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「父からのメッセージ」

2018年08月07日 | 大分県
今日、午前中は、「中津市授業改善講座」がありました。

これからの授業展開のモデルを提示した貴重な話を聴く機会をもつことができました。


 
帰りに、昼ごはんと思い、コンビニに立ち寄りました。
かつて、そして今でもいろいろと元気・刺激をもらっている人に出会いました。

「せんせい、なにしよるん。」
はい、お昼ご飯を・・・ということから、学校にきてもらって少し話をしました。


 
生き方とか、社会への貢献などの話をしました。発想の中で、相変わらず、刺激をもらうことができ、考えさせられることもたくさんありました。
 

まったく違う話への転換になりますが、先日誕生日を迎えて、父が同じ年に書いた手記がどこにあるのか探しました。
見つからない、
「探しものはなんですか」状態で探しました。

その手記は、姉が父に60歳がやってきたときに、家族新聞に載せるために、依頼したものでした。姉に電話をして聴くと、

「あるよ。でも直筆ではないけれど。」
と新聞をメールで送ってきてくれました。

あの日、あの時、父が感じていたことを、同じ年になって、感じることができ、嬉しく思いました。


「とら年 還暦を迎えて
 清らかな山国川のよどみに釣糸を垂れ、すがすがしい空気を吸いながら、鯉のかかるのを待つ。

青空に浮いた綿のような雲が静かに西から東へと動いていく。

時々、前の国道を観光バスや乗用車が走り抜けていく。急に釣糸が激しく引っ張られ、ピーンと張った糸の先で大きな鯉の躍動が感じられる。

渕いっぱいを元気よく泳ぎ廻るのを時間をかけて少しずつ手元にたぐり寄せる。

水際にきた黒光りする大きな鯉の姿を見たときの喜び。何十年かぶりに童心に返ってこんなささやかな楽しみを味わう。

無欲、無我忘却の心境は、還暦の今日にして、初めて迎えた人生のゆとりである。


長いようで短かった自分の人生の六十年を今振り返ってみると、ちょうど、日本の国がたどってきた昭和の歴史と同じだったと言える。


戦争、敗戦、飢餓、繁栄と
昭和時代のめまぐるしい変遷のように仕事、生活、子育てに慌ただしい毎日を過ごし、
然もその間に数度の挫折もあり、自分をじっくり見つめるいとまもなく、人生の険しい山や谷を乗り越えるのが精一杯だった自分が
六十にしてやっとたどり着いたところは、本当に明るく楽しい世界であり、
虎が千里の藪を抜けたときの喜びとも言えるだろう。



苦労して育てた二人の娘もそれぞれ男女の子に恵まれ、幸せに暮らしており、自分たちも長男夫婦と同居し、孫の世話に生きがいを感じる此の頃、平和の有難さが身に染みる思いである。


今この夢のような飽食の時代が何時迄続くのだろうかと心配になりながら、この幸せを一日でも長く続けさせたいと思う。


夫婦揃って公民館のカラオケ教室に通い、下手ながらも大きな声を張り上げて歌い、わがままいっぱい、元気いっぱいの孫に手を焼きながらもつい負けて言いなりになり、
子供心にかえって、一緒に戯れる、この円満な家庭を親から子へ、子から孫へと伝えて欲しいと念願して、
還暦を迎えた喜びの言葉としたい。」




父はあの日、あの時にこんなことを感じていたんだと思うと胸が熱くなりました。姉も、
「久々に読んでジーンとしたよ。」
と言葉にしていました。
 


私自身には、父のような重い言葉は残せませんが、父の思いを再び言葉で見て、今、この年になって、改めてこれまで支えてくれた両親そして、たくさんの方々に感謝の気持ちが溢れます。