
あなたの姿を追っているだけ

今日、ある交流会に参加をさせてもらいました。たくさんの教員OBの方々いました。その中に、小学校5、6年生の時の担任のY先生が来ていました。「先生、お久しぶりです。」とあいさつに行きました。「おっ、かったかくん。」と小学校の頃のままの太い声で笑顔で応えてくれました。
以前も書いたことがあるのですが、自分自身がなぜ教員の道を選んだのか。その思いをたどっていくと、Y先生にであいます。「先生みたいな先生になりたい。」といつの間にか自分の体の中に染みていたからです。
「先生、自分が先生になろうとしたのは、先生に出会ったからだと思います。」と話をしました。「おっ、そうかあ。うれしいねえ。」とそれからも話が弾みました。一時は、お体をこわされていましたが、今は、お元気で、このような会にも参加をしています。

先生からいろいろなことを教えていただきました。休みには、野球、ソフトボール、サッカー、水泳といろんなスポーツを教えてくれました。小学校の時に野球とは当時は珍しいものでした。自分たちでチームを作って、他のチームと試合をしたことがあります。
今でも野球を続けることができているのは先生のおかげであると思います。日曜日には、学級遠足を企画してくれて、近くの山に連れて行ってくれました。休み時間も一緒に遊んでくれました。
スポーツ少年団でサッカー部を立ち上げました。毎日の練習。県下の強豪校となりました。住んでいる地域がサッカーが盛んなのは、先生がその基盤を作ったからです。耶馬溪線に乗って、正月サッカー大会や練習試合に出かけていきました。
学習でも楽しい授業を展開していきました。宿題ではグループ日記、自主学習などが出されました。今では、自主学習などは当たり前のような家庭学習の中の一つになっていますが、その頃、自主学習を行っている先生は、そんなにいなかったと思います。
「誕生日文集」などもみんなで作ってくれ、一人ひとりを大切にしてくれました。だからこそ、今でも先生の存在が心に残っているのだと思います。すべてとは言えませんが、先生のしてくれたことを自分が引き継いでいるのかも知れません。
先日こんなことがありました。学校の中で、昼休みある会議に参加していると、校内放送がかかりました。内容はこのようなものでした。「外で雪で遊んでいる生徒は、校舎内に入りなさい。雪が校舎の中に入ってきます。」自分自身にとってはすごく衝撃的な言葉でした。
教員の根幹に関わる言葉ではないかと思うのです。それはこのような理由からです。
実際に生徒がいるところに行かず、生徒の表情を見ることなく、校内放送ですべてを片付けようとしているところです。ではどうすればいいのか。
①実際に遊んでいる生徒のところに行って、「校舎に入りなさい。」と子どもたちの姿を見て、指導します。
でもこれでは納得しないでしょう。
②「見てごらん。こんなに校舎に雪が入っているよ。みんなはどう思う。雪が入らないように遊びなさい。」これなら、少しは分かるでしょう。

先生だったら、きっと次のような指導をなされたと思います。
③「自分も入れてくれよ。でも、雪を校舎の中に入れないようにしよう。校舎が汚れてしまうからね。」先生は、子どもたちを大切にしてくれ、いっぱい関わってくれました。自慢の先生でした。
校内放送の指導は、短時間で済みますが、生徒を見ていない、生徒と関わっていないあの放送で生徒はどのように成長するのか思うと同時に「先生って何。」と寂しく感じました。
子どもあっての学校の教育だと思うのです。自分が中学生でも外に出て、珍しく積もった雪の日には、きっと雪合戦をしていたでしょう。
あとからの職員会議の中でその寂しさを話しました。自戒を含めて。

先生と出会えたことに今、改めて感謝をしています。最後に先生と記念写真を撮ってもらいました。