はクリエ-タ-なら、
簡単に出て来る。問題は情緒。俺はもしかすると情緒が無いとダメみたい・・・・。
そしてやる・・・やりたい・・・やってみたい・・・・こんな熱意がね。
勿論、いきなりそんな事を期待しているようなハ-ドルは無い。みどりは常連だし、
もっと大事なのは、弟子になりたい・・・そんな事を口にしたから。
仕事をしたい・・・と言ったんだから・・・意味が判らないのなら、千と千尋を100万回
観るんだね・・・本名なんか捨てろっ・・・みどりに恥を欠かせるような生き方をするな
・・・働かせて下さい・・・の意味。もっと気を入れて貰いたいものである。
きちんと整理すると、まずかぐやの作品の変化に気が付いた・・・ここ。
日高氏は興味が無かったか・・・いずれにせよ、話にも出なかった・・・・なのに、
気が付いた。洞察力、観察力、想像力、これらは何度も言っているクリエ-タ-としての
生命線。その洞察力や観察力が敏感に察知した事になる。非常に良い状態だった。
そもそも子供の頃は、興味がある、なしに関わらずきちんと脳は動いて・・・これ何?
これ何?としつこいくらいに興味が沸いたはず・・・なのにいつしか脳は興味のある事
のみで動くようになり、しかも単なる浅い知識の元に判ったかのように掘り下げる事無く
流して行くようになった。更に言えば常に刺激や新鮮さのみを追及し、まるで薬を
強くして行くかのごとく、もっともっと・・・となって行く。それが大人の脳になった。
そんな比喩であろう。だからこんな事に当てはまれば、もはや幼稚園の子供であろうと
脳は好きなもののみを好むのなら、もはや大人染みている事になるだろうね・・・・
しかしながら、クリエ-タ-はその脳を何とかして子供のままにして置く・・・
そんなイメ-ジ。だから五感ってものが必要となる。例えば俺の場合なら、観るだの
聞くだのってのは大事になる。だって食べるってのはモザイクに関係無いし、触るって
言うのも若干問題があるでしょ?・・・・だから特にこの2つはレ-ダ-で察知とか、
非破壊検査をするかのごとく、いつもと変わりが無いか?・・・と観察する。
そんな事から言えば、今日のみどりはかぐやの作品を気が付いた事は良かったにせよ、
目に気迫が無かった。後向きの時の目をしていた。ビクビク、おどおどとしている・・・
そう見えた・・・。こんな時はいつもの質問に素直に答えられない。必死で答えようと
しても、結局ひとまずその場を逃げ切りたいだけ・・・の言葉を発してしまう・・・
酷い時は意地を張り投げ出す・・・そして諦め卑屈になって行く・・・ただこんな事は
いつまでも続かない・・・・その内に治る・・・ただ本来帰る前には治るものだが、
今日は無理だった・・・。いつか気迫の1手から始められるように教えたいが・・・。
本来、この作品は遊びと銘打った作品。では遊びとはどれくらいで完成?
精々2.3回程度だろうね・・・きっと。けれどみどりは1ヶ月と言っていた・・・・
確かにみどりは月に2回の人だから、一見合っているようだけれど・・・・
みどりのモザイク1ヶ月ってのは何時間なんだろうか?・・・良く考えると判る。
じゃ水泳にしようか・・比喩。じゃ体験教室の人なら・・・?2.3回ってどの位進むかな?
それじゃみどりは?・・・・・一緒に飛び込んだら差が付くよね・・・きっと。
普通なら、上手い人が進む・・・なんて思うじゃない?けれどどの人も体験の時は、
数時間の1回の教室で20cm程度の大きさを完成させている。
それでは今回のみどりは・・・・へびの部分のみ・・・・でも切ったパ-ツのグレ-ドは
悪く無い・・・じゃどんな結果になったかな?恐らくスピ-ドは体験の人の方が早い。
つまり短距離ならドタバタしたフォ-ムかも知れ無いが、体験の人はゴ-ルが早く、
常連はフォ-ムなど色々な事を気にし過ぎて、確認が多く結局時間が掛かる。
ではこの距離を遠泳に変える・・・すると?ほぼ常連は泳ぎ切る実績があるけれど、
体験の人では溺れるかも知れない・・・そんな変化が見られるだろうね・・・
でもそれは経験値とするのなら、それは徐々にとなるが、みどりのような場合、
遠泳に実績がある。問題はここ。つまり時間を掛ける実績がある。丁寧にやる事が
身に付いた・・・・その落とし穴は小物だろうが時間を掛けてしまう事。知らず知らず。
短距離はスピ-ドも必要。ではそのスピ-ドってのは妥協なのか?となると違うのね。
例えば癖になっている事がある。それは言いたい事がスペ-スに合っていない事。
ではこんなのはどうかな?四畳半と40畳のリビングのインテリア・・・違うでしょ?
なのにみどりはいつも一緒。もっと言い方を変えれば、こたつにこだわって、こたつを
買ってから、不動産屋に行っている感じ・・・・。
もっと言えば、実は600リッタ-の冷蔵庫も持っているし、あっ車も持っている・・・
って後からどんどんと出て来る・・・・それでは決めた事がすべて変わって来る・・・
こうならないように、小物と言えど構想が必要なんだけれど、どうしても狭くても
これだけは・・・・とメインは1つにして、軽くする事。詰め込まない事。
なんだけれど・・・これは敷地が決まっている場合。要するに大きさが決まっていれば
それに合わせたもの選びから・・・となるが、みどりの場合、アイテムがしっかりあり、
それを入れる為の大きさを確保・・・つまりほぼ大作の作り方になっている。
この時点での自覚・・・更に細かな設定。もうここで完全な大作になっている・・・・
つまり大作はスペ-スに応じてプラスが出来るが、小物はいかにそぎ落とすかになる。
ん・・・サッカ-とフットサルみたいな感じかな?
役割分担なんて気取った事は出来ない。キ-パ-はいくら小さくしても一緒だが、
人数が少なくなると、狭くなると、結局必要最低限のものしか入れられない・・・・
いかにワッペンのようにインパクト・・・どぉぉぉん・・・・って作れるか?になる。
それが文字だろうが、キャラだろうが・・・そんな感じが小物。
要するに作り方が1通りしか無い。小物も大作もみどりには大きさのみの違いしか無い。
小さければ小物、大きければ大作・・・この意識を治す事。
そこだけじゃない事に気が付く事。長くなったが、何か是正の足しにでも・・・・
と考えながら書くと・・・こんなになってしまった・・・そんな感じ。
そして俺は・・・
つまりかぐやが来た事で非日常を過ごした事になる。
簡単に言えば、仕事では無い以上、収入は一切無し、けれど3食いつもよりも贅沢になる
・・・・それがいつもの貧乏作家に一夜にして・・・
とここまでは普通の話なのだけれど、実はそんな事は当たり前の話で、そうでは無く、
それはその後に大した仕事も無く、お教室もそんなに無い時代の話で・・・・
だからこそ大変だったのであって、今は元に戻るってのは、先生に戻る・・・じゃ何から
・・・?一体かぐやが来ていた3日間、何であったのか?俺は・・・・それは師匠。
つまり1年間1人大阪でモザイクをしていた弟子が、ラン展の準備とらんちゅうを作りに
来た・・・そのねぎらいを師匠として迎えていた・・・・そんな感じ。
と言う事は、普段電話で向き合っていたのとは違い、俺は穏やかだったのだろう・・・・
そんな事も踏まえて・・・みどり教室。
それが来ていきなり、かぐやの作品を観るなり目地の色の変化に気付き・・スタ-ト。
では折角気が付いたのだから・・・・何故こうなったと思う?すると白かった目地が、
濃くなった事から・・・と言う。では濃くなれば良いのか?と聞き直すと・・・・
くっきりはっきりして・・・・と言う。要するに簡単な話でくっきりはっきりさせたいのなら・・・の場合はそれで良いが、そうで無いのにそれでは話は違って来る・・・・
要するにどう見せたいか?が大事。しかもどんなイメ-ジなのか?・・・・ここ。
では今回のこの作品はどのようなイメ-ジなのか?となる・・・すると、・・・・
ザリガニ作家がモザイクでヘビを作っている・・・・それが動き出して生きているように
・・・・とかなり具体的に考えている・・・・さてさて・・・どうしたものか・・・
本人はこれをイメ-ジと思っている・・・果たしてイメ-ジの意味が判っているのか?
まず登場キャラ作りとなる。何しろいかにそれに見えるか・・・?デフォルメして・・・
それはひとまずヘビがヘビに見える、ザリガニがザリガニに見える・・・最低ラインは
確保した。では更なるハ-ドル・・・ザリガニは作家である事・・・・しかもモザイクの
・・・と言う事で喰い切りを持たせた・・・・しかしながらそれでも心配である。
何せモザイクって何?って認知度だから、俺は苦労しているのに・・・と言う事で、
更なるアイテムとしてベレ-帽をかぶらせる事にした・・・ここまでは良い。まずまず。
問題は飛び出しているように見えるヘビ・・・・何処から?普通考えたら・・・・
キャンバス・・・って事はイ-ゼル・・・こんな連想は簡単に出ては来ないかな?
つまりこんなアイテムが必要となるのだけれど・・・それがそもそもが難しい事に
気が付かない・・・・それは今までのアイテムと違ってデフォルメするにも水平、垂直
が必要になる・・・つまり画力が必要なのだ。元々の・・・今までのアイテムは
観なくても感に頼って出来るだろうが、イ-ゼルだのキャンバスなんて見なくては一般に
描ける人は少ない・・・まっそう言う点では良く資料を見て描いては来ていたが、
当然、俺でも難しいと思うようなアイテムだったから、直しつつ何とかサマにはなった。
けれど・・・今度は宿題としてやった字が邪魔となり、カ-ボン紙で写そうにも、
上手く行かない・・・だから写せない場所は感で・・・となった。それは今後の是正と
なるのだから、ここも何とか切り抜けた・・・となる。
これですべて終わったか・・・に見えたが、実はまだまだ決まり事はあって、
このヘビは縁日なんかで売っていた玩具のようなヘビに見せたい・・・と更なるハ-ドル
があって・・・・と後出しジャンケンのように次々に出て来る・・・1つ解決しても、
また1つ、また1つ・・・結局、完全なる図面が必要な題材なのに、これをイメ-ジと
言い張る・・・そもそもイメ-ジの意味が判っていない・・・一体イメ-ジとは何?
しかも本当の大事な事にたどり着いていない・・・本当の・・・それは何?
それは自覚。本人はこんなに決まり事があるのに、そうは思っていなくて、簡単に
考えている・・・前回、自覚無く進めると1年以上も掛かって痛い思いをしているのに、
また同じ事をしているにも関わらず、自覚が無く、しかもぺきぺきだから・・・と
舐めている自分にも気が付かない・・・・しかもそれすらも言えば言ったでへこむ。
軽く見ていた自分に気が付くとその重みに怖くなりびびり、言われないと不安になる。
一体どうするべきか・・・?あれだけ自覚、あれだけ言ったのに・・・何も伝わらない。
そんな中、かぐやに電話し、こんなものをぺきぺきで1ヶ月掛けずに作りたいんだとさ。
・・・どう思う?しかも遊びなんだって・・・・と言うと、思い入れがある以上、
小さかろうが、大きかろうが大作です。と言われた・・・・まさにその通りである。
つまりみどりは100m走のつもりがみどりが上手いと思っているかぐやには1万mくらいに
見えている・・・・・どうするこの思い違い・・・・。
では検証する。一体何がどうなってしまっているのか?
まずペキペキである事。確かに使いやすいから体験には好都合だけれど、切る事が
上手くなると、繊細にやろうとするから、ポロッと欠けてしまったりもする。
つまり今度はもろい・・・に変わってしまった事になる。と言う事は、もろい側に
みどりはいる・・・その確認。で、下絵に入ると説明した通り・・・どんどんと出て来る
無理難題のように・・・しかしながら、字は写しただけでスタ-トすると・・・・
自宅でこうして結果を出す・・・つまり下絵さえきちんとしていれば、字のように
決まった形、決まった色をその枠に沿って切る・・・これはグレ-ドまで問題無く出来る
つまりそうなる所まで行ければ、時間が解決するのである・・・それが何とか下絵まで
たどり着いた・・・だから後は色だ・・・となってしまう・・・気を抜いたのである。
では舌を・・・赤で3パ-ツ・・・クロ目は1つ、白は3パ-ツ・・・何故?
では質問を変える。尻尾はどうなる?・・・・案の定、全部1パ-ツと言う・・・・
だってあの玩具はそうなっている・・・・じゃ顔は?と言うと黙ってしまう・・・
この意味は簡単。常に言っている見栄えと機能性。
つまりみどりの頭の中にあるのは、あの玩具をタイルで作りたい・・・だから、尻尾は
1パ-ツ、顔も1パ-ツ、舌も1パ-ツ・・・出来れば・・・ただ物理的に無理。
だから出来る所は1つで・・・出来ない事は最低の数で・・・何とも能率効率。
つまり機能性。カビが生えるからタイルなんかキッチンに張らずにパネル、パネル・・
って言ったも同然。ただ本人に意識は無い。そんな事は一言も言っていない・・・・
と思っているのも、顔に出ている。じゃどんなつもりで切ったか?と聞いても、
答えられない・・・自分がやったのに・・・つまり意識はあるのに無意識と言い張る。
ストレスって何だ?の質問のように・・・難しいらしい・・・
とても簡単。つまり脳で思い描いている事柄ってのが、人にはあって、けれどそれは
余りにも漠然としている・・・それを言葉、手、足、何でも良いが表現しようとすると
思い描いた通りにならない・・・そのジレンマがストレス。だから上手く行くと、
それが楽しくて、上手く行かないとへこんだり、諦めたり、辞めたり・・に繋がる。
つまり自覚の無さ。すると後向きになる人は、きっと出来ないだろうから・・・・と
勝手な判断をし、思い込み、結局妥協した事にも気が付かず、結果はそれ以下になる。
しかももしそれが大作なら永遠と続く・・・・終わるまで、辞めるまで・・・
忘れられるならまだ良いが、記憶とは中々消えない・・・もしそこに思い入れが
あったのなら・・・しかも記憶に残って忘れていたとしても・・・キ-ワ-ドで思い出す。
まっ映画にこんな事はいくらでも出て来るでしょ?あんな考え方はクリエ-タ-なら、
簡単に出て来る。問題は情緒。俺はもしかすると情緒が無いとダメみたい・・・・。
そしてやる・・・やりたい・・・やってみたい・・・・こんな熱意がね。
勿論、いきなりそんな事を期待しているようなハ-ドルは無い。みどりは常連だし、
もっと大事なのは、弟子になりたい・・・そんな事を口にしたから。
仕事をしたい・・・と言ったんだから・・・意味が判らないのなら、千と千尋を100万回
観るんだね・・・本名なんか捨てろっ・・・みどりに恥を欠かせるような生き方をするな
・・・働かせて下さい・・・の意味。もっと気を入れて貰いたいものである。
きちんと整理すると、まずかぐやの作品の変化に気が付いた・・・ここ。
日高氏は興味が無かったか・・・いずれにせよ、話にも出なかった・・・・なのに、
気が付いた。洞察力、観察力、想像力、これらは何度も言っているクリエ-タ-としての
生命線。その洞察力や観察力が敏感に察知した事になる。非常に良い状態だった。
そもそも子供の頃は、興味がある、なしに関わらずきちんと脳は動いて・・・これ何?
これ何?としつこいくらいに興味が沸いたはず・・・なのにいつしか脳は興味のある事
のみで動くようになり、しかも単なる浅い知識の元に判ったかのように掘り下げる事無く
流して行くようになった。更に言えば常に刺激や新鮮さのみを追及し、まるで薬を
強くして行くかのごとく、もっともっと・・・となって行く。それが大人の脳になった。
そんな比喩であろう。だからこんな事に当てはまれば、もはや幼稚園の子供であろうと
脳は好きなもののみを好むのなら、もはや大人染みている事になるだろうね・・・・
しかしながら、クリエ-タ-はその脳を何とかして子供のままにして置く・・・
そんなイメ-ジ。だから五感ってものが必要となる。例えば俺の場合なら、観るだの
聞くだのってのは大事になる。だって食べるってのはモザイクに関係無いし、触るって
言うのも若干問題があるでしょ?・・・・だから特にこの2つはレ-ダ-で察知とか、
非破壊検査をするかのごとく、いつもと変わりが無いか?・・・と観察する。
そんな事から言えば、今日のみどりはかぐやの作品を気が付いた事は良かったにせよ、
目に気迫が無かった。後向きの時の目をしていた。ビクビク、おどおどとしている・・・
そう見えた・・・。こんな時はいつもの質問に素直に答えられない。必死で答えようと
しても、結局ひとまずその場を逃げ切りたいだけ・・・の言葉を発してしまう・・・
酷い時は意地を張り投げ出す・・・そして諦め卑屈になって行く・・・ただこんな事は
いつまでも続かない・・・・その内に治る・・・ただ本来帰る前には治るものだが、
今日は無理だった・・・。いつか気迫の1手から始められるように教えたいが・・・。
本来、この作品は遊びと銘打った作品。では遊びとはどれくらいで完成?
精々2.3回程度だろうね・・・きっと。けれどみどりは1ヶ月と言っていた・・・・
確かにみどりは月に2回の人だから、一見合っているようだけれど・・・・
みどりのモザイク1ヶ月ってのは何時間なんだろうか?・・・良く考えると判る。
じゃ水泳にしようか・・比喩。じゃ体験教室の人なら・・・?2.3回ってどの位進むかな?
それじゃみどりは?・・・・・一緒に飛び込んだら差が付くよね・・・きっと。
普通なら、上手い人が進む・・・なんて思うじゃない?けれどどの人も体験の時は、
数時間の1回の教室で20cm程度の大きさを完成させている。
それでは今回のみどりは・・・・へびの部分のみ・・・・でも切ったパ-ツのグレ-ドは
悪く無い・・・じゃどんな結果になったかな?恐らくスピ-ドは体験の人の方が早い。
つまり短距離ならドタバタしたフォ-ムかも知れ無いが、体験の人はゴ-ルが早く、
常連はフォ-ムなど色々な事を気にし過ぎて、確認が多く結局時間が掛かる。
ではこの距離を遠泳に変える・・・すると?ほぼ常連は泳ぎ切る実績があるけれど、
体験の人では溺れるかも知れない・・・そんな変化が見られるだろうね・・・
でもそれは経験値とするのなら、それは徐々にとなるが、みどりのような場合、
遠泳に実績がある。問題はここ。つまり時間を掛ける実績がある。丁寧にやる事が
身に付いた・・・・その落とし穴は小物だろうが時間を掛けてしまう事。知らず知らず。
短距離はスピ-ドも必要。ではそのスピ-ドってのは妥協なのか?となると違うのね。
例えば癖になっている事がある。それは言いたい事がスペ-スに合っていない事。
ではこんなのはどうかな?四畳半と40畳のリビングのインテリア・・・違うでしょ?
なのにみどりはいつも一緒。もっと言い方を変えれば、こたつにこだわって、こたつを
買ってから、不動産屋に行っている感じ・・・・。
もっと言えば、実は600リッタ-の冷蔵庫も持っているし、あっ車も持っている・・・
って後からどんどんと出て来る・・・・それでは決めた事がすべて変わって来る・・・
こうならないように、小物と言えど構想が必要なんだけれど、どうしても狭くても
これだけは・・・・とメインは1つにして、軽くする事。詰め込まない事。
なんだけれど・・・これは敷地が決まっている場合。要するに大きさが決まっていれば
それに合わせたもの選びから・・・となるが、みどりの場合、アイテムがしっかりあり、
それを入れる為の大きさを確保・・・つまりほぼ大作の作り方になっている。
この時点での自覚・・・更に細かな設定。もうここで完全な大作になっている・・・・
つまり大作はスペ-スに応じてプラスが出来るが、小物はいかにそぎ落とすかになる。
ん・・・サッカ-とフットサルみたいな感じかな?
役割分担なんて気取った事は出来ない。キ-パ-はいくら小さくしても一緒だが、
人数が少なくなると、狭くなると、結局必要最低限のものしか入れられない・・・・
いかにワッペンのようにインパクト・・・どぉぉぉん・・・・って作れるか?になる。
それが文字だろうが、キャラだろうが・・・そんな感じが小物。
要するに作り方が1通りしか無い。小物も大作もみどりには大きさのみの違いしか無い。
小さければ小物、大きければ大作・・・この意識を治す事。
そこだけじゃない事に気が付く事。長くなったが、何か是正の足しにでも・・・・
と考えながら書くと・・・こんなになってしまった・・・そんな感じ。
そして俺は・・・