一年が過ぎても玄関開けるとき
「よお来てくれた。」とおばの声残る
おばを正月にお見舞いに行った時には、少し会話をすることができました。ちょうど去年の今日のことです。早朝、いとこから電話。「母が亡くなった。」という思いがけない言葉。
すぐに駆け付けると、眠っているようなおばがいました。近所に住んでいるので、物心ついたころから、すぐそばにはおばがいました。
しかし、弟である父が亡くなり、連れ合いの叔父、母を順に見送ってくれて最後におばは逝ってしまいました。今でもおばの家を訪れるとおばが「さあ、上がって。よお来たね。」と出迎えてくれるような気がします。
たくさんの親戚の人が集まりました。遠くは、おばの妹、父の姉であるおばも新潟から駆けつけました。高齢なので、葬儀には参列できなかったので、いとこに付き添われながら来てくれました。
新潟のおばも、身近な人たちがいなくなったので、どんなに寂しい思いをしていることでしょう。
お経をあげて、座について、終わってから、またおばの家にみんなが集まって・・・おばの思い出やそれぞれの生活について話をしながら時間が過ぎていきました。いなくなって、なおさら、みんなが元気な時の楽しい思い出が懐かしく感じます。
生きているその瞬間を、大事にしていきたいですね。
「よお来てくれた。」とおばの声残る
おばを正月にお見舞いに行った時には、少し会話をすることができました。ちょうど去年の今日のことです。早朝、いとこから電話。「母が亡くなった。」という思いがけない言葉。
すぐに駆け付けると、眠っているようなおばがいました。近所に住んでいるので、物心ついたころから、すぐそばにはおばがいました。
しかし、弟である父が亡くなり、連れ合いの叔父、母を順に見送ってくれて最後におばは逝ってしまいました。今でもおばの家を訪れるとおばが「さあ、上がって。よお来たね。」と出迎えてくれるような気がします。
たくさんの親戚の人が集まりました。遠くは、おばの妹、父の姉であるおばも新潟から駆けつけました。高齢なので、葬儀には参列できなかったので、いとこに付き添われながら来てくれました。
新潟のおばも、身近な人たちがいなくなったので、どんなに寂しい思いをしていることでしょう。
お経をあげて、座について、終わってから、またおばの家にみんなが集まって・・・おばの思い出やそれぞれの生活について話をしながら時間が過ぎていきました。いなくなって、なおさら、みんなが元気な時の楽しい思い出が懐かしく感じます。
生きているその瞬間を、大事にしていきたいですね。