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耶馬溪の風景から~2回にわたって~

2015年10月13日 | Weblog
「鶴阪の橋」という身近な橋の名前を昨日、耶馬溪スポーツ祭から歩いて帰る途中で初めて知りました。

この橋の名の由来という主題にいきつくまで、2回にわたって、耶馬溪の隠れた部分、昔の出来事を紹介しながら徒然に文章を書きます。
 

かつて、私自身が幼少のころは、プールなどはもちろんありませんでした。夏休みは、お家の方たちにかわりばんこに監視人になってもらいながら、川で泳いでいました。


雨の時や上級生が毎日川の水温を計り、冷たいときには、泳ぐ場所の上の道路に赤旗を立っています。赤旗が立った時は、この日の水泳は禁止です。
 


今、よく川の流れがわからなく川でおぼれる若者も多くいます。そこは、昔。流れや深さは、子どもたちは熟知しています。小学生が泳ぐところは、深いところもあり、瀬も適当にあり、浅いところもあり・・・で絶好の楽しく過ごせるオアシスの遊泳場でした。


泳いだり、魚を獲ったり、石で温泉を作ったり、石の上で甲羅干しをしたり、夏休みの間に一気に真っ黒になります。
その場所より、70~80メートル上流は、遊泳禁止でした。
 

その場所は、「さんぴろ」と言っています。当時は「さんじゅうさんぴろ」と呼ばれていました。「ひとひろ」が1.5メートルほどですから、「さんぴろ」は4.5メートルくらいの深さかもしれません。「さんじゅうさんぴろ」となると・・・どのくらい深い。



さんじゅうさんぴろまではなかったかもしれませんが、川の底に手をついて水面に戻ってくるのは、至難の技です。
 


鯉が釣れる絶好の釣りスポットでもありました。岩の上から見ると、たくさんの鯉が泳いでいました。父とよく朝早く起きて、「さんじゅうさんぴろ」に鯉釣りに行っていました。
 


中学生や高校生がよく泳いでいました。父が監視人をしてくれたときに、得意な平泳ぎで「さんじゅうさんぴろ」まで、流れに逆らっていく姿は羨望に近いものがありました。
 

「さんじゅうさんぴろ」は、ちょうど、山国川と三尾母川が合流をするところです。五竜の滝のすぐ下流です。三尾母川が山国川の本流にでるところに耶馬溪鉄道と並行して人や車が通る橋がありました。


そこを昨日通った時に「鶴阪橋」と、石でできた橋に刻まれているのを見つけました。
 


一般的に、橋などには、よくそこの地名を使っています。鶴阪・・・「大字」でもなく「小字」でもありません。「字」なのでしょうか。「字」までは知りません。


人通りも少ないこの橋に、「鶴」とか大阪の「阪」を使っているこの「鶴阪橋」です。鶴市神社に関係するのかな、大阪と何か関係があるのかなど好奇心がわきました。


どんな由来があるのか知りたいと思い、町史や郡史・・・などを引っ張り出しました。



昨日の今日の話ですから、そんなには深くは知ることもないのですが、本を見る中で、故郷の身近な中にいろんな面白い話を知ることができました。自分自身の発見です。
というところで、明日に続く。